第20話 終末
「……やっぱり、出れない」
私は窓を揺らすが、開く気配はない。まるで、窓という形で固定されているかのように、微動だにしない。外には人通りがあり、町を人が歩いているが、その誰もが笑顔だ。まるで、この世界に不安なんてものはないように。全員が笑顔で、家の前を通り過ぎていく。
その列に混ざることは、私にはできない。家から出ることもできないし、全ての不安を忘れることもできない。
溜息とともに、ベッドから飛び降りる。椅子を叩き付けたりしたものの、窓は割れる気配はないし――あの扉を見たときの恐怖が、まだ心に残っている。とても、あの扉を見に行く勇気はなかった。
「おはよう、リクル」
「おはようございます、フリートさん」
フリートさんは優しい。相変わらずの優しさで……たとえ偽物とわかっていても。本物じゃないと知っていても、なかなかこのぬるま湯から脱出する決意がつかない。
「なにか、心配事があるの?」
「いえ……大丈夫です」
できれば、誰かが解決してくれるまでこの夢に浸っていたい。私がこの夢を脱出したところで、誰の役に立つわけでもないのだ。運動音痴だし、頭だってよくはない。
『祝福』。私の『祝福』は――凶悪だ。
最悪の力と、言ってもいい。私は、この力のせいで小さいころ、ずいぶんと苦しんだのだ。
成人する少し前に、制御することに成功した。それまではちょっとした感情の爆発で、何度も『祝福』が発動し、周囲のものを破壊していたのだ。
何重もの自己暗示によって、私の『祝福』は封印された。それが周囲のためだったし、私のためでもあった。
この危険すぎる『祝福』を、知られるわけにはいかなかった。今は、知っているのはお母さんだけ。命の恩人であるフリートさんにすら、教えることをためらうほどの『祝福』。
「……フリートさん」
「ん、なに?」
だからこそ、今伝えよう。
「私の『祝福』のことなんですが……」
「……それは、俺が聞いても大丈夫なのかな?」
こんなときでも、私のことを気遣ってくれる。本当にそれでいいのか、と覚悟を問いかけてくれる。その優しさに甘えたくなるが――私は、その誘惑を振り払うために、ゆっくりと首を縦に振った。
「私の『祝福』は――」
話した。詳しく、勢いよく。どういう力で、小さいころ、どれだけ苦労したかを。そして、どれだけ危険な力であるかを。今まで話せなかったうしろめたさからも、言葉は止まらなかった。
いや――うしろめたかったのではく、怖かったのだ。この危険な力を知って、この強力な力を知って、フリートさんが自分から離れるのが。自分ではなく、『祝福』だけを見るようになるのが。もうこれ以上、目の前で人が壊れるのも、目の前から人が消えていくのも見たくなかった。
「そうか。よく話してくれたね、リクル」
「……」
「大丈夫。俺はリクルを信頼しているし、決して君の『祝福』を利用したりしない。今まで通り、ここで暮らしていこう――」
私の両目から涙がこぼれる。わかってはいた。この優しいフリートさんならこう言ってくれるだろう、と。私が望んだとおりに、優しい言葉を言ってくれて、そして優しく抱きしめてくれるだろう、と。その温もりに包まれて、私は涙をこぼす。この温もりと優しさが味わえるのなら、この世界に浸ったままでいい――
――でも。そんなのは、フリートさんではない。
これは私の醜い、でも大切な欲望を映し出す鏡。私が望んだ言葉を言い、望んだ行動を繰り返す人形。
私の知っているフリートさんは、こんな簡単に――
「簡単に信頼してるなんて言わないし、悩まないと答えが出せない人なんだ……!」
何よりも私を優先してほしい。それこそ、世界の全てよりも、人類の未来よりも。それが私の望みであり、このフリートさんはその望みをかなえてくれるだろう。
けれど、それは。私が好きな、弱くて強いフリートさんではない。
私が本当に恋をしたのは、
「――迷いながら、傷つきながら、それでも戦う人なの!」
私は言葉を紡ぐ。初めて、自分の意思で戦うために。この空間を抜け出すために。
ほかの人は抜け出せないだろう。ほんの少しでも、心にその願いがあって、この空間を否定しきれない限り、外に抜け出すことはできないだろう。
私が今からやるのは、反則技もいいところだ。
「――全ての物語に、終焉をもたらす者!」
「リクル!? 君は、いったい何を――!」
フリートさんが止めようとした手を振り払い、腰に携えていた剣を抜き取る。それをフリートさんに向けると、ひどく傷ついた表情をした。そんな顔をされると、私も辛い――だけど。
「日は昇り、やがて落ちる――その果てにて、終わりを見守る者!」
厳重に封印した私の『祝福』の呪縛が解かれていく。私が本気で望んだ時、強い意思とキーワードでもって解除される封印。
私の体から、黄金色の光が迸る。
「流れる時に終わりはなく、巡り廻った末に、摩耗し枯れ果てる者……!」
黄金色の光に照らされた私の体が、豪風を纏う。私自身、本当に望んでこの力を使うのは初めてだ――だが、手を抜く理由はなかった。全ての封印が解き放たれ、私は久しぶりに――本当に久しぶりに、破壊の力を身に纏う。誰かを救うことも、誰かを癒すこともできない、ただ終わりを告げる『祝福』。
私が、この幸せな幻想を壊すのだ。
「……今ここから、終末を始めましょう――」
両手で握りしめた剣を突き出す。それはお世辞にも『突き』と言えるような速度ではなかった。ただゆっくりと前に向けて突き出しただけ。けれど、それは私にとっての『攻撃』だったし、その『攻撃』はこの『空間』に直撃した。この空間がなんらかの能力で作られているのなら、私の『攻撃』はどこに当たっても構わない。ただ、当たりさえすればいいのだ。
静かに、ひび割れの音が響いた。
続いて、大きく砕ける音が響く。
一度始まった崩壊の音色は徐々に速度と音量を増し――私の景色が崩れていく。
「ごめんなさい、こっちのフリートさん」
「――いや。それが君の選択なら俺は、その道を応援するよ」
最後まで、私が望んだとおりの言葉を呟きながら、フリートさんも崩壊に巻き込まれていく。いまや、この世界で両足で立っているのは私だけだ。見慣れた居間の風景が砕けて落ちていき、漆黒の空間に取り残される。
だがその空間も、やがて音を立てて崩れ落ちていく。差し込んできた光に手を伸ばして、私は――
輝かんばかりの黄金色の光に包まれて、目を覚ました。