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終末に抗ってみよう。  作者: 夜野 織人
第1章 -滅びゆく世界で抗う者たちー
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第23話 安寧の泥

 毒殺料理をなんとかやり過ごした俺だが、セラはまだ俺に対する微かな警戒を解いていない。俺がバレないようにこっそりと料理を廃棄した時の怪しい動きが気になっているのだろうが――だいたいあんなものを俺に食わせるな。耐毒訓練で耐性をつけるための毒物は、料理の調味料じゃないと何回言ったらわかるんだろうか。塩を少々みたいなノリで神経毒を混ぜるな。


「ねえ、フリート。どうだった? 料理うまくなったかしら、私?」


 これで目の前にいるセラが本人であれば、今後の自分の身の安全のために盛大に罵声を浴びせてやるところだが――


「ああ、そうだな。少なくとも、食い物だったな」


 これは間違いではない。前は致死級だったが、今は腹痛程度で収まるだろう。もちろん耐性がある俺だったらの話で、一般人が食べれば衰弱死するはずだ。魔獣が支配しているこの空間で、そんな毒物を口にする気力が沸かなかった俺は、片っ端からポケットやらズボンの裾やらに詰め込んで難を逃れたわけだが……。


「そう? それならよかった」


 少なくとも、今の目の前にいるセラは本物ではない。俺の記憶が生み出した幻の人間である。ならば少しくらい嘘をついてやってもいいだろう。どうせ、もう2度と会うこともないのだから。


「フリート、もう少し肩の力を抜いたら? まるで暗殺者に狙われているみたいに緊張してるわよ」


 自分で言った皮肉が気に入ったのか、クスクスと笑い始めるセラ。その表情は滅多に見ることができなかった彼女のリラックスした顔であり――


「ああ、そうだな。どうやら、まだまだ仕事の感覚が抜けないらしい」


 思考を切り替える。これが本当に、俺の記憶が生み出したセラであるならば――攻略法がある。先ほどまでの幻影の多くは、俺が殺すとそのまま次の幻影が始まった。だが、あの魔獣の言葉から考えると、どうやら向こうは時間がない。外部からも俺を助けようとしている人間が、この空間に干渉しているらしい。


『……』


 気配はある。相変わらず、俺の反応や感情を観察し、心を折るタイミングを狙っているようだ。


「……負けるかよ」


 解決策は思いつく。まずは、この目の前のセラを俺の手で殺害すること。この幻影の軸になっているのは、おそらく『セラと俺がテッタ公国を逃げ出した先にある平穏な生活』だ。ならば、その基本的な軸のひとつであるセラを殺す。平穏な生活が成立しなくなった時点で、ネメリアはあきらめて次の幻影に移るだろう。

 このまま幻影の幸福感に漬かれば、必ずネメリアは最悪のタイミングでそれを崩しにくる。耐えられれば何の問題もないが――対策として、時間稼ぎとして、提示される悪夢のことごとくを崩すとしよう。


 問題は、だ。


「どうしたの、フリート?」


 首を傾げるセラを眺めて、俺は内心溜息を吐く。俺の心が生み出した、『穿華うがちばな』セラ。正直なところ、こいつに勝てるイメージがほとんど出てこない、ということだ。


 俺本来の戦い方は気配を殺し、音を消して背後や死角から一撃。元暗殺者だった技術を存分に生かしての不意打ちなのだが、このセラという女は、暗殺者としての技量は俺の遥か上を行くのだ。消音能力も、気配を消す力も、俺では勝てない。仮に――暗殺者の俺とセラが本気で殺しあえば、セラが勝つ。気づかない間に心臓を一突きされて終わりである。


 ゆえに、警戒されている状況では勝てない。そして俺がセラの隙を伺い続ければ、セラの警戒が決して解けることはない。


「いいや、なんでもない」


 表向きは平和な会話を続けているが、セラの右手は常に太もも付近に添えられ、いつでも武器を抜き放てる状態にある。警戒されているし、それは当然だ。俺が記憶しているセラは、他者の害意に気づかないほど鈍感な女ではないし、それを楽観視するほどお気楽な性格ではない。


「そう? それならいいけどフリート、今日はなんかおかしいわよ。私、何かした?」


 だから――俺は諦める。

 今この状況で俺がセラを殺すことは、不可能である。隙を伺い続ける限り、セラは俺を警戒し続ける。純粋に、実力で勝てない。


「いいや、お前は悪くない」


 毒料理は作ったが。


「さっきは悪かったな。どうやら、俺もまだこの生活に慣れていないらしい」

「……そうね。それは私もよ。まさか、私たちがこんな平穏な生活を手に入れられるなんて」


 俺が今この光景を受け入れ、『そういうものだ』としてセラに話しかければ、セラも右手を太ももから離し、普通の態度で会話を始める。俺の心は冷めきったままだが、とりあえずセラを殺そうとするのはやめた――害意や敵意、殺気が感じられなくなったために、警戒を緩めたのだろう。だが先ほどの軽率な攻撃で、警戒されていることは容易に想像ができる。であれば、緩めただけで解いてはいない。


「ああ……そういえば、魔王はどうなったんだ?」

「魔王? それって勇者が倒した魔王のこと? そうね、もうあれから結構経つわね……」


 そういうことになっているらしい。実際には魔王が不死であることが判明したせいで、人類は絶望のどん底に叩き落されているわけだが。


 俺は覚悟を決めて、しばらくこの茶番に付き合うことにした。



 † † † †



 揺らめく。悪意を身に纏い、その瞳でわずかな変化も見逃すまいと目を凝らし、彼女は思考する。


 辿り、紐解き、感じ、考察し、予測し、問いかけ、確証を得る。


 『フリート』という人間の全てを理解するべく、彼女は彼の感情の変化を追い、記憶を探り、幻影世界を作っていく。


 彼が記憶している『セラ』という人間。彼女が、間違いなく彼の中で重要な人物である。


 ほかにもベネルフィやリクル、グルガンといった名前もあったのだが、彼が最も心を揺らしたのはセラを相手にしているときだけだ。


 黒い、黒い空間でネメリアは思考する。


 揺らめき羽ばたきながら、フリートという人間を理解するべく思考と考察を重ねていく。


 幼少期。少年時代。青年時代。成人後。全ての記憶を観察し、その感情を追跡する。


 どんなときに悲しむのか?


 どんなときに喜ぶのか?


 どんなときに怒るのか?


 そのすべてを理解すれば――必ず、彼の心を折ることができる。ネメリアは触覚を揺らめかせ、再び記憶を辿る旅に戻る。


 その身に付着する緑の輝きは、徐々にその面積を広げてきてはいるが……少なくとも、この空間において彼女は絶対である。フリートの体感時間を弄ることなど造作もないし、現実世界からの干渉は“貴婦人”が最も警戒していた手段である。それに抗う力はすでに得ている。


「人間……」


 悪意――それがネメリアの存在意義だ。その身に憎悪と嫌悪を受けて育った。理解と思考を得るまでに多くのサンプル――人間の心を壊してきた。そうして完成したのがネメリアだ。【幻死蝶(イミーティア)】から産まれた、咲き誇る悪意の蝶である。


 実践投入は初、とはいえ十分な研究成果は出ている。


「ワカラナイ……」


 それでも理解できない。『フリート』という人間の在り方が。


 諦めている。心が折れている。絶望している。膝をついている。俯いている。


 そんなことはわかっている。


 だが、立ち上がる。安寧に身を浸すことをよしとせず、なぜか苦しむ方向に立ち上がる。


「……」


 理解できない、ということは許されない。彼女は悪意の蝶。人間の感情と思考を理解し、確実に心を葬る魔獣として産まれてきた。


 だからこそ、とネメリアは考える。


 もっと深く。もっと詳しく。


 『フリート』という人間を理解する。理解したうえで、完膚なきまでに心を壊す。


 なにより、知りたい。


 この絶望の泥の中で生きてきたフリートが何を想い、何を感じたのか。


 なぜまだ立ち上がろうとするのか。


 ネメリアが翅を動かす。紫色の鱗粉が零れ、新たな世界を形作っていく。その様子を見ながら、ネメリアはフリートの観察を続けた。



 † † † †



「うーん、だめだったかぁ」


 そんなのんびりとした声が響いたのを感じ取り、彼は声の発生源を見つめた。彼にとっての上司であるその魔人は、気楽そうに頭を掻いていた。歪に細く尖った右腕で、頭を掻きながら遠くを見つめていた。直後、凄まじい勢いで膨れ上がった強敵の気配に、彼は視線を戻す。上司である“道化”のシギーに言われた通り、【幻死蝶(イミーティア)】を大量に忍び込ませた一団を『戦乙女』に差し向けたのだが……


 立ち昇る黄金色の光が、その作戦が失敗に終わったことを示していた。


「どうどう。落ち着きなさい」


 憎らしいほどに光り輝く黄金色の光を浴びて、知らずのうちに唸り声をあげていた彼は反省する。これでは、幾百の魔獣たちと変わらない。


「うんうん、いいね。君とネメリアはやっぱり最高だね。カットスは落とされたみたいだけど……まあ彼はいまいちだったからね」


 当然、と唸り声を上げる。もとより、あの鳥とはいまいち気が合わなかったというのが彼の思いである。


「だから、君を失うのは非常に心苦しいよ!」


 耳を疑う。こんなに同胞がいるのに? 確かに『戦乙女』は復活し、カットスは落とされた。だが、ここにはまだ自分がいるし、“道化”がいるし、多くの仲間がいる。負ける要素は――


「『軍神』が来る。彼も、ここにきて本気を出したようだね! ああ、ああ、いいだろう! 『戦乙女』を折る手段は――ほかに用意してあることだし! じゃ、さようならだ。レヴェオ」


 そんな自分勝手な言葉だけ残して、彼の上司である“道化”は消えた。


「ああ、さっきの訂正させてくれ。ネメリアは成功例だけど、レヴェオ。君はまだ実験段階だということをね」


 ぞっとするほど冷たい声で告げられた言葉。それを理解するまえに、レヴェオは本能的な恐怖で吠えた。その咆哮は、魔獣を統率し、指示を伝える、彼だけに与えられた能力。うねるように移動を開始した、魔獣たちに対して彼は、思わず安堵する。これだけの数がいる。これだけの同胞がいる。負ける理由はない。


 そんな彼の思考に、人類は。



 膨大な量の、黄金色の輝きを以て答えた。




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