第4話 服屋にて
「うーん……」
宿屋の一室で、1人の少女が悩んでいた。悩み自体はそう難しいものではない。これからのお出かけに、どの服を着ていくか――その程度の悩みだ。
だがこれが、想い人と一緒に出掛けるとなれば話は変わる。
「何にしよう……」
悩む。想い人――フリートが、自分のことを妹程度にしか見ていないことはわかっている。大暴走に向かう前に見せた笑顔は、自分を想っての笑みではなかった。女の勘、とも言うべき嗅覚の鋭さで、あの時フリートが過去を思い出して笑ったことは見抜いている。
そのときの笑顔が、あまりにも綺麗で、儚くて。思い返せば、胸を締め付けられる。
彼の記憶の中にいる女性のことは、少女はまだ知らない。
「ああああ、やだやだ……ずるいですってフリートさん……」
母親が眠っていることをいいことに、4着程度しかない自分の服を見つめて悶える。あんなに強くて優しいのに、彼は致命的にどこか欠けている。人間が本来持つべき欲望が希薄。
それが、たまらなく愛おしい。
「頑張らなきゃ……でも、お洒落しようにもなぁ……」
グルガンの元で働いたお金は、自由に使っていいと言われている。言われてはいるが、将来のことを考えればほいほいと使えるものでもない。新しい服も買えず、リクルはひたすら給金は貯金に回してきた。母親の病気のこともある。
「むむむ……ただでさえ子ども扱いされてるわけだし……ここはひとつ! 大人っぽい服装を……!」
服を見る。一番まともな服は、グルガンから渡された給仕服だった。
「うう……」
リクルは泣いた。
「服が欲しい?」
「はい……私はですね、女の子なんです……」
「……いや、それは知ってるけど」
「新しい服とは言いません……でも、私服が欲しいんです……外を歩いていても注目されない服が……」
スラムで暮らしていたころの服は、もうボロボロで見るに堪えない。あくび亭で暮らすようになってから、生活必需品として服を2着ほど買い揃えたがどちらもシンプルなもの。暮らす分には問題ないが、出かけるには少し不満が残る。かといって、給仕服で出歩くのはいい噂の的である。
「あー……」
考えていなかったフリートは、頭を掻いた。懐から金貨を取り出し、それをリクルに渡そうとする。「これ、自由に使っていいから」と言うつもりだったが――
『信じられない、何考えてるわけ? そこは一緒に買いに行こうって言うところでしょう!』
幻聴、というにはあまりにも強い女性の声が頭を揺らした。思わず周囲を見回すフリートだが、人影はない。リクルが口を開いた様子もない。
「えーと……?」
金貨を渡されたリクルが寂しそうな表情をした。
たった今聞こえた幻聴の言葉の意味を考える。考えたフリートは、提案されたその選択肢を少し変えてリクルに声をかけることにした。言われた通りに言うのも癪だし、というしょうもない思いもある。
「……一緒に買いに行くか?」
「っ、はいっ! 行きましょう、フリートさん!」
寂しそうな表情から驚いた顔へ、そして笑顔になったリクルを見て、どうやら正解だったらしいとフリートは胸をなでおろした。謎の声のアドバイスに従ってみたが、どうやらあの声は悪いものではないらしい。
「もしかして、憑かれたのかな……」
「え?」
「いや、なんでもない」
今の声が例の家に出る幽霊のものだとすると。どことなく親近感を覚える声で、悪意や憎悪といった負の感情は感じられなかった。当分の間は放置しても問題あるまい、と。フリートはそう判断した。
「そもそも、どうしようもないしな。俺には攻撃する手段もないし……」
「フリートさん? どうしたんですか?」
首を傾げるリクルに、フリートは首を横に振った。なんでもない、と呟いて歩き始める。なにか隠し事をしているような気配を感じ取ったリクルは、少し不満げに足音荒く歩き出した。その細かい変化に気づかず、特に話を振ることもなく速度を合わせて歩き続けるフリート。
溜息が聞こえたような気がしてフリートが振り返るが、そこには誰もいなかった。
「それで、どんな服を買いたいとかはあるのか?」
「えぇと悩さ……ごほんっ。大人っぽい服がいいなと思ってます」
「……具体的には?」
「……スラムにいた私に、服の名前がわかるわけないじゃないですか……」
「……すまん」
「いえ……」
もちろん、暗殺者として戦いを繰り広げていたフリートにもわかるはずがない。子供だった頃は、潜入のために変装やら変声などの訓練もしたので、多少は知識が残っているが……さすがに大人になってからは体格がごつすぎて、女装などのスキルは習わなかったので、大人っぽい女性の服など記憶にない。
必死に記憶を探ったフリートは、脳内にうかんだぴっちり黒装束のセラの姿を必死にかき消した。それはない。
さらに続いて浮かび上がった、やたら足を強調する『魔女』ベネルフィの記憶もかき消した。それもない。
「俺もわからないな」
「そうですか……」
必死に選択肢から除外したために、今フリートが思い浮かべた服が限りなくリクルにとっての『正解』に近い、ということは明らかにされることはなかった。とりあえず服屋にいって考えることにしたフリートとリクルは、この間使った古着屋を訪ね、そこで色々と見繕ってみることにした。
「色々ありますね……」
「前は、なんだかんだパパッと買って出たからね……ちゃんと見てなかったな……」
2回ほど迷いそうになりながらもたどり着いた服屋で、リクルとフリートはうずたかく積み上げられた服を前に感想を漏らした。高い服はどうやら店の奥のほうにしまってあるらしく、平積みされているのは古着や汚れた服のようだが、それにしたって凄まじい量である。端の方に血痕がついている服もあったので、フリートはそっと目を逸らし、リクルの視界に入らないように位置をずらす。こんなところでこの町の闇を知る必要はない。
「これ……探すの一苦労ですね……」
「詳しい人に頼もう。おーい!」
「はいはーい」
フリートが店の奥に呼び掛けると、奥から恰幅のいい女性が出てきた。彼女はリクルとフリートを見ると、目を丸くして驚いた。
「あらまぁ、あの時の! 仲良しだねぇ」
「え……覚えてるんですか?」
「そりゃあねぇ。あんな訳ありです! って言ってるような恰好で来たら覚えるわよぉ」
フリートとリクルは言われて、前回来たときの服装を思い出す。リクルは大きめの男用コートの前をしっかりと合わせ、フリートは普通だったが、落ち着かなさげに周囲をきょろきょろと見回していた記憶がある。それは目立つ。
「で、ようやく、追加の服かい? どんなのが欲しいんだい?」
「……どんなのが欲しい、リクル」
「えーと……大人っぽいやつ……?」
「あー、わかったわかった! あんまり決まってないんだね! お兄さん、予算は?」
「き、金貨1枚だ」
「うわぉ、太っ腹! ま、私が言えたことじゃないけどね! はっはっは!」
ふくよかなお腹を揺らして笑う女性に、リクルとフリートは曖昧な笑みを返した。女性の勢いの強さに、二人とも押され気味である。
「そんなに稼いでるなんて、お兄さん冒険者なのかい? この間の大暴走んときはありがとね、おかげでまだまだ服が売れるよ!」
さあ、服を見るよ! とリクルを奥に連れていく女性を見送り、フリートは息を吐いた。
(ああいう人も、生きているのか……この町には)
明るく楽し気に、人生を生きる女性。まるで迫った絶望と恐怖を感じないかのように振る舞う彼女。フリートは少し、話を聞いてみたいと思った。
「ああ、これも似合うね! どうする、全部買っちゃうか!」
「ぜ……全部……?」
「金貨1枚あれば買えるけどねぇ……さすがに迷惑かな? ま、あんたが気に入ったのにしなよ!」
「えーっと、えーっと……」
「着てみないとわからないか! 試着室に行こう!」
「え、ええっ!?」
悩む時間すら与えない、という勢いで服屋の女性はリクルの手を引っ張って試着室に放り込み、続いて商品であるはずの服を数着投げ入れた。「着替えるまでは開けちゃだめだよ!」と告げ、さも一仕事終えたかのような顔で戻ってきた。
「お兄さん、あの子とどういう関係だい?」
「妹みたいなものかな」
「肉体関係は?」
「……げほっ、ごほっ! ……なんてことを聞いてくるんだ」
「いや、肉体関係があるなら、夜が盛り上がる下着もあるよって言いたかっただけさ」
狼狽えて睨みつけるフリートだが、女性はカラカラと笑ってその視線を受け流した。その朗らかさに、フリートも毒気を抜かれてしまう。そして、その精神の強さが気になった。
「名前を聞いてなかった」
「あたしかい? あたしはカロ。服屋のカロさ。そういうお兄さんは……」
「ああ、フリートという。見てのとおり、しがない冒険者さ」
フリートは腰に携えた剣を叩いて答えた。フリートが愛用していたなんの変哲もないロングソードは失われてしまったため、冒険者たちが回収した剣を頂戴した。愛用していた何の変哲もないロングソードから、ただの何の変哲もないロングソードに変わっただけ。一応ダガーなどの武器も嗜み程度には扱えるが、冒険者になってからはこちらの武器の方が使った回数が多いので、慣れ親しんでいる。
「へっ、しがない冒険者は服に金貨1枚も出さないよ! 凄腕なんだろ、死ぬんじゃないよ……あの子のためにもね」
カロが見つめる先には、着るのに悪戦苦闘しているらしいリクルの姿があった。と言っても、布で遮られていて見えないのだが。
「死ぬつもりはないが……」
気になる。この状況、この世界で、なぜそこまで強く明るく生きられるのか。それが、フリートが気になっていることだった。
「余計なお世話、かい。まあわかっちゃいるんだけどね……こんなご時世だ、親を失った子供やら、子供を失った両親やら、恋人が行方不明やら妻が死んだ夫やら、色々見てきた。で、そのたびに祈るのさ。私は戦うことなんてできないからね!」
「……祈る?」
「そうさ。女神カロシル様にじゃない、ベレシス様にでもない。そんな御大層なものには祈らないよ! 私が祈るのは、人の善意さ」
「善、意?」
久しぶりに聞いた言葉だった。
「どんなクズにだって、どんな人間にだって、良心があるもんさ! まあごくまれに、とんでもない奴もいるけどね! だから、そのちっぽけでも確かにある良心と善意に祈るし、私だってその善意ってヤツには従わなきゃいけない。腹が空いたってんならちょっとくらい分けてやろうじゃないか。寒いって言うならタダ同然で服を売ってやろうじゃないか。なに、私ならちょっとくらい大丈夫さ! なんせ太いからね!」
おなかを揺らして、カロが笑う。フリートは、彼女の言葉をじっと聞いていた。
「……あたしってば、なに熱くなってるんだろうね。でも思うのさ、こんな時代だからこそ、見失っちゃいけないものがあるって。お兄さんにはそういうの、ないのかい?」
「いいや、面白い話だったさ。あなたが持つその心の強さ、ぜひ見習いたいものだ……。見失ってはいけないもの、か」
フリートは思う。もしかしたら――自分が知らないだけで、この町はそういった人物たちによって支えられているのかもしれない。
フリートには力がある。魔獣が相手ならなんとかする自信はあるし、戦う術もある。だが、この町に住む圧倒的大多数の人間はそうではない。グルガンのような例外もいるが、多くの人間が戦う手段を持たないまま、それでも冒険者の生活を支えているのだ。食事を作り、野菜を育て、服を作り、家を建て、この町を作り出した。
この、終焉が約束されている場所に。それでも確かに、作り上げたのだ。
「ふ、フリートさん……どうですか……?」
「おお、似合ってるねぇ!」
恥ずかしそうに着替えた服を見せるリクル、それに嬉しそうに喰いつくカロ。目の前の二人と戦えば、間違いなく自分が勝つ――だが、その精神の強さは、二人のほうが上なのかもしれない。いつ終わるともしれない町で生活する、ということはそういうことだ。
フリートはそんなことを想いながら、リクルが着ている服は購入することに決めた。若草色のワンピースだった。