第10話 空隙
「……なるほどね」
信仰の森の奥にある遺跡。『烈脚』のウェデスが息絶え、“狼王”ディーネが黒点に飲み込まれ、『魔女』ベネルフィが調査を終わらせて去った場所。
そこに、新たな人影が二つあった。
「君の話は聞いてるよ。戦うかい?」
「いいや。戦う気はない」
大げさな動作で問いかける男に、対峙する男が短く返した。
「君はここに真実を知りに来たんだろう? 存分に調べていきたまえ、私は邪魔するつもりはない。なんなら、“教徒”や“詩人”でも紹介しようか?」
「必要ないな」
男は、それだけ返すと無言で神殿へと足を進めた。神殿の中に入っていった男を見送り、もう一人の男――“道化”のシギーは大きく手を広げた。
「ああ、さてさてさて! 物語が動き始めたね! 実に面白く、実に不可解で、実に無意味な戦いの物語だ! 私は特等席で見学させてもらうよ! どちらに転ぼうと、終末は免れない! 人類が終わるか、世界が終わるか! はたまた、私の思いもよらない方法で救われるのか!」
高らかに声を上げる彼を、止める人間はいない。
「ほどなく、ほどなく……」
“道化”のシギー。物語を見据え、自らを盛り上げ役として割り切った男。“教徒”と同じように、狂気に飲まれつつもそれを良しとした男。誰も彼の目的を知らない。誰も彼の考えを理解できない。
いや、もしかすると――彼に、目的なんてものはないのかもしれなかった。
† † † †
“貴婦人”が討伐されてから、一か月の時が流れようとしていた。彼女が残した爪痕も徐々に修復され、ギベルの町も普段の活気が戻ってきていた。
「……調子はどうかな、『無音』」
「ええ。弱体化はしてますが、出歩ける程度には回復しました」
「無理はするな。ただでさえ、戦力が減りつつあるんだ。『断罪』も、『烈脚』もいなくなってしまった」
「……ウェデスが」
「ああ。『魔女』の要請に従ってな。彼女が調べ上げた内容と、『烈脚』がかの“狼王”と相打ちしたことを考えれば上出来だ」
ことさらに微笑んで見せるオーデルトに、フリートは無言を通した。彼が無理をしているのは、出会った瞬間の雰囲気から感じ取れたのだ。戦力を――否、仲間を失い、彼の精神は疲弊している。だが、それを指摘させることは決してしない。それこそが、彼が『軍神』である理由であり、譲れないプライドだからだ。
「そして言うのが遅くなってしまってすまない、『無音』のフリートくん。まず私が行うべきは、君たちへの謝罪と礼だった。私の力及ばず、魔人を街中に侵入させてしまい、申し訳ない。君の購入した家は既に急ピッチで再建されており、テテリさんとリクルさんには既に家に戻ってもらっている。その上で、君が今回の襲撃の報酬として、何か望みがあるなら用意しよう。大々的に英雄としてやることはできないが、ある程度の便宜を図ることも約束しよう」
それが『軍神』オーデルトの譲歩だった。とは言われても、フリートに望みらしい望みはない。
「……1つは、もし俺だけが死ぬような事態になった時。リクルとテテリさんの生活を保障してもらいたい」
「暮らしていくのに不自由のない程度の金銭を約束しよう」
「そして、リクルの『祝福』を詮索しないこと。調べたり監視するのもなしだ。彼女らは戦いを望まない一般人だ、巻き込まないでやってほしい」
「約束しよう」
「……俺からの要求はそれぐらいです、『軍神』」
「わかった。私の名前に懸けて、この二つの約定は守り通す。それが私の誠意だ」
無表情で告げたオーデルトに、頭を下げるフリート。『断罪』と『烈脚』という戦力が失われた今、“貴婦人”を葬ったリクルという存在は、オーデルトにとって気になる存在だろう。だが、彼女は戦いを望んでいない。『祝福』を持っているからといって、無理やり戦線に引っ張り出すことはしないだろう。
それに、とフリートは考える。
リクルの『祝福』は異様だ。黄金色の光が天から降り注ぐレベルの強力な力。今まで様々な『祝福』を見てきたが、あれほどの光を放つものはなかった。
(全てに終わりを与える『祝福』……か……)
おそらく不死にすら、終わりを与えることができる『祝福』。もしかすると、一年前の勇者の旅にリクルが同行していれば、この窮地はなかったのかもしれない。魔王を討伐し、人類は平和なときを過ごせていたのかもしれない。
だが、考えても意味はない。フリートは既に、諦めた。今の状況を受け入れて、リクルとテテリの二人のために、できる限りは抗うことを決めたが――リクルが嫌がることをさせてまで、人類を救う気はなかった。
「では、約束通りに、俺の『祝福』の能力を伝えます。『軍神』」
「ああ、聞かせてくれ。君の、『惨殺鬼』としての力を――」
フリートはオーデルトに、自分の『祝福』の能力の詳細を伝え、執務室を出て廊下を歩く。
“貴婦人”との戦闘で、長時間『祝福』を使いすぎた。今のフリートの戦闘力は著しく低下している。そのあとの一か月寝たきり生活も、彼の戦闘力を落とした原因のひとつだ。
「鍛え直さないとな……」
フリートは足音を消し、気配を散らして砦の中を歩いていく。以前ならば簡単に侵入できた砦だが、外に出るまでに数人の冒険者に見つかって、フリートは気づかれないようにこっそり溜息をつくのだった。
「さて……家に戻るか」
右肩の脱臼と骨折だけだったリクルは、十日ほど前に家に戻っている。わずか20日程度で家を建て直したギベルの大工たちには頭が下がる思いだが、リクルもフリートと同じように絶対安静が言い渡されている。無理な動きをすれば治るまでの時間が遅くなるとクロケットに脅されているため、無茶なことはできないはずだ。
「水汲みとか、どうしてるんだろうな……あれ結構重労働だよな……」
フリートは、これからの生活に思いを馳せながら、自分たちの家に向かって歩いていく。怪我はいまだ完治せず、人類の先行きに希望は見えない。
だがそれでも、この平穏な時間は確かに、あの時あの場所で抗ったからこそ手に入れたものだということを。
「とりあえず、少しのんびりしよう。リクルに、服を買ってあげなきゃな……」
約束を思い出し、あの状況で笑って見せたリクルを思い出す。たとえ遠い未来に希望を持てなくても、人は誰かの意思を感じて、歩いていくことはできる。
「せめて、できる限りのことはしよう。人間として、そのくらいのことは……」
町を歩く住人たちのほとんどが、このギベルの町が“貴婦人”に侵入され、滅亡の一歩手前だったことを知らない。フリートとリクルが、必死になって魔人を撃退したことを知っている人間は少ない。
だが、だからといって、彼らが一生懸命生きていないことにはならないのだ。服を作り、家具を作り、家を作り、食事を作り、酒を作り、武器を作り――そんな町の人々がいるからこそ、冒険者たちは戦える。まだ終わりじゃない、と抗うことができる。
ふと、フリートは思う。
暗殺やら、謀殺やら、弱みを探ったりとか――そんな足の引っ張り合いをしていたときよりも、よっぽど健全な社会かもしれない、と。共通の敵を持ったときの人類は、ここまで強固な結束を発揮できる。
だがだからこそ、リクルの『祝福』を知られるわけにはいかない。一丸となって脅威に対抗する彼らが、魔王を殺し得るリクルという存在を知れば、どうなるか。テテリもそれを危惧したからこそ、リクルに『祝福』のことは決して誰にも言ってはならないと釘を刺していたのだろう。
「……いつか来る終わりの時まで、二人の人生に責任を持つ。それが、戦いに巻き込んでしまった俺の責任、かな」
死ねない理由が増えていくのを感じながら、フリートは苦笑した。案外、希望を持つのも悪くはない、と思いながら。
「なあ、そうだろ、俺?」
『……馬鹿みたい。楽観的にもほどがあるわよ、私』
体の中から聞こえてくる辛辣な返事。厳しい戦いだった。失われた命も多い。けれどまだ、人類は滅んでいない。空を見上げれば、まるでフリートたちのこれからの生活を歓迎するかのように、穏やかに雲が流れていた。
60話を超えました。
うまくタイミングを計れなかったので忘れないうちに言っておきます。
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