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終末に抗ってみよう。  作者: 夜野 織人
第3章 ー神々の森ー
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第5話 『烈脚』

 『烈脚』のウェデスは走った。森の中を、黄金色の光を散らしながら跳ぶように駆ける。魔人“狼王”から逃げるために、自分が生き残るために、必死に走った。


(あんなのは無理だ! 勝てるわけがない!)


 勝てない敵からは逃げる。本能が告げるその答えに、彼はいつだって素直だった。彼は、一般人というには少し特殊な才能を持っていたと言えるだろう。すなわち、危機への直感である。


 彼は自分が関わる勝負になれば、局所的にではあるが、『勝つか負けるかわかる』のだ。負けだと判断したからには、全力で逃走する。勝てない勝負には挑まない――それが彼、『烈脚』のウェデスが『祝福ギフテッド』以外に持つただ一つの才能だった。


 そしてその本能が、今までの人生の中で間違いなく最大級のアラームを鳴らしていたのが、あの“狼王”という相手だった。


 身がすくむような殺気。


 こちらを歯牙にもかけない態度。


 その身に秘めた威圧感。


 全てが、明らかに格上だった。どう足掻いても勝てるわけがない――。


「……クソッ!」


 足が止まる。思考を巡るのは、悪い想像ばかり。魔女ベネルフィが惨殺される光景、自分が追い付かれて殺される様子、一度“狼王”と出会ったウェデスには、その光景が容易に想像できた。


「無理だ……俺には……!」


 勝てる戦いなら、戦える。負ける戦いには、足が竦む。


『ねえ、君は逃げるのは得意なんだろ? 『逃げ足』のウェデスくん?』

「……ああ、得意さ。だから逃げてやる」


 聞こえるはずがない、ベネルフィの声が聞こえる。それは自分の記憶の中から響いてくる声だ。ここに彼女がいるはずがない。他ならぬウェデスが見捨てて、逃げ出したのだから。


『平民だろうが貴族だろうが、それこそ王族だろうが、何人死のうが私は気にしないとも。私だけが生きていればいいんだ』


 ベネルフィのその言葉は、自分が激昂した言葉だ。彼女の人を人とも思わない発言に、ウェデスは怒ったのだ。


「……ははっ。惨めだな……」


 足が動く。今までのように、逃げ出す方向にゆっくりと歩き出す。


「自分勝手なのは俺じゃないか……!」


 自分だけが生き残ればいい、と言うベネルフィと。自分の命を最優先で逃げ出そうとしている自分と、何が違うのだろうか。結局――他人の命を軽視していることに、変わりないのだ。


 ウェデスの足が黄金色の輝きを纏う。


「――ああ、クソッ! そうだよ! 俺は憧れてたんだ! 自分の道を突き進む、英雄ってやつに!」


 地面を踏みしめる。


「なれるわけないだろうがよ! 何をどう考えれば、そんなに迷いなく突き進めるんだよ……ちくしょうが!」


 踏み出した足の方向は、ウェデスにもわからない。逃げているのか、立ち向かっているのか。


 正しいのか、間違っているのか。


「ああ、クソッ!」


 無性に悔しくなったウェデスは胸を掻きむしる。先ほどから叫び続けた彼の肺は空気を求めて喘ぎ、咳き込んだ彼は思わず胸を押さえた。


「げほっ、ごほっ……! ……あれ」


 そして、ウェデスはすっかり忘れていた紙の存在を思い出す。ベネルフィから渡されていた、いざという時のための作戦書だ。一度目を通したのだが――すっかり忘れていた。それを受け取ったはいいものの、扱いに困り懐で温めていたものだ。


 そこには、長々と記憶にある作戦が記されていたが――最後に。


「『あなたの人生に幸運を』、か……」


 彼女らしい言葉だ。努力でも、才能でも、方法でも、実力でもなく、最も大事なのは『運』だと。生き残るためには、幸運が必要なのだと、そう告げている。


 遠い背後で、爆発の音が響いた。


「……英雄に、なりたい」


 それが、『逃げ足』ウェデスの願いだ。


 逃げて。逃げて逃げて逃げて、たどり着いた、人類の果て。終わりの都市。そこで出会った、本物の英雄たち。


 『戦乙女』。『軍神』。『断罪』。『無音』。『予言者』。『剛腕』。『氷牙』。


 そして――『魔女』。


「……は。嫌だぜ、俺は……!」


 このまま逃げれば――本当に終わりが訪れるその瞬間まで逃げ切れるだろう。逃げ足には、自信があるのだ。


 その人生は、何の意味がある? 人類最後の一人になって、ひたすら誰かが解決してくれるのを待つのか?


「俺は、いつまでほかの英雄のサポートをすればいい……?」


 ――本物の英雄になりたい。


「憧れるんすよ、やっぱり。男の子なんで……」


 闇を乗り越え、光を背負い、迷いなく道を進んでいく英雄たち。その背中に憧れる。どんなに速く走れても、決して追いつけない背中に。


 追いつきたい。そして、隣に並びたい。


「俺は、『烈脚』のウェデスだ」


 英雄になる。


「断じて、『逃げ足』じゃない」


 この、『烈脚』のウェデスが生きた証を――


「峻烈なる轍を刻めッ……!」


 再びの爆発音と同時、黄金色の光が飛び出す。


 今までの『祝福ギフテッド』よりも、なお強く光り輝く。まるで、新たな英雄の誕生を讃えるかのように。


 そして弾丸のように飛び出したウェデスの姿が、森の中へと消える。


 その光は――爆発音が響いた場所へと向かっていた。



 † † † †



「……もう少し、いい男だと思ったのだがな」


 振り下ろされた“狼王”の右手は触れてもいない地面を抉り、削り取っていた。表面に生えていたコケを巻き込み、地面を抉り、土と小石の混じった土砂を巻き上げた“狼王”は、黄色い瞳で2人を睨んだ。


「なぜ戻ってきた、人間」

「――なんで戻ってきたんだい、ウェデス君」


 睨まれた2人のうちの1人、『魔女』ベネルフィは呆然と呟いた。戻ってくるはずがないと思っていた。控えめに言っても自分はウェデスに嫌われていたし、いくら長期間一緒に旅をしたとはいえ、彼が自分のことを気に入ることがないように、細心の注意を払っていたはずだ。嘘はついていないが、彼の人となりを推察し、トラウマを抉り、わざと嫌われるように誘導した。


 自分のために、人が死ぬのは耐えられない。


 自分の望みに人生を託すのであれば、そこに他者を巻き込んではいけない――それは。この世界に現実味を感じられない彼女が、自分に課したルールだ。たとえ周囲が何を言おうと、自分の願いのために他人を巻き込むことだけはしない。


 彼女は孤独だった。この世界でただ一人、同族が存在しない生物だった。


「なんで、負けるとわかっているのに戻ってきたんだい……?」

「――全然違うんすけどね」


 それは。彼女が、この旅で聞き慣れたウェデスの言葉だった。


「まずですね。俺は『喜んで逃げてやるぜ! じゃあな、このクソアマ!』とか、そういうことは全く思ってないんで。本当、ベネルフィさんの推理ずっと的外れっすよ」

「――」

「あと、負けるとわかってるのに、戻って来たんじゃなくて――」


 “狼王”を睨みつけるウェデス。膝は震えているし、歯の根は合わない。その明らかに恐怖を抱いている姿を見せつつも、視線はそらさない。


「――勝てるかもしれないから、戻ってきたんです」


 言葉を失うベネルフィ。その2人に相対する“狼王”は、吐き捨てるように言葉を紡いだ。


「くだらねぇな。勝てるわけがねぇ、多少は速くなったみたいだが……お前らに俺を殺すことはできねぇよ」

「――ベネルフィさん。作戦通り、行きますよ」


 瞬間、ベネルフィの目の前の地面が爆ぜる。さきほどベネルフィを抱え上げて、“狼王”の右手から救い出した速度そのままに、ウェデスが地面を蹴ったのだ。


「……ふん」


 ベネルフィの目では、2人の動きを追い切れない。あちこちで炸裂音が響き、風が踊り狂い、木が倒れる。高速で動き続ける2人は、戦っているようだが――音すら置き去りにして駆けまわる2人の姿が、ベネルフィには黒い影のようにしかとらえられない。


「……速すぎる……!」


 黒い影にしか見えない2人の戦いに、微かな赤が混じる。ウェデスが腰から抜いた投げナイフを、正確に“狼王”に向けて投げる。が、“狼王”は簡単にそのナイフをつかみ取ると、ウェデスよりも速く正確に投げ返した。しかも、黄金色の光を纏う足に向けて。かろうじて反応したウェデスが寸前で反転したことで直撃は免れたが、掠めたナイフは膝を切り裂いていた。


「影響はない!」


 走る。それしかできないのだ、と、愚直に走り続ける。“狼王”の爪が時折かすり、ウェデスの体に傷が増えていく。十にも届きそうな数の傷を負ってなお、“狼王”をとらえきれない。


「何を企んでいるのか知らんが――」

「っ、クソッ!」


 “狼王”が距離を取ろうとしたウェデスから離れ、ベネルフィを狙う。ウェデスは後退しようとした脚に再び力を込めて追い縋る。背後から放たれた蹴りを見もせずに避け、爪を振るう“狼王”の攻撃を、ウェデスは今度こそ大きく後ろに跳躍することで回避する。回避したウェデスに向けて、いつの間に拾ったのか投げナイフを投げつける“狼王”。


「どこで習ったんだよ……!」

「爺さんが、武器の扱いはうまくてな。一通り習った」


 高速で飛来するナイフを体を捻ることで避けたウェデスは、着地と同時に横に跳ぶ。上空から振り下ろされた“狼王”の踵落としが、地面を陥没させる。大技の威力に慄くウェデスを小馬鹿にするように即座に振るわれた爪が、ウェデスの服に引っかかる。


「吹っ飛べ」


 服を裂きながら、ウェデスを投げ飛ばす“狼王”。いつの間にか周囲は砂塵が舞い上がり、周囲の視界は最悪だった。


「女を隠したか……地面を削っていたのはこれが狙いか?」


 舞い上がる砂塵に隠れ、魔法を張っているのだろうが――一歩踏み出した“狼王”の右足が、地面から飛び出した鎖に捕らわれ――


「くだらん」


 ――ない。ごく自然に踏み出した足によって、力任せに鎖が破壊される。


「そもそも――俺相手に、視界を奪っても、意味なんかねぇよ」


 砂塵を突き破って姿を現した“狼王”を、ベネルフィが驚きとともに見つめる。“狼王”は足音を聞き分け、背後から迫るウェデスに向き直った。


「見えなくて困るのはお前らだけだ」


 高速で突っ込んできたウェデスの右足を受け止める。衝撃は通ったが、負傷というほどのものではない。衝撃で一秒程度は動けないが、右足は固定した――ウェデスは、その絶望的な状況でも諦めず、左足で蹴りを放つ。それ自体は問題なく受け止めた“狼王”だったが、少し揺らいだ瞬間に、背後からの爆発が“狼王”を襲う。

 思いがけない衝撃に、思わず手が緩む。瞬間、一息の間に四回放たれた蹴りによって、一気にウェデスに距離を取られる。自分の体を足蹴にしたウェデスに苛立ちこそあれど、“狼王”の優位は崩れない。


 砂塵が晴れる。


「――遊びは終わりだ」


 “狼王”は体のあちこちから血を流すウェデスを見つめた。男は満身創痍、女の攻撃は有効打にはなり得ない。対するこちらは無傷、体力気力ともに問題なし。


 負ける理由がなかった。

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