第12話 道しるべ
すごく短いんですが、これ以上書くと長いのでここで投稿します。
『あと4日だよ』
自分の中の、自分ではない何者かの囁く声。俺は必死にその声を否定するが、本当はわかっていた。その囁く声が告げる日数が、テテリさんのタイムリミットであることを。
「くそっ……方法がわからない……!」
相も変わらず、家の中はよく掃除がされているが――その掃除をしている存在を認識できない。もちろん、コンタクトを取ることもできない。とりあえずテテリさんはあくび亭に運び込んだが、起きる気配はない。場所の問題ではないのならば、テテリさん自身に何かが起きていると考えるべきだ。
「起こす方法はないのか……!?」
『ないかもしれないね……』
まるで俺を諦めさせるかのような囁き声に、必死に抵抗する。まだだ、まだやりつくしていない。あらゆる可能性を考えろ。必ず解決の糸口があるはず――。
「……フリートさん」
「……リクル」
目の下の隈。赤く腫れた両目、おぼつかない足取り。ろくに寝れていないのだろう、酷い顔だった。俺も人のことは言えないが、リクルの心労はかなりのものだろう。一緒に生きてきた母親が眠りから目覚めない。寝ている顔は穏やかとはいえ、このままでは死んでしまう。衰弱死だ。
そのとき、俺の脳内を何かがよぎった。衰、弱?
何か。何か、見落としてないか――?
「私、朝ごはん作りますね……ちょっと、待っててください……」
フラフラと台所の方に向かうリクル。俺は心配になり、後を追うように立ち上がるが。ちょうど、俺が追い付いたところで、リクルの体が傾いた。
「リクルッ!?」
「あ、はは……ごめんなさい、フリートさん……」
「いい、無理するな。少し休め」
乾いた笑い声をあげたリクルは、顔を俯かせた。後ろから支えるために抱きかかえた俺は、そのままリクルと話を続ける。
「……私、眠れてなくて」
「……ああ」
「夜、寝ようとすると……怖いんです、自分が起きれなくなりそうで。お母さんみたいに、翌朝起きれなくて。寝たままになるんじゃないか、って。そう考えると……怖くて」
俺の服を握る手に、力が入る。俺が抱えた少女の体は、細くて頼りなくて、まるで寒いかのように震えていて。
「起きたら、フリートさんも起きなくなってたら、どうしよう、って……! どうしても、考えてしまうんです……!」
耐えきれなくなったように、リクルの瞳から涙がこぼれる。
テテリさんが起きなくなってから、すでに3日が経とうとしている。上半身を起こして水分だけは摂らせているが、それでもどこまで保つかわからない。
「……リクル」
「お願いです、フリートさん……一緒にいてください……どこにも、いかないでください……お母さんに続いて、フリートさんまで起きなくなったら、私……!」
しゃくりあげるリクルに対して、俺ができることは一つしかなかった。そっと肩に手を回し、抱き寄せる。壊れやすい、大切なものを扱うように、優しく抱きしめる。
「フリート、さん……?」
「大丈夫。俺は起きるし、リクルも起きる。テテリさんも、助ける」
必ず、と言えなかったのは。俺の心が弱いからだろうか。
(ああ、キツいな。守るものがある、っていうのは――こんなにも、心を弱めるのか)
何も考えずに、ただ言われた通りに敵を殺していた、『刺蜂』のころ。
何も考えずに、ただ敵を倒すために剣を振るっていた『惨殺鬼』のころ。
そして――守るものができた、『無音』としての今。
自分の過去に後悔しているわけではない。何度やり直したって、俺はその道を選ぶだろう。闇に生きる者として産まれながら、光の道を歩く勇者に憧れるのだろう。
「……はい。ありがとう、ございます」
リクルは見抜いただろう。俺の中にある不安を。『助けられないかもしれない』という、俺自身の不安を見抜いたはずだ。このくらいの年なら、母親を失うということに対して、半狂乱になってもおかしくはない。だが健気にも、リクルは涙と嗚咽を堪えた。
「大丈夫か、リクル?」
「……大丈夫じゃ、ないです。少しだけ安心したら……眠くなってきました」
「少し、寝るといい。今日は休もう」
リクルの言葉に優しく返すと、リクルは少し悩むように目線をずらした。そのまま立たせようと手を取ろうとすると――リクルの両腕が俺に向かって伸びてきた。
甘えるように手を伸ばしてきたリクルに固まっていると、そのまま伸びた両腕が俺の首に巻き付いた。思わず体がこわばるが、そのまま体重を預けるようにリクルの体が倒れてくる。
「……運んでください」
「……はいはい」
右手をリクルの腰に回し、そっと持ち上げる。華奢な少女の体は軽く、パワータイプの冒険者に比べると筋力がない俺でも問題なく持ち上げられた。初めて触れるリクルの体は、あまりにも軽くて、細くて。
大事にしなければ、すぐに折れてしまいそうだった。
「フリートさん……」
「なんだ?」
頭を摺り寄せるリクルに、フリートは驚く。
「ん……いい匂い……」
「……臭くないか?」
血の匂いなどはついていないはずだが、体をふくのはいつも夜だ。寝汗の匂いがしてもおかしくはない。俺はできれば嗅いでほしくはなかったが。
「落ち着く……」
ひどく安心した表情を見せるリクルの顔を前にすると、何も言えなくなる。リクルが安心するためなら、俺が少し嫌な思いをすることに、なんの意味があろう。
それに――ああ、そう。そんなに、悪いものでもない。人に信頼され、体を預けられるというのは。
「フリートさん……教えて、ください。フリートさんのこと。お肉は、鶏肉が好き。色は、茶色が好きで、赤は嫌い。パンは少し硬めが好き……でも、私、フリートさんのこと。知らないことがいっぱいあるんです」
「……むしろ、そこまで知ってることに驚いたが」
言われてみれば――肉は鶏肉を好むし、パンは硬い方を頼むことが多い。色も、赤色は嫌いだ。持っている服は、茶色が多い。
自分では気づかなかった好みに、リクルが気づいていた。それは――俺のことを、リクルがよく観察しているからだ。
そして、俺も。自分がどういう人間かということを、リクルに知っておいてほしいと思った。今まで、だれにも出身国を明かさず、生い立ちを語らず生きてきたが――もう、いいだろう。
「……むー……でも、昔のこととか。たまに、すごく寂しそうな顔をする理由とか。聞きたい、です」
「……そうか。寝物語には、少しばかり過激な話になるが……」
「それでも、いいです。話してくれないと、気になって……寝れません」
眠れないなら仕方ない。俺はベッドにリクルを寝かせると、居間から椅子を持ってきて、話を始めた。
頼って、頼られて、寄り添いあって生きていく。どうしても心が弱ったときにはそれができる、それこそが人間の強みだと、気づいたから。
「俺は、ここから南東にある、テッタ公国というところで生まれたんだ――」
眠気に抗えずに瞳を閉じたリクルが、どこまで聞いているかは怪しかったが――それでも、俺は話し続けた。いつか、全てをしっかりと話す日が来るかもしれない、と思いながら。
やがて、静かな寝息が聞こえてきたので、俺はリクルの部屋を出る。まだ、体力と気持ちに余裕がある間に――解決策を、見つけてこなければならない。
俺は音をたてないように家を出ると、そのまま砦へと向かった。