第3話 シラリエの花
町に出たスウェーティは、道を歩く人の多さに辟易としていた。石畳の道路を人が歩く音が響き、あちこちでさざめく話し声が耳朶を打つ。奥まった砦の部屋で暮らしていたスウェーティにとって、久しぶりに出た街中は騒音の塊だった。『天眼』でも音は聞こえないので、なおさらそう感じた。
「……うるせぇな」
思わず、罵倒の囁きが漏れる。独り言にしては大きめの声量だったが、その声を聞きとがめる人間はいない。周囲の喧騒が、スウェーティの言葉をかき消していた。
「え? 何か言いましたか、スウェーティさん?」
「いや、何も」
パトの疑問の声を聞き流し、スウェーティは一歩を踏み出した。その右手にはミリから渡された資料が握られており――なんともベタな話だが、“埋め込みのレベッカ”が事件を起こした場所が記されている。スウェーティとパトは、まずは現場を確認するつもりだった。もしかしたら何か手がかりがあるかもしれない。
とは言っても、そもそもスウェーティにやる気はなかった。手がかりが残されている可能性が最も高い犯行現場など、すでに散々調べ尽くされているだろうし、今さら二人で探しても何かが見つかるとは思えない。スウェーティの『天眼』は光景を見るだけだし、パトの『転写』は記憶の共有だ。目撃者でもいれば、レベッカの顔をパトの『転写』で共有することも可能だが――そう都合よく目撃者が見つかるとは思えない。
「まあ、適当に行こうぜ。適当に」
「は、はい!」
“埋め込みのレベッカ”なんていう恐ろしい存在に、スウェーティは関わりたくなかった。もしかしたらパトの尊敬の輝きは失われてしまうかもしれないが、それも命があってこそである。戦闘能力を持たないこの二人で、連続殺人犯に挑む理由などなかった。
そもそも、『予言者』ミリにしたって、そんな期待はしていまい。今まで、スウェーティは散々『天眼』の入れ物として扱われてきた。『天眼』に生かされてきたようなものだ。彼自身の能力や思考に、期待する人間などいない。
「最初の現場は、北西の市場のそばか……」
資料によると、最初の被害者は野菜売りの商人だったという。殺された経緯までは不明だが、真昼間に堂々とした犯行だった。いきなりレベッカは商人の頭を掴み、そのまま壁に叩き付けるようにして頭を埋め込んだ。あまりにも理解不能な光景に、周囲の人間が呆然としている間に――レベッカは、壁をすり抜けて姿を消した。犯行現場を見ている人間は多くても、壁に頭を埋め込んだあとは速やかにすり抜けて消えていくので、誰もその顔を見れていないのである。
「腹減ったし、なにか買いながら行くか?」
「はい! そうしてくれると嬉しいです!」
スウェーティは財布をまさぐると、数枚の銀貨を取り出した。とりあえず、砦に戻ったらミリに『調査費』を要求することを考えながら、スウェーティは歩みを進める。通り過ぎる町の住人たちは、楽しそうにスウェーティのそばを通り抜けていく。
「……」
その裏にある、終末への怯え。どこか空元気にも似た、独特な空気。スウェーティはそんな空気が嫌いではない。どうせうまくいかない、なにをしても無駄だ、そういった空虚感は、大人になったスウェーティを常に襲い続けているものだ。人類全体が自分と同類になったようで、わずかばかりスウェーティの暗い願望が満たされる。
太陽は真上から道を照らし出し、今が昼時であることを伝えてくる。昼休みなのだろう、先ほどから多くの人間が通りを埋めている理由だった。仕事を休憩する職人、忙しそうに歩きながら会話をする男、昼休み中も売り上げを伸ばそうと声をかける露天商、立ち止まって会話している主婦――様々な喧騒が、スウェーティの耳を突き刺す。真面目に調査をする気などないが、せめて噂話くらいは聞いておこうと耳を澄ませる。
「……ちっ」
“埋め込みのレベッカ”に恐怖する声がちらほら。特に、噂話好きの主婦たちの話題が“埋め込みのレベッカ”らしい。今までも何人か強力な『祝福』を利用した犯罪者はいたが、ここまで明確に人類に敵対した犯罪者はいなかった。追い詰められたこの状況で、閉じ込められたこの町で、殺人に走る精神が、スウェーティにはさっぱり理解できない。
そして、それは町の人々も同じようだ。早く捕まえてほしい、夜も眠れない、『軍神』様と『予言者』様ならすぐに捕まえてくれるさ――そんな、恐怖と嫌悪と信頼と不安が入り混じった声が聞こえてくる。これほど噂になっているのであれば、なるほど確かに、知らなかったスウェーティの方が異常だろう。
「……やっぱりみんな、不安そうですね……」
舌打ちを聞きつけたらしいパトが、囁くようにスウェーティに告げる。その瞳は期待に輝いており、どうやら住人の不安を煽るレベッカに対して舌打ちしたように思っているようだ。だが、スウェーティが舌打ちしたのはレベッカではなく、端々から聞こえてくるもう一つの噂のほうである。
『無音』のフリートの活躍。大暴走を退け、真紅の獅子を倒した英雄。それを讃える興奮気味の声が、そこかしこから聞こえてくる。
(……ふん。大したことはないぜ、あんな奴……)
本心ではない。なにせスウェーティは、“貴婦人”と戦うフリートの姿を見ている。決死の覚悟で魔人と戦う彼の姿は、まぎれもなく英雄だ。少なくとも、スウェーティ程度がどうこう言えるような相手ではない。スウェーティは自分の中にある嫉妬の感情に気づき、なによりも自分自身を嗤いながら歩き続ける。
何をどうあがいても、スウェーティはフリートには敵わない。戦闘力も、人望も、精神力も、環境も、何一つ勝っている要素はない。
彼は勝ち組で、自分は負け組だ。
それがスウェーティが認識している彼にとっての『事実』であったし、ほぼすべての人間がその考えを肯定するだろう。
「くだらない。どうせ、みんな死ぬっていうのによ……」
隣を歩くパトにすら聞こえないように、スウェーティは陰鬱とした表情で呟いた。人類のほとんどがわかっていて目を逸らしている事実をあえて呟き、スウェーティは溜息を吐く。必死に生にしがみついている自分が言っていい言葉じゃない、と。ある意味、スウェーティのその言葉は、今を生きる人類が必死に口にしないようにしている禁句でもあった。それを口にしてしまえば、生きる意味がなくなってしまう。戦う理由が消えてしまう。
多くの人間が、自覚しながらも決して口にしないように封印している言葉だった。
「あっ」
「……ん?」
パトが何かに気づいたような呟きを漏らし、その場で立ち止まる。その視線は、花売りの少女に向けられていた。みすぼらしい恰好に身を包み、必死に籠に入れた花を買って貰おうとしている。
「なんだ、えらい場違いな奴だな」
スウェーティが意外そうに呟く。このギベルの町は、スラムの層とそれ以外の表の層がはっきりと区別されている。スラム地区は治安が悪く、いくら道が複雑怪奇とはいえ、表通りを歩いていれば滅多に犯罪に遭うことはない。そして、スラムに住んでいる住人にとって、表に出たり商売をすることはタブーのひとつだ。それは、このギベルの町だけではない。かつて繁栄していた人間の都市全てで言えることだった。
「あの子がどうかしたか?」
「あの子が持っている、白い花……」
「白い花……?」
スウェーティが改めて観察すると、確かに籠の中には白い花が数輪刺さっている。珍しい花なのだろうか? 少なくとも、スウェーティには見覚えがない。周囲の人間が、花売りの少女を見ないように通り過ぎていく。スウェーティはその光景に、場違いな怒りを覚える。
(花ぐらい、買ってやりゃあいいじゃねぇか……)
少女を無視する人々からすれば、スウェーティの言葉はなんの説得力もないだろう。持って生まれた『祝福』で金を貰い、ろくな苦労も労働もせずに好き勝手生きているスウェーティに、言われる筋合いはない。スウェーティ自身、誰かが買ってやればいいとは思っているが自分に買う気はないのだから。
そんな自己破綻している思考を認めつつも、思ったことを口に出すほどの勇気はないスウェーティ。そんな彼を置き去りに、パトが少女に駆け寄っていく。
「あ、おい」
「……その花、どこで手に入れたの?」
「え、えっ」
スウェーティが聞いたことのない、少しきつめの口調で少女を問い詰めるパト。対する少女は困惑気味に目を伏せて、なぜか少し怒っているパトを見返す。追いついたスウェーティは、パトを止めるでもなく静観を決め込んだ。
「こ、この花は……私のお父さんが、育てたものです。一輪、どうですか?」
パトが凝視している白い花を数輪抜き取り、差し出す花売りの少女。パトはその花に顔を近づけて観察し、匂いを嗅いだり手で触ったりしたあげく、「やっぱり……」と呟いた。
「私の故郷にあった花と同じ……シラリエの花ね、これ……」
「ええと、すみません。私、お花の名前まではわからないんですけど……」
「……大陸中央の、アルディヤ国付近に群生する花です。まあ、もうなくなっちゃいましたが……まさか、こんな北の場所で見かけるなんて……」
シラリエの花。大陸中央に存在する、アルディヤ国の名産品でもある花だ。とある特殊な製法をすると、薬にもなる花だが――
「これ、買うわ。いくら?」
「全部で銅貨1枚です!」
「そう、ありがとう」
パトは静かにその白い花の匂いを嗅ぐ。その表情は感情を見せず、どこか不気味な雰囲気を漂わせていた。
「どうした? 大丈夫か、パト」
「……はい、大丈夫ですスウェーティさん! 時間を使っちゃいましたね、行きましょう!」
スウェーティが声をかけると、すぐにその不気味な雰囲気は鳴りを潜め、明るく笑うパトに戻る。スウェーティは気づいていないが、先ほどまでのパトの雰囲気は異常だった。この地で見るはずのない花を見た、というだけでは到底説明しきれないほどに。
「あのあの……いくらなんでも買いすぎでは……?」
「そうなのか? いや、こういうのよくわからなくてな……」
大量の買い物をしたらしい二人組が、スウェーティとパトの横を通り抜けていく。聞き覚えのある声に、スウェーティは思わず顔を伏せてやり過ごした。
(どうやら、英雄殿は休日を謳歌しているようだな……羨ましいことで……)
皮肉気に口元をゆがめるが、何かできるというわけでもない。周囲の噂話が、突然姿を現した英雄へと向かうが、そのことに気づく様子もなく会話を続ける二人組。
「さて、このあとはどうするか……考えてなかったな」
「じゃあ食事にしましょう! 私、あくび亭がいいです!」
「グルガンのところか。まあ、久しぶりに行ってみるのも悪くないか……そうしよう」
男が優しそうに応えれば、少女の表情が華やぐ。周囲の人間がヒソヒソとした噂話をやめ、微笑ましいものを見るような柔らかい雰囲気になったのを、スウェーティは憎々し気に唇を噛みながら無視した。自分には関係のないことだし、何も思うことはない、と自分に言い聞かせながら。
「……」
その様子を、じっと少女が観察していることにも気づかないまま、スウェーティは逃げるように移動を再開した。