第6話 満たされぬ器
あくび亭に戻って来たフリートだが、到着したのはそろそろ日も暮れようかという時間だった。遊撃隊に所属するということは、要は『定職に就く』ということでもあり、これほど簡単に就職できていいのかと思わないでもないが――それだけ人類が窮地に立たされているという証左でもある。戦力は、少しでも欲しいのだ。いずれ来る滅びの時を、少しでも引き延ばすために。
「お、戻ったか、フリート」
「グルガンか」
フリートが夕暮れに帰りつけたのは幸いと言えた。そろそろあくび亭は忙しい時間帯に入る。グルガンを信用しているとはいえ、リクルはこれから初めての職場で働き始めるのだ。その初日の様子くらい見ておいた方がいいだろう。
「リクルは?」
「ああ、ついさっき降りてきたからな。制服を渡して、着替えてもらってた」
「……制服?」
フリートが訝し気に眉を寄せると、グルガンの背後からひょっこりリクルが姿を見せた。
「あ、おかえりなさい、フリートさん!」
その姿にフリートは思わず言葉を失った。農民にも晴れ着とは言うが、良い生地を使って仕立て上げられた給仕服を着たリクルは、非常に可愛らしい姿をしていた。白と黒を基調にした給仕服は足首近くまでを覆っている。
「えへへ、似合いますか?」
リクルが嬉しそうにその場でくるりと回って見せると、服の裾がふわりと広がった。その光景を見てあっけにとられるフリートと、満足げにうなずくグルガン。
「うん、前の給仕の物だが、よく似合っているじゃないか」
「グルガンさんが仕立て直してくれたから、とっても動きやすいです!」
フリートは朧げな記憶を引っ張り出し、この店の給仕の姿を思い出す。体格自体はリクルとほぼ同等だが、身長が少々上で、腕も足も長かったはずだ。なるほど、裾が足元まで及んでいるのはそういう理由か――と納得する。
「ああ、とても似合ってるよ、リクル」
嬉しそうに笑うリクルに、思わず目元が緩むフリート。娘ができたらこんな感じなのだろうか、と妄想するものの、残念ながら世の中のお父さんにここまで甘えてくる娘などいない、というのが一般的な見解である。
「じゃ、仕事は教えた通りにやってくれ。困ったことがあったらすぐ頼ってくれていいから」
「わかりましたグルガンさん! がんばりますね!」
「……ちょうどいい時間だな。俺もここで夕食にするとしよう」
「お、それならまずはフリートで練習してみるとしようか?」
そんなことを言いながら席に向かう。ちらほらと早めの夕食に来た人間が飯を食べているが、入って来た3人を見て声を上げた。
「おやっさーん! やっと給仕見つけたのかー!」
「えっ、もう少し遅く来ればよかった……」
「ん、昨日の子か! と、いうことは……」
「げっ『無音』だ!」
昨夜の一件がすでに広まっているのか、ひそひそと噂話を始めた冒険者たちに苛立ちを覚えながら、フリートは席に着いた。
「じゃあ、これを一皿」
「えーと、ベルカリッツェの香草煮込みと、クレペリッタでよろしいでしょうか?」
「……ああ、それで」
メニューのイラストを指さしたフリートに、よどみなく注文の確認をするリクル。フリートはろくに文字も読まずに注文していたので、少し面食らってメニューを読み直した。確かにそこには肉の煮込み料理のイラストの隣に、「『ベルカリッツェの香草煮込み』と『クレペリッタ』」という文字が躍っていた。フリートの認識は『煮込んだ肉』と『変に硬いパン』である。
「そんな名前だったのかこの料理……なんかえらい気取ってる名前だな……」
リクルがグルガンに注文されたメニューを伝えに行ったあと、フリートは呟いた。この店のメニューは――というか、大部分の飲食店がそうなのだが、識字率の低さも相まってほとんどがイラストによってメニューが描かれている。ゆえにわざわざメニュー名を読まないことも多く、常連にもなると、「あの煮込み!」とかで注文されることも、それなりにある。
そしてフリートが待つことしばし、料理が運ばれてきた。
「こちら、『ベルカリッツェの香草煮込み』と『クレペリッタ』です! ごゆっくりどうぞ!」
仕事中ではあるが、とりあえず混雑しているわけではないので、多少の雑談は許されるだろうとフリートはリクルに声をかけた。
「リクル、文字が読めるのか?」
「いえ、読めません! メニューに描いてあるイラストの名前は覚えました!」
「覚えた……」
「はい!」
笑顔でリクルはそう言ってくるが、それは生半可なことではない。このメニューをじっくり見る時間などほとんどなかったはずで、長くてもフリートが砦に言っている間の数時間。その時間でメニューのイラストとグルガンが伝えたメニューの名前を一致させるなど、普通はできない。フリートにも無理だ。
「――そういう、『祝福』なのか?」
「いえ? 違いますよ!」
フリートの質問は笑顔の否定で返された。その笑顔は少し歪だったが、特に追及はしまい、とフリートはそれ以上の質問はしなかった。『祝福』ではないのなら、リクル個人が持つ資質ということだ。どこでどう役に立つかはわからないが、今まさにここで役に立っている。
「いらっしゃいませー!」
「うわ、びっくりした! 君新しいウェイトレス?」
新しく入店してきた冒険者に声をかけ、驚かせるリクル。あの様子なら心配なさそうだなと思いつつも、フリートはチラチラと様子を窺ってしまう。
「……あのひと、めっちゃ見てくる」
「シッ、あれ『無音』のフリートだよ」
「気に喰わない奴は暗殺するっていう……?」
「目を合わせるな」
無根拠な噂が流れるなか、フリートは働き続けるリクルを祈るような気持ちで見守り続けた。
† † † †
荒野に一つの影がある。その影は遥か彼方にある石の壁を見据えて嗤う。周囲に他の人影はないというのに、まるで誰かが見ていることを知っているかのように――劇的に、謳う。
「ああ、なんという悲劇! 哀れ人間は、魔獣たちによって最北端の土地に追い込まれてしまった!」
周囲にいた生き物たちが、煩わしそうに耳を伏せるのに構うことなく、その人影は大仰に天を仰ぐ。まるでそこに誰かがいるかのように、遥か天上の世界に向かって語りかけた。
「忌々しい二柱の女神よ、これもまたお前たちの目算なのか!? 我らの闘い、我らの目的、彼の王の悲願すらも手の上なのか!?」
嘆き、嗤い、悲しみ、喜び、謳い、叫ぶ。観客に語り掛ける様に、無人の荒野で彼は叫ぶ。
「いいだろう、いいだろう! たとえ誰かの手のひらの上でも――騙されていたのだとしても――盛り上げて見せようではないか!」
彼の見た目は異様だった。肥大化した左腕に、細く尖った右腕。明らかに人間がバランスをとれる領域を超えているのだが、彼はそんなことを一切気にすることなく、不安定な足場に立っていた。
「人間よ、乗り越えて見せよ――我が名はシギー。“道化”のシギー……汝ら人間が味わうことになる第二の絶望である!」
魔人、魔族。様々な呼び名で呼称される、人型でありながら強靭な肉体と魔力を持つ種族。本来であれば見た目は人間とそう大差はなく、唯一魔力放出器官である『角』のみが判別の手段なのだが――この男、“道化”のシギーは外見に特徴がありすぎた。顔を仮面で隠し、唾広の帽子をかぶり、肥大化した左腕とやせ細った右腕を天に掲げる彼は、人型というのすら怪しい姿だ。
「――ん? 本気じゃないのか、だって?」
グルル、という唸り声が響き、シギーは久しぶりに独白ではない言葉を話した。彼の相方ともいえる生き物も、シギーの長々とした掴みづらい話には辟易としているので滅多に話しかけることはないのだが。さすがに、シギーの言葉を聞き逃すことはできなかった。
「ああ、人間に負けたいのか、って話かい? とんでもない!」
続いて上がった不満げな声に、シギーは本気で心外そうに首を横に振った。
「本気で根絶やしにしてやるとも――それこそが私の願いであるし。私の全力でもって、あの忌々しい砦を落とし、王国を滅ぼす。手を抜くことは一切ない。ああ、なんなら人間が信じる神とやらにでも誓うかい?」
一瞬垣間見えた重く黒い殺意を誤魔化すように、軽い調子で返すシギー。
「ま、私が神なんかに誓っても信憑性はゼロかな! なにせこちとら道化の魔人、場を整えてひっかきまわすのが趣味でね。面白そうなら前言なんて撤回しようじゃないか!」
相変わらずの姿と言動に、不満の声を上げていた生き物は呆れたように顔を伏せた。結局お互いに自分の感性は理解できないし、どのみち彼はシギーに従うしかないのだ。
相方といえば聞こえはいいが、彼にとってシギーは上司であり、抗うすべはほとんどなかった。ただこの体に宿っている力と、人間への憎悪、狂おしいまでの食欲が、彼の全てだ。
「頼んだよ、必ず人間を滅ぼしてくれ」
言われなくても、と思った彼は、尾を力強く地面にたたきつけることで返答とした。
† † † †
翌朝。ミリに言われた通りに日の出前に砦に到着したフリートは、大男に挨拶をする。
「よっ。今日からお前の部隊に入ることになったから」
「……フリートか。まあ、そうなるだろうとは思ったがな」
目を閉じて静かに瞑想していた大男――『剛腕』のセルデは、目の前に立つ男を眺めた。相も変わらず暗闇では視認が難しい暗褐色のコートを纏い、へらへらと感情を窺わせない笑みを浮かべている。多くの人間が『胡散臭い』と感じるであろうフリートの姿だが、セルデはこの男のことがそれほど嫌いではなかった。
「シャルヴィリアから伝言だ、『次会ったときはこの【神剣クーヴァ】の錆びにしてやる』だとさ」
「『ちゃんと手入れしとけよ』って返しといて」
「……新人が一人抜けるのか。やむを得ないな……」
「そこはこう、部隊長として俺を守る義務があるんじゃないの? ないの?」
「ないな」
涼しい顔でフリートの抗議を受け流すセルデ。フリートもわかっていて聞いているが、あくまでも彼らは有志で集った冒険者や兵士たちだ。各国の英雄たちもいるが、基本的に癖が強い彼らは遊撃隊のように地味な――間違いなく重要な作戦ではあるのだが、見た目の問題で――参加しない。表向きは、『不意の侵攻に備えるため』彼らは砦に残ることになる。
『戦乙女』シャルヴィリアを筆頭に、『断罪』のトローや『魔女』のベネルフィなど、気難しいが実力は一級品の英雄たち。いずれも、国を一個背負って戦っていたような存在だ。それに比べれば、いくら実力があるといっても『剛腕』のセルデや『無音』のフリートは木っ端冒険者に過ぎないのだ。
「んで、ほかの人は?」
「――ああ。今日は、俺らの部隊はお前と二人だ」
「えっマジでか」
「大マジだ」
ゴホン、と咳払いをしてセルデが今回の任務を説明する。
「今回俺らが行うのは哨戒任務だ。つまりは、外を歩き回って魔獣をちょっと倒して、『異常なし』って報告する仕事だな」
「えっ、俺が知ってる哨戒任務と違う……」
「ま、そうそう異常事態なんて起きないからな。というわけでさっそく出発するぞ、フリート。『無音』の実力、期待している」
原理は一切不明とはいえ、『無音』と謳われるほどの消音能力を持つフリート。偵察、哨戒任務に有用な能力であることは間違いない。セルデはフリートの肩を叩くと、踵を返して砦の中へと歩いていった。フリートは意外と面倒なことになりそうだな、と思いながら溜息を吐く。
フリートの二つ名でもある『無音』――その行動に際し、一切の音を発生させない彼の技術は、『祝福』によるものではない。ただ研鑽し続けた努力と、彼の身に備わった才能があって初めて開花した技術だ。セルデやオーデルト、果てには『予言者』ミリですら、彼の消音能力を『祝福』によるものだと思い込んでいる。
フリートは、それに関しては特に否定する気もなかった。これが『祝福』ではないとわかれば、「どうやって、なんのために、そのような技術を身に着けたのか?」という話になるのは目に見えている。そして、『音を消す技術』が卓越している人物など、怪しすぎて近づきたくない。勘違いは勘違いのまま放置するのが最良、というのがフリートの判断だった。
「しかしすげぇなぁ、フリート」
「ん?」
フリートの前を歩いているセルデが背後を振り返る。
「お前の足音も聞こえないし、なんていうか、息遣いとか気配とかも全然わからん。普通に一人で歩いてるみたいだぜ……」
「ま、それが俺だからな」
肩を竦めるフリート。技術というのは使わなければ衰えていくものだ。さすがに酔っぱらっているときなどはやる意味がないのでやらないが、普段から気配を殺し、音を消して行動するように心がけている。ほとんどの相手を欺くことができるようになってからは明確な問題は起きていないが、まだ未熟だったときはよくトラブルの元になっていたものだ――と、フリートは少し遠い目をして昔のことを思い出しながら、セルデのあとをついていった。