第6話 見抜く者
その夜、砦へと戻ったスウェーティは部屋で考え事をしていた。それはもちろん、捕まえろと言われている“埋め込みのレベッカ”について――ではない。そんなどこにいるかわからない殺人鬼よりも、気になることがあった。それは、一時的に自分のパートナーとなった、『祝福』を持つ少女、パトのことである。
「よく、わからんな……」
考えなしなのは間違いない。頭も、あまりよくないのだろう。頭がいいのなら、好き好んでスウェーティのそばに近づいたりはしないし、そもそもスウェーティの嘘だって見破るはずだ。今も騙されて、スウェーティのことを信じているのがその証拠である。聞く限りでは、『転写』の能力に直接的な戦闘能力はない。あの尋問方法を使えば、弱みくらいは握れそうだが――いくら弱みを握ったところで、問答無用に殺されてしまえば意味はない。
だというのに、行動のいちいちが軽率に過ぎる。
「……やっぱり、あんまり考えてないんだろうな」
自分の半分も生きていないパトを見下し、暗い喜びに浸るスウェーティ。そんな自分が嫌いだが、持って生まれた性質と、環境によって育まれた性格だ。変えようと思っても変えられるものではない。
パトの尊敬の眼差しが心地よい。信頼している態度に安心する。自分は本来、そんな人間ではないというのに、今まで味わったことがない他者から認められる感覚というのは、麻薬のように彼をしばりつけていた。
しかし、その喜びとは別に、スウェーティにひとつの予感があるのも事実だ。
それは、嘘というものはいずれ必ずバレるということだ。スウェーティは凄腕の諜報員などではないし、ただ『見る』ことしかできない非力な男だ。彼女を守ることも、真実に迫る勇気も気概もない。
「とっととバラした方が、傷は少ないって……わかってはいるんだけどな……」
長い時間をかけて熟成させた嘘は、それが破れたときにぞっとするほどの腐臭を放つものだ。『裏切られた』――そう感じた彼女が、自分に対してどのような行動をとってくるのか、想像もできない。
スウェーティがパトという少女に真実を明かせない理由はいくつかある。まず、『天眼』としての能力を他者に明かすことを、『予言者』ミリと『軍神』オーデルトに禁じられているということ。パトからの尊敬の視線を壊したくなくて、そもそもスウェーティが『言いたくない』と思っているということ。
そして、『天眼』としての能力が成長の兆しを見せていることだ。
ほかにもいくつか理由はあるが、スウェーティがパトに自分の『天眼』のことを明かさない大きな理由はこの3つである。
「……隠した物、潜む者、全ての秘密を暴け――」
スウェーティの頭部から、微かに黄金色の光が漏れ――膨れ上がった。
「『天眼』ッ……」
何かを見ようと決めていたわけではないスウェーティは、とりあえず夕方訪れた市場に視点を飛ばす。夜になった今、暗闇が周囲を支配していてろくに見えない――少なくとも、今までのスウェーティの『天眼』はそうだった。距離や空間が超えられても、視力は同じ。暗いところや、遠いところは見通すことができない。遠い場所は視点を飛ばせば済む話だが、暗闇はそうもいかない。
だが。
「見える、な……」
黄金色の光がさらに膨れ上がり、スウェーティの上半身を覆い尽くす。今までであれば見えなかったはずの夜の暗闇を見透かし、スウェーティの『天眼』が夕方に訪れた市場の風景を捉える。商人たちは既に引き上げ、周囲は閑散としていた。夜であることもあるだろうが、周囲に人影はない。
「……ん? ありゃあ……」
壁に開けられた穴から、1人の青年が姿を見せた。今日、パトに記憶をのぞき見された商人――レステである。暗闇を見通せるようになったスウェーティの『天眼』だが、さすがに昼間のようによく見えるというわけではない。視界は不明瞭だが、それでも青年の表情が暗く青ざめているのはわかる。
「あいつ、こんな時間に何を――」
突然響いたノックの音に、スウェーティは跳ねあがった。慌てて『天眼』を解除して、視界を戻す。
「スウェーティ、入りますよ」
ドアを開けて入ってきたのは、小柄な少女だった。深い紺色の髪を持つ、人類の守護者の片割れ。『予言者』ミリである。入ってきた少女は、後ろ手に扉を閉めた。乱暴に扱われた木の扉が、文句を言うように軋む。なんでもないことかのように勝手に入ってきたミリに、スウェーティは思いっきり顔をしかめてみせた。
「……勝手に入ってくるんじゃねぇよ、『予言者』サマ」
「ノックはしましたよ? だいたい、この時間に貴方になにも用事がないのは確認済みです」
「へー、そりゃすごいこって。あれか、『予言者』サマの頭ん中には、全員分の予定が入ってんのかね?」
スウェーティとしては、冗談のつもりだった。いくらなんでも、数多くの人間が働くこの砦の全員分のスケジュールなど、把握できるはずがない。せいぜい重要人物や直近で用事がある人間の予定を確認しているくらいだろう――そう、タカをくくっていた。
「当然でしょう。私は、現在の情報を集めて絶対の未来を予測する『予言者』です。必要な情報は――全て、ここに」
絶句するスウェーティを冷静な瞳で見据え、自分の頭を叩いてみせるミリ。
「とはいえ、日々変遷していく情報を集めるのに、私の手と足は2本ずつしかありません。なので、貴方は私のために情報を集めなさい。私は、貴方自身は全く評価していませんが、貴方の『祝福』は高く評価しています」
「……は。そうかよ」
全く変わらない少女の様子に、スウェーティは怒りを抱く。結局、どこに行っても、自分が評価されることはない。彼はあくまでも『天眼』の入れ物として扱われる。それは死ぬまで――もしかすれば、死んでもその評価のままなのかもしれない。
自嘲の笑みを浮かべるスウェーティを見て、なぜかミリが溜息をつく。
「はあ……これでわからないとは。まあ、いいです。自分で気づかなければ意味がありませんからね。『軍神』といい、『無音』といい、『聖医』といい、面倒な奴らです。男という生き物は、面倒くさい……」
溜息をついたミリは、ぶつぶつとスウェーティには理解できない呟きを漏らす。かと思えば、静かに顔を上げて強い意思が秘められた視線でスウェーティを射抜く。
「パトから報告は受けました。本来は貴方がやらなければいけないことですが、不問にします。貴方に長々と紙と言葉で報告を受けるよりは、パトの『転写』で報告を受けたほうが楽ですからね。後ろ姿とはいえ、“埋め込みのレベッカ”の姿を捉えられたのは成果と言えるでしょう」
「俺は、何もしてねぇ」
「ええ、そうでしょう。『天眼』が使えない貴方は、なにもできないのですから」
嘲笑うように告げる少女に、怒りが沸き上がるが――その怒りも、すぐに虚しさで鎮火されてしまう。この少女の言う通り、『天眼』のないスウェーティなど、そこらの一般人よりも劣る存在だ。鍛えているわけでもない体は無意味に肉が付き、走れば数分で息が上がる。ひねくれた精神は他者を傷つけ、自分の傷を抱え込む。
スウェーティは、役立たずだ。
「……パト一人で、行かせたほうがいいんじゃねぇか?」
「そうはいきません。二人で行動してください、それにこそ、意味があるのですから」
「あーそうかよ。俺には、あんたが考えてることがさっぱりわからねぇよ、『予言者』サマ」
口をついて出た言葉は、意外にも冷静な少女を動揺させたようだった。ミリの瞳が揺らぎ、迷うように下を向く。だが、それは一瞬のことで、再び顔を上げたミリの瞳は、ゆるぎない意思の力を秘めていた。
「……私は、貴方の考えていることが手に取るようにわかりますけどね。欲しがっているものとか」
「本当か? じゃあ、当ててみろよ」
「これです」
なぜかムキになっているミリが、取り出した袋をベッドに放り投げた。乱雑に扱われたソレは、ベッドの上で跳ねて、中身を溢す。燭台からの赤い光に照らされて光を反射するそれは――
「金か」
銀色に光るもの、金色に光るもの――それは、袋いっぱいに詰められた貨幣の山だった。
「調査費用です。ああ、間違っても使いこもうなどと思わないように」
「思わねえよ」
砦に戻れば、どんなものだって揃えられる環境があるのに、リスクを払う理由はなかった。膨大すぎる金銭がろくなトラブルを生まないのは、だれよりも人間の欲望を『視』てきたスウェーティが知っている。
「……金と権力は人を狂わせる。それこそ、優しかった人間が犯罪に走らせるほどに」
「貴方は、自分の人生で誰よりもそれを『見てきた』はずです」
スウェーティは貨幣が入った袋から目を逸らし、『予言者』を睨む。確かに、彼は調査費用を望んだ。パトに気づかれないように、こっそりと渡してくるあたり、スウェーティのちっぽけな見栄も気づかれているのだろう。だが、スウェーティが欲しいものはもう一つある。
「……調査費用よりも、欲しいものがある」
「――護衛、ですね。必要ない、と言いたいところですが……なにぶん、目星をつけている人間は、強いんですが扱いづらい人間でして、少し時間がかかります」
微かに顔をしかめて二の腕を擦るミリに、スウェーティが驚愕の視線を向ける。
この生意気だが有能ですべてを見透かしているかのような少女でも、手に余る相手がいるのか?
「名前は、カンナ。『斬鉄』カンナに護衛を依頼しようと思っています」
「お前の苦手な奴を俺に押し付けてくるんじゃねぇ!」
『斬鉄』カンナ――奇人変人集うこの終末の町においても、特に危険視されている変態の名前である。
「達人ですよ? 壁とか切れますので、“埋め込みのレベッカ”を追うこともできます。最適な人選です」
「目ぇ逸らしてんじゃねーぞクソガキ。こっちを見ろ、おい!」
わずかに視線を逸らし、早口になるミリ。それは、人が嘘をついている時の反応だ。ミリとカンナの折り合いが悪い――ミリがカンナを一方的に苦手にしているだけだが――という話は、噂に疎いスウェーティでも小耳にはさんだことがある。要は、体のいい厄介払いである。
「だいたい、あの女は特に砦に所属してるわけじゃねぇだろうが。あいつが来るくらいなら護衛はいらねぇ」
「いえ、もう決めましたのでだめです。なにせ、毎日のように会いに来て鬱陶し――貴重な戦力ですからね。燻らせる理由はありません。渋られていますが、意地でも依頼を受けさせます」
スウェーティにとって嫌な方向に決意を決めたらしいミリ。
「では私はこれで。明日も頑張ってくださいね」
早口でそう告げたミリは、逃げるように扉に近寄る。
「てめぇ、待てッ! ふざけんなおい!」
ベッドから立ち上がったスウェーティが詰め寄る。逃げ出さないように扉を押さえつけてミリを睨んだ。結局のところ、スウェーティには受け入れる以外の選択肢はないわけだが、説明もなにもなしに頭ごなしに決められるのは腹が立つ。
「……半人前のくせに、怒ったのですか?」
怒りに任せてミリを睨んだが、冷静を通り越して――冷徹さすら感じる瞳に見返されて、スウェーティが言葉に詰まる。
「てめぇ……!」
「貧弱な語彙力ですね。何に対して怒っているのか、何をどうしてほしいのかも言えないんですか?」
『予言者』ミリは、戦闘能力はない。いくらスウェーティの筋力が落ちているとはいえ、それでも成人男性の体格はある。今ここでミリを殴り飛ばせば、ミリは為すすべなく大けがするだろう。打ちどころが悪ければ、死ぬ可能性もある。
そんなことはわかっているはずなのだ。スウェーティにすらわかることが、この少女にわからないはずがない。
「その目を……やめろ……!」
呻くように告げたスウェーティに対して、ミリは無言で見返すだけ。
スウェーティは、その瞳が嫌いだった。自分のやることを信じている、揺らぐことのない強い意思。
『軍神』が、『戦乙女』が、『剛腕』が、『無音』が、そしてなによりも『断罪』が見せてきた、決して揺らぐことのない英雄の瞳だ。
自分を疑い、自らを嘲笑い、自己嫌悪と暮らしてきたスウェーティが最も嫌う目だ。
ミリが、笑う。
「どうするつもりですか? 私を犯すつもりですか?」
「っ、クソが……!」
右手をどける。ミリに見返されて冷静になった自分が、これ以上ないほどに警告を打ち鳴らしていた。『ここで引き下がれば大丈夫だ』、と。まだ何もしていない。怒鳴っただけだ。だが、『人類の守護者』に手をあげたりすれば自分がどうなるか――そんな簡単なことは、すぐに想像がつく。
ミリは、スウェーティがそうするということをわかっていたのだろう。落ち着き払った様子で服の埃を払う。
「貴方は私に危害を加えられません」
ぽつり、と呟かれた言葉に、スウェーティはより惨めになるということをわかっていながら、嫌味を返す。
「……けっ。その貧相な体が好みじゃなかっただけだ。勘違いするな」
しかし、当のミリは、考え事をしていて聞いていなかったようだ。
「……失礼します」
そう言って、扉を開けて出ていくミリ。呻くような軋む音が響くが、スウェーティの耳は、少女の呟きを逃さなかった。
「でも、彼は違ったんです。理屈や論理ではなく、感情が彼を動かしていた……」
彼、という人間が誰を指すのか。それはスウェーティにはわからない。
「……クソが」
ミリがいなくなった部屋で、スウェーティは呻くように悪態をつく。
彼にわかったことは、おそらく今の呟きが――『予言者』ではなく、少女としてのミリの、弱音だったということだけだ。