第2話 その記憶を照らすもの
スウェーティのもとに、再びパトが姿を見せたのは三日後のことだった。スウェーティが教えていないはずの部屋に現れたパトは、しかし一人ではなかった。小柄な少女であるパトの身長よりもなお低い位置にある冷静な黒い瞳が、静かにスウェーティを見つめている。
『予言者』ミリ。『軍神』オーデルトと並んで、その名を轟かすギベルの町の守護者である。軍事の防衛を担うのが『軍神』なら、人類の経済や食料を支えるのがこの『予言者』ミリだ。数多の密偵と諜報員を雇い、膨大な情報から的確な未来を予測する。予測した結果を基にして、食料の分配や税率を決定する、内政のトップ。深い藍色の短髪を揺らし、『予言者』ミリは首を傾げた。
「何を突っ立っているのですか? 座りなさい、スウェーティ」
「……はい」
「パトも座りなさい」
「はい!」
なぜパトがミリを連れ立って現れたのか? そんな疑問を抱くスウェーティだが、いずれわかることだと判断し口を閉ざす。ただ一つ言えることは、確実に面倒な事態を引き起こしそうだということだけである。
「スウェーティ。パトから聞きました、外出の希望があるようですね?」
「……?」
本気で首を傾げるスウェーティ。自身の記憶を遡り、なんとか三日前の記憶を引きずり出す。しかし、彼自身が『外出したい』と言った覚えはなく、数秒悩んだ末に首を横に振った。
「いや、ねぇよ?」
「えええええええええっ!?」
これに驚いたのは『転写』のパトである。彼女の脳内では完全に二人で外出したいという願いを持っているつもりだったので、スウェーティのすげない反応に驚いた。忙しいと言うから、直接の上司であり多忙の極みであるミリに直談判しに行ったのに、当のスウェーティは気乗りしない様子だ。
「ないんですか? とは言っても、ある事件の調査をお願いすることになりますが」
「……調査ァ? なんじゃそりゃ。こっからやりゃあーー」
スウェーティが言葉を飲み込む。ミリの視線がちらりとショックを受けているパトの方に流れ、すぐに戻ったからだ。そして意味ありげににやりと笑う。
(んのアマ……ばらされたくなかったら話を合わせろってことか……?)
スウェーティの脳内を、ある予測が走った。パトが自分との外出を求めてミリに掛け合ったとして――このおしゃべりな少女は、あることないこと喋っただろう。そして、この可愛げのない『予言者』ミリという少女は、相槌を打ちながら情報を引き出したに違いない。
結果、スウェーティがパトに対して、『天眼』のことを隠し――さも凄腕の諜報員であるかのように見せていることはばれていると思った方がいい。
「私は感心してるんですよ、スウェーティ。よく契約を守ってくれたものだ、と」
「……ちっ」
『天眼』のことは決して明かさない――その契約のことを引き合いに出され、暗に『お前の嘘はばれている』と警告してくるミリ。スウェーティから『天眼』のことをパトに話すわけにはいかず、その状態でミリがスウェーティのことを凄腕の諜報員でもなんでもないと明かせば、パトは騙されていたことに気づくだろう。まさか本気でミリに話しに行くとは思っていなかったスウェーティの落ち度だ。
「……で、要求は?」
「ちょっとパトと外出してくるだけでいいんですよ。私からの要求は、外出ついでに“埋め込みのレベッカ”を捕まえることです」
“埋め込みのレベッカ”。その言葉を聞いたパトが息を呑み、スウェーティが首を傾げる。
「なあ、パト。“埋め込みのレベッカ”って誰だ?」
「ええっ、スウェーティさん知らないんですか!? 最近町を騒がしてる殺人鬼ですよ!?」
これはマズイ、とスウェーティは焦る。凄腕の諜報員ということになっているのに、噂すら知らないのは問題だ。スウェーティの『祝福』である『天眼』は、見ることはできても聞くことはできない。交友関係なんてものは存在しないスウェーティにとって、人々の噂――しかも外出できない町の噂なんてものは遠い世界の話だ。
「あ、ああ、レベッカね。思い出した思い出した」
適当にごまかし、ミリに視線を送る。その意図をくみ取ったらしいミリが、わざとらしく咳払いをしながら数枚の紙を取り出した。癖のある字でびっちりと書かれているその数枚の紙が、“埋め込みのレベッカ”とやらの資料らしい。
「“埋め込みのレベッカ”……元々は『透過』のレベッカと呼ばれていた『祝福』の持ち主。その『祝福』内容は、詳しくは明かされていないけれど、彼女はあらゆる壁や物理的な障壁をすり抜けられる」
「なにそのインチキ、狡くない?」
「逆ですよ、スウェーティ」
あまりにも反則的な『祝福』に文句を言うスウェーティに、ゆっくりと首を横に振りながら反論するミリ。両手を肩の高さまであげて、『呆れて物も言えない』というジェスチャー付きだ。
「……逆?」
苛立ちながら訊き返すスウェーティに、ミリがことさらに溜息を吐きながら返す。
「そのくらい厄介な『祝福』の持ち主でないと、私たちの監視の目からは逃げられないということです。路地裏やスラムなどの無法地帯はともかく、それ以外の場所におけるギベルの町の犯罪検挙率は圧倒的です。特にスウェーティ、貴方は何度か凶悪犯を見つけ出していますね?」
「……ああ、まあそりゃあな」
ある程度潜伏場所が絞れれば、あとは『天眼』でしらみつぶしに探せばいいだけだ。時間はかかるが、必ず見つけ出す。『予言者』ミリが率いる諜報部隊は、『風』といい『音』といい、そういった捜索能力に長けている人間が多い。
凶悪犯を見つけ出している、という言葉に反応してパトが尊敬の視線をスウェーティに向けた。先ほどのことなどすっかり忘れてしまったようだ。
「とはいえ、今回の“埋め込みのレベッカ”は、見つけること自体は簡単です。ただ、発見してもすぐに逃げ出してしまうのです。二人の役目は、この町のどこかにある彼女の寝床を見つけ出すこと――どうやら地面には潜れないようなので、寝床を完全包囲してケリをつけます。この資料は渡しておきます」
ミリが数枚の紙をスウェーティに渡し、二人に背を向けた。
「では、私は忙しいので。成果を期待します」
藍色の髪を揺らし、『予言者』ミリはスウェーティの部屋をあとにした。残されたスウェーティとパトは顔を見合わせ、全く同じことを思う。
――なんだか、とんでもないことに巻き込まれた気がする。
「まずは資料を読むか……」
スウェーティは部屋の燭台に炎を灯すと、その資料に目を通していく。
「年齢24歳。出身は大陸中央のアルディヤ国……あの、金狂いの国の出身か。見た目の資料はないのか、それが一番重要だろうに……ああ、だから俺とパトなのか?」
『天眼』で見たものを『転写』で共有する。その『祝福』の組み合わせ方は、よく使われていたものだ。それこそ家探しのように細やかな仕事も、『無音』のフリートの戦いの裏付けといった重要な仕事にも生かせる。
「なんとかして、こいつの顔を見ればいいのかもしれないな」
「な、なるほど……? まあ、1人でも目撃者がいれば、私の『祝福』で共有できますし……」
「そういうことだな」
スウェーティ自身、自分の『天眼』の能力を明かせばここから一歩も動くことなくレベッカの捜索が可能だ。しかしスウェーティに、この仕事を真面目にやる気は一切なかった。
「んじゃま、適当に聞き取りに行こう。……仕事とはいえ、一緒に外出ということになったな、パト」
「……なんか私の想像と違うんですけど……」
スウェーティとしてはニヒルに笑って見せたつもりだが、久々の笑顔はうまく形作れず歪な形に歪んだだけだった。それを若干体を引いて見つめるパトは、不服そうな表情をして呟く。
「にしても“埋め込みのレベッカ”か。この『透過』能力は、自分だけじゃなくて一部他者にも使えるのか……『被害者の頭部を壁に埋め込み、放置することで窒息死させる』って怖すぎるな……」
スウェーティはその光景を想像し、背中を震わせる。そんな女の調査をするのは恐ろしいが……正直な話、全く現実味のない話であった。
(いつも通り、英雄サマがなんとかしてくれんだろ……)
憎んでも、羨んでも、妬んでも――スウェーティは、英雄という人種を信頼している。彼らは、いつだって人々の先頭に立ち、苦しみながらも正解を引き寄せる。この“埋め込みのレベッカ”という大量殺人犯は、確実に人類の平和を脅かす敵だ。そんな敵を退治するのが、自分やパトのような脇役であるはずがない。
きっと、劇的なストーリーがあるのだろう。そして、感動の喝采の後に“埋め込みのレベッカ”は殺されるのか捕まるのか仲間になるのか――そこまでは、スウェーティにも予測がつかない。もしかしたら、英雄の一人である『予言者』には予測ができているのかもしれないが、スウェーティのような下っ端は、いつだって言われた通りに動くだけである。
何かを変える覚悟も理由もないスウェーティは、自分の利益だけを享受するべく、腰をあげた。
(まあ、久々に外を歩くのも悪くない……『天眼』はあんまり使いたくねぇしな……)
『祝福』の中では珍しく、使用後の反動が特にない『天眼』。使用する時間に制限こそついているものの、その時間は使えば使うほど伸びていき、今や最初のころの十倍ほどの時間、『天眼』を維持できるようになっている。
スウェーティは『天眼』のことを、空間を飛び越えて『見たい場所を見る祝福』だと思っているが――実際の本質は違うのかもしれなかった。徐々に強力になっていく『祝福』に対してスウェーティが思うのは、『バレたら面倒だな』というそれだけである。
現状でも十分に強力過ぎる『祝福』として、『軍神』や『予言者』に警戒されているのだ。これがさらに強力になっていると知られれば、最悪消されることもあり得る――と、スウェーティは怯える。なんにせよ、『天眼』を使わないに越したことはなかった。
「じゃあ……行くか、パト」
「はい!」
普通ならば嫌がるであろう、地道な聞き取り調査。スウェーティも、自分ひとりであれば真っ先に断ったであろう、面倒な仕事だ。だが、このパトという少女と一緒に行動できるならば、それも悪くはない――そういった、下心があるのは間違いない。
お互いの本心を隠したまま、年の離れた二人は廊下を歩いて町に向かった。
スウェーティにとっては、実に1年ぶりになる砦の外である。
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