第1話 隙間
「これを見てほしいんだ」
フリートが床に並べた数々の硬貨を前にして、リクルが返した。
「自首しましょう、フリートさん」
あまりに高額な貨幣たち――具体的に言うのであれば二十数枚の金貨、数十枚の銀貨を見てリクルが迷わず告げた。さらに追い打ちをかけるように、ベッドに横たわる女性……テテリが口を開く。
「……迷惑をかけている自覚はありますが……犯罪はよくないかと……」
「違うよ!? ちゃんと正当に稼いできたの! この間の大暴走の報酬!」
「こ、こんなに貰えるものなんですか……」
「あとはちょっと魔獣の素材をくすねたりした」
フリートはあの戦いの功労者の一人であるので、普通の冒険者や兵士よりも多めに報酬をもらってはいる。だが、市民の人間にはあの戦いはいつも通りの大暴走であると伝わっているので、フリートは報酬の多さを誤魔化した。なにより、敵の大将に単身で突っ込んでいったなどと知られれば、リクルに怒られるか泣かれるのは間違いない。
「それで、こんな大金どうするんです?」
リクルのその質問に、フリートは大きく頷いた。そして息を吸い込み、断固たる決意を秘めた目で告げた。
「家を買う」
ここに、大量出費の予定が決まった瞬間である。
そもそも、なぜフリートが家を買おうと思ったのか? 話は、三日ほど前に遡る。
「ああ、お疲れさま、『無音』」
「いえ、『軍神』殿こそ、お疲れ様です」
執務室に並ぶ、若干疲労の色が見える『軍神』オーデルトと、その隣に並ぶ『予言者』ミリ。戦時中はどこぞへと避難していたようだが、通常業務に戻るにあたって戻ってきたらしい。
「『無音』……それとも、『惨殺鬼』、と呼んだ方がいいかな?」
「……いえ」
「ああ、ごめんね。これは不躾な質問だった。けれど、許してほしい。これからの君の戦力の話なんだ」
ニコニコとほほ笑みながら、けれど全く笑っていない目でフリートを見据えるオーデルト。
「私たちは君がテッタ公国の『惨殺鬼』であることを確信している。『祝福』も使わずにその消音性能、暗殺技能、たいしたものだ。そして君が見せた『惨殺鬼』としての戦闘能力。これは欲しい。ぜひともね――それこそ、脅してでも、だ」
フリートはその言葉を受けても、微動だにしない。身構える必要がないから――ではない。もとより、この部屋に入ったときから、フリートは全力で二人を警戒している。
「あけすけな話をすると、脅すつもりは全くないんだけどね。いくら私と優秀な砦の兵士たちでも、世に聞こえしあのテッタ公国一線級の暗殺者から逃げる術はない。君はあっさりと砦に侵入しているし、殺そうと思えば私をいつでも殺せるんだろう?」
フリートは無言だ。
「だが、私を殺せば人類は大暴走を凌げなくなって死ぬ。私は君の戦力を是非とも手元に置いておきたい――どうかな?」
「……申し訳ありませんが、私の『祝福』はそう何度も使えるものではありません。あくまでも『無音』としてなら協力はしますが、『惨殺鬼』としての戦力は期待しないでいただきたい」
フリートの答えはNO、だった。彼が持つ『祝福』は、短い期間で連続して使うと凄まじい勢いで弱体化していくうえ、純粋な強化というわけでもない以上、乱発するリスクは避けるべきだった。
「そうか。まあそうなるとは思っていたけど、やっぱりだめか」
「はい。それと、砦に常駐するつもりはありません」
これにはオーデルトも顔をしかめた。
「通う、ということかい? それは困るな。君が今いるあくび亭は、そこまで遠くもないが近くもない。不測の事態に備える意味でも、砦に常駐してほしいところだ」
しかし、フリートはこの条件は譲れないと突っぱねる。
「私が守ろうとしているのは、人類全体ではないので」
「……ならば、常駐はしなくていい。代わりに、もう少し近くに住んでくれ。あくび亭は遠すぎる」
「近く、というとどの程度でしょうか」
ここで、少しも動かずに立っていたミリが動いた。
「こちらがエリアの地図になります。この中でいい物件がありましたらそこを購入してください。ちなみにこれは私のおすすめの物件です。ご参考までにどうぞ」
あくび亭と砦までの、ちょうど真ん中あたりまで半円状に線が引かれている。今作ったものではない――フリートが抗議の目線をオーデルトとミリに向けると、オーデルトは笑みを深め、ミリは素知らぬ顔で目線をずらした。もとより、この着地点を狙っていたのだ。してやられたことを自覚しつつ、フリートは最後の抵抗をしてみる。
「しかし、お金がないことには――」
ドン、と机の上に袋が置かれた。
「今回の大暴走の報酬だ。なに、今回は君のおかげで人類が救われたと言っても過言ではない。報酬には色をつけさせてもらったとも、家を買うのに問題がない程度にはね!」
「……こういうのって、普通は全額そちらが負担では?」
「どの家を気に入るかわからなかったから、とりあえず金貨を15枚ほど追加しておいたよ」
一等地に建てられた別荘を買えるレベルの大金である。維持費やらなんやらで、住み続けることは難しいだろうが、ただ買うだけならば、土地ごと買い取れるだろう。とんでもない。
「……わかりました」
とりあえず、検討はしてみようと思い、フリートはパラパラとミリに渡された資料をめくった。
純白に彩られた別荘。
極彩色の賃貸。
奇妙なオブジェのような家。
「これ、誰が選出したんです?」
絵はうまい。画家として食っていけるだろう、程度には。
「『伝写』のパトと言う者にお願いしました。彼女は他者の記憶上にある光景を伝達できるという『祝福』を持っていますので、見た者の脳内情報を絵がうまい者に伝達してですねーー」
「選んだのは?」
オススメ! と書いてある三枚をヒラヒラと振りながらフリートは重ねて訊ねる。
「私ですが、チョイスに何か不満でも?」
「……いえ」
フリートは若干『予言者』ミリの印象を変更しながら返し、ゆっくりと下がって退室した。群青色の髪を揺らし、フリートの顔を仏頂面で見上げていた少女は、そっと視線を外して呟いた。
「オーデルト。今見たのは忘れてください」
「おーけい、ミリ。ここでは何もなかった……だからそんなに怒らないでくれ」
「怒っていませんし、何も起こっていません。怒る理由がありません。だからその微笑ましいものを見るような視線をやめてください。私のセンスに何か文句があるのですか」
仏頂面のまま言い募るミリに、オーデルトは肩を震わせながら答えた。
「ない、ないとも。くくっ……」
「次笑ったら食事を抜きにします」
「そんな!」
内政の一手を司る彼女が食事なし、と言ったら本当に食事を抜く。そのことを知っているオーデルトは慌てて顔面を引き締める。ついでに、考えたくなかったことを思い出した。
「シャルヴィリアかぁ……」
「ああしたのは貴方なのですから、しっかり最後まで責任とってください」
「うんまぁ、そうだね。ちょっと想定以上だったけど。弱ったな……あそこまでの強度に届くか」
「……実利と打算で、女性を口説けるのだからすごいものです。全く好ましいとは思いませんが」
「うん、そりゃあね。必要だからやっただけだし、代わってもらえるなら代わってほしいと思うけどね……」
「今の弱音は聞かなかったことにしますよ」
「助かるよ、ミリ」
オーデルトは溜息を吐いた。彼女の『祝福』を安定させるための手段で、それはとても褒められた行為ではなかったが、人類を守護するためには必要と判断し――実際、そのおかげで人類は生き延びた。
「しかし、戦い以外はよくわからない、というのが正直な気持ちだしな」
オーデルトは椅子の背もたれに体重を預け、天井を見上げて目を閉じた。そのあとしばらくは、ミリが書類を整理する音だけが執務室に響いていた。
執務室を後にしたフリートは、大量の金貨が入った袋をおっかなびっくり持ち運びながらこれからのことを考えていた。まず何よりも問題になるのは、リクルの移動である。あくび亭で暮らしている間は職場と家が一緒だったので、母親であるテテリと離れずに済んだ。移動中に、誰かに浚われるということもない。
しかしこれから家を買い、そこからあくび亭に通うとなると、少し大変だ。今まで夕食時も働いていたが、そうすると帰りが夜遅くになってしまう。年頃の女の子に夜道を歩かせるわけにはいかない、とフリートは悩む。
「毎日迎えに行くか……」
家の件をリクルとテテリに相談するにしても、ある程度の候補があったほうがいい。そう判断したフリートは、ミリに渡された奇天烈な家の書類を全て破り捨てると、まともで砦とあくび亭のちょうど中間にあるような家を求めて歩き始めた。
そうして歩き回り、ある程度情報がそろったのが今――三日後、ということだ。