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終末に抗ってみよう。  作者: 夜野 織人
第2章 ー絶対的な決別ー
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第18話 “貴婦人”

 ――『断罪』のトローが、自分を足止め役として切って捨て、フリートを砦に向かわせたのは英断だった。町中で蠢く悪霊たちは、生者の気配を感じて近寄ってきて、憑り殺す。トローでは為すすべなく捕まってしまうだろうが、フリートであれば、気配を殺すことで悪霊たちの嗅覚を誤魔化すことができる。


 とはいえ、それも長くは続かない。


(くそったれ、どんどん増えてきやがる……)


 視界にぼんやりと映る彼らは、徐々にその姿を増やしている。だが、フリートは知っている。見えている悪霊よりも、姿を隠すことを学んだ悪霊の方が数段厄介であることを。奴らは人間と敵対し、そのうえで悪辣な手段を選択する知能がある。生者の気配に本能的に襲い掛かってくる低級霊に比べれば、頭も回るし力も強い。


 今のところその気配はないが――見つかったら終わりである。


「……」


 息を吸い込む。複雑な立地を利用して音もなく屋根の上に昇る。視界が開けたが、それは逆に相手にとっても視界が開けているということ。とはいえ、物理的な壁をすり抜けて襲撃してくることを考えれば、いっそのこと見つかりやすいが見つけやすい位置を行ったほうがいいという判断だ。


 屋根を蹴る。『祝福ギフテッド』は光を放つから使えない――今のフリートでは、襲われたときの対処ができない。ひたすらに隠れて砦を目指すしかないのだ。


「っ!」


 足元から出現した蛇の姿をした悪霊から隠れる。気配を殺し、壁の向こう側に回り込んで息を潜める。蛇は数回周囲を見渡すとゆらゆらと去っていった。


(やはり……視界よりは気配察知に頼ってるな。それも当然か……)


 フリートのような特殊な訓練を積んでいない限り、気配を消せる人間などそう多くはない。フリートは蛇の悪霊が立ち去るのを見守り、覚悟を決めた。


(結界が消えた今――悪霊は増え続ける。このままじゃジリ貧だ。一気に攻めるしかない……!)


 フリートは大きく息を吸い込み、周囲を漂う悪霊たちが反応する。呼吸、すなわち生きている者の反応である。小さく細かく吸えば周囲の虫や植物の呼吸と誤魔化すこともできるが、大きく吸えば当然バレる。フリートもそのことは承知している。

 一度大きく息を吸ったフリートはそのまま気配を消し、素早く飛び出した。気配を感知した悪霊たちは突然消えた気配に戸惑う。視線をやっても、すでにそこには誰もいない。数秒周囲を見渡すが、やがて勘違いだったと判断し、再び浮遊する作業へと戻った。彼らはリリーティアの結界がなくなったから入ってきただけで、特にこの町を侵略する意図はない。なぜか眠っている人間には、同族が宿っている気配がするので、悪霊たちはただフヨフヨと漂うのみ。


 もちろん、【悪意の蝶(イーティリアス)】の呪縛をほどいて起きて動き出す人間がいれば、彼らは嬉々として憑り殺すだろう。


 状況は限りなく絶望的だ。


(戦闘音が消えた……! トロー……)


 勝ったのか? そんな希望がフリートの胸を掠めるが、可能性は限りなく低いだろう。どちらにせよ、『聖女』を起こさないことには――この悪霊たちがいる限り、人類に希望はない。もしトローがやられたのであれば、知性を持っている魔人、“貴婦人”が解き放たれたということである。そうそう見つからない自信はあるが、あちらがフリートの知らない探知法を使って来たらアウトだ。


(最悪だ……)


 まだ砦は遠い。半分ほどの距離を来たところだろうか。砦に近づくにつれて徐々に悪霊の数も増えている。


 心が折れそうになる。トローが戦っている、ということはフリートの心にほんのわずかでも希望を生んでいた。1人ではない、ということ。


 だがもう、独りである。“貴婦人”の言葉を信じるのであれば、今この町で起きている人類は1人だけ。


 絶対的な孤独、あまりにも多勢に無勢。


 考えれば考えるほど、足から力が抜けそうになる。


「そ、それでも……」


 『聖女』リリーティアさえ起こせば。幻霊である“貴婦人”に対抗することだってできよう、そうだ、そもそもあいつは『聖女』の結界が厄介だと言っていた。ならば、『結界』さえ作り直せれば、“貴婦人”は消滅――少なくともこの町から退去せざるを得ないはずだ。


(くそっ、やるしかない……!)


 一筋の希望。それにすがることでしか、奮起できない。それでも、フリートは足に力を籠める。今や、人類の命運はたった一人の男に託されたのだ。背負う気もなく、幸福を信じることもできない、ただの冒険者に。


 その一歩は重かった。歩き出したら、進まなければならない。踏み出せば、もう戻れない。


(くそっ……くそが!)


 誰に対するものでもない罵倒を思い浮かべ、フリートは屋根を蹴る。幻霊である“貴婦人”は確実に飛行が可能だ。このまま屋根の上を行けば発見される可能性が高いと判断したフリートは、地面に降りて家々を視界を遮る障害物として走る。


 まるで、昔のようだ――仕事を失敗したことはないが、見つかって追い回されたことはある。もちろんそのうえで逃げきったからこそここにいるわけだが、そのときのことを思い出す。


(相手が悪霊と魔人じゃあ、相手が悪いのにもほどがあるがな……!)


 逃げ切ることは不可能。人類が立ち上がるには、『聖女』を起こしてこの襲撃を跳ね返すしかない。“貴婦人”がいったいいつから準備していたのか、それは定かではないが昨日今日の話ではないだろう。何か月もかけて準備をした侵略を跳ね返す難しさを、フリートは知っている。


 気配を隠し、家の陰から飛び出る。可能な限り早く、スピードをあげて砦を目指してひた走る。暗くて、ぼんやりとしか砦を目にすることはできないが、あそこまでいけば『聖女』リリーティアがいる。


 そうして、悪霊の目を欺き、気配を隠し、やがて砦が近づいてきた。そして、砦のそばまで近づいたフリートが目にしたのは――



 圧倒的な密度で砦の周囲を浮遊する夥しい量の悪霊と、怖気が走るほど強烈な、幻霊たちの気配だった。



「なん……なんだよ、これ……」


 息を潜めることすら忘れ、フリートが砦に向けて手を伸ばした。するとまるで溶けていくかのように、ゆっくりとフリートの右手が透けていく。


 異界化――あまりにも強力な幻霊が集まり過ぎたせいで、現実、物質界との境界が曖昧になっている。世界が、この場所が現実か、悪霊たちが棲む幻界かを判断しかねている。


 これでは、入れない。幻界に捕らわれている人はともかくとして、命を持つ者が幻界に侵入すればどうなるかわからない。砦は、今や生者が住む世界ではなく、命を持たない悪霊や幻霊たちが集まる世界になってしまったのだ。


 ただそこに在るだけで世界を変質させるほどの存在。物質的な距離も障害もすべて無視できる幻霊たちが、砦の周辺を丸ごと捻じ曲げている。


 ――右手を引く。肉の体を取り戻した右腕を無感動に見つめながら、フリートの膝が折れた。


 これは無理だ。そもそも、中に入れない。どうしようもない。


 外から大声で呼びかけてみるか?


 ――異界化した砦に、声が届くかすら怪しい。

 ――そもそも『聖女』がいる聖域は砦のなかでも奥の方だ。

 ――町のほうを漂う悪霊に気づかれて、終わりだ。



 フリートが思いついた方法に、無数の否定要素が浮かび上がる。こうなれば、その行為はもはや自殺だとフリートにも判断できる。


 不規則に揺らめく、人類最後の抵抗線である砦を見る。それは、まるで、これからの人類の未来を暗示しているようで――


「こんなところにいたのですね、『惨殺鬼』」


 ――背後に、更なる絶望の足音がした。 


「『聖女』を起こしに来たのでしょうが……砦が異界化していてはどうしようもないでしょう?」


 いや、足音がするわけがない。だからこれは幻聴なのか。


「もっとも、中に入れたところで【悪意の蝶(イーティリアス)】から目覚めさせる方法などありませんけどね」


 “貴婦人”は幻霊だ。だから、足音などするはずがない。


「よしんば、【悪意の蝶(イーティリアス)】が見せる幸福な夢だと看破しても、その世界を壊す手段がないのです。あの禿げのように、破滅願望こそが絶対的な幸福だと信じているような人間なら別ですが……要は、彼が起きれたのは、彼にとっての『幸福』が『回帰』だったからこそ、【悪意の蝶(イーティリアス)】が世界を終わらせた――結果、目が覚めた。あくまで偶然の産物です」


 『断罪』のトロー。彼ほどの男であっても、足止めしかできない存在。


「トロー、は……」

「殺しました。死体も残らなかったですね」


 わかってはいた。予想がついてもいた。だが、改めて言葉にされると、心を打ち据える。


「これで終わりです、『惨殺鬼』。ここまでたどり着いたことは褒めてあげますが、この光景を見て悟ったでしょう?」


 “貴婦人”が、項垂れるフリートの顎を持ち上げて無理やり砦の風景を見せる。フリートの目に映ったのは、夥しい悪霊が浮遊する砦と、目の前で嫣然とほほ笑む“貴婦人”の姿。その笑みには、やさしさなどというものはなく、どこまでも人類を見下した――まるで壁を必死に乗り越えようとする虫を蹴落として笑うような、そんな醜悪な笑顔だった。


「もう勝てない。否――負けたのだと。人類の歴史はこれで終わり――魔獣と魔人が支配する世界へと戻るのです。もっとも魔王様がいる限りは、いずれこうなっていたでしょうけど」


 まるで、積年の恨みを晴らしたかのように嗤う“貴婦人”。


「魔王……」

「あら、魔王様に興味がありますか? 彼はですね、素晴らしいですよ。まさに魔の王を名乗るのにふさわしい。ああ、魔力というものは年を取ればとるほど強力になる――というのは御存じ? 『不死』なる魔王様の魔力量は、それはそれは素晴らしい質と量ですよ。なぜしないのかはわかりませんが、やろうと思えば一撃でここの砦を吹き飛ばすほどには、魔力量も魔法の知識も桁違いです」


 “貴婦人”が嗤う。


「つまり、もとより貴方たちに勝ち目などなかったのです。さあ、せめて死に際くらいは潔く、死んでくださいね?」


 周囲が明るくなる。


 “貴婦人”の背後に浮かぶ、いくつもの火球。


 人類と魔人の魔法の格差は大きい――人類が触媒を用意する必要があるのに対し、魔人たちは『思うだけ』で世界に魔法を顕現させる。それを制御しているのが、あの角だというが――それにしたって。


 さすがにフリートの視界を埋め尽くすほどの火球は、やりすぎではないだろうか。


「ああ、いいですわ、その絶望の表情。では――さようなら」


 数十からなる火球が落とされた。


 フリート以外の人が眠り続けるこの町で、彼の危機を救う人間は、誰一人としていなかった。

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