第2話 家選び
「家を買う……ですか?」
「正直、非常に申し訳ないんだが、仕事の都合であくび亭よりも砦に近い位置に住む必要が出てきたんだ」
フリートは細かい部分を隠してリクルに伝えた。これで『本気出したら目をつけられた』などと話したら、心配されるに決まっている。
「えーと、それは別に大丈夫です……というか、私とお母さんは、フリートさんの言う通りにしますし。ね、お母さん?」
「ええ、そうですよフリートさん。少しだけ体調も戻りましたし……今私たちが生きてるのは、フリートさんのおかげなんですから。そんなに縮こまる必要はないですよ」
咳も多少収まったらしいテテリが言い、フリートは顔をあげた。顔色は悪いが、優しく微笑むテテリと困ったように笑うリクルを前に、ようやくフリートの顔も笑顔になる。満面の笑み、というほど爽やかな笑顔ではなかったが、少なくとも先ほどまでの緊張感にあふれた顔よりはマシだ。
「あ、でも、私家は厳選します。こだわりがあるので」
「ああ、それは頼む。俺と一緒に住むことになるが、これからもよろしくな」
リクルはフリートが差し出した手を包み込み、笑顔になった後――眉をひそめた。
「フリートさん、怪我してませんか?」
「ん? いや、剣タコだよ。気にしなくていいし、放っておいても治るよ」
「ダメです! 今包帯持ってきますから、そこでおとなしくしててください」
「家選びは?」
「そのあとです! 動かないでくださいね!」
フリートは激戦の末に体に刻まれた数々の傷を誤魔化そうとしたが、結局全てリクルに見破られた。メニューの時といい、リクルという少女の眼力はなかなかのものがある。意外と冒険者も向いてるかもしれない――と想いながらも、フリートは自分の体を触っていった柔らかい手の感触を思い出す。
とても、争い事をさせる気にはなれない。性格的にも、人と争うのは苦手だろう。
「ふふっ、フリートさん。ありがとうございます」
「なにがですか?」
テテリの突然の礼に、フリートは振り返らずに訊き返す。
「生きて帰ってきてくれて、です。正直、私も娘も不安でいっぱいでした。これが、待つ人の気持ちなのですね」
「……そうですね。本当に、帰ってきてよかったです」
テテリからのお礼に背中がかゆくなりながらも、リクルに言われた『動くな』を守り続ける。やがて、包帯を取りにいったリクルが戻ってきて、なぜかグルガンもついてきた。
「おい嬢ちゃん、そんな馬鹿の怪我、放っておいても治――」
「グルガンさんまでそんなこと言うんですか! 下半身は流石に私も見れないのでグルガンさんが確認してください!」
「いや待て、何がどこでどうなってそうなったんだ。グルガンお前そういう趣味なのか!?」
「馬鹿言うな! 俺は妻子持ちだったんだぞ! なんで俺がお前の下半身の怪我を確認しなきゃいけないんだ!」
「フリートさんに聞いてもどうせ大丈夫って言うに決まってます。信用できません、グルガンさんお願いします。どうしてもだめなら仕方がありません、私が見ます」
「おい待て、ズボンに手をかけるな! 早まるな! 下はほんと大丈夫! 怪我ないから!」
「いーえ、怪我してても隠すに決まってます! さあその手をどけてください! さあ!」
「なんでそんなに必死なの!?」
グルガンがあきれたように溜息をつき、頭を抱えながら出ていった。どうやら彼も、リクルの思い込みの激しさは知っているらしい。もしくは、フリートとリクルが繰り広げる痴話喧嘩にも似た言い合いに、辟易としたのか。
「こら、リクル。待ちなさい」
「お、お母さん」
「ありがとうテテリさん……」
「殿方の股間は初夜の時に見るものよ。それまでは貞淑でいなさい」
「テテリさん!?」
「う、うん……」
「でも適度に意識はさせなさい」
「わかった!」
「テテリさん!」
フリートが怒りの声をあげるが、残念ながらテテリは涼しい顔で受け流した。しかし母にたしなめられたリクルがフリートのズボンから手を離したので、フリートは安堵の息を吐いた。少なくともこのような状態で脱がされるのだけは嫌だった。
「じゃあ拭きますねフリートさん」
「え……なんかあれだけ騒いでたのに、急にケロッとされると困るんだけど……俺がおかしいのか……?」
濡れタオルを手に取ったリクルが、丁寧にフリートの体を拭いていく。砂埃や垢が拭われ、フリートは久々に体の緊張を解いた。大暴走中はもちろんだが、オーデルトから大金を預かってからも常に周囲を警戒していたのだ。いつ襲われるかわからない――だいたいの襲撃者ならば追い返す自信はあるが、囲まれてしまうのはマズい。お金を持っていると見られるのも問題だった。
「ふふ、フリートさん疲れてますね。そのまま楽にしてていいですよ」
リクルの声を聴いた右手が、思わず剣の方向に延びるが――なんとか、理性でその動きを抑え込む。ここは現実だ、もう警戒する必要はない。
「ああ。激闘だったからな……」
思い起こせば、綱渡りのような勝利だった。あの時、自分が起きなかったら、戦いはもっと長引いていた可能性もある。いいや、おそらく長引いていた。
(魔獣が夜襲してくる可能性、か……)
これまでの大暴走では、その可能性はなかった。夜になれば魔獣たちは動きを止めた。それもあって、人類はその間に治療をしたりして戦う態勢を整えていたのだ。夜まで粘れば休める、というのも気力が続いた理由だった。
(レヴェオ。統率個体……ネメリアと同じく、造られた人造の魔獣なのか……?)
“貴婦人”。“道化”。
“道化”のシギーは有名人だが、“貴婦人”という名前を持つ魔人のことを、フリートは知らない。その名前の通りならば、おそらく女性の魔人なのだろうが……フリートが知らないということは、あまり前線に出ていたタイプの魔人ではないのだろう。魔獣を作り出した、というところからも、どこか後衛――研究者のようなイメージがある。
「考えても、仕方ないか……」
「はい、フリートさん! 巻き終わりましたよ!」
フリートはリクルの声で思考の海からあがり、自分の体を見下ろした。上半身には丁寧に包帯が巻かれ、まるで大怪我しているようだ。少し両腕を動かしたり、腰を捻ったりしてみるが、特に動きを阻害するような感覚はない。それでも激しい戦いのあとなので、まだまだ全盛期には程遠いが。
「うん、ありがとうリクル。助かった」
「はい。むしろ私こそありがとうございました」
「……?」
ぶつぶつと「筋肉すごい……」「二の腕……」「骨。硬い……」と呟いているリクルの言葉を全て聞き流しながらフリートは立ち上がった。シャツを着て、その上から暗褐色のコートを羽織る。意味は分かってるが、相手にすると何か恐ろしいものの蓋を開きそうだったので、聞こえなかったフリをする。床に並べた貨幣を集め、袋にいれて腰にくくりつけた。
「じゃあ家を選びに行こう、リクル」
「はっ! はい!」
そんな2人をテテリが優しく見守り、手を振って送り出した。
「こことかどうだろう?」
フリートが紹介した家を見るリクル。真剣な表情で吟味し、壁を手で撫でる。
「……これ、隙間風とか入りませんかね……」
「……基本的には入らないと思うけど……」
家を買ったことのないフリートと、今まであばら家で暮らしていたリクルは、若干間違えた方向性のまま家を選び続けた。
「ここどこから入るんですか?」
「そこの橋を渡って、柱を回って、屋根の上を4回たたくと扉が開くんだって」
「……その扉はどこに?」
「屋根が開くらしいよ」
「なんでそんな面倒な構造に……」
「侵入者対策だってさ」
日々の生活が面倒くさそう、という理由で却下になった。確かに、疲れて帰ってきて毎回その手順を踏むのは面倒くさい。
「ここ、いいじゃないですか!」
「ここは、わりと自信あるよ。ちょっとあくび亭から遠いけどね」
クリーム色の家を見たリクルが歓声をあげる。落ち着いた雰囲気のあるたたずまいで、その家は建っていた。小さいながらも庭があり、庭には草が生えている。伸びた煙突は茶色に色が塗られており、長い間人が入っていなかったからか、少し寂れた雰囲気がある。だが、こじんまりとしたその家は、生活するうえでは便利そうな家だった。あまり大きすぎても、移動が面倒になるだけだ。
「中に入ってもいいんですか!?」
「ああ、話はついてるからね」
フリートが最有力の候補として選んだ家だ。フリートの中では、ほとんどここに住むことが確定している――一点、不穏な噂についての同意を得られれば、だが。
「わぁ……ここ、いいですね! 落ち着きます!」
あまり家具は残っていないが、それでも見学するにあたって管理者が掃除をしてくれたのだろう。中はフリートが見たときよりも綺麗に片付いている。入って廊下を進むと居間があり、そこから奥はキッチンだ。左側には部屋が二つ配置されており、その向かいにも二つ配置されている。二階はないが、それぞれ生活できる部屋が四つあるのは珍しい。
「四つも部屋がありますよフリートさん!」
「そうだな……大家族が住んでいたのか、それとも個室があったのか……なんにせよ、ひとつは物置として使えそうだな」
「フリートさん、私この家がいいです!」
(まあ、そうなるよな……)
フリートも、初めて見たときはそう思ったのだ。いい家だ、と。そして同時に疑問に思った。「なぜこんなにいい家が、売れずに残っているのか?」と。ここギベルの町は、今最も多くの人間が流入してくる町だ。家は真っ先に売れる。
最初は値段が高いのかと思って管理者に聞いてみたが、値段はむしろ相場より安い。ならばなぜ――と思ったフリートは根掘り葉掘り尋ね、管理者からその理由を聞き出した。
「ここ、出るんだって」
「な、なにがですか……?」
怯えたように後ずさるリクル。
「幽霊」
誰も触れていない扉が、勝手にしまった。