第2話 森の探索ー1日目ー
「……で。この森に何があるんすか?」
「その疑問は当然だがね、まあ落ち着きたまえ。まだ何があると決まったわけではないのだ」
お決まりのセリフを返すベネルフィに、ウェデスは溜息で応えた。この魔女は、ここに何があるかおそらく予想がついている――だが、その内容を決してウェデスに教えようとはしない。
「ここで憶測でモノを語る者は、どんなに頑張っても一流どまりというものだ」
「……ベネルフィさんは?」
チラチラとこちらを見るものだから、聞いてほしいのだろうなと考えたウェデスは内心うんざりしながら訊き返す。力関係としては向こうが完全に上なので、ウェデスはせめて嫌われないように言葉を返すだけだ。
「もちろん、超一流だ。そして超一流たる私が、今君が考えていることを当てて見せよう」
人差し指を上に向けて、本人としてはキメ顔をしているらしい奇妙な顔でベネルフィは宣言する。
「『こんなに思慮深く魅力的な女性と森の探索ができるなんて、俺は幸せ者だ。どれ、人目もないことだし、今夜あたり夜這いを仕掛けてやろうか』、だ!」
「全然違うんすけどね」
怒る度胸も、突っ込む気力もないウェデスは溜息すらつかずに歩みを進める。探す物だけははっきりと伝えられているとはいえ、こう鬱蒼とした森の景色が続くとウェデスも気が滅入る。
「で、神殿? でしたっけ、探すの」
「うむ。まあ、神殿があるだろうと予測はしているが――なにせ、名前が『信仰の森』だからね。ただ、古の時代から侵入が禁止されていた場所だ。この場所に不法侵入しようとしたこともあるが――」
「おい」
「昔の話だ。普通にバレて、聖騎士の連中に追い回されたよ。でもそれが、私の疑念を確信に変えたんだ」
爛々と光る紫の瞳は、好奇心に輝いている。
「こんな辺境の森、何もないなら聖騎士を置く必要はない。ということは、ここには何かがあるんだよ。私は、その何かが知りたいんだ」
「ふーん……」
「君、たまに酷いくらい淡泊になるよね」
「だって魔人と戦うかもしれないんですよね?」
ほとんど無理やり連れてこられたウェデスとしては、納得がいってはいない。まあベネルフィとの旅路はそれなりに楽しいものであったが、魔人と戦うのには割りが合わない。
魔人とは。相性が悪ければ手も足も出ずに殺され、相性が良くても善戦した結果殺される――そんな、理不尽を体現したような存在なのだ。
「あっ、それとももしかして必勝の策があるとか?」
「まあ、私が君に渡したものが起動すれば勝ち目はあるが……基本は撤退だ。“闇騎士”だろうと“詩人”だろうと“道化”だろうと、君と2人で戦うのは分が悪い。とはいえ、このあたりの魔人が相手なら、君の自慢の脚で逃げ切れるだろう」
聖王国を滅ぼした“闇騎士”、そして“詩人”。テッタ公国を滅ぼした“道化”。それらの名前は人類の中でも響き渡っており、特に“道化”はその性格を知る者からは特に厄介な魔人として知られている。
「あれ? “狼王”は……?」
「ああ。彼女とは一度やりあったことがある――というか、『戦乙女』がやりあっているところを見たことがある。そのときの言動を考えるに、こんな奥地にいることはないよ」
あらゆる戦場に現れ、多くの戦士を屠ってきた魔人、“狼王”。単純な戦闘能力で言うのであれば、魔人最強クラスの力を持つ戦士だ。
「え。『戦乙女』さん、“狼王”と戦って生きてるんですか? 俺、逃げ出すのに精いっぱいでしたけど」
一度だけ遭遇したことがあるウェデスは、震える声で告げた。その逃げ出したのだって、たまたま相手の意識がまだウェデスに向けられていなかったというだけであって、本気で追いかけられていたら逃げ切れなかった。
スピード。
パワー。
全てにおいて、高水準の戦闘タイプの魔人、それが“狼王”だ。
「いやまあ、そうだろうね。一目散に逃げる、が正解だ。それはともかく、“狼王”は非常にわかりやすい。直情径行、人類への憎しみで動いているタイプの魔人だ。こんな奥まった場所でおとなしくしていられるほどの知性はないよ」
「そうっすか……“闇騎士”は?」
ふむ、と呟いたベネルフィは記憶を探るように中空を見つめた。
「『戦乙女』が若干トラウマ気味だったから、あまり詳しくは聞けなかったんだが――一言で言うなら、武人だろうね」
「武人?」
「義を重んじ、命令を守り、信用を命よりも重い宝とする。そういった人種だ。なにせ、聖王国の襲撃も日中堂々と行ったくらいだからね。それで負けるんだから聖騎士も見掛け倒し甚だしい――“闇騎士”のあのタイミングでの襲撃は見事だ。勇者を失って浮足立っていた人類の心のよりどころを、綺麗にぶっ壊してくれた」
「ベネルフィさん、魔人と人類どっちの味方なんすか?」
「もちろん、天才にして超一流たる私の味方さ。今のところ魔人に着く気はない、というだけで別に人類の味方のつもりもないからね」
超然とした雰囲気を纏いながら、紫煙を吐き出すベネルフィ。その姿と言葉に、わずかにウェデスの表情が変わった。
「……ひどいっすね。こんなに大勢の人間が死んでるのに」
「ああ、悲しい事件だったね。まあ生存競争の結果だ、仕方ないんじゃないかい?」
淡々と返し、枝を払いのけて進むベネルフィ。その表情にも態度にも変化はなく、本気でそう思っていることがうかがえる。ウェデスは――旅の途中で感じていたストレスを、徐々に怒りに変えて、言葉を吐き出した。
「ははっ、さすが最初から才能だの権力だの持っている人は言うことが違いますね。平民がいくら死のうが気にしないってことすか?」
止められなかった。皮肉めいた刺々しい言葉を吐いたウェデス。だが、不思議と後悔はなかった。この10日以上にも及ぶ旅の中で、『魔女』ベネルフィに感じていた泥のような感情が噴き出す。
どこまでも他人事。自分の興味のあることにしか目を向けない。いくら力があるとは言っても、その力を出し惜しむ彼女に対し、もはや尊敬の念は残っていなかった。
「酷いことを言うね」
「平民だろうが貴族だろうが、それこそ王族だろうが、何人死のうが私は気にしないとも。私だけが生きていればいいんだ」
「っ……! あんたは……!」
紫に光る両目は、どこまでも知性に濡れていて。彼女が本気で言っていることを、ウェデスは感じ取った。まだ半月にも満たない付き合いとはいえ、本気と冗談の見分けくらいはつくようになった。
気づけば、2人は探索を中断し、お互いに向かい合っていた。
「……俺が死んでも、気にしないんだな」
「まあそうだね。だから、君も私が死にそうになったとしても気にせず逃げるといい。なに、これは少し長期間というだけで、君が冒険者時代にこなしていた依頼と変わらない。まずは自分の命が最優先――そうやって、生き延びてきたんだろう?」
煽るように言葉を紡ぐベネルフィに、ウェデスは息を呑みこんだ。このベネルフィという女性は、俺の過去を知っているのか?
いや、肝心な自分の感情は話したりしていない。あくまでもぼかして伝えたはず――
「ねえ、君は逃げるのは得意なんだろ? 『逃げ足』のウェデスくん?」
「……っ、あんた……!」
知っている。この魔女は――間違いなく、自分の過去を知っているのだ。
耐えきれなくなったウェデスは、ベネルフィに背を向けた。
「……あっちを探索してくる」
「ああ、行ってらっしゃい」
見苦しい言い訳だった。それでも、彼がなけなしのプライドを保つためには必要な言い訳だった。
ウェデスが枝をかき分けて離れていくのを見ながら、ベネルフィは静かに呟いた。
「……しまった。つい感情的になってしまった」
反省反省、と冗談めかして呟きながら、ベネルフィは歩き始める。ウェデスとは反対方向に歩き始めた彼女は、考え込みながら周囲を探索する。今のところそれらしい物は見つかっておらず、手がかりもない。手入れもされていなかった『信仰の森』は鬱蒼と茂っており、おまけに木々が成長したせいで森の範囲が広がっている。
「二人旅ともなれば、色々溜まるものもあるだろう……お互いに、ね」
「人間なんだから、気に喰わない部分もあるに決まってるさ」
「だから、喧嘩するのだって珍しいことじゃない」
ぶつぶつと呟きながら、ベネルフィは歩き回っていた。