表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
終末に抗ってみよう。  作者: 夜野 織人
第2章 ー絶対的な決別ー
46/117

第16話 託されたもの

 酷い頭痛を感じて、フリートは起き上がった。体の調子を確認するが、状態は――


「最悪ではない、程度か……」


 頭痛がする。吐き気もわずかにあるし、胸のむかつきがある。寒気がするし、寝不足によるふらつきもある。最悪というほどではないが、コンディションはよくはない。

 視線を下に向ければ、地面に倒れた禿頭の男の姿がある。『断罪』のトローが、倒れている。


「おい、トロー! どうした! 何があった!」


 揺さぶるが――起きる気配はない。無表情で気絶――いや、寝ているのか。全く起きる気配がなく、穏やかに眠るリクルやテテリとは若干違いはあるものの、症状としては同じである。

 眠りについたまま、目覚めない。


「何があったんだ……?」


 空を見上げれば、月明りが周囲を照らし出している。太陽ほどの明るさはないが、ないよりはマシである。満月というわけでもないため、十分に見渡せるほどの明るさはないが、少なくとも近くの人間の顔はわかる。

 加えて、フリートは暗殺者として暗闇を見通す力を鍛えているので、この程度の明かりがあれば十分周囲を見通せる。


 いくら今の時間が夜とはいえ、町はあまりにも静かだった。


「どうなってるんだ……?」


 フリートはトローに背を向けると、ゆっくりと家の中に入った。覚えていることは、家精霊シルキーが原因ではなかったということ、話の途中で黒い奔流が視界を埋め尽くしたところまで。そのあと、何が起きたかまではわからない。


「リクル……?」


 家の中に入り、リクルの部屋へ向かう。一応ノックをして部屋に入ると、リクルは朝見たときと変わらない様子で眠っていた。とりあえず姿が見えることにホッとしつつも、体を揺らしても起きない様子にも変わりはない。状況は変わらない、否。確実に、悪化している。


(この状況……いくらなんでもおかしい……)


 さすがに、フリートでも今の状況が異常であることはわかる。黒の奔流もそうだが――それ以上に、町が静かすぎるのだ。何の音も聞こえてこない。深夜と言うべき時間帯であるとはいえ、酒場からの喧騒や、徹夜で武器を打っている鍛冶屋の音がしないのはおかしい。


 理性的に考えたわけではないが、フリートもその違和感を肌で感じ取っていた。


(ん? 何か……動悸が……?)


 脈打つ鼓動。加速する不安。


 その不安が膨らむ速度が――おかしい。


 笑い声が聞こえた気がして、振り返る。


(なんだ、この気持ちは……?)


 感情が抑えきれない。一刻も早く、ここから逃げ出したい、いや、ここにいたら――死ぬ。

 本能が訴えかける警告に従い、部屋から出るフリート。リクルを連れていくか迷ったが、もしこれが本当に異常事態なのであれば、戦闘になる可能性が高い。そのときに、自分のそばにいては彼女の身に危険が及ぶ。連れて行かないほうが賢明だった。


 そうして、家の外に出たフリートは絶句する。


「なん……なんだよ、これ……?」


 半透明のまま空中を漂う、蛇の骸骨。角を生やした、小鬼の姿。うめき声をあげながら地面を這いずる死体に、地面から無数に生える白い腕。


 この世の地獄か、と思うような光景が、広がっていた。


(悪霊……? 亡霊……? 『聖女』様の結界が、機能していない!?)


 たとえ――霊力線を伝って結界内に入っても、悪霊や亡霊ならば必ず浄化される。『聖女』リリーティアが展開している結界は、入ろうとする悪霊を弾くもの、入ってきた悪霊を浄化するものの二つが働いている。いまここに悪霊たちが蠢いているということが、『聖女』リリーティアの結界が作用していないことを示していた。


 そして、フリートに悪霊たちに対抗する手段は、ない。


(これは……詰みなのでは……?)


「そう。人類は、ここで終わりです」


 何の気配もさせずに響いた声が、フリートを振り返らせる。リクルしかいないはずの家から響いたその声は、水に濡れているかのように湿っていて、ぞっとするほどの色気に満ちていた。振り返ったときには何もいなかったのに、フリートが見ている目の前で、漆黒の闇が蠢いて、人の形を作っていく。


 夜の闇よりなお黒い、純黒のドレス。

 顔を覆い隠す薄手のベールも黒。

 頭から生えた紫色の二本の角が、控えめに主張している。


「お久しぶり、そして初めまして。私の名前は、クァリルと申します」


 優雅に一礼をしたその女性の姿を見て、フリートはたった一つの名前しか思い浮かばなかった。


「同じく魔人、もしくは人類からは――」


 その、名前は。


「“貴婦人”、と呼ばれることが多いですね」


 悪霊や幻霊を司る、魔人――“貴婦人”クァリル。


 剣で突き殺すしか能がないフリートにとって、相性最悪の天敵の名前であった。


「ああ、良い表情ですね。『惨殺鬼』さん。とても良い表情です。困惑、絶望、疑問、決意、諦観、そして隙を伺う目です。私が高貴なる者の務めとして、愚民であるあなたに解説をして差し上げましょう」


 その場から動かずに、“貴婦人”クァリルと名乗った魔人は酷く楽し気にネタばらしを始めた。


「ああ、どこから説明しましょうか。まずは、幻霊である私が、なぜ『聖女』の結界を掻い潜れたのか、という話でもしますか? ああ、でも、いきなり現在から行くと混乱しますからね。一番最初から行くとしましょうか」


 楽し気に、謳うように、クァリルが説明を続ける。


「まず私の子供たちのエサになった13人の犠牲者たちまでは、まだ【幻死蝶(イミーティア)】の犠牲になったのです。彼らは苦悶の悪夢のうちに、衰弱死しました。そして試作型の――“道化”は、【悪意の蝶(イーティリアス)】と呼んでいましたね。【悪意の蝶(イーティリアス)】として生まれた最初の個体、ネメリア。彼女は同じく試作型の、獅子と鳥と一緒に“道化”に預けられました」


 フリートが剣を構える。


「本当は、“道化”と私は同時に侵攻を開始する予定だったのですけれど、タイミングがずれましてね。全く、彼の気まぐれには本当に困ったものです。本来であれば、人類に抵抗の余地などなかったのですが――まあ、それはいいです。どちらにせよ――」


 正面から近づいたフリートの突きが、一瞬で“貴婦人”の胸に突き刺さる。


「今の貴方に、勝ち目などないのですから」


 胸に剣が突き刺さった状態で、“貴婦人”が嗤う。幻霊である彼女に、一切の物理攻撃は通用しない。


「話は最後まで聞くものですよ、『惨殺鬼』。そして、ああ、侵入の方法でしたね? ええ、こればかりは苦労しました。霊力線を使って何度か悪霊を送り込みましたが、尽く浄化されてしまうんですもの。本当にあの小娘は力だけは規格外でした。ですが、そんなことで諦める私ではありません」


 口が裂けるほどに笑う“貴婦人”。おぞましい気配を感じ取って、フリートは剣を引き抜いて下がった。どちらにせよ、物理攻撃は通用しない。


「精神に寄生する、実体がない魔獣【幻死蝶(イミーティア)】。彼らの改造を繰り返し、ついに霊力線に乗せることに成功したのです!」


 さあ褒めてくれ、と言わんばかりに両手を広げる“貴婦人”。もちろん、彼女に拍手を送るものなどいない。


「彼らは霊力線に乗れるようになったとはいえ、あくまでも本質は魔獣。小娘の小賢しい結界に浄化されることもありません。そして、二度の実験(・・)を行いました」

「……実験?」


 フリートが問いかける。その声色は硬く、感情は感じ取れない。


「ええ、そう、実験です! 無事に霊力線を通り抜け、人間に寄生し、昏睡状態にすることができるかどうか! 念を入れて2回実験をしましたが、2回とも無事とも成功を確認しました! ああ、今1人は私の後ろで寝てますね」


 フリートの手が震える。


「ネメリアは失敗作でした。自我を与え過ぎたために、人間の感情に共感しすぎてしまった。もう私とのリンクも切れ、消滅したのでしょう。だから新しい【悪意の蝶(イーティリアス)】たちは、自我はありません。ただひたすらに、記憶と感情を読み取り、幸福な夢を描き続ける――それだけの存在です」


 フリートが内側からあふれ出る感情に震えていることにも気づかず――否。気を払う必要すらないから、無視を決め込んで、“貴婦人”は話し続ける。


「大量生産に移った私は、十分な数を確保したことを確認して、【悪意の蝶(イーティリアス)】をこの町に放ちました。それが、ついさっき。貴方がなぜ眠っていないのか……ネメリアとの戦いで、幸福な夢に対する耐性でもついたのですか? ですが、今この町で起きている人間は貴方だけ。貴方は私に対する有効な攻撃手段を持っていませんし、同じく防御手段もありません。つまり――ここで、詰みです」


 フリートの膝が、地面につく。


「もう、勝てないのか……?」

「ええ。勝つ手段はありません」

「もう、死ぬしかないのか?」

「ええ。虫けらのように殺して差し上げます」

「……もう、諦めるしか、ないのか?」

「ええ。貴方の戦いはここで終わりです」


 フリートの心が、もうとっくの昔につぎはぎだらけだった心が砕けかける。どうしようもない。抵抗すら無意味。そもそも、なんとかする手段がない。


「――いいや、それはどうかな」

「……不愉快ですね。起きてこないでもらえますか?」

「これは予定外だったかな、“貴婦人”とやら」

「いいえ。貴方は起きるだろうと思っていましたとも。強烈な自己肯定の精神によって、幸福な夢を打ち破るだろうと。そもそも貴方、幸福とか感じるんですか?」


 起き上がった『断罪』のトローが、獰猛に笑う。


「大地の全てがあるがままの姿に戻り、私もまた大地に還ったとき。そのときこそ、私は真の幸福を得ることができるだろう。このようなまがい物ではとてもとても」

「自己の意識がない状態が幸福な状態である以上、夢という形では拘束しきれませんでしたか……しかし、貴方が起きたところで大勢に影響はありません。貴方も、私に対する攻撃手段がないのですから」


 トロ―は、槍を構えることすらしない。無意味であることはわかっているのだろう。


「砦に向かえ、『無音』殿。反撃のチャンスがあるとすればそこだけだ。『聖女』様を起こせばこちらの勝ち。起きなければ人類の負けだ。なに、やってみるくらいはいいだろう?」


 トローの言葉に。砕けそうになっていた、フリートの心が辛うじて踏みとどまる。立ち上がり、無言でトローに背を向けた。


「それでいい。さて、では精霊様――しばしの間、この貴婦人を名乗る売女の足止めに協力していただきたい」

『えー! 大変そうなんですけど!』

「たまに話し相手になりますよ」

『それならいいよ!』


 いとも簡単に仲間になった精霊たちが、トローの周囲に集まる。とはいえ、今は夜。風が渦巻き、水は跳ねるが、それは“貴婦人”に対する有効手段にはなり得ない。いくら霊点が近くにあるとは言っても、本来精霊が現実世界に及ぼせる影響は非常に小さいのだ。


 だが、トローの挑発は、効果があったようだ。


「売女、ですって? お前……侮辱にもほどがありますわよ……!」

「化けの皮がはがれているぞ、“貴婦人”!」


 背後で始まった戦いに背を向けて、フリートは砦を目指して走り出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ