第22話 絶対的な決別
一撃でもって、砕いて進む。
「ちっ……まださっきのデカブツの方が楽だったな」
「そう、ですね!」
フリートとリクルの視界に移るのは、無限にも思える数の怨嗟人形。そのサイズは先ほどよりも小さくなったとはいえ、その脅威度は数が増えた分増している。
「どんだけ魔力持ってるんだ……!」
砕いても砕いても、再生する。魔法を使うのには、自分の魔力を必要とする――それは、魔人であろうと人間であろうとかわりはない。等しく、魔力を使わなければ魔法は発動しない。だが寿命が短い人類に比べて長寿が多い魔人、さらに物理的な寿命が存在しない幻霊ともなれば、その魔力量は桁違いだ。
実際問題として、“貴婦人”クァリルの魔力量は半分も減っていない。魔法生命を創り出す魔法が、決して消費が少ないわけではない。むしろ、魔法の中では消費が多い部類に入る。そんな魔法を連発し、さらには炎と氷の槍を生み出す“貴婦人”の魔力量が異常なのだ。
「来るぞ、リクル!」
「っ、はい……!」
空中から放たれた火球と氷の槍をかわす。いくつかは怨嗟人形に直撃するが、それごと創り直した“貴婦人”は再び魔法を編み始める。
愚直に、距離を保って魔法を生み続ける。フリートたちの勝利条件は一つ、“貴婦人”にリクルの一撃を当てること。一撃さえ当てれば、『絶対的な決別』の力で葬ることができる。だが――その一撃が、遠い。
空中に浮遊する“貴婦人”は、どうやら素早く動くことはできないようだが、そもそも近づくのが難しい。跳躍しようにも、周囲に高さのある建物は少ない。まっすぐ跳んで行っても、避けられることは目に見えている。
「……ところで、フリートさん!」
爆音に負けずと声を張り上げるリクルに、フリートも声を大きくして返す。
「なんだ!」
「この恰好、ちょっと恥ずかしいというか!」
「我慢しろ!」
ゾンビのように腕を伸ばしてくる怨嗟人形に、リクルの握り込んだ石が当たる。瞬間、まるで支えを失ったように崩れ落ちる怨嗟人形。フリートは的確に、襲い来る怨嗟人形を避け続けているが、避けきれないと判断した場合はリクルが『祝福』で壊して対応していた。
そしてリクルの両手が自由になるために、3人が選択した姿勢はフリートがリクルを抱え上げて走るという姿勢だった。リクルとしては、戦闘中でなければもう少しこの姿勢を味わいたいところである。
『いちゃついてないで、次、来るわよ。右から2体、背後から1体』
背後から迫る怨嗟人形に反転して迫れば、リクルが右手を振るい怨嗟人形を崩す。右から迫っていた2体の怨嗟人形は距離を取ることで対処とする。ほぼ無尽蔵に湧き続ける相手と戦い続けるのは下策だった。先んじて叩くことで開ける道もあるが――基本的に、回避に徹することにかわりはない。
『で、どうするの?』
「さぁてどうしたもんかね……!」
届かない。対処の手段を得たものの、その一手を届かせる方法がない。しかもこの反撃の一手は、1回だけだ。圧倒的に地力に差がある以上、2度目の攻撃は警戒されて終わりだろう。さらに距離を取られてしまえば、戦う手段はない。
『……ほんの少しでいいなら、“貴婦人”の動き止めてあげるわよ』
「本当か、ネメリア!?」
『一瞬だし、1回だけよ。私が望んだ景色を見せてもらったし、そのお礼と考えてちょうだい』
望んだ景色――? フリートの頭を一瞬疑念がよぎるが、すぐにその思考は吹き飛ばされる。
「ぐっ……!」
「フリートさん!?」
爆裂する火球が着弾し、弾けた怨嗟人形の破片が脇腹に突き刺さったのだ。全身を貫く激痛が、ひとつ増えた。体はもはや満身創痍だったが――今のでとどめを刺された。それでも、とフリートはリクルを片手で抱え直すと破片を引き抜く。じわじわと染みだしてくる出血により、致命傷に近いことを認識した。処置をしなければ、そう遠くないうちに失血死するだろう。
「勝負に出るしかないか。リクル、イチかバチかの旅路だけど、付き合ってくれるか?」
「……はい!」
それは、聞く必要のない問いかけだった。ここまで来たらやるしかない。それは意思の確認ではなく、自らを奮い立たせるための言葉だった。
「汚れちゃったんで、終わったら新しい服買ってくださいね」
「――ああ、いくらでも」
緊張して震える声で、精いっぱいの強がりを言ってのけたリクルにほほ笑む。この少女は、フリートよりもよっぽど強い精神を持っている。だからこそ、終焉の力は彼女を選んだのかもしれない。
「行くぞ!」
まずは、と拾いあげていた石の欠片をフリートが投げ放つ。その攻撃になんの意味もないが、“貴婦人”は大げさなほどにその石を回避した。
――万が一にでも、ここで負けるわけにはいかないもんな!
リクルの力を警戒しているのは間違いない。それが決定的になる。だからこそ、『こちらに反撃の手段がある』ということを確信させてはいけない――
「……掴めなかった未来を、望むのはやめよう」
『――』
静かな言葉とともに、黄金色の光が解除される。フリートは持ち前の暗殺技術で姿を消し、気配を薄めて体を隠す。“貴婦人”から隠れることには成功したが――怨嗟人形は別である。生命力を探知して追いかけ続ける奴らは、リクルの生命を感知して追い縋る。“貴婦人”からは細かい位置までは目視できないが、おおよその場所はわかる。家が壁になっていて見ることはできないが――それならば、家ごと吹き飛ばすまで、と“貴婦人”が魔法を編む。そして、家の影に進んでいく怨嗟人形を確認して、魔法を――
「今一度、夢見た未来をここに!」
声を聴いた“貴婦人”が反応して振り返ると、そこに黄金色の光があった。
ちょうど、“貴婦人”の背後――いつの間にそこまで移動したのか、フリートが黄金色の光を放って立っていた。ちょうど、リクルが隠れている家の影とは反対側である。
「これで終わりだああああああッ!!」
黄金色の光を纏って、フリートが跳ぶ。何度も家の壁を蹴り上がり、まるで軽業師のように跳躍を繰り返して“貴婦人”に迫る。
ほんの刹那、“貴婦人”は迷う。今、魔法は待機状態にあり、これを撃ち放てば空中で身動きが取れない『惨殺鬼』は消し飛ぶだろう。だが――見えないように隠された左腕。そこに、何があるのか。反撃の切り札か。
最終的に、“貴婦人”は回避を選択した。その判断には、様々な要因が絡まりあっていた。魔法を発動しても相打ちになる可能性がある、状況は有利だから賭けに出る必要がない、そしてフリートが叫んだ言葉。なんらかの反撃の手段を持って攻撃しに来た、と判断したのだ。
フリートは、賭けに勝った。
さらに上空に逃れる“貴婦人”だが――そこは、届かない距離ではない。最初から、フリートはこの一撃で決めるつもりなどない。着地点を計算して、跳んだのだ。着地先である家の屋根には、服を汚してボロボロにしたリクルが、それでも笑顔で立っていた。
着地と同時に響いた激痛も、骨の軋みもすべて無視して、フリートは再びリクルを抱え上げる。
「2人別れて……!?」
気配を隠したフリートと、生命力を放つリクルが別行動をすれば、怨嗟人形はリクルを狙う。たとえ少しの間でも機動力を失うのは賭けだったが……怨嗟人形の動きがあまり素早くないこともあって、リクルは無事に家の屋根に登れたのだ。そして左右にそびえたつ家の壁を交互に蹴り上げて、再びフリートが宙を舞う。
(これでっ、10割……!)
軽いとはいえ、人一人分の重量が加わったのだ。跳躍によるスピードも、先ほどよりは明らかに遅い。間に合うわけがない、と“貴婦人”は今度こそ魔法を構える。どうあがいても届かない、この距離から魔法を叩き込んで終わり――
「ネメリア!」
『はいはい――』
フリートが、ここしかない、と叫ぶ。
『――ほんの少しだけ、鏡の世界へ貴女を招待しましょう』
黒と白の蝶の姿がほどけて消える。フリートからは何が起きたかわからなかったが――確かに、“貴婦人”の動きが止まった。
「行くぞ、リクル!」
「今ここに――」
血が滴るほどに、岩のかけらを握りしめたリクルの左手を掴んでフリートが大きく右腕を振りかぶる。
(もう一度、10割変換!)
悲鳴をあげる体を、強引に制御して――フリートは、リクルを放り投げた。人一人を空中でさらに上に投げるなど、体が持つはずがない。投擲の名人でもなければ不可能なほどの軌道を描いて、リクルが“貴婦人”に向けて放たれた。
「――絶対的な、決別を!」
長いようで短かった、一瞬の硬直から立ち直った“貴婦人”の目に映ったのは、黄金色の光と漆黒の靄を纏う一人の少女の姿だった。
「――」
その一撃を受ける寸前。彼女が呟いた言葉は誰に届くこともなく消え――黄金と漆黒の一撃が、“貴婦人”の体を貫いた。
かつて夢見た景色を、彼女は見ていた。
平和に仲間たちが暮らす、理想郷のような世界。辛く厳しい努力が実り、彼らはこの世界に居場所を手に入れた。
それは、大いにあり得た未来。奇跡のような、あるいは致命的な欠陥のように訪れた者たちがいなければ――彼らは、幸せを手に入れられていたはずだった。
『……趣味が悪い、って怒られちゃうわね』
「……ネメリア」
消えゆく自分の体を見ながら、“貴婦人”は溜息をついた。わざわざこのタイミングで、切断していた魔力パスを繋ぎ直し、一瞬とはいえパスを逆流させて映像を流し込んできたのだ、この生意気な蝶は。
「【悪意の蝶】――いえ、今は【鏡感の蝶】でしたか」
『ええ、お洒落な名前でしょ?』
主人に反逆しておいてしれっと開き直る生意気な蝶には、溜息しか出てこない。
「確かに、最悪の趣味です。まさか、最後の最後に自分が一番望んでいた景色を見せられるとは」
『それができるようにしたのは、貴女よ』
「それはそうですけどね」
『ていうか、嫌にあっさりしてるじゃない“加工”さん。何、満足しちゃったの?』
溜息をつく。
「まさか。今も人類など滅びろと思いますし、私の企てが失敗したのは悔しく、納得がいきません。私が司っていたものは、まあ“迷宮”あたりが継ぐと思うのでどうでもいいですが」
死の間際に許されたわずかな時間。魔力パスを繋いで、体感時間を引き延ばせる【鏡感の蝶】だからこそ、この空白の時間を作ることができた。自身の敗北に、色々と思うところはある。それこそ恨みも憎しみも憤怒も哀切もある。
「しかし、私はもとより幻霊の身。狂おしいほどの情念など、もはや親友に等しいほどの付き合いです。死が確定しても、私に心変わりなどあり得ません」
憎悪に燃える瞳は、少しも力を失っていなかった。その威圧感にネメリアは僅かに怯む。
『そう。でも、これでおしまいね』
「ええ。私はこれで終わりです。ああ、くそっ!」
似つかわしくない声で、罵声を吐き出す“貴婦人”――否、“加工”のクァリル。
「こんなことなら、もっと早くやればよかった! そもそも場所の選定もやり直したい! “道化”がきちんとタイミングを合わせていれば……!」
一瞬だけ、素の感情を覗かせたクァリルは、すぐにヴェールをかぶり直す。薄いのに、先を見通せない黒のヴェールを。魔人“貴婦人”としての仮面を、かぶり直す。
「とまあ、恨み言は多くありますが。では、さようならネメリア。貴女のこれからの人生と、人類の行く末に呪いあれ」
『ええ。さようなら、“貴婦人”クァリル』
そしてギベルの町に2つの音が響く。1つは、意識を失ったフリートが力尽きて地面に叩き付けられる鈍い音。そしてもう1つは、フリートの落下音よりは軽い、それでも聞いた人間が顔をしかめるような、リクルの体が地面に打ち付けられる音だ。
2つの音が響いた後、ギベルの町は静寂に包まれた。
『じゃあね、私』
ネメリアの呟きを聞く者はおらず、黒白の蝶もまた、静かに姿を消した。