第3話 森の探索ー1日目ー『ウェデス』
「……くそっ」
毒づいたウェデスは、苛立ちを誤魔化すように目の前の枝を力強く払った。彼の苛立ちの原因は、人を人とも思わない『魔女』の態度もあるが――それ以上に、声を荒げて子どものように物にあたっている自分自身の態度である。
「……気にしたって、仕方ねぇのにな」
もう終わった話である。『剛腕』のセルデと旅をしていたころの彼は、その圧倒的な破壊力に魅せられていた。大地を砕き、頭蓋を粉砕するそのパワー。代わりに、動きが鈍重なセルデのために、魔獣の動きを止めるのがウェデスの役割だった。
ウェデスが周囲を走り回って攪乱し、動きを止めたところをセルデが一撃で仕留める。2人のコンビは数多くの魔獣を仕留め、その名前は大陸中に知られていた。
『烈脚』と『剛腕』。ウェデスとセルデ。
似ているようで、性格も性質も正反対の2人は、それでもコンビを組んで戦っていた。豪放にして磊落を地で行くセルデ、臆病でお調子者だったウェデス。2人の名声が高まる裏で、その人気を妬む者もいたのだ。
――『脳筋』セルデと、『逃げ足』ウェデス。それが、2人の人気を妬む人々の声だった。
セルデは「脳筋おおいに結構!」と笑っていたが、ウェデスには受け入れられなかった。自分が敬愛するセルデをバカにする人間のことが許せなかった。『逃げ足』と揶揄されるのも、納得がいかなかった。
「……わかってるさ。俺は凡人だ……」
偶然、強力な『祝福』に恵まれただけの凡人。精神も強くないし、決して物語に出てくるような英雄ではない。ある国で仕事をした終わりに、ウェデスは酒場で自分たちコンビの悪口を聞いてしまった。仕事はなんとか無事に終わらせたが、満足のいく出来ではなかったこともあり、苛立ちが溜まっていたウェデスは――彼らを、ボコボコにした。
ただの冒険者だ。2つ名なんて夢のまた夢、日銭を稼ぐだけが精いっぱいの冒険者たちを、その『祝福』で叩きのめした。いくらウェデスの戦闘スタイルが攪乱と奇襲であるとはいえ、そこらの冒険者に負けるほど弱いわけではない。そもそも高速で動き回るウェデスが得意とするのは、密閉空間における立体的な戦闘である。街中だったこともあって、ウェデスの姿を追い切れなかった冒険者たちはすぐにボロボロの状態になった。
そして、ウェデスは犯罪者になった。
冒険者同士の諍いなど珍しくもないが、2つ名持ちの有名な冒険者が、初心者に襲い掛かることは滅多にあることではない。酔っていたとはいえ、挑発されていたとはいえ、2つ名持ちの冒険者が初心者と戦うのは、大人が子供に対して剣を持ち出すような行為なのだ。
ゴシップ好きが集まり、あっという間にウェデスを批難する声が増えた。もとより、豪快に魔獣を叩きのめすセルデと違い、ウェデスの戦闘スタイルはあまり好まれていなかったのだ。これを機会にセルデはコンビを解消すべき、などという声もあがる始末。
「あー……嫌なこと思い出しちまったな……」
結局、コンビは解散した。セルデではなく、ウェデスが嫌がったのだ。敬愛している、本物の英雄であるセルデの足を引っ張りたくはなかった。
そうして、『烈脚』のウェデスはその日――『逃げ足』のウェデスになった。もとより、1人で活動することに特に問題はない程度の実力はあった。事件以来、冒険者たちが声を潜めるようになったこともあり、ウェデスは退屈だが安定した生活を送っていた。
勇者が、魔王に負けるまでは。
「勝ってくれれば、なんの問題もなかったんだがなぁ……」
あのころの人類は、勇者を信じていた。必ず勝てると。魔王を倒し、平和な世界が戻ってくるのだと。
テッタ公国が“道化”に滅ぼされて、雲行きが怪しくなった。
聖王国が“闇騎士”と“詩人”によって滅ぼされて、焦りが生まれた。
そして勇者が魔王に敗北し、魔王が不死であることが判明し――総崩れになった。
まるで残党狩りのように襲い来る“闇騎士”、“狼王”、“教徒”に、人類は為すすべなく敗走を繰り返した。大量の魔獣と一騎当千の魔人に、心が折れた人類は抗う手段を持たなかった。ウェデスも、自分が生き延びるために必死に逃げ回った。そんな中、孤軍奮闘するセルデと再会し――オーデルトにスカウトされ、人類最後の砦を守る冒険者になった。
逃げて、流されて、ここにいる。
「くそっ……」
枝を折りながら、ウェデスの口から言葉が漏れる。この森に来たのだって、オーデルトとベネルフィからの要請を断り切れなかったからだ。本当は、わざわざこんな危険地帯に来たくはなかったのに。魔人とやりあう可能性があると知っていたら、断っていた。
いや。断りきれた、だろうか。
「やめてくれよ……俺は本当、凡人なんだよ……」
速く走れる。ただそれだけの凡人だ。『断罪』のトローや、『戦乙女』シャルヴィリア、『聖女』リリーティアのように、確固たる意思を持っている英雄などではないのだ。ただ、迷いながら逃げ続けている、ただの冒険者に過ぎない。
「あー……なんだって、俺のとこに来ちゃったのかね……」
自分の脚を見下ろして、軽く足踏みするウェデス。何度となく自分の命を救ってくれた『祝福』だが、そもそもこの力がなければこんな人生を歩んでいないと思うと、少しやりきれない気持ちになる。
本物の英雄たちと肩を並べることがどれだけ難しいか。自分の行動に、一切の迷いなく行動できる人間がどれだけ貴重か。
そういう、凡人の悩みだ。
「少し、落ち着いてきたな……」
『魔女』ベネルフィ。彼女も、間違いなく『本物の英雄』の一人であると、ウェデスは思う。枝と落ち葉を踏みしめて、柔らかい地面を抉りながら、ウェデスは振り返る。彼女と喧嘩別れのようになってしまったが、このよくわからない森の中で離ればなれになるのはよくない。
普段であれば冷静に判断できたことも、苛立ちと怒りに任せて行動すると忘れてしまう――こんなところまで『凡人』だな、とウェデスは自嘲するように笑う。
「まずは、合流か」
頭は冷えた。ベネルフィの態度に思うところは大量にあるが、それでもいい。表面上の付き合いで構わないのだ、あくまで一時的なパートナー。相手の考えを理解する必要もなければ、こちらの意思を理解してもらう必要もない。そう考えることで、幾分気が楽になったウェデスは、軽い足取りで森を進む。
この森に入ってから周囲の警戒は怠っていないが、なぜか魔獣の類の姿はない。まるで何かを恐れているかのように、やけに静かな森である。
「この違和感……ベネルフィさんは気づいてるのかね」
生物の気配、息遣い、そういったものが感じられない。虫などは飛んでいたり姿が見えるが、魔獣と一度も遭遇しないどころか、その気配すらないのは違和感だった。
まるで――
「逃げ出したみたいだな……」
不穏な考え。もし、魔獣たちが逃げ出すほどの魔人がここにいるとしたら。
ベネルフィはおそらくいるとすれば“闇騎士”だろうと言っていたが――。
「あーくっそ。俺は頭よくないんだから、勘弁してくれよな……」
愚痴を吐きつつ、ウェデスはベネルフィに合流するべく彼女の足跡を追い始めた。冒険者であれば、魔獣の足跡を追いかけて依頼を達成することは珍しい話でもない。こんな誰も入ってないような森の中で、わかりやすい人間の足跡を辿るのは、ウェデスでもできるような簡単な作業だった。すぐにベネルフィに追いつけるだろうと、ウェデスは歩き始めた。さすがに『祝福』を使ってまで移動すると、足跡を見失う可能性があるので、ウェデスは地面を見極めながらゆっくりとベネルフィを追いかけるのだった。