第21話 反撃の兆し
その光は、フリートからもよく見えた。
「――っ」
天にまで昇るような――否、天から降り注ぐがごとき黄金色の閃光。まるで脅威がここにあると喧伝するかのような光の柱は、強烈にフリートとネメリア、そして“貴婦人”の目を焼く。
『GOAAAAAAAAAAA……!』
フリートたちの目の前にまで迫っていた超重量の人形が向きを変えた。目標を変更し、爛々と光る赤い瞳を遥かな黄金色の光に向ける。
「――あの場所は……」
『チャンスよ、フリート。今なら身を隠せる……!』
ネメリアの少し焦った声を聞きながら、フリートの体がゆっくりと傾いて――勢いよく怨嗟人形を追い抜いて走り出した。
「ちっ! まさか、まだ夢を抜け出す人間がいるなんて――!」
『ちょっとフリート! どうするつもり!? 誰が目覚めたのか知らないけど、怨嗟人形の悪霊たちは、より強い生命力を持つ、あの光に目標を変えたわ! 今なら逃げられる!』
フリートがボロボロでなければ、目標が変更されることはなかった。良くも悪くも生命力が減ってきているフリートよりも、目覚めたばかりの人間を対象にしたのだ。より強い意思と、生命の気配を感じて、その者への憎悪をたぎらせながら。
「あの場所は、俺の家だ」
『……っ!』
走る。家を破壊しながら突き進む怨嗟人形の横を、駆け抜ける。黄金色の光を散らしながら、天まで届きかねない黄金色の光に向けてフリートは走る。飛び散る岩塊と、折れた柱をかわして、ひたすらに速度をあげて走り続ける。
「はっ……! はぁっ……!」
そして、たどり着く。
「リ……リクル……?」
怨嗟人形よりも先に着いたフリートが見たのは、ほとんど原型を残していない家と、跡地で佇む少女の姿だった。黒い靄を纏い、さらにその上から黄金色の光を放つ少女。その地面は黒く焦げ付き、何も残っていない。
「ふ、フリートさん……? 本物ですか?」
「……たぶん」
そんな異常な状態にあって、リクルが漏らした声がいつも通りであることにフリートはひどく安心した。『祝福』を使っているとはいえ、リクルの人格に影響があるわけではないらしい。
「え、えーと、何がどうなってるんですか? 私、『祝福』で夢から――」
『のんびり話してる時間はないみたいよ』
「ああ、そうだな!」
追いついた怨嗟人形が、それぞれリクルとフリートに迫る。凄まじいまでの黄金色の光は収まり、今はリクルの体がうっすらと発光しているだけだ。
フリートは黒い靄が消えているのを見て思わず目を見開くが、先ほどまでリクルの体の周囲を覆っていた怖気が走る黒い靄は確かに消えている。
「え? これ何――きゃあっ!?」
「失礼!」
怨嗟人形が拳を振り上げたのを確認して、悲鳴をあげるリクル。そんなリクルを抱え上げて、フリートは走る。遠くから飛来した炎の球と氷の槍は狙いが甘く、避けずとも着弾地点は外れていた。どうやら“貴婦人”は飛べるが、ほかの幻霊と同じように、高速で飛行することはできないようだ。
(くっ……!)
『祝福』を使っているとはいえ、少女一人を抱えてこのような立体的な場所を跳び回るのは難しい。
「っ、はあ……!」
呼吸を整える。続いて跳んできた怨嗟人形の拳を避けて、地面を駆ける。逃げ回るだけとはいえ、それこそがフリートの選んだ道だ。どんなに絶望的な状況になろうと、それに抗い続ける。
「フリートさん……! その怪我……!」
「ああ、なに、大した怪我じゃない」
地に濡れたリクルが、気付いて声をあげる。岩の破片がこめかみに直撃しただけだ。流血自体は多いが、頭の怪我だから流血が多いのは当然と自分に言い聞かせる。まだ走れるし、『祝福』の発動自体に何も問題はない。積み重ねていたものが削られて、段々と弱体化はしているが――まだ翻弄することはできる。
「でも、最期にリクルと話ができるみたいでよかったよ」
「……フリートさん?」
「ちょこまかと……!」
氷の槍を避ける。炎の爆発からリクルを庇う。ようやく追いついた“貴婦人”の怒声を聞き流す。ひらひらと舞うネメリアは先ほどから無言だ――何を考えているのだろう。
「ごめんな、リクル。お母さんを起こしてやれなくて。それで、どうやら人類は――今日が最後の日らしい。あいつを――魔人“貴婦人”クァリルを倒す手段がないんだ」
「……」
攻撃をかわしながら、フリートはリクルに現状を説明していく。さほど余裕があるわけではないため、要点をかいつまんで話す。
現状、起きている人間は二人だけであること。
『聖女』の結界がなくなったために悪霊に侵入されていること。
魔人の“貴婦人”クァリルが幻霊であるため対抗手段がないこと。
そして、この逃走劇も、そう長くは持たないこと。
説明すれば、そんなに時間がかかるものでも、難しいものでもなかった。ただ、来るべき滅びが来たというだけの話。大暴走というわかりやすい脅威に目を向けていた人類を、内側から滅ぼしに来た魔人がいたというだけの話だ。
「フリートさん。話は、終わりですか?」
「……ああ。せめて、終わるまでは引き延ばそうと思うが……リクルが望むなら、せめて苦しまないように――」
リクルの右手が、勢いよくフリートの頬を叩いた。
「……え?」
一瞬空いた意識の空白を狙うように飛んできた火球をかわすが、着弾後の爆風まではよけきれなかった。フリートとリクルは吹き飛ばされて、地面を転がる。
「り、リクル……?」
「諦めないでください!」
少しだけ離れて転がったフリートとリクル、どちらを狙うか迷うように怨嗟人形の視線が揺れる。その奇妙な空白時間を利用するように、重ねてリクルが叫ぶ。
「ええ、ええ、いいんです! フリートさんが辛いのは知っています! でも、全然私には話してくれないし! 聞いても『大丈夫』って言うし!」
「り、リクル?」
駄々をこねるように、両手を振り回し、地団駄を踏みながらリクルは叫ぶ。
「言ってくれなきゃわからないんです! 言葉にしないと伝わらないんです!」
「えーー? リクル、いったい何を――うっ!」
ついに狙いを定めたらしい怨嗟人形が、リクルに迫る。華奢な少女がその岩塊の拳を受ければ、どうしたって死は免れない。フリートはとっさに助けにいこうと足に力を込めるが、瞬間脇腹に走った激痛に力が抜ける。満身創痍――なぜ走れるのかもわからないほど、フリートの体はボロボロだった。
「まだまだ、フリートさんとやりたいことがあります! 知りたいことがあるんです! だから――」
リクルが、足元に落ちていた尖った岩を拾って構える。そして何を思ったか、怨嗟人形に飛びかかる。少女一人の筋力で、岩の塊である怨嗟人形に有効なダメージを与えられるわけがない――そう考えるフリートの前で、リクルが岩を振りかざし――
「諦めないでください。たぶん、私がいわゆる――『逆転の切り札』ってやつですよ?」
岩を振り下ろす。
「全ての物語に、終末と――絶対的な決別を!」
リクルの体を、『祝福』が――包み込む。まるで少女を守るかのように、黄金色の光が少女の姿を覆い隠す。
「――今ここから、終わりを始めましょう」
その一撃が、反撃の合図だった。
傷ひとつつけられないはずの一撃が怨嗟人形に当たった瞬間、奇妙に軋む音がした。それは、岩塊に無数に走る亀裂の音であり、悪霊たちの断末魔でもあった。ただの岩の一撃で、怨嗟人形が砕けていく――悪霊たちが消えていく。
命あるものに決別を。
命なきものに終焉を。
世界の全てを殺し得る、最強にして――最悪の力。1人の人間が持つには、あまりにも強すぎる力。
「全てに終わりを与える。それが、私の『祝福』――お母さんは『絶対的な決別』と、そう呼んでいました」
崩れ落ちる怨嗟人形を背景に、ゆっくりとフリートに近づいたリクル。フリートにだけ聞こえる声量で、自分の『祝福』を伝えるリクルの頬が若干赤いことに気づいたフリートは、思わず笑った。
こんな状況だというのに――彼女は、どうやら『祝福』を異性に伝える、という行為に緊張しているようだ。そんな彼女がやった行為は、巨大な岩の塊である怨嗟人形を壊すという、恐ろしいもの。そのギャップに、笑ってしまう。笑われたリクルがむくれる。
血だらけで、悪霊のうめき声が響き、よくわからない蝶が浮かび、空には魔人がいる、この状況で。
彼女は、未来を見ているのだ。生き延びたあとのことを、何も疑いもせずに、信じている。
――ああ、完敗だ。叩かれるのも、仕方がない。
「わかった、リクル。君の一撃は、幻霊である“貴婦人”クァリルを殺し得る。そういうことだね?」
「はい。試したことはないですが、私の中にある『祝福』がそう言っています」
「持っている人間が言うなら、間違いはないだろう。じゃあ――」
体はボロボロだけど、ようやく一筋の光明が見えた程度ではあるけれど。
「華麗な反撃といこうか、リクル、ネメリア」
「はい!」
『……呆れた。まさか、そんな反則な『祝福』があるなんてね。いいわ、付き合ってあげる』
迫る怨嗟人形と、睨みつけてくる“貴婦人”を見返す。“貴婦人”は1体の怨嗟人形が崩されたことを重く見ていた。見ていたが――
(あの小娘の『祝福』であることは間違いないけれど……私も、退くわけにはいかない理由がある……!)
ここまで、どれだけの時間を準備に費やしてきたのか。そのことを考えれば、たった一人『祝福』持ちが起きた程度で退くわけにはいかなかった――まだ、状況は圧倒的にこちらに有利である。そう判断を下した“貴婦人”クァリルは、魔力を編んで魔法を起動していく。
かつて、古の時代には平和的に使われていた魔法を駆使して、目の前の2匹の人間を追い詰めていく。幻霊になってなお、研鑽をつづけた魔法の数々は、今は戦うためにある。
(昔の世界に――)
“貴婦人”の脳裏に、遥か過去の記憶がよぎる。笑いあい、力を貸しあい、時に襲われて仲間が死んでいった。それでも、楽しかったあの時代を。
「ここで、退くわけにはいかないんです……! 悪霊合成:怨嗟人形!」
向こうには、怨嗟人形を壊す手段がある。それならば、と数をそろえる。家ほどもあるサイズは不要。成人男性と同じサイズで材料を節約し、悪霊を詰め込み、怨嗟人形による軍団を生み出す。その数――23体。
「死になさい……!」
生者に向けて進みだす怨嗟人形たちを見て、新たに魔法を編む。もっとも得意とする炎の火球と氷の槍――とはいえ、これだって必死に練習したのだ。
生き延びるのに必要だったから。私たちが生きていくには、古の大地は厳しすぎたから。得意でもない炎と氷の魔法を得意になるほどに、修練を積まなければ生き延びれなかったから。
自分の決意を再確認して、戦意を奮い立たせる“貴婦人”の耳が、小賢しい2匹の人間の声を捉えた。
「――今ここで、間違えた始まりを終わらせよう」
1つは、この数時間で聞き慣れてしまった男の声で――
「今ここで、全ての終わりを始めましょう――」
――もう1つは、酷く落ち着いた少女の声だった。
そして光が天から降りてくる。片方の、光の柱とでも言うべき光からは、忌々しいあの女神の力が強く感じられた。
黄金の色に輝く2つの光はゆっくりと近づいて、やがて1つになった。