第29話 『無音』
目が覚めたフリートはまず、人類が置かれた現状を認識した。とっくの昔に折れていた心を必死にかき集め、つなぎ合わせ、俯きそうになる視線を持ち上げて前を見る。
「……目覚めたか」
「貴方は……?」
「クロケットだ。よく、自力であの魔獣から生還した」
片眼鏡をかけた男は、感情のこもらない声で淡々とフリートに話す。
「いえ、助かりました。クロケットさんが外からネメリア……魔獣に干渉してくれてたんですよね?」
あの胸の痛み。緑の光は、彼の魔法によるものだろうと判断したフリートは頭を下げる。
「ふん。私が与えたのはキッカケにすぎん……あそこまで侵食が進んだ魔獣を引きはがしたのだから、貴様を評価する。冒険者などではなく、貴様は間違いなく英雄の1人だ」
クロケットの冷静な視線に怯む。真意を問いただそうと、口を開きかけたフリートだったが、勢いよく扉が開いた。
「さっすが『聖医』クロケット様! フリート、大丈夫か? 戦えるか?」
「ウェデス……?」
「うるさいぞ、冒険者。患者がいるのであればそこに捨て置け」
「んじゃクロケット様、この人よろしくお願いします!」
「よろしく頼む」
「疲労など癒せるわけなかろうが。寝てろ」
うつ伏せの状態で動かないまま喋ったトローに対し、一瞥も向けずに吐き捨てたクロケット。ウェデスはフリートが起き上がったのがよっぽど嬉しかったのか、跳ねるように近づいてくる。
「で、フリート! 戦えるか?」
問われ、確かめる。体にわずかに疲労はある。精神――は、少し辛い。辛いが、やることがあったほうが、助かる。
「行ける」
「よっしゃ! そうであれば、失礼して、っと――説明は移動しながらだ!」
フリートを抱え上げたウェデスは、一陣の風を残して部屋を後にした。黄金色の光を散らし、岩影丸の内部を走り抜けていく。
「状況としては、『軍神』が統率個体の場所を捉えた! そこまでの道を作ろうと隊長クラスを一点集中で投入した――道はできてるが、決定打が足りない! お前の力で、最後大穴開けてくれ! 『祝福』、行けるんだよな!? 信じるぞ!」
フリートの体に黄金の光が瞬く。
「問題ない」
「っしゃ! じゃあ、行くぞッ!!」
砂埃を巻き上げながらウェデスが走る。魔獣の攻撃をかわし、ところどころで迂回し、腕の一部が石化しても走り続ける。やがて、激しい戦闘音が聞こえる場所にたどり着く。
「オーデルトさん! 『無音』を連れてきたぜ!」
「よくやった、ウェデス。このままでは負けはしないが、今日中に勝負をつけられないところだった」
アディリーは肩で息をし、キッカにいたってはもはや喋る気力すらないほどに疲れ果てている。
「シャルヴィリアの『祝福』がそろそろ切れるころだ。それまでに片をつけてくれ」
「道は、比較的余裕のある私が開きましょう」
「わ、私もー……! あと一発なら……!」
刀を携えたカンナと、息も絶え絶えなアディリーが手をあげる。
「いいや、だめだ。『斬鉄』と『氷牙』には私とキッカを砦まで連れ帰る役目がある」
「じゃあ、その役目は俺が代わろう」
『軍神』オーデルトのダメ出しに、さらにダメ出しをしたのは、全身傷だらけのセルデだった。頭から血を流し、右足の膝部分は石化している。明らかに激戦を繰り広げてきたあとだというのに、セルデは朗らかに笑った。
「フリート、あとは任せたぞ。俺は、この生意気で正論しか言わない指揮官を砦に連れ帰るからな」
「……任された」
ネメリアの想い、言葉。
守りたいモノがあるから。
そんなきれいごとではない。
ただ、まだ戦えるから。
まだ、抗えるから。
だから――戦う。
だから――
「今ここで、間違えた始まりを終わらせよう――」
フリートの呟きと、戦う意思に反応し、黄金色の光がフリートの体を覆う。その中に――わずかに、黒と白の線が走っていたように見えたのは、きっと気のせいなのだろう。
カンナが刀を構え、アディリーが真っ青な顔で詠唱を開始する。
オーデルトがシャルヴィリアに最後の力を振り絞るように伝えれば、セルデは撤退戦に向けて周囲の魔獣を殴り倒す。
それでも隙間から、キッカを狙った魔獣の一撃を――
「1回だけだよ? と言っても、2回目なんだけどね」
空中から飛び出た炎と、地面から出現した鎖が跳ね返す。
フリートは目をそっと閉じて、呼吸を整える。そして、大きく吸い込み――
目を開き、走り出した。
「最初の道は私が開く。通行料として、お前たちの首をもらうとしよう」
カンナが振るう刀が、進行上に存在する魔獣の首を片っ端から落としていく。まるで魔獣たちの行動を先読みしているかのように振るわれる刀が、次々と足を切り裂き、首を落とし、胸を引き裂く。
「……刀式:絶」
とどめのように放たれた一撃が伸びる。まるで刀身が伸びたかのように、届かない距離にいるはずの魔獣までもが一直線に切り分けられた。
だが、周囲にいる魔獣たちが、その隙間を埋めようと群がってくる。フリートは一瞬剣の柄に手を伸ばしかけるが――
思いなおし、走ることに集中する。
「大海にて、遥かなる凍土にその身を沈めよーー」
水色の輝きが、魔獣を照らす。
「溺れて凍れ! 水の龍よ!」
水が溢れだす。フリートの進む道を塞いでいた魔獣たちが大量の水に流され、その姿が遠くに運ばれていく。殺した数は少ないだろうが、カンナが斬っていたときよりも確実に、目の前が開けていた。
『登録、完了!』
「っ!?」
『落ち着け、『無音』。声を伝える『祝福』だ。お前が狙う敵を伝えなければならないからな……』
すでに撤退戦に移っているセルデ、オーデルト、キッカからの声が届く。そのあとを追うように、カンナも素早く戦場を撤退していった。遠くで戦うシャルヴィリアにも同時に指示を出しているのか、まるで道を開けるように離れていくシャルヴィリアに、魔獣がつられていく。
『魔獣の動きと咆哮の位置から統率個体を特定した。位置は、そのまままっすぐ進んだ場所。獅子型だが、【双頭の獅子】とは違い、頭は1つ。燃える様に赤い毛色が特徴だ』
「……了解、そいつをぶっ倒したら撤退でいいですか?」
『ああ、そうだね。そのあとは夜の間に体勢を整えて迎撃だ。そいつが生きていると、夜の間に夜襲をかけてくる可能性がある。討ち漏らすな』
統率型の魔獣。夜襲を仕掛けて消耗戦を狙われれば、人類に勝ち目はない。体力も、数も、人類は負けているのだ。
――なんとしても、倒す必要がある。
「わかりました」
「暴れろ!」
フリートが答えると同時、周囲に広がっていた水が集まり、一匹の龍の形を作り出す。水で作られた龍は大きく顎を開くと、さらに多くの魔獣を飲み込み、連れ去った。そして、ここでアディリーが離脱する。氷で作られた狼にしがみつき、息も絶え絶えに戦場を去った。
「私は、ここまでー。悪いけど、あとは、よろしく……」
「はい。なんとかします」
赤い毛色の獅子を、フリートの両目が捉えた。その目線はシャルヴィリアの方向に向いていたが――フリートの視線に気づいた。こちらを向き、威嚇の唸り声をあげる。
「……お前も、新種の魔獣なのか?」
その瞳に移る微かな知性の色。興奮。恐怖。だがそれよりも強く深い、憎悪の感情。
「お前に恨みはないが――」
黄金色の光が走り、フリートの体が宙を舞う。軽業師さながらに跳ぶフリートが、次々と魔獣の攻撃をすり抜けて赤毛の獅子――レヴェオに迫る。
(7割変換)
再び黄金色の光が走り、フリートの姿が消える。猛スピードで移動したフリートが、気配も音も消して、混乱している魔獣たちの隙間をすり抜けていく。
レヴェオが吠える。その意図を聞き取った魔獣たちが、フリートを襲わずにレヴェオの周囲に集まり守りを固めた。列になって放たれる【石化の凶鳥】の石化の魔眼をかろうじてかわす。
(10割……!)
フリートの一閃が、魔獣の列を切り裂く。切り裂かれたというのに、一切の動揺も見せずに、レヴェオの命令に従って忠実に守りを崩さずにフリートに攻撃を仕掛ける魔獣たち。フリートはやむを得ず、背後に下がって攻撃をかわす。
(増えてるな……)
魔獣が集まりつつある。時間は、かけられない。
「――掴めなかった未来を望むのはやめよう」
光り輝く『祝福』が解除された。解除される一瞬に、ひときわ強く輝いた閃光に、魔獣たちが一瞬フリートの姿を見失う。
『無音』のフリートにとって。一瞬、死角ができれば十分だった。
身を隠し、音を消し、気配を殺し、忍び寄る。自分たちの意思を殺され、『あの人間を見つけたら攻撃しろ』と命令されている魔獣たちは、見つけた瞬間に鳴き声をあげるわけでもなく、フリートに向かって襲い掛かり、全て喉を一突きされて絶命する。
静かに。だが、確実に、魔獣の群れの中心に向かって、フリートは進んでいく。
レヴェオが異常事態に気づいて、再びの咆哮をあげるよりも早く。
フリートが、レヴェオを捉えた。
「もう一度ここから、始めよう」
レヴェオが言葉に反応してそちらを見ようとするが、そのときにはすでに――
再び黄金色の光を纏ったフリートの一撃が、レヴェオの脇腹を貫いていた。