第13話 それぞれの物語
フリートとリクルが、ぎこちない雰囲気のまま買い物を決行している頃。
砦では、『剛腕』セルデのもとに、思わぬ来客が来ていた。
「シケた面してるじゃないか」
革鎧の手入れをしていた『剛腕』セルデは、かけられた声に顔をあげた。聞き覚えはあるが、この砦で生活するようになってから滅多に聞かなくなった声だった。
「……カンナと、チヨちゃんか。久しぶりだな」
「お久しぶりなのです、『剛腕』殿!」
従者である『斬鉄』カンナと、その主人である『建築家』チヨ。東の海上に存在する島国の出身だが、今祖国がどうなっているのかは全く分からないという。二人とも故郷に戻りたいという気持ちが薄いようなので、周囲の人間は踏み込んで尋ねたりはしないが――二人が纏う独特な雰囲気は、このギベルの町では目立っている。
「チヨちゃんは、いつぞやの……あれ、なんて言ったっけ」
「千影城のことでありますか?」
「ああ、そう。そのチカゲジョウ? で会ってからは会ってなかったか?」
「そうでありますな。たまーに見かける程度でしたのです」
『建築家』チヨと『斬鉄』カンナが、二つ名を得るきっかけになった戦いだ。今のギベル砦ほどではないが、城を生み出したチヨがカンナ、偶然居合わせたセルデと籠城、魔獣の群れを相手に一週間の籠城を成功させたことがあった。彼らがそこで時間稼ぎをしたからこそ、その国の住民は無事に逃げ出せたのだ。
「あの岩影丸? は助かった。おかげで死なずに済んだ」
魔獣の侵攻を押し留めた出丸の存在を思い出し、セルデは遅まきながら少女に礼を言う。あの出丸のおかげで助かった部分は多く、岩影丸がなければあの戦いがどう転がっていたかはわからなかった。
「らしくないですよー」
「らしくないな、『剛腕』」
お礼を言ったら、二重奏で否定されたセルデは目を瞬かせた。
「なるほど。カンナが『馬鹿が沈んでるから元気づけてやってくれませんか? なに、あの馬鹿もチヨ様の可愛らしい声で励ましてやれば一発で元気になりましょう』と言うわけであります。あと、カンナ。私の声は可愛らしくないのであります」
「は、チヨ様。仰る通りでございます」
「最近、カンナのその言葉は信用できなくなってきたのです。もうちょっと気持ちを込めるでありますよ」
チヨの辛辣な返しに、目を見開くカンナ。ショックを受けたかのように放心状態となったカンナを放置し、チヨはセルデに話しかける。
「……友人が、亡くなったと聞いたのです」
「……ああ。しばらく一緒に戦ってて、ずっと心配してて、最近ようやくまた一緒に戦えるようになった、俺の副官だ」
「……『烈脚』殿のこと、ですね。私はお会いしたことはありませんが、『剛腕』殿から話を聞いて、どれだけ親しい相手だったかはわかっているつもりであります。なので――」
チヨがカンナの服の裾を引っ張ると、ようやく意識を取り戻したカンナが後ろから巨大な瓶を取り出した。
「秘蔵の酒を出すときだと思ったのですよ。私たちの故郷の酒は、飲んだことがありましたでしょうか?」
「……前、チカゲジョウの時に。チラッとだけ舐めさせてもらったがな、こいつがそれ以上はくれなかった」
「当然でしょう。もう手に入ることはないかもしれない、故郷の酒です。貴方に渡せばバカみたいに飲むでしょう?」
「ははっ、違いない! けど、舐めただけでもわかったぜ、『こりゃあ相当美味い酒だな』って」
「そりゃあそうです、なにせ名家の蔵に保管してあったチヨ様の結婚した時用の祝い酒をかっぱらって――おっと、先祝いとして頂戴してきたのですから。美味くなければ恥というものです」
さらっととんでもないことを言ったカンナにセルデは目を剥いたが、隣で誇らしげにチヨが頷いているので納得した。本人が納得しているのなら問題はないだろう。
「……え、カンナ。今なんて? 今私が結婚した時の祝い酒がどうこうって言った? なにそれ初耳なんだけど――」
「さあ、飲むぞ『剛腕』。今日は舐めるだけなんてケチなことは言わん、存分に飲め。仕事に関しては大丈夫だ、既に『軍神』の許可はとってある。なぁに喉元に刃を当てれば奴もすぐに頷いたぞ」
「お前……人類の守護者を脅迫したのか……?」
呻くように呟いたセルデに対し、カンナは何も気にしていない顔で頷いた。カンナの隣でぎょっとした表情をしているチヨを見ると、カンナの独断――もしくは、強硬手段に出たことは知らなかったのだろう。確かに、一体誰が砦の最高指揮官である『軍神』を武力で脅そうと思うだろうか。思ったとしても実行に移せる力、なにより実行に移すのには勇気ではなく、非常識な覚悟が必要になる。
「脅迫? 刃の下で、丁寧にお願いしただけだとも。さあ、杯を持て、『剛腕』」
懐から取り出した薄い桜色の器を押し付けるように渡すカンナ。とっさに受け取ってしまったセルデの杯に、並々と酒が注がれる。
「あ、待つでありますカンナ。私も呑みたいのであります!」
「ささ、どうぞ」
同じように薄い水色の器を取り出したチヨの杯にも、カンナから酒が注がれた。
「この酒の銘は、『移世』。では……」
カンナが、意味ありげな視線をチヨに向けると、チヨが立ち上がり、杯をまっすぐ前に掲げる。
「セルデ殿。人の一生は、かくも儚きものでありながら、日々とは忙しく過ぎてゆくもの。戦友、ウェデスの死に、私からは何も言うことはありません」
セルデが顔を伏せる。わかってはいるが、改めて言われると――心に来るものがある。
「ただ、称えましょう。彼の御仁が、“狼王”を屠ったのは確かな事実。今まで誰も為し得なかった偉業を達成した彼に、私たちは杯を捧げます――献杯」
杯同士をぶつけることなく、天上に掲げられたチヨの器。その様子を見たセルデが、ゆっくりとその動きを真似した。まるで、女神カロシルが住まうという神界に向けて、魂を見送るかのように――セルデとチヨの二人は、杯を掲げた。
そして――
一気に飲み干した。
「……こりゃ、結構強い酒だな……!」
滑らかに喉を滑り落ちていく感覚にセルデは驚くが、そのあと腹に収めたはずの酒精が一気に体を火照らせたのを感じてさらに驚いた。飲みやすいのだが、酒精が強い。セルデにとって酒精が強い酒というのは、だいたいのものが喉を焼きながら飲み干すものだったが――今まで飲んだどんな酒よりも飲みやすく、だからこそ体を火照らせる酒精の強さに慄く。
「美味ぇ、けど、これぐいぐい呑むのはやばそうな……」
「――ぷはぁっ! ん、何か言ったか、セルデ」
声をかけられたセルデが、カンナの方に向き直る。すると、そこには瓶を右手で持ち、左手で口を拭っているカンナの姿があった。
どう見ても、杯に注がずに瓶から直接飲んだ後の姿である。
「お、おい、お前!?」
「なんだ? 私たちの国ではこの飲み方が普通だぞ――よっ、と!」
大きく瓶を持ち上げたカンナが、勢いよく『移世』を喉に流し込む。まるで水のように飲み続け、やがて瓶を元通りに戻す。無表情なのに酷く満足気に口元を拭ったカンナ。
「その飲み方はずるいでありますよカンナ!」
「え、えぇ……?」
杯の中身を飲み干したチヨが、カンナから『移世』の瓶を奪い取った。そして杯に注ぐと、一気に飲み干し、続いてもう一度注いで飲み干す。
「はーっ、やはり酒といえばこれでありますな! こちらの酒はどうも濁りが多くて……」
「お、俺にもくれ!」
のんびり味の余韻を楽しんでいたセルデだが、目の前の酒豪二人の飲み方を見ていると、自分に二度と回ってこないような気がして慌てて杯を差し出す。普段であればがっつくことはしないのだが、この酒が彼女たちの故郷の酒であるならば、もう二度と手に入らない一品である可能性が高い。こんなに旨い酒を見逃す理由などなかった。
「は~いどうぞであります~」
再び注がれた『移世』を、まずは半分飲む。匂いだけでも眩暈がしそうなほどに酒精が強いのに、変わらず喉を滑り落ちていく感覚。胃に落ちてから、燃えるように広がる熱が、体を内側から暖めていく。
「美味い……」
止まらなかった。残りを飲み干した瞬間に、チヨがすかさず3杯目を注ぐ。まるで何かから逃げるかのように一心不乱に杯を開ける彼を、チヨとカンナが暖かい目で見守っていることにも気づかず。
(真面目すぎるからな……)
(酔わないと弱音と本音を言えないくせに、酒に強いのですから困りものでありますな……)
酒精が回っていくにつれて、ぶつぶつと呟き始めたセルデを見守り、カンナとチヨはちびちびと『移世』を舐めるように飲む。いつも通りなら、酒を飲むペースを抑えてしまうだろうと判断した二人は、事前に相談して一芝居打ったのだ。カンナはともかく、チヨはお酒はゆっくりと飲むほうが好きである。
「――ところで、カンナ。結婚の先祝いがどうこうって……」
「はっはっは。時効です、無罪でお願いします」
「ダメであります。罰として、これは没収であります」
「ああっ、そんなご無体な!」
『移世』の瓶を没収されたカンナがケラケラと笑い、むくれたチヨが杯を開け、無言で杯を差し出すセルデに酒が補充される。
「あいつは……臆病な奴だったんだよ……」
囁くように『剛腕』セルデから紡がれる、『烈脚』ウェデスという男の物語に耳を傾けながら。3人は、日が暮れるまで酒を飲み続けた。