第19話 抗う意思
黄金の光が走る。
着弾する火球をかわす。剣で斬り払い、石畳に焦げ跡をつける火球をさばき、かわし、受け流す。数か所火傷を負った、頭はふらつく、視界はぼやける――
それでも俺は、立っている。
「……なぜ、立ち上がるのです。見苦しいですよ、『惨殺鬼』。忌々しい『祝福』まで使って……」
聞いたことのある問いかけだった。それも、つい最近。
だから、俺はいつだって同じ答えを返すのだ。
「……かんねぇ」
「は?」
「わかんねぇ、って、言ってるんだ。立ち上がる理由なんて……!」
剣を構える。
たとえ、約束された滅びであったとしても。敵わない理由があるのだとしても。
諦める理由には、なりはしないのだと。
――抗わない理由には、ならないのだと。
「……破れかぶれですか」
「はっ、やけくそだよ。けどな、覚悟しろ“貴婦人”! 俺は、逃げ回ることに関しては、かなり面倒な男だぜ……!」
「戯言を……!」
再び現れる数十からなる火球。さらに氷で編まれた槍までもが空中に浮かぶ。しかし、それは――躱せないわけではないのだ。
(6割……変換……!)
黄金色の光が収まる。『祝福』が完全に俺のなかに収まり、十全にその力を生かし始める。たとえ時間制限付きであっても、全力で生き延びるにはこれしかない。
放たれた火球を避け、剣で斬り払い、家のそばにあった樽を投げつけ、駆ける。
「お前も、自分に向けて魔法は撃てないだろ……!」
「くっ……!」
普段の俺では出せない速度で走る。迫る俺を確認した“貴婦人”が、悔しそうに顔を歪めながら魔法を解除する。俺は胸中から沸き上がる感情のままに剣を突き入れるが、当然効果はない。向こうもそれをわかっているから、攻撃を避けたりはしない。ただ冷静に次の魔法を編み、俺に向けて放つ。
次々と着弾する火球と氷の槍が地面を抉っていく。石畳には焦げ跡がつき、氷の破片が散らばって足場は最悪。このまま長時間ここで戦うのは得策ではないと判断した俺は、“貴婦人”に背を向けて逃げ出す。
「逃げたところで!」
「はははは! お前は、俺1人殺せないんだよ!」
なりふり構わずに攻撃を避ける。このまま“貴婦人”の魔法を避け続けるだけならば、まだまだ持つ余裕があった。
――しかし。
「愚かな。お前の敵は、私だけではありません」
周囲を漂う悪霊が、こちらに漂ってくる。骸骨の兵士、蛇、赤子、7つの目を持つ猫、言葉にできないほどのおぞましい悪霊たち。
「では――贈り物をさせていただきましょう。幻霊たる私が、生ける者である貴方を招待します。無限に続く悪夢の中で苦しみなさい――」
精神攻撃は、悪霊や幻霊の得意技。一斉に群がってくる悪霊たち、さらに背後から放たれた“貴婦人”の黒い右腕に貫かれた俺は――一瞬で意識が混濁した。
「アアアアアアアア――!」
喉から俺のものとは思えないほどの悲鳴がこぼれる。
恐怖。混乱。悪夢。疑心。不安、動悸、侮蔑、拒絶、嫉妬、軽蔑、全ての悪感情がまじりあい、暴れ狂い、俺の体も暴れまわる。剣は吹き飛び、手足は無惨に地面にたたきつけられる。
――ここにいたくない!
――こんな思いをするくらいなら!
――死ぬ! 死んだ方がマシだ!
狂乱状態にある俺に、“貴婦人”の声は届かない。いいや、もはや外部からの声など信用できない。すべてを疑い、全てを否定する。
「全く、どうしてまともな精神状態を保てたのか不思議ですわね。本気で干渉したのはこれが初めてですが、あの家にいたときから恐怖の増幅はしていましたのに……あの禿げはわかるとしても、この男の精神は並。いったい、悪霊たちの怨嗟渦巻くこの町をどうやって――」
暴れ回る俺に、興味を無くしたのか。“貴婦人”が背を向ける。
もはや狂うしかない俺に、構う理由などないのだろう――
『説明が必要かしら?』
「なっ……!? ぐうっ!」
ひらひら、ゆらゆら、と。
俺の前に、黒白の蝶が舞い上がった。
【悪意の蝶】ではない。あんな、漆黒の悪意に染まった蝶ではない。
『この中は私の居場所よ。躾のなってない悪霊も、礼儀のかけらもない女も、出て行ってもらうわね』
俺の体から零れ落ちた漆黒の右腕が、ほどけるように空中に消えていく。
精神が落ち着いていく。息は荒いが――精神は落ち着いた。
「お前……! よくもおめおめと私の前に……!」
『あら、元ご主人様。お疲れさまでーす』
「私をおちょくるその態度……! 結局、直らなかったようね!」
“貴婦人”が睨みつける黒白の蝶は、ひらひらと揺らめきながら、声を発する。どうやって喋っているのかはわからないが――それは、たいしたことではないのだろう。
重要なのは、こいつが生きていて。どうやら俺を、助けてくれたらしいということだ。
『私、言ったわよね? 適当な相手に膝を屈するなら、意地でも立たせる、って』
「ああ……そういえば、言ったな」
魔人“貴婦人”と無数の悪霊を、適当な相手と言うのか、この蝶は。
『じゃあさっさと立ちなさい、私』
「ああ、そうするよ、俺」
まだ、立てる。だったら、戦わなければ。
揃って“貴婦人”の前に立つ俺とネメリア。それは、“貴婦人”の怒りのスイッチを踏んでしまったようだ。
「お前ら……よくも私の前に……!」
『というか、フリート。勘違いしないでほしいんだけど、私は貴方の味方じゃないからね』
「そうなのか?」
『ええ。ちょっと前の職場のクソ上司がやたら偉そうに振る舞ってるから、意趣返しがしたかっただけで』
「無視するなァァァァ!!」
再び、黄金色の光を走らせ、俺は駆ける。無数に放たれた火球と氷の槍をかわし、“貴婦人”から全力で距離を取る。あれだけの魔法の弾幕の前に、正面から突っ込むのはバカのやることだ――石畳がめくれ、土の破片が飛び交う。
『あと、私ほとんど力残ってないから。【悪意の蝶】の力はもう全部なくなったし、これは人格の残りカス。貴方と出会うまえ、実験体だった私にほんの少しだけ許された『ネメリア』としての意識が残ってるだけ』
「そうなのか!」
『ええ。だから私が加わったところで状況が好転するわけじゃないわ。というかそもそも力を貸す気はないし。だって、勝てる勝てないにかかわらず――』
戦うんでしょ? と聞いてきたネメリアの声は、爆音に遮られた。先ほどまでの炎の塊ではなく、着弾と同時に破裂するようになったらしい。魔法のことは全くわからないが、それだけで脅威度はかなりあがる。
「そうだな……戦いとは呼べないかもしれない、が!」
吹き飛んだ石の破片を掴み、迫る炎の球に投げつけ破裂させる。爆風を利用して地面を転がり、狙いをつけていた氷の槍をかわし、右手で地面を叩き付けた反動で起き上がる。剣を拾う余裕はなかった。どうせあっても、奴には効かない。
「せめて、抗うくらいはしてみせよう」
『そ。せいぜい頑張ってね。悪霊とかの相手はしてあげるわ』
【鏡感の蝶】として生まれ変わったネメリアの性格は、控えめに言って捻くれている。きっと、これまでも俺の行動を見ては気を揉んでいたに違いない。
『そうそう、女の子の扱いとかね。あれはひどかったわよ、フリート』
「うるさい。お前だって別に経験豊富なわけじゃないだろうが」
軽口をたたきながらも、俺たちは確実に追い詰められている。必死に魔法をかわしてはいるが、このままではいずれ追い付かれる。荒れ狂った街中を走り抜け、炎の着弾をかわし、家の壁を盾にして凌ぐ。次々と襲い来る魔法に、足元が削られていく。
『あーこれはまずいわね』
「これ以上何かあるのか……」
魔法が止まった。代わりに聞こえてくるのは、呪詛のようなうめき声。この世の生者すべてを呪い殺しそうな、憎悪の声だ。周囲の悪霊が“貴婦人”に向けて集まっていく
「――悪霊合成:怨嗟人形。行きなさい、そして我が敵を滅ぼしなさい」
『GoAAAAAAAAAAAA……!!』
「……マジか」
砕け散った瓦礫や石隗が集まり、巨大な人間の姿を形作る。そのサイズは周囲の2階建ての家を超えている。やけにずんぐりむっくりとした人型だが、その総重量など想像したくもない。
『GAAAAAAA!!』
「おい、どうなってんだこれ……ぐっ!」
意味のない言葉を叫びながら振り下ろされた拳を避ける。物を掴むことを想定していない、ただ巨大な岩が丸く固まっただけの拳は、石畳の地面を砕きながら俺を追う。その本命の一撃はかわしたものの、砕かれて飛び散る破片が俺の体を叩く。
『あー……これは、魔法生命ね……元から、生命を模した物質を作るのが得意な女でしたが、悪霊を宿らせて強化してるわね。これだから体を持ってない魔法使いは厄介なのよ』
ヒラヒラと岩の破片を回避しながら、ネメリアが補足する。
『でも、この手の操作系の魔法は、術者は操作に手いっぱいになるからさっきの魔法の弾幕よりは――』
火球と氷の槍が飛来する。俺は整っていない体勢でなんとかその嵐をかわしたが、爆風で髪の毛が焦げた。
「おい!?」
『えっと……』
空に浮かぶ“貴婦人”の背後に無数の魔法が形成されていく。怨嗟人形、と呼ばれていた石で造られていた人形も、爛々と輝く赤い瞳で俺に狙いを定めて地面を揺らして近づいてきた。それはどう見ても、『操作で手いっぱい』という光景ではなかった。
『ああ、わかったわ。中に入ってる悪霊に操作を任せてるのね。普段であれば周囲に人がいっぱいいて、個人狙いなんてできないけど――町の住人がフリート以外寝ているこの状況なら、生者の気配に引きずられて、自動でフリートを狙う、と。意外と戦い慣れてるじゃない、あの女』
「感心してる場合か!」
再び放たれた火球と氷の槍をかわすが、生傷が増えていく。相手の手数が増しているのもあるが――それ以上に、『祝福』を使いすぎたのだ。感覚も、勘も、鈍り始めている。
「――悪霊合成:怨嗟人形!」
「おいおい……マジか……」
もう、笑うしかない。ここまで抗ってみた。逃げ回ってみた。勝ち目なんかなくても、潔く死を受け入れるなんてごめんだと、無様でも、情けなくても、逃げ回って生き延びた。
だが、今度という今度はだめらしい。前後を、巨大な岩塊に挟まれる。両方が、真紅の瞳で俺に狙いを定めている。さらに頭上には、魔法を展開している“貴婦人”クァリル。
逃げ場はない――そんな状況に追い込まれてなお、俺は笑った。
「……なぜ、笑えるのです」
「負けだ。完敗だ。だけどな、“貴婦人”とやら。俺は、諦めるつもりは全くない」
『……そうね。どうやら、貴方の戦いはここで終わりみたいだけど、まあ頑張ったほうじゃない?』
「なぜ、お前は! 終わりを受け入れていないのに笑えるのです……!」
右手はもう動かない。視界は揺れているし、空気が足りなかったのかガンガンと鳴り響く警鐘のような頭痛もする。右足の親指は岩の破片を受けて折れている。脇腹も石の破片であざだらけだ。
打開策もない。挽回の手段もない。次善策もない。引き延ばすことすら、不可能だ。
これだけ暴れまわって轟音を立てても、町の住民は起きる気配がない。本当に、自我を失った【悪意の蝶】とやらは優秀らしい。
「来いよ、“貴婦人”クァリル。『惨殺鬼』として、『無音』のフリートとして、俺はお前に抗い続けるぜ――今ここで、間違えた始まりを終わらせよう――!」
一層強い黄金色の光が、俺を包む。この『祝福』を授かってから、俺が思い続けていること。
それこそが、俺の『祝福』を起動するキーワードだ。
始まりが、間違っていた。前提が、間違っていた。進むべき道を、間違えた。
だから、やり直そう。今まで積み上げてきたもの全てをなかったことにして、1から再び組み上げよう――
そんな、俺にぴったりな、後ろ向きの『祝福』。
「俺はこの『祝福』を――」
別に強くなれるわけではない。どうあがいたって、俺という人間がたどり着ける限界点は決まっている。
「『再誕』と、そう呼んでいる」
約束された終末に抗うために、俺は死への一歩を踏み出した。