第11話 旅ゆく者
「なんだったんですか?」
「ん? 些細なことだ。彼ならば問題なく解決するだろうさ……話の続きをするとしようか」
虚空に向かって話していた『魔女』ベネルフィは、改めて隣を歩く青年に話しかける。
「つまりは、不可解なことだらけだということなんだよ、ウェデスくん」
「はあ……」
荒野を行く二人は、やがて鬱蒼とした森を視界に捉えた。ここに来るまでに何十頭もの魔獣と戦い、そのほとんどを彼女――『魔女』ベネルフィが片付けていた。『魔女』ベネルフィの旅に同行せよ、という命令が来たときは正気を疑ったが、確かに旅をするのにこれほど相性のいい相手はいないのかもしれなかった。
「いや、しかしやはり、君の機動力は素晴らしいね。私の唯一の弱点がこれで克服されたと言っていい」
「そうっすね」
設置型魔法。それは世界でベネルフィだけが使える魔法である。感覚と理論に基づいたれっきとした魔法なのだが、その工程が複雑すぎること、扱いが難しすぎることから、彼女にしか扱えない。魔法陣、待機魔力、触媒伝達速度――その全てを考慮し、狙ったタイミングで起動させるのが非常に難しいためだ。
反面、彼女は放出系の魔法はあまり得意ではない。自分が運動音痴であることを自覚している『魔女』ベネルフィは、自分が持たない機動力を補う手段として、『烈脚』のウェデスをチョイスした。彼の『祝福』があれば、短期間の高速移動には困らない。
「で? ……これ、なんのための旅でしたっけ?」
「もちろん、私の知的好奇心を満たすための旅だ。もう一回最初から説明しようか?」
「いや、いいです」
「まあそういわずに」
あ、何が何でも説明するつもりだ、と気づいたウェデスは口を閉じた。ベネルフィが喋る間、ウェデスはもくもくと足を進める。
「きっかけというか、私は始まりから違和感の塊だった。全くおかしいにもほどがあると思わないかい? 異様な力を発揮する『祝福』とかいう能力、魔法というなぜか特定の人間しか効率的に運用できない技術――すべてがすべて、違和感しか残らない。女神カロシルと女神ベレシス? その神とやらはどこから生まれたんだ? 創世の神話だって怪しいものだ。まあ、私のスタート地点はそこだったんだけどね。光の女神が輝けば、そこに影が生まれる。影の女神ベレシスの誕生である。彼女たちは自分たちを模して人を造り、人はやがて大地に溢れた――いや、わからなくはない。わからなくはないんだが、私はこの神話の違和感を、今まで誰も気づいてなかった、っていうのが不思議でならないんだよ。で、気づいたら知りたくなるだろう、真実を。だからわざわざ君を引っ張り出してまで、こんな辺境の地に足を運んでいるんだよ。聞いてるかい、ウェデスくん?」
「あ、ちょうちょ」
「ここまでコケにされたのは久しぶりだよ」
呆れたように溜息を吐くベネルフィ。ウェデスは頭が悪いわけではないが、あまり考えるのは得意ではない。直感と感情で動く、そういう男なのである。
「そのくせ意気地もないし。こんないい女と二人旅なんだ、たまには襲うくらいの気概があってもいいのではないか?」
「いや、返り討ちにされるし」
「それはそれで正しい認識ではあるがな……」
ウェデスの冷静な反論に、ベネルフィはもう一度溜息をついた。森の前に到着した二人は、いそいそと野営の準備を始める。ウェデスが背負っていたテントを建て始めると、ベネルフィが触媒を取り出して水を出したり火を熾したり、野営の準備を進めていく。もう10日以上の旅になるので、二人ともやけに手慣れていた。
「ああ、これを見せておくよ、ウェデスくん。まあ君は「なんだこれ」って言うと思うけどね」
「なんだこれ」
「そういう意味では期待を裏切らないよね、君。まあ、私の切り札みたいなものだ。いざというときは、これを見てだねーー」
「ふむふむ――ああ、なるほど。理解した」
ベネルフィの説明を聞いて、ウェデスは頷く。生半可な魔法の知識がある者ならば、そんなことができるわけがないと突っ返しただろうが、ウェデスは魔法のことを詳しく知らない。ベネルフィがそう言うのであればできるのだろう、程度にしか考えていなかった。
「……で。ここから先は相当やばいってことですか?」
「私の予想が正しければ、だがね。まあこの奥に神殿があるのは間違いないんだが、問題は守護者がいるかどうかだ」
「ガーディアン……?」
「魔人と一戦やる可能性もあるってことだよ、ウェデスくん」
「うえっ、魔人ですか!?」
ウェデスは心底嫌そうな顔で頭を横に振った。
魔人。その名前は、彼ら冒険者にとっては恐怖の代名詞である。ウェデスもそれなりに名の知れた冒険者ではあるが、それでも魔人の相手をすれば高確率で死ぬだろう。強靭な肉体、強力な魔法――そしてなにより、その特別な能力たち。人間に抵抗手段はほとんどなく、それこそ『戦乙女』、『惨殺鬼』、『勇者』、『聖女』のような面子でなければ、戦うことすら許されない強敵である。
「ま、たいていの魔人なら君の脚で逃げきれるよ。そのために連れてきてるんだしね……私の予想では“闇騎士”あたりが、一番可能性が高いと思っているが。なにせこの国滅ぼしたの、あいつだし」
「遭遇したら即撤退でいいですか?」
「もちろん。私も、自分の領域じゃない場所で魔人と戦いたくはないし」
2人は野営の準備を整えながら、どうやって森の中を探索していくかの計画を話し合った。
ここは、天の丘の裏にある『信仰の森』。かつてどんな人間も入ることを禁止されていた、不可侵の領域である。
† † † †
「ベネルフィでも、わからないのか……」
原因不明、解除不能。それがテテリを襲っている昏睡状態だった。家に住み着いている存在のことも詳しく説明したのだが、『あ、それは専門外だね』とすげなく返された。あの魔女は、自分の興味のないことに関しては、驚くほど淡泊なのだ。
「悪い情報を伝えなくてはならないのが、非常に心苦しいのだが――『無音』」
ミリが、書類をオーデルトに手渡す。
「こちらが調べた限りでは、過去に不可解な衰弱死をしている人間は13人。少し多いが、まあストレスの多い時代だ、そういうこともあるだろう。だが、これは君の知人の昏睡とは関連性は薄いと考えている」
「それは、なぜですか?」
「――苦しんでいるからだ。過去、目覚めずに死んだ人間たちは、朝目覚めずに、その日のうちに苦しみながら死んだ。それに比べて、君の知人の昏睡は緩やかだ。苦しんでいる様子もなく、1日持っている。だから、過去の事件とは別件だろう」
「……それの、どこが悪い情報なんです?」
「ここからだ。別件だろうとは言ったが、性質は非常に似ている。突然の昏睡、翌朝に目覚めないという特性――こちらでも対策は打っているが、どれも効果はない。そして、なにより。『聖女』が、その異常を感知できていないのだ」
『聖女』リリーティアが異常を感知できず、『魔女』ベネルフィにもわからない症状。それはすなわち、対処法がないということだ。少なくとも、悪霊・亡霊の類の仕業ではなく――魔法によるものでもない――だが、テテリは目覚めない。
「こう言うのは、非常に心苦しいんだが……こちらとしては、これ以上この件に労力は割けない」
「そう、ですか。わかりました」
怒りはある。憤りもある。しかし、フリートはそれをここで叫ぶわけにはいかなかった。『軍神』と『予言者』が背負っているものは重い。テテリの命が軽いわけではなく、人類の命運と重さを比べることはできない。それぞれが背負っているものの重さを、背負っていない他者が推し量ることなどできないのだ。
(テテリさん……いや、方法は必ずある……原因はおそらく、あの幽霊……)
フリートは思う。あの幽霊に接触さえできれば、解決手段はあると。いやーーないと、困るのだ。原因さえ取り除けば、テテリは目覚める。
(……そのはずだ)
そう信じるしかない。フリートは踵を返し、執務室を後にする。
「キッカさん、ありがとう」
「い、いえ! 何かの助けになったのならよかったですって!」
なぜかかしこまって返事をするキッカに頭を下げると、フリートは執務室を出て、砦を後にした。緊急事態ということで、既に休暇の許可は貰ってある。
「……ミリ。情報を辿れ。もしかしたら、解決の糸口はここにあるかもしれん」
「はい、すでにやっています。ですが、ケースが少なく、十分な情報が集まるかは……」
「……そうか。だが、戦争以外の話だ。僕はこれ以上関わらない。すまないが、あとは頼んだよ、ミリ」
深く椅子に腰かけて、額を抑えるオーデルト。なんとか乗り切ったかと思えば、次から次に問題が出てくる。『魔女』ベネルフィの不在もそうだし、『戦乙女』シャルヴィリアの精神状態も万全とは言い難い。しばらくは忙しい日々が続きそうだった。
† † † †
「お母さん、起きないんです……私がいくら、名前を呼んでも……全然」
「……辛いな、リクル」
「……はい。ようやく……これから、って思えたのに……」
「……」
「でも、私……頑張ります。フリートさんも、何か困ったことがあったら、言ってくださいね」
無理に笑ったリクルの笑顔が、直視できなくて――フリートは視線を逸らした。逸らした先には特注のベッドがおいてあり、そこではテテリが穏やかな寝息を立てていた。今にもひょっこりと起きてきそうなほどゆるかやな寝息だが、その呼吸の長さからも、彼女が深い眠りについていることがうかがえる。
「少し、出てくる」
「……はい」
フリートが部屋を出ると、微かな嗚咽の声が部屋から聞こえてくる。その嗚咽を一刻でも早く笑顔に変えるために、フリートは家の外に出た。
「何者かは知らないが――この家に住み着いている者よ。声が聞こえるなら、答えてほしい」
風が吹く。草が躍る。
『くすくすくす、何か言ってるよ?』
『わかんなーい! 何言ってるのー?』
『人間とお話しー? あれ、でも、あの人じゃ無理だねー』
『みんなうるさいわよ! 呼ばれてないでしょ!』
『そうだねー呼ばれたのは貴女だけ』
その声は、聴ける者にしか聴くことができない。風のささやき、水のせせらぎ、炎が爆ぜる音。その音に意味を感じるような者でなければ――彼らの声を聞き取ることはできないのだ。そして、フリートにはその資格がなかった。『祝福』を持つ人間よりも貴重な彼らは、そのあたりにいるような存在ではない。
かつて、この北の大地に数多くいた彼らも、迫害の末にその数を大きく減らしているのだ。フリートの声に応えてはいるが、フリートと彼らの間に、会話が成立することはなかった。