第7話 『覗き屋』
「よう、久しぶりだな、フリート」
「ああ。しばらくこっちには来てなかったからな……」
『剛腕』のセルデが片腕をあげて挨拶をすれば、フリートは気怠そうに答えた。普段から覇気を感じられないフリートだが、今日はいつにも増して動きが遅い。それでも相変わらず音を立てずに気配を消しているのはさすがというべきか。
「……なんか疲れてるか?」
「ああ、ちょっと引っ越しでバタバタしててな。しばらくは忙しくなりそうだ」
「そうか。今日はとりあえず、うちの遊撃隊にいる人間の紹介でもしようと思っている」
「ウェデスとは、ちょっと話をしたけどな」
「ウェデスは今、少し仕事で砦を離れている。『魔女』ベネルフィの護衛だ」
「護衛……? どっか行ったのか?」
普段はなんの仕事もせずに研究室に籠っているベネルフィだが、あまり砦からは離れたがらない。この研究室の環境がそこそこ整っていること、煩わしい人間がほとんどいないためだ。自分の研究と思索にふけることができるこの場所を、彼女は存外に気に入っている。
だからこそ、どこかに――それこそ護衛が必要な場所に向かうのは珍しいと言えるだろう。
「俺も詳しくは聞いてないんだけどな、オーデルトからの命令だ。逆らうわけにもいかなくてな……」
「そうか……」
「それより、体は大丈夫か? あの蝶の影響とかは?」
「大丈夫だ。『祝福』の連発で若干弱くはなってるが、問題ないレベル」
「そうか。やっぱり、お前も『祝福』持ちだったんだな……中身は、教えてもらえないのか?」
「すまん。詳しいことは教えられないが、何度も連続では使えないってことだけ覚えておいてくれ。基本は、使う気はない」
「わかった。じゃあ、お前の『無音』としての力に期待するとしよう」
セルデは腕を組んで頷いた。フリートとしては、『祝福』の詳細は生命線だ。知られれば知られるほど対策を練られる。セルデやアディリー、トローの『祝福』と違って、フリートの『祝福』は外から見てわかるものではない。セルデを信頼していないわけではないが――隠しておくに越したことはなかった。
(弱点もバレるしな……)
「んじゃ、ウェデスではないうちのもう一人の『祝福』持ちを紹介しておくか」
「……さっきからお前の体の後ろに隠れてる奴か?」
部屋に入った瞬間から、フリートはその気配を感じていた。まるで怯えたようにセルデの後ろに隠れる女性の気配を。強者の雰囲気はない。戦い慣れた気配もなく、フリートはおそらく『祝福』が強力なのだろうと思っていたが――
「ああ。『鳴滅』のクォーリアだ、自己紹介しろ」
「あ、あの……クォーリアって言います、フリートさんの噂はかねがね……男前ですね……」
「あ、ああ。フリートだ、よろしくな」
フリートが困惑しながら差し出した右手は、クォーリアの両手で包まれた。コミュニケーションをとる気がない彼女の対応に、フリートはこの先どうしたらいいのかがわからなくなる。
「『鳴滅』……説明するぞ。嫌なら止めろ。彼女の『祝福』は、感情を音に乗せて破壊力にする。それだけなら何の問題もない、有用な『祝福』なんだが……」
目が合う。茶色の瞳がフリートの目を捉え、ひっと息を呑む音が聞こえた。
「ううっ……!」
フリートは慌てて耳を塞いだ。今のクォーリアのうめき声で、自分の頭が揺さぶられたのだ。
「この通り、感情の制御ができない。今のは『怯え』だな、ビビられてるぞフリート」
「……そうか。ところで、何でお前は平気なんだセルデ?」
より至近で彼女の声を受けたはずのセルデは、ケロッとした顔で立っていた。
「ん? 今耳栓嵌めたからな」
「そうかそうか」
「うう……ごめんなさい……全然制御できなくて……」
「制御できないが、強いんでな。感情にかかる負荷はでかいが、俺とウェデスが砦を離れている間、戦線を支えたのはこいつだ。仲間と一緒に戦えないのがあれだが、『恐怖』で放たれる音はすごいからな」
フリートは、岩影丸の周辺の地面が抉れていた理由を理解した。なぜ、その破壊を行った者の名前が全く出てこないのかも。――目撃者がいなかったのだ。
「『鳴滅』のクォーリア、か。俺は『無音』のフリートだから、ある意味真逆だな」
「おお、そうだな」
「よろしくな、クォーリア」
「は……はいぃ。よろしくお願いしますぅ……」
下がっていいぞ、と言われたクォーリアは目に見えないほどのスピードで去っていった。よっぽど人と話すのが苦手らしい。
「……体はいい女なんだがなぁ……」
「おい」
去っていくクォーリアの尻を見て、顎を撫でながら至極残念そうに言うセルデに、フリートがツッコミをいれた。いれたのにも関わらず、セルデの下世話な話が続く――とはいえ、これはセルデがどうこうというわけではなく、冒険者たちは総じてこの手の話題が好きだ。
「いやいや、クォーリアはいいぞ。背は低いが胸もケツも出てるし、あんまり戦ってないから柔らかそうだ。冒険者の女はやっぱり筋肉質なんだよなぁ……お前もそう思うだろう?」
フリートは慎重に周囲の気配を探った。
「そうだな。それは、俺も思う」
暗殺者として鍛え上げた技能を安全の確認のために使い、フリートは重々しく頷いた。
「だろう!? 胸が結構デカいんだよな……ただ、クォーリアを口説くのは不可能だ」
「命の危険があるな」
あれだけ感情が動きやすい性格で口説かれれば、多少なりとも動揺するだろう。そのときに何かしゃべれば、こちらの命に危険が及ぶ。洒落にならない問題だった。
「ただ、その、なんだ。危ないから、あんまり近づきたくはないと思うが、少しでも気にしてやってくれると嬉しい。肩を並べては戦えねぇが、あれでも仲間だからな」
「……それ、言ってやったか?」
「恥ずかしがられて死にそうだから言えないんだよな……」
眉根を寄せて悩むセルデ。彼は彼で第一遊撃隊の隊長として、いろいろと考えていることがあるのだ。フリートはクォーリアに対するセルデの心遣いを感じ取り、頷いた。
「できるだけ話しかけてみよう。命が危なかったら逃げるが」
「ああ、そうしてくれ。お前の戦力も結構当てにしてるからな」
一方そのころ。砦の食堂で、1人の少女と1人の男が出会っていた。
「……こ、こんにちは」
「ああん? 誰だ、嬢ちゃん。俺ぁ忙し――くはねぇな。暇だな」
「わ、私パトって言います! スウェーティさんでいいですか?」
「あ? 珍しいな、俺の名前を知ってるのか」
食堂で昼食を持ったまま立ち尽くす男と、その男の前に立って緊張した様子で話す少女。男は胡乱気な目で少女――パトを見つめ、パトは少し緊張しながらもスウェーティの目を見返した。
「この間はありがとうございました! おかげでミリ様も喜んでいました! スウェーティさんが見に行ってくれたんですよね?」
この間。その言葉を聞いて、スウェーティはようやく目の前の少女のことを思い出した。
「……ああ。あの見た光景を伝えられるっていう……」
「はい! 描いてくれた人も、スウェーティさんは横からも上からも見てくれたので、とっても描きやすかったって言ってました!」
『天眼』。それが、スウェーティの『祝福』の名前である。距離を飛び越え、見たいモノを見るという『祝福』。最近は徐々に力が増して、どうやら見続けることができる時間も増えているようだが――相変わらず、働きたくないスウェーティは適当にやり過ごしていた。
彼の平時の仕事は、町の視察や怪しい部分の捜索である。具体的な場所の指示は『予言者』ミリから下され、その場所を見て聞かれたことに応えるだけの仕事。一番最近の仕事は、『無音』が引っ越すための家を下見してくれ、という雑事極まりない――だが人をやるとそれなりに時間のかかる――依頼だった。指定された家を眺めて、パトともう一人の画家と一緒に座るだけで終わった。言葉で説明しなくてよかったので楽だったな、程度の感想しかない。
「わざわざ見に行ってくれたんですよね! ありがとうございます!」
「あー……」
『天眼』の『祝福』は秘匿事項である。何かのきっかけで住民にスウェーティの『天眼』のことが伝われば、オーデルトやミリの求心力は低下するだろう。誰だって、他人に生活を監視されたくはないのだ。そして、知られないことはスウェーティの安全を守ることにも繋がる。
「そうだな。結構大変だった」
なので、そう答えるのは正しい。正しいのだが、スウェーティの鼻の穴が若干膨らんでいる。自堕落な生活を続けるスウェーティは、存在が秘匿されていることもあり、あまり年若い女性と接する機会がない。たいして苦労していない仕事をことさらに誇張するのは、あまり褒められた行為ではないが――
「あんなに高い位置から俯瞰してくれたおかげで、私もちょっと興奮しちゃいました!」
「苦労したからね!」
褒められると簡単に調子に乗る男である。
「いやー大変だったぜ。俺の『祝福』を使えば、ちょちょいのちょいなんだが、それでも少し苦労した。詳しいことは機密事項だから言えないんだけどね?」
このスウェーティという男、嘘はついていないが、本当のことを言っているというわけでもない。彼が苦労したのは仕事に対するやる気を出すところまでだ。
「機密事項……!」
キラキラとした目でスウェーティを見つめるパト。
(ちょろいな、この嬢ちゃん。見たところ15歳くらいか? まだまだ体は貧相だが、可愛いところもあるじゃねぇか)
「よければ、飯でも一緒にどうだ?」
「はい! ぜひ!」
パトを食事に誘うスウェーティの脚が震える。スウェーティはこわばりそうになる顔を必死に笑顔で固めながら、席に向かって歩き出した。
(大丈夫だ……バレるわけがねぇ……)
震える足を隠して、スウェーティは出てこようとする過去の記憶を必死に押し留める。
(あれはあいつらが悪いんだ……俺はただ……もらったものを使ってるだけだ。俺は悪くない……!)
脅され、『天眼』の『祝福』持ちの男としか見られていない。スウェーティ、という一つの人格はどうしようもない男だが、だれもそれを見ていない。
(この『祝福』さえなければ……)
そう考えたことは1度や2度ではない。だが、だからといって、『祝福』を隠し続けて普通に働く――今更、そんな苦しい生活に耐えられるわけがなかった。
「スウェーティさんは、ミリ様の直属の部下なんですか?」
「まあ、そうなるね」
食事をとってきて席に座ったパトを相手に、しなくていい自慢話を始めてしまう。知っているのに。嘘をつき続けた結果、最後にはバレるとわかっているのに。
パトからの憧れの目が。
ほめ言葉と、尊敬の態度が。
スウェーティという人間の、醜い自尊心を満たしていく。
「――俺くらいになると、『予言者』からも頼りにされてるね」
「へー、そうなんですね! さすがですスウェーティさん!」
これ以上の嘘はよくない。ボロが出る前にやめるべきだ――そう理性が囁くが、スウェーティの感情が止まらない。満たされる。鬱屈と捻じ曲がった心が満たされていく。
だが、パトからの尊敬のまなざしにも、疑いの目を向けてしまう。利用しようとしてないか? 裏切ろうとしてないか? 過去の経験から、そんな裏の意図を探ってしまう。
だが、しばらくの観察の結果、スウェーティはパトが自分の『祝福』のことを知らないことを確信した。この少女は嘘をつけるタイプではない。
汚れを知らない純真な少女と、穢れ切った大人の男の奇妙な会話は、しばらくの間平穏に続けられた。
食事とパトとの会話を終わらせたスウェーティは自分の部屋に戻り、静かに目を閉じた。周囲に人影はない。
「……『天眼』」
罪悪感はある。こんなことに『祝福』を使っていいのか、という思いもある。だが、欲望には逆らえない。村に住んでいたころからやっていた悪事。『覗き屋』なんて二つ名を受けることになった、最大の汚点であり――スウェーティという男の本質。
「おっ……」
見つけた。スウェーティは一瞬迷ったが、すぐに自分の内側から噴出する欲望に従って服を脱いだ。バレれば終わりだとわかっていても、やめられない。仕方ない、ほかに発散する手段がないのだから――。
露出した性器を右手で握り込み、こすり始める。『天眼』によって、スウェーティの視界には着替えを行う女性の姿が映し出されていた。
「くそっ……」
終わったあとは惨めな気持ちになる。自分は何をしているのか、と反省する気持ちもある。だが、やめられないのだ。
どうしようもない、スウェーティという男の……それが本質である。