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終末に抗ってみよう。  作者: 夜野 織人
第2章 ー絶対的な決別ー
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第14話 予兆


 光があった。光の女神カロシルが照らし出した世界は、何もない荒野であった。


 照らし出された荒野は影を生み、影の女神ベレシスが生まれた。


 2人の女神は、何もない大地を嘆いた。


 『ここには何もない。私たちを知覚できる存在が欲しい』


 2人の女神は自分の体を模して、生命を創った。


 しかし、何もない荒野は、力を持たない人間が生きるには厳しすぎた。



 女神カロシルは、彼らに『祝福ギフテッド』という加護を与えた。


 強すぎる力を心配したカロシルは、一部の英雄たちにのみ、その力を授けることにした。



 女神ベレシスは、彼らに『魔法』という贈り物を贈った。


 戦うだけではなく、何もない大地で健やかに暮らせるように、その力を多くの生命に与えた。




 そうして、人類の繁栄は約束された。二柱の女神は、人類がこの地に満ちることを待ち望んでいる――。





 ~カロシル教の聖典『女神による生命創造』より抜粋~





 † † † †




 やけに――静かな朝だった。起きたときから、少し嫌な気配を感じていた。床は冷たく冷え切っており、降ろした端から体温を奪われるような。そんな考えが浮かぶほど、その日は家が静かだったのだ。


「……リクル?」


 フリートはベッドを降りて、居間に出る。いつもは自分よりも早く起きるはずのリクルが、起きてきていない。昨日は朝から寝てしまったから、夜眠れなかったのだろうか。そのせいできっと、寝坊しているのだろう――希望的観測にすがる。


 ああ、けれど。こんな考え方をしているという時点で。ある程度、予想はしていたのだろう。


「リクル? ……入るぞ?」


 ノックをするが、返事はなかった。フリートはドアを開けて、リクルの部屋に入る。黙って出かけた、まだ寝ている、いろいろな予想がフリートの脳裏を駆け巡ったが――


「リクル……」


 ベッドの上には、穏やかな寝顔で寝息を立てているリクルの姿があった。フリートは地面に着きそうになる膝を、必死に支える。


「リクル? 寝坊か……?」


 静かな部屋に、フリートの声が寒々しく響いた。自分でもそうは思っていない声は、ここまで冷たい感触で響くのか。かすかに聞こえた笑い声に、フリートは振り返る。だが、相変わらず何も見えず、捉えることもできず、笑い声は消えた。


 フリートがいくら呼びかけても。


 リクルがその日、目を覚ますことはなかった。








「話は、聞いてるぜ」

「……セルデか」


 テテリとリクルが目覚めなくなった今、フリートにできることは少なかった。もとより折れていた精神が叩きのめされ、意識ばかりが空回りする。


 助けなければ。その焦燥感はあっても、体がついてこない。言い方は悪いが――リクルのために、テテリを救おうとしていた、という事実が、より重くフリートの心にのしかかっていた。


 自分は聖人ではない――あくまでも自分のために、あの親子を助けた。


 自分は聖人ではない――所詮は偽善だった。お前は助けようとするポーズをしていただけだ。


 お前は聖人などでは断じてない――本当に、あの親子が大切なら。ここで打ちひしがれている時間はないはずだ。


 自分の心のなかから囁かれる数々の声。どれもが自分であり、全てが正しい。


 諦めたい気持ちがある。考えるのをやめたい。見なかったことにしたい。リクルを救いたい。テテリを助けたい。もう一度平和な日々を味わいたい。全てを投げ出したい。酒に溺れたい。


 その欲望の全てで構成されているのがフリートという男であり、その中のひとつでも欠ければ、それは自己の改変に他ならない。


 ゆえに悩む。答えが出ない問いを、延々と悩む。


「なんていうかよ……お前には、どうしようもないことだったんじゃねぇか?」

「……いや。軽視した。あの幽霊の存在を……」

「幽霊……?」


 セルデが訝しそうな顔をしたので、その存在を事細かに説明する。フリートにとってその幽霊こそが諸悪の根源であり、それさえ断てればと信じている。タイミング的にも、時期は一致する。


『あの新種の魔獣が、君に悪影響を及ぼしている可能性も――』


 フリートの脳内にオーデルトの声が響く。いいやーーあり得ない。考えたくない。他ならぬ自分が原因だなどという結末を、認めるわけにはいかない。


「幽霊、か。でも悪霊とかは『聖女』様の結界で入ってこれないはずだもんな……」

「……ああ。『聖女』様の方でも、異常は確認できてないらしい」

「そうか……じゃあ、そもそも幽霊じゃないっていうのは?」

「というと?」

「小人とか……」


 自信なさげに言うセルデに影が差した。気配を感じたセルデとフリートが見上げると――そこには、禿頭の偉丈夫がいつものように泰然とした表情で立っていた。


「『断罪』……」

「トロー、さん?」

「うむ。いかにも、『断罪』のトローである」


 腕を組み、大仰にうなずくトロー。フリートは隊長格の人間が、こんなにほいほいと出歩いていいのか、とは思ったが……そういえば、昨日は『戦乙女』と模擬戦をしていたという噂を思い出して納得する。彼と彼女は、生半可なことでは縛り付けることはできないだろう。


「それは幽霊ではない」

「……え?」

「知っているんですか、トローさん!?」


 呆然とするフリートとは違い、セルデが素早く喰いついた。フリートの思考力は寝不足とストレスで著しく鈍っており、予測も推測もできてはいない。


「確証はないが、おそらく私の知っているものだ。『無音』殿の悩みがそれに起因するというのであれば、私はその悩みを取り除く理由がある。家に案内してくれ、『無音』殿」


 畳みかけるように話すトローからは、普段は滅多に見せない焦りが感じられた。まるで、知り合いが悪事をしていることを知ったかのような、そんな焦りだ。


「……わかりました、『断罪』さん。家に案内します」


 立ち上がり、歩き出す。今はどんな些細な情報でも欲しい。それが、リクルとテテリを救うきっかけになるのであれば――そう考えたフリートの手足に、驚くほどの力が戻ってきた。


 救いたくないはずがないのだ。


 知人が苦しんでいて、それを救う方法があるのなら。救いたくない、はずがない。


(俺は聖人ではない。いつだって自分が大切な男だ。自分を犠牲にして、誰かを救うなんてできるわけがない――だけど)


「俺にできることなんて、せめて抗うことだけだ。結果、負けるかもしれない。勝てないかもしれない。でも、ただ座って滅びを待つのはやめよう」


 その呟きを耳にした者はいなかった。


 しかし、それがフリートという男が、決意を。かつて『惨殺鬼』と恐れられ、『無音』として讃えられた男が、理不尽な運命に抗う決意をした瞬間だった。



「ちなみに俺たちの会話、どうやって聞いてたんですか?」

「風が教えてくれた」

「そうですか……」



 † † † †




 彼女は思う。


 『今度こそ終わりかもしれない』、と。


 ここまでよく生き残ったものだ。


 貧弱な人類が、町の中に芽吹く悪意に気づかずに、外からの脅威に耐えていたのは称賛に値する。


 この間の“道化”の一幕だって、よく堪えたものだと思う。


 本当ならば、あそこで滅んでいてもおかしくなかった――“道化”が耐えきれずに先走らなければ。


 まあそもそも、あいつは協調性というものがまるでない。


 まるで違う世界を違う視点で見ているかのように、あの“道化”は狂っている。


 それは多くの人間が思うように、私もそう思う。


 ちゃんとやっていればもう、人類は滅んでいたのに。


 けれど、まあいい。結局結果は同じである。


 奴が仕込んだ悪意は芽吹き、もう取返しのつかないところまで成長した。


 この家に偶然入ってしまったのは、ご愁傷さまとしか言いようがないが――


 どちらにせよ、この町のどこにいても災厄は降りかかる。


 いや、噴き上がると言ったほうが正しいか。


 この計画を作り上げた奴は、最悪に性格が悪い。


 安全圏から一方的に攻撃し、反撃の余地すら許さない。


 ……本当に、性格が悪い。胸糞が悪くなるほどに。


 この家が選ばれたのにも、理由があるが……なぜ彼はこの家に来てしまったのだろう?


 来なければ、終末を前にして無意味な苦しみを味わわずに済んだのに。


 ……いや。解決、できるのだろうか。


 無理だ。彼の能力は知っている。どうあがいても反撃はできない。一矢報いることすら。


 素人に負けるほど、たやすい相手ではない。


 『断罪』も。『剛腕』も。『軍神』も。『戦乙女』すら。


 全員揃っていても、勝てない。勝てない理由がある。


 『魔女』が不在の今、対抗できる存在はいない。


 そういう状況を、奴は作り上げた。





『これに抗う、というのであれば。それは……奇跡を望まない限りは、勝てないわよ』





 彼女の呟きは誰の耳にも残らずに、消えた。

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