第1話 神話
時は少し遡る。乾いた埃が舞う荒野にて、二人の人間が歩いていた。緊急時用に荷物は最低限、2日もかけて厳選した道具類。とはいえ、片割れが水や炎を生み出せるので、旅にしてはその荷物の数は少ない。片割れの男の方――『烈脚』ウェデスが砦の方を振り返り、溜息をついた。
「どうしたんだい? ああいや、言わなくてもいい。天才である私には、君が何を思っているのかわかるからね。『あんな鬱屈とした砦に籠る生活ではなく、このような美女と旅ができるなんて俺は幸運だ』、そんなところだろう?」
「全然違うんすけどね」
荒れ地を踏みしめながら、二人は進んでいく。砦からまっすぐに南下し、その右側――方角で言うのであれば西側にある、聖王国のさらに奥が目的地になる。『信仰の森』、遥か昔より侵入が禁止されている聖域である。天の丘は、かつて女神カロシルが降り立った地として有名だが、その奥の信仰の森はマイナーもマイナーな場所だ。まるで誰かが消し去ったかのように、その場所の情報は少ない。歴史マニアしか知らないような場所。
『魔女』ベネルフィとて、魔法の研究をメインとする魔導国家にあった資料を見て知った程度の知識しかない。それ以来独自の情報網を使って研究はしていたが、その情報網はとっくの昔に滅んでいる。
「そういえば、『魔女』さんはどこ出身なんですか?」
「ベネルフィでいいよ。私? 私は魔導国家クラリレントの出身――まるで彗星のように現れた異才を放つ私。教授たちも私の魔法理論には、理解したフリをするか、理解できずに喚き散らすことしかできなかったものさ」
「生まれも育ちもクラリレントですか?」
「いや、生まれは違う。遠い遠い場所で生まれたんだ。そういう君はどうなんだい、ウェデス君?」
遠い目をしてどこかを見つめるベネルフィ。それをなんとはなしに眺めていたウェデスだが、質問が返ってきた事に気づいて慌てて口を開いた。
「あー、俺はいたって普通の村人でしたね。親父は鍛冶屋でしたけど武器とかは全然作ってなくて。でも、やっぱり俺も男の子だったんで武器とか憧れるじゃないっすか」
「知らないけど」
「憧れるんすよ、男の子は。で、冒険者になりたくて家を飛び出して。幸い、この『祝福』もあったんで、なんだかんだうまくやれてて。死にかけたことも多かったすけど」
「ふーん……私は滅多に死にかけないから、そういうエピソードには興味があるな」
「んじゃ、あとで話しますよ。んで、セルデの旦那と知り合って、勇者が魔王に負けて。セルデの旦那には前から『軍神』から要請があったんで、俺もついていって、現在に至る、って感じすかね」
話にすると長いが、人の半生を語るには短い時間で、ウェデスは身の上話を終わらせた。途中から『魔女』ベネルフィは完全に興味が失せていたが、仕事柄変な人間と話をする機会が多かったウェデスにとっては慣れたものだ。
強力な『祝福』持ちや、魔法を操る人種はみんな、どこかしら頭のネジが吹っ飛んでいる――というのが、ウェデスの考えである。
「そうか。本当に面白味のない人生だね。私の知る限り、現在進行形で面白人生を歩み続けている『無音』とはえらい違いだ」
「ああ、『無音』のフリートさんですか? いや、あの人があんなに強いとは思ってなかったですね」
「『惨殺鬼』としての彼は、まあそこそこ強いよ。私との相性は最悪だ」
「えーと、どっちがどっちに?」
「私が彼に、だ。本気で襲われたら、私の必殺技を持ってしても止められないだろう」
「ひ、ひっさつわざ……」
久しぶりにその単語を聞いた、とわずかに体を後ろに下げるウェデス。だが次の瞬間、彼は厳しい目つきをして周囲を見渡した。
「――ベネルフィさん!」
「気付いているとも。そして、すでに対処済みだ」
ベネルフィの手から、ポロポロと魔法用の触媒が落ちる。それが地面に落ちた瞬間、猛然と襲い掛かる巨大な蛇。地下に潜み、そばを通ろうとする獲物を丸のみにする魔獣――【地に潜む大蛇】だ。その口が、上から二人を丸のみにしようと迫った瞬間。
「起爆」
連続する5つの爆発が炸裂した。1度目の爆発で狙いを逸らされ、続く爆発で脳へと衝撃を叩き込まれた【地に潜む大蛇】はうめき声をあげることもなく、地面に倒れて動かなくなった。
「すげー……」
「ほら、感心してないで早く素材をはぎ取りたまえ。【地に潜む大蛇】は牙と、一部の鱗が魔法の触媒になる。あとは保存状態が良ければ、目は良質な触媒になるが――」
ベネルフィが見た【地に潜む大蛇】の両目は、爆発によってシェイクされ、原型をとどめていなかった。すぐに目を逸らし、ウェデスを急かす。
「ダメそうだね。ほら、音と匂いで魔獣がやってくる前に早く」
「へいへい」
手慣れた様子で、ウェデスはナイフで次々と触媒に必要な箇所をはぎ取っていく。何か所かうまくはぎ取れない場所があったが、特に希少価値のある部位ではなかったのでスルー。時間優先ではぎ取った触媒をまとめてザックに放り込む。
「肉はどうします?」
「今夜分あればいいだろう」
「へーい」
蛇肉をはぎ取り、丁寧に布で包む。本当はその場で血抜きをしたほうが美味いのだが、時間がない。ウェデスは少し残念に思いつつも、蛇肉をザックに放り込んだ。念のため3人分ほどの肉を包んだが――
ちらり、とベネルフィの腹部に視線を向ける。筋肉は薄く、成熟した体はどこも柔らかそうである。とても大食漢には見えない。3人分で大丈夫、もしくは余るくらいだろうと判断をくだす。
「む、邪念が混じった視線。欲情したか?」
「してないすけどね。俺、もうちょい素朴な感じの娘が好みなんで」
「村娘とかか?」
「まーそうっすね」
くだらない雑談をかわしながら、二人は立ち上がって歩き出す。【地に潜む大蛇】の死体はそのまま捨て置かれ、やがては死肉を漁る魔獣の餌食になるだろう。
「はー……」
「……わざとこっちに向かって吐きかけないでくださいよ」
うんざりとした表情で紫煙を振り払うウェデス。ベネルフィは咥えた煙草から紫の煙を立ち昇らせながら口を開く。
「煙草は嫌いか?」
「仕事で吸うことはありましたけどね……ほら、『魔獣除けの煙草』。一時期流行ったじゃないすか」
「ああ、あのなんの検証も研究もされてない迷信の煙草か。あんなの信じてたのか?」
「いや、まったく信じてなかったすけどね。護衛依頼とかあると、あれを吸うのも仕事のうちだみたいな輩もいるんすよ」
「力のない奴は大変だな」
「仰る通りっすね」
少し遠くを見つめながら、ベネルフィは呟く。
「結局、煙草仲間はあの胡散臭い男と、フリートだけか」
「え? フリートさん、煙草やるんすか?」
イメージと違っていたウェデスは驚く。彼は酒は飲むが、煙草を吸っているところは一度も見たことがない。とは言っても、彼との付き合いもそんなに長いわけでもないが、煙草というのはイメージと合わなかった。
「昔はやってたんだよ。今はもうやってないけどね、私と初めて会った時の奴は濁った眼で煙草を咥えてたんだ。まあ、ぶっちゃけ危ない奴だった。薬をやってると言われても、そのときの私なら納得したね」
ベネルフィは懐かしい記憶を思い出しながら、言葉を紡ぐ。いくら目的ある二人旅といえど、無聊を慰める手段は少ない。せめて娯楽として、とりとめもない話をする。冒険者であるウェデスも、旅人のその気持ちはよくわかるので相槌を打つ。たった一人で旅ができるのは、よっぽど自分の行動に迷いがない奴だけだ。
「……」
「……」
やがて、とりとめもない話の話題も尽き、二人の間を沈黙が支配する。その沈黙に耐えきれなくなったように、ウェデスが真剣な口調で口を開いた。
「……ベネルフィさん。この旅で、何がわかるんですか?」
その真剣な表情を見たベネルフィは首を傾げる。
「わからない。何がわかるかわからないから、こうして旅をしている」
歩きながら、彼女は酷く楽しそうに言葉をつづけた。
「世界の真実かもしれない。古代人の日記かもしれない。魔王の正体かもしれない。神の成り立ちかもしれない。魔法の真髄かもしれない。もしくは、何もわからないかもしれない」
1つ1つ指を折り曲げながら歩く彼女が、ウェデスには――とても、異質な存在に見えた。
「私はこの世界を知り尽くしたいんだ。そこに私の望む答えがなかったとしても、私がこの世界にいる理由はわかるかもしれない。というか、わからないまま死にたくないんだよ」
にんまりと笑うベネルフィに、ウェデスは知らない間に一歩気圧された。この女性は――
「生きる理由。人間だったら一度は悩む問題だ。誰も、自分の存在理由という命題からは逃げられない。だけど、その問いは難しすぎるのさ。だからみんな、目を逸らす。答えを見つけたフリをする」
一歩下がったウェデスに迫るように、下からベネルフィの目がウェデスの目を覗き込む。そのどこまでも深い紫の瞳に吸い込まれそうになる。まるで、彼女の瞳はウェデスを通して別の世界を見ているような――焦点の合っていない瞳をしていた。
「まあ君には難しすぎるかもしれないね。森が近くなって来たら、私の予想を話してあげよう。この世界の成り立ちと、神々に関する考察をね」
「神々……カロシル様と、ベレシス様ですか」
「うん、そうそう。まあ私はそもそも女神が2人というところから疑問なわけだけど――さて、ここでウェデス君に質問だ」
先ほどまでの様子はなりを潜め、代わりに童女のように無邪気な表情をのぞかせるベネルフィ。少し鼓動が高鳴るのを感じながら、ウェデスは平静を装って聞き返す。
「なんですか?」
「なぜ、神々は人を救わない?」
それもまた――多くの人間が考えて。恐ろしくて、思考をやめた問いだった。
「1、それどころじゃない。2、そもそも興味がない。3――」
神々は。
存在しない――。
そう言って、真剣な表情でウェデスのことを見るベネルフィ。ウェデスは、今にも天から怒った女神からの一撃が来ないかと上を見上げるが、薄暗い夕暮れだけが彼の視界に入る。そこに女神カロシルも、女神ベレシスも存在しない。
「あっはっはっは!」
「……何がおかしいんすか、ベネルフィさん」
突然笑い始めたベネルフィに、少し機嫌を悪くしながらウェデスは問いかける。その間も、ベネルフィは腹を抱えて笑っていた。
「はー、笑った笑った……こんなに面白いことはないよ、ウェデス。女神が存在しないわけないだろう? 君の両足に宿ったそれはどう説明するんだい?」
「……『祝福』」
そうだ。この両足が黄金色の光を纏う限り、女神カロシルが存在しないわけがないのだ。
「『祝福』。人間だけが持つ、特殊な能力。そればかりは本当に意味不明なんだよ。私も、何人も研究したが、原理が全くわからない。人の意思に呼応することとか、同じ『祝福』は存在しないこととか、そういうことはわかるんだが、原理は不明なんだ。物を大きくしたり、脚力や腕力を強化したり、未来予知に等しい予測を行ったり、経験値を振り分けたり、声を伝えたり、土砂を操作したり、魔法に意思を与えたり――それこそ、神の御業としか言いようがないのさ」
面白そうに、それでいて不満げに、ベネルフィは紫煙を吐き出した。太陽は既に地平線に差し掛かり、漆黒の闇が大地を包み込もうとしている。周囲に彼らを隠すものはないが、魔獣は夜の間は活動しない。2人は声を掛け合うこともなくその場で止まり、野営の準備を始めた。
「全く。わからないわからない。わからないことがあるのが納得がいかないのさ、私は。この世界のことは全て知ってないと、天才失格だろう?」
「その理論は全くわからないすけどね。どうやら、面倒な人に捕まったらしいということは、わかりました」
「おや、その言動は知っているぞ。待て、天才である私が当てて見せよう。あれだろう、いわゆる『ツンデレ』というやつだろう」
「全然違うんすけどね」
ウェデスの反論は全く聞き入れられることなく、2人は野営の準備を進めていく。やがて大地を覆い隠すように、闇の夜が訪れた。