第7話 背負う者
翌朝、スウェーティは頭痛とともに目覚めた。頭の奥に残る鈍痛に顔をしかめながら体を起こすと、窓から外の様子を見る。
砦の奥にあるとはいえ、外の様子が見えなければ時間を知りようがない。まるで牢獄のように細い隙間から差し込む光の角度から、スウェーティは今が早朝であることを理解した。昨日調査で町に出たことが、彼に奇妙な緊張感を復活させたのか――どうやら、眠りが浅かったようだ。
「……」
ぼんやりと霞がかっている頭を振り、スウェーティはベッドから降りた。まだ眠気は残っているものの、もう一度眠る気にはなれなかった。部屋の隅に置かれている桶の水を掬うと、思いっきり顔にかける。
「……っはー」
冷水が顔を叩き、ぼんやりとしていた思考が明確になっていく。今日の予定は、食堂でパトと落ちあった後に第二の事件現場に向かう予定となっている。面倒だが、『予言者』ミリから言い渡された仕事を放棄するわけにもいかない。
「……隠した物、潜む者、全ての秘密を暴け――『天眼』」
静かに呟いたスウェーティの頭部が、黄金色の光に包まれる。今日見に行く予定の場所を一通り偵察し、『天眼』を解除した。到着するのは昼頃になるだろうが、現場に異常はなさそうだった。安心しきることはできないが、とりあえず今は大丈夫そうだ。
「……どうするか」
この砦の食堂は、基本的に常に開いている。様々な職種の人間が集うこの場所は、早朝から深夜まで常に誰かが働いているからだ。今から食堂に向かってもいいのだが、かなりの長時間待ちぼうけになってしまうだろう。スウェーティは少し考え、砦の中を歩いてみることにした。思えば、普段この時間は寝ている。
柄にもなく、爽やかな朝の空気を感じてみよう――そんなただの気まぐれで、スウェーティは自分の部屋の扉を開いた。抗議するような軋む音は相変わらずだが、スウェーティは気にすることもなく廊下を進んでいく。
横を通り過ぎる冒険者や兵士たちが、見覚えのないスウェーティの姿に訝しそうな顔をするが、特に何かを言われることもなかった。
「おい」
そんなスウェーティを、呼び止める男がいた。
「どうした? こんなところで何をしている?」
その男の名前は、『剛腕』セルデ。第一遊撃隊の隊長を務める大男だ。二人は、この間の“貴婦人”襲撃事件の時に初めて顔を合わせたが、『覗き屋』という称号くらいしか伝わっていないはずだ。
「……朝の散歩だよ。早起きしたんでね」
恐怖する。何もやましいことはないが、目の前の男は一撃でスウェーティを殺し得る。英雄としての人格の評価も高い。もしスウェーティがこの場で殺されても、多くの人間がセルデの味方をするだろう。彼を守ろうと声をあげるだろう。
そして、同じ声で――スウェーティを批難するだろう。
「……『覗き屋』とか言ったか。あんまり迂闊なことをするなよ。最近、なんだか町のほうが騒がしい――」
「わかってるよ、『剛腕』さま。今日はたまたま早く起きたってだけさ」
「そうか。ならいいが……」
薄笑いを浮かべたスウェーティを見て、セルデが言い澱む。口にすべきかどうか、少し悩んだあとに、セルデは意を決したように口を開いた。
「お前、なんで怒ってるんだ?」
「――え?」
スウェーティは、右手で自分の口を覆った。怒っている? 自分が?
そして、自分の顔を触ってみて初めて、自分が歯を食いしばっていることに気づいた。なぜ、俺は怒っているのだろう?
「……まあいいけど、怪しい動きはするなよ。ただでさえ“埋め込みのレベッカ”やら、『純白』やらで忙しいんだから。全く、休む暇もないぜ……」
ぶつぶつと呟きながら去っていった『剛腕』の呟きは、スウェーティの耳には入っていなかった。自分が怒っていることに気づかなかった――怒っている理由が、わからない。こんなことは初めてだった。無意識のうちに、自分はあの『剛腕』に対して怒りを抱いていたのか?
わからない。今までのスウェーティなら、彼に対して苛立ちはしても、怒りはしない。エネルギーの無駄だからだ。勝てるわけがないからだ。鬱屈とした自分の世界に籠るスウェーティは、敵わない相手に怒りを抱くことはない。
抱くことはない――はずだった。
「くそっ。なんなんだ、いったい……」
浮ついていた心が一気に現実に引き戻される。気づけば太陽は完全に昇っていて、もう早朝という時間ではなくなっていた。スウェーティはその場で踵を返し、食堂に向かう。なんとなく、パトはもうすでに食堂で待っているような予感がした。
歩きながら、スウェーティは自分が怒っていた理由を考えるが、すぐに思考を打ち切る。そんなことを考えている余裕はない。いや、正確に言うのであれば、そんなことを考える理由がない。自己分析など今さらしなくても、スウェーティという人間の性質は、自分が一番よく知っていた。
「ちっ。嫌になるぜ、全く……」
ふと窓から外を見たスウェーティは、その光り輝く陽光を見て思う。今日は、暑くなりそうだな、と。
† † † †
『予言者』は、『軍神』が見ている前で重々しい溜息を吐いた。
「どうしたんだい、ミリ?」
能天気に問いかける青年にしか見えない男を前に、ミリはもう一度吐き出しそうになった溜息を堪える。彼女の頭痛と心労の原因のひとつでもある男だが、彼を責めることはできない。なぜなら、彼こそが砦を守る最後の希望でもあるからだ。
外敵から人類を守るのが『軍神』の役目ならば、内部の敵から人類を守るのは『予言者』であるミリの役割だ。
「“埋め込みのレベッカ”、『純白』、『魔女』の報告……問題が山積みです。まるで狙いすましたかのように、一気に問題が表面化したのです」
『純白』の問題は、まだ表立って出てきてはいない。“埋め込みのレベッカ”による連続殺人の被害者は、ついに二ケタになった。そのあまりにも特異な殺害方法、全力で追っているにも関わらず捕まえられないことから、住人たちの良い噂の的だった。
「僕も手伝えることがあれば手伝うけどね……」
「いえ、いりません。はっきり言って、調査に関して貴方は役立たずですから」
『軍神』の申し出を切って捨てるミリ。いくらオーデルトといえども、姿の見えない少数の敵に対してはどうしようもない。戦の天才とはいえ、彼自身の体は一般人だ。『未来予測』の『祝福』を持つミリが全力を尽くしたほうが、“埋め込みのレベッカ”を捉えられる可能性は高い。
「『覗き屋』と『転写』も動かしましたし……もし、私の予測が正しければ。対処を間違えれば、終わります」
人類という種族が、内側から滅びるかどうかの瀬戸際だ。英雄フリートの誕生に沸き立つ住民は、まだ気づいていないが――『純白』の問題が表面化したら、そうはいかないだろう。まだ片鱗が見えている程度だが、これが公になれば、いったいどんな事態になるのか。それは、『未来予測』を持つミリでも、わからない。
セルデが早期に発見してくれたからいいようなものの、『純白』がこっそりとこの町に蔓延っていたら、と思うと背筋が凍る。それだけは阻止しなくてはいけない。
「レベッカも問題ですね……これ以上好き勝手されると、住民に不安が広がります。しかし……」
『予言者』ミリは、脳内にある冒険者や兵士たちの名前、能力を片っ端から思い起こす。こういった捜査や調査に向いている人材は、そもそも元からミリが確保してきた。この人員で対処できないのであれば、誰にだって対処は不可能だ。
レベッカの『祝福』――物質を透過する能力。これが、厄介過ぎる。複雑に成長を続けたギベルの町は、ひとつ裏道に入るだけで迷宮のように入り組んだ道路になる。空を飛ばずに、壁をすり抜けて移動できるのはこれ以上ないほどの強みと言えた。それこそ、町中の住人が協力して追い回してくれれば、もしかしたら捕まえられるかもしれないが――凶悪な連続殺人鬼を相手に、何の力も持たない住人が、協力してくれるだろうか。誰だって、自分の命は惜しいものだ。
「風も音も音沙汰なしかい?」
「……“埋め込みのレベッカ”に関しては、手がかりが少ないです。今は、『純白』のもとを辿ってもらっています」
『純白』。その名前を聞いたオーデルトが顔をしかめた。
「もう二度と、その名前は聞きたくなかったのに」
その気持ちは、ミリも同じである。最初に聞いたときは、「まさか」と思ったものだ。だがセルデから受けた報告を聞けば、その症状は過去の記録と一致する。まさかこんな最北端の国で、また『純白』の名前を聞くとは思っていなかったミリは、本気で苛立ちを募らせながら調査に乗り出した。
もしも、本当に『純白』がこの町に入り込んでいるのならば、根本から断たなければならない。それは簡単なことではなかったが、必ずやらなければならないことだった。
「『純白』の流行を許せば、人類は内側から滅びるでしょう」
それは『未来予測』の『祝福』を使うまでもない、れっきとした『予言』だった。ミリの呟きに、オーデルトも頷く。
過去に起きた、『純白』を巡る戦いを思い起こせば、当然の判断だった。
人類を背負うと決めた二人は、あの日に約束を交わしたのだ。
人類という種を守るために、人間をやめることを。感傷や躊躇を捨て去り、『人類にとっての最適な選択肢』を選び続けることを。
『軍神』
『予言者』
それは、決して間違えない人類の守護者の呼び名。オーデルト、ミリという名前は仮初にすぎない。二人には、それができるだけの資質があった。個を殺し、種を生かすために。
仲間を、友を、家族を殺してでも――人類が生き延びるために。
「なんとしてでも、“埋め込みのレベッカ”を捕らえ、『純白』を根絶させます」
手段は選ばない。合理的で理性的な判断。この二つを放置することは、人類の滅亡を導く。『軍神』と違い、『予言者』は明確な敵と定めるものが少ない。なぜなら、彼女が戦うべきものはいつだって人類の内側――人間の持つ、『弱さ』が招くもの。
だから、一度敵と定めた者には容赦も情けもない。持てる全力を持って滅ぼす。
「『軍神』。『戦乙女』は……?」
「順調だよ。精神も落ち着きつつあるし、もうそろそろ前線に復帰させても大丈夫だろう。依存度はあがったけどね」
「そうですか」
手段を選んでいないのは、『軍神』も同じだ。人類の切り札である『戦乙女』シャルヴィリアは、女神カロシルへの信仰が折れたときの保険として、『軍神』への狂信を埋め込まれている。言葉巧みに弱った女性を誑かし、その精神に『軍神』オーデルトという支柱を打ち立てた。彼自身は、全く彼女の気持ちに応えるつもりがないのに、だ。
罪悪感はない。それが、人類を守るために必要なことだったからだ。
罪悪感など、感じてはいけない。
いつものように穏やかな微笑を浮かべたオーデルトは、いつものようにからかいの言葉を贈る。
「ミリは、気になっている人とかいないのかい?」
「いませんね」
「僕とかどうかな?」
1人の女性を完全に依存させておいて、別の女性を口説く。それは多くの人が顔をしかめる行為なのは間違いなく、『軍神』オーデルトはそのことを知っている。
「――私たちにソレは赦されません」
いつものように硬質な声で弾かれたオーデルトは笑みを浮かべる。まだ、大丈夫だ。
自分たちは――まだ、守護者でいることができる。
「ひどいなぁ、これでも結構真剣なんだよ? 僕と君の恋愛小説、出版されてるみたいだし」
「娯楽が少ないですからね。ちなみに今、作者には『無音』とリクルさんを題材にしたものを執筆させています」
「え、あれ君公認なの!?」
「住民のストレス発散も私の役目なので。手段は選びません」
ミリの耳がほんのりと赤く染まっているのも、オーデルトの胸がいつまでも鈍い痛みを訴えるのも。まぎれもなく彼らがまだ人間であることの証だったが、二人はそれを無視する。ソレは赦されない。
今更、人並みの幸せを掴もうなどと、そんな傲慢は赦されない。二人には、打ち砕いてきた何百人もの幸せの欠片が積み重なっているのだから。自分たちだけがその罪を忘れて幸せになることは、決して赦されない。