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終末に抗ってみよう。  作者: 夜野 織人
第3章 ー神々の森ー
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第4話 神殿

 『魔女』ベネルフィは天才である。

 そうあれと育てられたし、本人も自分の才能を自覚していた。魔力や魔法理論の全てを理解し、新たな魔法体系を組み上げた天賦の才能。その性格と才能のせいで、決して豊かな人間関係を築けたわけではなかったが、彼女は全く気にしていなかった。


 天才たる自分と、周囲の凡愚では文字通り住む世界が違うのだと。世界のことを調べれば調べるほど、なにも疑問に思わずに生きている周囲の人々との軋轢は広がっていった。


 魔法とは? 神とは? 魔獣とは? 魔人とは?


 世界の真実を知りたいと願う彼女の望みは、周囲の人々の理解を得ることはなかった。天涯孤独の身である彼女は、悟った。頼れるのは自分だけだということに。

彼女にとって真実とは、どんなことよりも優先される対象である。彼女は必要とあれば自分の命すら差し出すだろうし、それが他者の命であっても差し出すだろう。その一種異常な精神性は、他者に受け入れられることは決してなかった。


「やれやれ……まあ、そろそろ見つかる頃だと思ったけどね」


 そして彼女は長年の思考の果てに、ある仮説にたどり着いた。今行っているのは、その仮説の証拠集めである。仮説が正しいにせよ、間違っているにせよ、少しは前に進めるだろう。開けた視界の先にあるものを見ながら、ベネルフィはため息をつく。どうやらここは当たりも当たり、大当たりだったようだ。いらない当たりも引いてしまったが、このいらない当たりこそが大当たりであることを示す証拠になるというのだから皮肉なものだ。


「さて…しかしまぁ、困ったね」

「何がだ、人間」


 目の前にそびえ立つ神殿。カロシル教のものでも、ベレシス教のものでもない、独自の建築様式で建てられた神殿だ。いくつもの茶色の柱に、苔むした祭壇。祭壇の奥は空洞になっており、暗くて見通せないが、先が続いていることが見て取れた。


「ベネルフィさん……? こっちですか?」

「ーーああ、君はタイミングの悪い男だね。今この時ほど、逃げればよかったのにと思ったことはないよ」

「人間が2匹か……」


 森をかき分けて現れた青年の姿に、ベネルフィがことさらに溜息をつく。足跡を辿って追いかけてきたのだろう、ウェデスの視線はベネルフィの視線の先を見て、その表情をこわばらせた。


 唸る喉、光る両目。


 そしてーー額から伸びた一本の角。


「よりによって君がここを守護しているのかーー」


 ベネルフィとウェデスが見つめる先。漆黒の体毛を纏った1人の獣が佇んでいた。二本の足で立ってはいるが、その両腕には巨大な爪が生え、頭頂部にある2つの耳は周囲の音を探るようにピンと張っている。


「べ、ベネルフィさん……」

「落ち着きたまえ、ウェデスくん。いくら彼女が最強に近い魔人とはいえ、スピードならおそらく君の方が速い」


 挑めというのか、あの魔人に。殺気すら見せずに、悠然とこちらに歩み寄る魔人と、戦えと?


「だから」


 ベネルフィは言葉を紡ぐ。


「逃げたまえ。ああ、君はきっと『喜んで逃げてやるぜ! じゃあな、このクソアマ!』とでも思っているだろうが、なに。気にする必要はない、元より君への依頼内容に魔人との戦闘は含まれていない」

「なんだ? 逃げるのか? 戦う意思がないならさっさと逃げろよ、気が向いたら逃がしてやる」

「あいにく、私は君の後ろにある建物に用があってね。存分に調べたあとに悠々と帰ってもいいかい?」

「ダメに決まってんだろ。この中に入れるわけにはいかねぇよ」


 ベネルフィの言葉をウェデスが理解し、一歩下がる。目線は魔人から切らないが、体は下がっていた。敵うわけがない、あの存在に。前にすればわかる、あれは戦える相手じゃない。奴を前にすれば、どんな冒険者だって『獲物』に過ぎないのだと、本能が訴えかけてくる。


「じゃあ、こういうことかい? 私は中に入りたい。君は入れられない。これはもう、戦うしかない、ということかな?」

「こん中にあるのは、お前ら人間が見ても意味ねーよ。面白いもんでもないし、俺たち魔人の弱点が書いてあるわけでもねぇ。この世界が、どうしようもないもんだってことがわかるだけだぞ」

「――ああ。ぜひとも、見たくなったな。知りたい。この世界の真実すべてを。それは、私が命を賭けても望むモノだ」


 ベネルフィが覚悟を決めた表情で、魔法用の触媒を握りしめる。対する魔人は嫌そうに顔をしかめたが――すぐに、戦意溢れる獰猛な顔で、笑った。


「お前は危険な奴だな。決めた。そっちの男は逃げてもいいが、お前は殺す。絶対に殺す。お前が何を考えているのかは知らないが、この中に入ろうとする奴は排除する」

「ずいぶんとしおらしくなったみたいだね。それだけここが魔人にとって重要ってことかい?」

「さあな、知らねぇ。でも、俺がやることは決まってるぜ。ここで、お前を殺すことだ」


 獰猛な笑顔を前にして、ベネルフィも笑う。その2人の女性の笑みを、ウェデスはただ見ていることしかできない。ベネルフィが一歩踏み出し、同時にウェデスは一歩下がった。威圧感を増した魔人の雰囲気に押されたのだ。


(くそっ、勝てるわけがねぇ……! 格が違う、この魔人は……!)


 今まで出会ったどんな敵よりも圧倒的な『死』の気配。膝が震え、視界が揺れる。今すぐにでも逃げ出すべきという警鐘が、ウェデスの頭の中で鳴り響いている。


 そして、ついにウェデスはベネルフィに背を向けて走り出した。


「そうだ、逃げろウェデス君。私は君の、その生存能力と判断力を高く評価しているんだよ」


 その声が届いたのかどうか、ベネルフィには判断できなかった。改めて、魔法の触媒を握りしめて目の前の魔人に相対する。


「あいつ、いい男だな」

「おや。気に入ったのかい?」

「あーまあ、そうだな。人間にしとくには惜しい奴だ。見栄とか、プライドとか、そういうのを全部投げ捨てて、本能の声に従えるってーのは重要だぜ。お前ら人間が忘れちまったヤツだよ」


 魔人は言う。


「君たち魔人は欲望とか本能に忠実に生き過ぎだと思うけどね。もうちょっと理性を身に着けたらどうだい?」

「んなこと、てめーにだけは言われたくないぜ。自分の命より欲望を優先してんのは、生き物として歪で見てられねぇよ」


 魔女が嗤う。


「ああ、君はなかなかの観察眼を持っているんだね。私の本質をこの短時間で見抜いたのか」

「気持ち悪いな、お前は。何様のつもりだ? いけすかねぇな。その全てを達観してるような、諦めきってるような――違う。お前そもそも、この世界に何も期待してないだろ?」

「鋭いご指摘どうも」


 魔人の言葉に、魔女は肩を竦めることで返答とした。


「御託を並べるのは得意分野だけどね、そろそろいいだろう? たぶん、まあ、100パーセント私では君に勝てないが、多少は善戦ってヤツができるかもしれない」

「けっ、言ってろよ」

「じゃあ行くよ、“狼王”!」


 先手必勝。すでに役割を終えた触媒を放り投げ、次の触媒を取り出すベネルフィ。設置されていた魔法が起爆し、3連続の爆発を“狼王”に叩き込む。油断せずにその様子を窺い、爆発の周囲に設置型魔法を展開していくベネルフィ。爆発を2つ。拘束魔法を2つ。どこから飛び出てくるか、爆発した場所を見つめるベネルフィだったが――


「なんだ今の。手品かなにかか?」

「――やれやれ。まいったね」


 気軽に背後からかけられた声に、ベネルフィはゆっくりと振り返る。退屈そうに腕を組んだ“狼王”が、まるでゴミを見るかのような目でベネルフィを見つめていた。


ーー速すぎる。


ベネルフィがちらりと確認すれば、爆発によって巻き上がった粉塵は、その形を崩すことなく舞い上がっている。あの粉塵の中から飛び出せば、間違いなくベネルフィは気付く。粉塵の形が崩れるからだ。つまり、この魔人は爆発が土砂を巻き上げるよりも速く、あの場所を移動していたことになる。『魔女』ベネルフィにも捉えきれない速度で。


「とんでもないな、“狼王”。実際人類なんか君1人で殲滅できるんじゃないかい?」

「まあやろうと思えばできるんじゃないか? あんまりやる気は起きねぇけどな」


肩をすくめる“狼王”の眼前で、再び爆発。あまりにも近距離で起きた爆風で、ベネルフィが吹き飛ばされる。


(いや、本当にーー魔人という存在は強靭にすぎる。明らかに、生物として必要な強さを超えている)


生物は、強くなりすぎない。それは自分たちの縄張り争いなどで、互いの個体数を減らさないためだ。強力すぎる力は身を滅ぼすーーそれゆえに、彼らは必要以上の力を持たない。


狩りに使う力。天敵を追い払う力。子供を守る力。


こんななにもかも狩り尽くすために生まれたような力は、不自然だ。


「根性は、あるみたいだけどな。それだけじゃどうにもならねぇよ」


もはや、背後を取る意味もないと知ったのか。ゆっくりと粉塵の中から姿を現す“狼王”に、ベネルフィは大きくため息を吐いた。


ーーどうしようもない。


「なるほどなぁ……!」


その事実を悟ったベネルフィは笑った。


「その笑いは、どういう意味だ」

「いやなに。凡人どもの苦悩が、私にもようやく感じられたのさ!」


ベネルフィは笑う。こんな状況にならなければ、自分は他人の気持ちすら推し測ってやることができないのか。


「これは面白い。実に愉快痛快というやつだ! なるほど、凡人にとっての絶望とは、こんなに身近にあるものなのか!! 幸せを掴めないだけで、ここまで深い絶望を味わうことができるのか!」


目の前には最強の魔人。その後ろには、願ってやまなかった世界の真実。あらゆる欲望、良心、感情を切って捨てて望んだもの。それを目前にして、手に入れることができないという絶望。



『魔女』ベネルフィは、人生で初めて絶望していた。世界の真実を手に入れられずに死ぬ、という現実に。


「これはーー辛いな! 私にとって望みとはすなわち世界の真実だ! そして数多いる凡人たちの望みは『幸せ』という、抽象的にして得難いもの! 幸福! それを掴み取ることができるのは、決して全員ではない!」


黙って耳を傾けながらも、爪を構える“狼王”。


「いったい何人、何百人の凡人が、幸福を手に入れられずに死んでいったのか! 悪霊が生まれるわけだ! ああ、今私が死んだら悪霊になることは間違いない! 生涯を賭けて望んだものを前にして理不尽に殺されるのだからな!」

「ーー脅しのつもりか? 言っとくが、俺は悪霊は怖くねぇぞ」

「ああ、ああ、そうだろうとも! 不必要なまでに強い君たちは、恐れを知らない! 魔人は最強だ。個において無敵。群にして無敗。その中でも王たる魔王は相当に強いのだろうね?」

「まあ、魔王はお前らの砦くらい指先で壊せるが?」


“狼王”の言葉に嘘はない。本当にできるのか、“狼王”がそう信じているだけなのかは知らないがーーベネルフィは、おそらく真実だろうと判断した。ベネルフィは笑うのをやめて、すっきりとした顔で“狼王”に告げる。


「いいだろう。殺したまえ、“狼王”。死ぬ間際にいくつかの真実を知ることができた。満足ではないが、私の戯言に付き合ってくれてありがとう」


そして“狼王”の爪が振り下ろされた。


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