第3話 幽霊
勝手に扉は閉まったが、別に開けられなくなったわけでもなく普通に開けられたため、フリートとリクルは家の外で話をすることにした。
「ゆゆゆ、幽霊が出るんですか……?」
「ああ……でもなんか、話を聞く限り……」
「聞く限り……?」
怯えるリクルに、フリートが身も蓋もない言葉を返した。
「ショボい」
「ショボ……? ショボい、ですか?」
フリートが聞いた幽霊の仕業はこうだ。
いわく、皿が動いている。
いわく、掃除しようと思った場所がキレイになっている。
いわく、気付いたら草むしりが終わっている。
いわく、閉め忘れた窓が閉まっている。
「いい、幽霊さんなんですかね……」
「そんなものがいるとして、の話だがな……」
幽霊、と聞いてフリートが思い浮かべるのは、悪霊や幻霊といった、この世ならざる者たちだ。物理攻撃の一切を無効化し、おぞましいまでの怨念と呪いを振り撒く災害。魔法攻撃しか効かない奴らは、フリートのような冒険者にとっては天敵である。戦いになった場合、勝つ手段はない。
「悪霊とかなら、いないはずだしなぁ」
そうなのである。ここギベルの町は、周囲で死んでいった冒険者や魔獣の怨念によって生まれた悪霊の類は、全て『聖女』リリーティアの結界でシャットアウトしている。少なくとも、こんな街中に悪霊や幻霊がいることはあり得ない。
「えーと、そうか、『聖女』様のおかげですね」
「そうなんだよ。ちなみにこの家、『聖医』クロケットと、巫女見習いの人たちも確認してるんだって。それで、問題はなかったらしい」
「そうなんですか……」
「で、なんか致命的な悪事みたいなのはなかったんだけど。物が勝手に動くのは気持ち悪いってことで買い手が見つからないんだってさ」
「……私としては、実害がなければここでいいですよ? 気に入りましたし」
そうなのだ。その幽霊の話さえなければ、フリートもこの家を迷わず買っていた。そのくらいいい家なのである。そして立地条件に縛りがある以上、正直これ以上の家は見つからなさそうなのだ。
「じゃあ、ここでいいかな? もし耐え難かったら売って、また探そう」
「そうですね。でもあの意味のわからない手続きを踏まないと入れない家は嫌ですよ」
「そうだね。俺も嫌だよ」
なんであれを候補にいれていたのだろう、と首を傾げながらフリートとリクルはその家を後にした。決まってしまえば、あとは購入する手続きと、引っ越しの準備である。
「ここからあくび亭ってどう行けば近いんでしょう?」
「うーん……?」
フリートはおそらくあくび亭があるであろう方角を見る。種々様々な家や道路が乱立し、複雑怪奇な光景を作り出している。正直、道もあくび亭もここからでは全くわからない。
「おいおい探すしかなさそうだね」
「そうですね……」
とりあえず、管理者に購入の旨を伝えるために、フリートは移動を開始した。あの管理人も不良債権であるこの家を売りたがっていたし、購入することを伝えれば喜んでくれるだろう。
というわけで、しばらく歩いた二人は問題なく管理者から家を買い上げることに成功した。全部で金貨8枚。このあたりの手続きは、いい感じに社会を支配する諦めの感情のせいで、とても早い。いつ死ぬともしれない人生である、だれだって余計なことに時間は割きたくないのだ。
「これで、今日から住んでいいってさ」
「おおー……」
手続きがあっさり終わり過ぎて、いまいち感動できない二人。念願の――というわけでもないが、マイホームを手に入れたのにリアクションが薄い。かといって無理やりテンションをあげるのも変な話。だがとてつもなく高い買い物をしたのは確かなので、二人は奇妙に浮ついた雰囲気のままあくび亭に戻った。
当然、目ざといグルガンがそれを見逃すはずはなかった。
「どうしたんだ、二人とも。なにかいいことでもあったのか?」
まるで恋人同士のようだ――とグルガンの目には映った。
(そう、例えば。気になる異性と急接近することに成功したとか、お互いに意識していることに気づいてしまった、とか……。まるでそんな雰囲気だぜ。これはもしかするともしかするか……?)
グルガンは「何もなかったですよっ!?」とか言いながら顔を真っ赤にするリクルの姿を想像していたのだが――
「はい。家を、買いました」
――まさかそんな爆弾発言が飛んでくるとは思っていなかったグルガンの思考が止まった。
「はぁっ!? 結婚するのかお前たち! いくらなんでも早すぎないか!?」
「ケッコ……?」
「いいや、だが待て。このご時世だしなぁ。死ぬ前に家庭を持ちたいって気持ちもあるか……フリートは恋人もいなかったみたいだしな……」
「おい」
「よし。短い付き合いとはいえ、浅い付き合いってわけでもねぇ。ここは披露宴に出す料理は俺が自腹でよりをかけて――」
「……なんかすごい勘違いストーリーが始まってるんですけど……どうしましょう、フリートさん」
「……あとで説明しておいて」
想像どころか空想が暴走し始めたグルガンを見て、フリートは面倒くさくなって全部リクルに放り投げた。先ほどまでの浮ついていた雰囲気も台無しである。あまりにも突拍子もない思考へと飛躍するグルガンを見たら冷めてしまった。
フリートはこれから仕事のリクルを残して自分の部屋に戻り、仮眠をとることにした。結局、グルガンの誤解は面白がって煽ったリクルが、夜にフリートに泣きついて解くまで続いたのだった。
† † † †
「やれやれ、お疲れさまー」
暗闇の空間に、声が響く。続いていくつもの影が揺らめき、それぞれが一斉に口を開いた。「抜け駆けしやがって」「また負けたの?」「使えない男ですね」などの罵倒が続くが、彼は何も気にすることなく突っ立っている。
「いやぁ、負けた負けた。人類は強いねー」
多くの魔人たちから罵倒を受けても、何も気にした様子もなくケラケラと笑う男――“道化”のシギー。
「全く私が開発した魔獣も3匹も無駄にしてくれて……どうしてくれますの?」
「ええ? だって、まだ開発段階だからデータが欲しいって言ったのそっちじゃないか」
「まあそうですけど。獅子は頭が悪い、鳥は本能が強すぎる、蝶は自我が強すぎた。難しいところですわね」
「“貴婦人”、また開発した魔獣がいれば借りたいなーなんて♪」
「当分はいいですわ。こっちに集中するとします」
“道化”と“貴婦人”の会話が終わった、と判断したほかの魔人たちが口を挟む。
「しかし、意外と粘るな、人類は」
「嬉しそうですね“闇騎士”……」
「とっとと滅ぼそうぜ、なんなら次は俺が行くかァ?」
「“狼王”、貴女はやめてください。ちゃんと自分のやることをやってください」
「じゃあなんだ、こいつでも行かせるか?」
「ひぃっ!? ぼ、僕ですか!?」
「“迷宮”を離してやれ。いじめるんじゃない」
「もう嫌ですこの人たち……“闇騎士”様……やっぱり私はここに来たくありませんでした……ああ……」
「おいそこの欝々としてるやつなんとかしろよ。なんか、神の加護とかねぇのかおい」
「ありませんね」
「断言しやがったぞこいつ」
“道化”。
“教徒”。
“狼王”。
“貴婦人”。
“詩人”。
“闇騎士”。
“迷宮”。
7人全員がこの場所に揃うことはめったにない。“詩人”はこの会合を嫌っているし、ほかの魔人も毎回必ず出席するというわけでもない。今回集まったのも、“道化”の話を聞くためと、次誰が動くのかを探るためだった。
「そこの仲良しコンビは動かないのか?」
直球で問いかけた“狼王”に対し、老爺の声が答える。
「ああ、動かんよ。そもそも、儂と“詩人”の望みは既に達成されている。1人――いや2人、心残りはあるが、まあ別に構わん。どこかで死ぬじゃろ」
「……ああ、暗き地に満ちる嘆き。私たちが、代わりにその歌を奏でましょう……」
“闇騎士”と“詩人”が答えれば、続いて艶のある女性の声が続く。
「私も、今すぐ動く気はありませんわ。あの小娘が厄介でして……」
「……“貴婦人”か。そういや今どこにいるんだお前?」
「私の研究所の位置は秘密でしてよ、“狼王”」
「そういや、そうだったか。んじゃ次、お前だ“教徒”」
「神は動きません。ただそこに在って、見つめるのみです」
「静観するってことだな。じゃ、次……ってもう、俺か“道化”か“迷宮”しかいないじゃねぇか」
“狼王”と呼ばれた女性の声が困惑の声をあげた。すると縮こまる影が1つと、勢いよく立ち上がる影が1つ。
「じゃーしょうがないな! “狼王”は守護の仕事があるし、“迷宮”は引きこもりだし! 本来連続キャストはよくないんだけど、人手が足りないなら仕方ない! 舞台を盛り上げるのが役目、間奏なんて認めない。いつもいつだってフィナーレに向かって一直線、この私“道化”の出番――」
影が、“狼王”の爪と石の槍によって貫かれた。
「ひどくない? だってそういう流れだったでしょ今?」
「連続はずりーだろ。だいたい、お前今なんもできないだろ?」
首が取れている状態にもかかわらず、“道化”のシギーは頷いた。
「そうだね。また魔獣を集めないとね、“教徒”?」
「神の言葉に耳を傾けましょう、ということです。いえ、神は何も言いませんが」
「相変わらず狂ってるねぇ。僕は君が狂った理由、わかるけどね……同胞が狂うのを見るのは苦しい! 苦しいね!」
「狂っているのではありません。狂ったように信じているだけです」
“道化”と“教徒”の、周囲を置いてきぼりにする会話が続く。
「君はまだかい? もうかい?」
「もうですね、シギー。我らが神は選びませんし、告げませんし、光らないし、思いません。ただそこに在るのみです」
「その通りその通り。なればこそ、そのうえで踊る物語は劇的でなければならないと思うんだけど?」
「それは任せます。ご勝手にどうぞ」
すげなく返された“道化”は嗤う。まさに狂気。正しく狂っている。自分のように狂いを自覚しながら捻じ曲がったのではなく、狂うことすら知らずに妄信した結果の狂気。
「……あの二人の意味不明さはいつものことだから置いておいて。で、実際どうするよ?」
「まあ、いいのではないか? どうせ、滅びる定めよ。無理して今攻めることはあるまい」
“狼王”の疑問に“闇騎士”が返し、いつものようにそこで解散となった。それぞれの影が、思い思いのタイミングで溶けるように消えていく。最後に、この空間を維持していた“貴婦人”が“教徒”を残していなくなると、周囲は静寂に包まれた。
「神は何も望みません。私にも、自分にも」
“教徒”の呟きだけが、消滅寸前の空間に響き、彼の姿も消えた。