第21話 『軍神』
杖が地面を叩く音が響く。軽く2回、続けて4回。
杖の先端にはめ込まれた宝玉が、赤い光を放つ。
「さて。私程度の魔法の腕では足止めが精いっぱいなんだが……力を貸してくれるかい?」
「端っからそのつもりだっただろうがよ」
黒一色のローブを纏った男が、杖を突く初老の男性の前に着地する。気配も、音もたてずに現れたその男は、自分の懐から一つの宝石を取り出した。それは、杖の先端に嵌まっている宝玉と酷似している。
「こいつもそろそろ限界かねぇ?」
「国宝級のアイテムとはいえ、あの旅に付き合ったのだ。限界が来てもおかしくはあるまい」
どこか小馬鹿にしたように話す男に、初老の男は落ち着いた声で返す。
「アイン。相手は【千影の怪鳥】の特異体だ、どうやら知能と自意識があるらしい。私たちに狙いを定めたぞ」
「相変わらず便利な目だねぇ……その目は見えすぎる。それも考え物だよなぁ、クイル」
「まったくだ。しかし、見えてしまうのだから仕方あるまい。それに、どうやら一筋の希望は見つかったしな……」
「あ? どういう意味だそりゃ」
「私たちが力を貸すわけにはいかんよ。そうすれば、奴らは気づく」
「……クイル、お前の悪い癖だぜ。俺に話すなら俺にわかるように話しやがれ」
「なぁに、大した話ではない。私たちが諦めたものの、続きが見れるかもしれないと――そういう話さ」
「――は。そりゃ大した話だぜ、クイル。まあ、とりあえず」
アインと呼ばれた黒ローブの男が宝石を握りしめる。続いて、けたたましい鳴き声が上空から降り注いだ。
「貫け」
初老の男性――クイルの持つ杖の先から、炎で構成された矢が放たれる。それは迫りくる【千影の怪鳥】に向けて5本、勢いよく飛んでいくが――【千影の怪鳥】の姿がぶれる。いくつもの影に分かれ、見る者の視界を混乱させる。その数は5。まるで数が増えたかのように見える【千影の怪鳥】の姿に、しかし二人は慌てない。
【千影の怪鳥】が本気で戦いを挑むとき、その身に纏わせた魔力を分身として固定、幻影を生み出すことを二人は知っている。原理などわかるはずもないが、魔獣【千影の怪鳥】がそういう能力を持っていることを、二人は知っているのだ。
「外れたか」
4本の炎の矢は、全て幻影を貫いた。残ったのは本体である一体のみ。クイルの杖から放たれた5本のうち、4本は幻影に当たった。そして残りの一本は、本体に直撃したのだが――
「相変わらず無意味に硬い奴だ……」
焦げ目すら残さず、炎の矢が弾かれる。【千影の怪鳥】の体を覆う羽毛や羽は、魔力を保つ良質な触媒になるのだが――生きている間は【千影の怪鳥】から供給される魔力を蓄え、魔法に対して強い耐性を持つ。
「っは。最初っからわかってたことだろうが」
「いや、わかってたけどショックはショックなんだよねこれ」
迫る巨体を前にしても、二人の態度は変わらない。まるで喫茶店に行くかのような気軽さで、【千影の怪鳥】――個体名『ベム山の大怪鳥』に対峙する。黒ローブを纏ったアインが右手を掲げる。そこには先ほどのクイルの宝玉よりも、強い赤光を放つ宝玉が握られていた。
「飲み込め」
一瞬、アインの体が黄金色の光を放つ。『祝福』だ。
アインの目の前に出現した炎の川が、まっすぐに【千影の怪鳥】に向けて伸びていく。膨大な熱量が生み出す突風が荒れ狂い、アインのローブが大きくはためいた。いくら【千影の怪鳥】が魔法に対して高い耐性を持つと言っても、目の前に出現した炎の大河に耐える術はなかった――避ける時間も。
『ベム山の大怪鳥』は、なすすべなく炎の川に飲み込まれて命を落とした。
「……あー貴重な触媒も丸ごと燃やしちゃったかー」
「俺らには必要ないだろ。それとも何か、今更金が欲しいのか?」
「いやお金はいらないけどね、貧乏性で。もったいないな」
「お前、小市民だったころの感覚さっさと捨てろよ。金なら腐るほど持ってるだろ」
「うんまあそうなんだけどね。しかし、『軍神』君は衰えたのかなぁ。【千影の怪鳥】に後ろに抜けられるなんて」
「いーや、あいつのことだ。俺らのことも計算ずくでこっちに流したんだろうよ」
クイルが咥えたタバコに火が灯る。アインはタバコが醸し出す独特の臭気に顔をしかめるが、クイルは気にした様子も見せない。短い間ではあったがともに旅をした仲だ、お互いに今さら辞めるつもりもやめろと言うつもりもない。
「その目で見えねぇのか?」
「無茶言わないでくれ。『天眼』と違って私の眼は、距離やら空間やらは超えられない」
「ふーんそんなもんか。しっかし、どうするんだこれから?」
白い煙で表情を隠しながらクイルは答えた。
「――どちらにせよ、私たちは有名に過ぎる。申し訳ないが、力を貸すことはできない」
「まあ、俺もやる気起きねぇしな。俺が力を貸す約束をしたのはあいつだけだし。お前はオマケ」
「はっはっは。クソガキ、言うようになったじゃないか」
「るっせ―クソジジイ。お前が秘密主義のおかげで俺たちがどんだけ苦労したと思ってんだ」
飄々と受け流すクイルに、渋い顔をして見せるアイン。精悍な顔立ちをした青年のしかめっ面は、見る者が見れば心を痛めるだろうが、あいにくと老獪なクイルに効果はない。
「これはもう変えられないからね。ジジイはジジイらしく、若者に未来を託すとしようじゃないか」
「それ失敗しただろ」
アインの短いツッコミによって、二人の間に沈黙が訪れた。あきらめようとして、それでもあきらめきれない未練のような気配が残る、嫌な沈黙だった。
数秒の沈黙を振り払うように、アインが口を開く。
「まあ、なんだ。希望があるっていうなら乗ってやってもいいが――でも俺らが手を出すのはまずいんだったか?」
「表立って手を貸すことはできない。魔人どもに気づかれる恐れがある――特に“道化”に気づかれるのはマズい」
「あ? なんでだよ」
「何をするかわからん。あと、あの男の正体はどうも……いや、会ったことはないのだが」
「ないのだが?」
「私が会ったことがない、というのが不安なのだ。私の眼は見れば見抜く。だが、私の眼が届くところに奴は現れない……」
「お前の『祝福』バレてるんじゃねぇの?」
「その可能性は高い――というか、私の『祝福』も君の『祝福』もバカみたいに有名になってるだろう」
「あーそうだな。【千影の怪鳥】もなぁ、あいつがいりゃ楽だったんだけどなぁ」
「仕方あるまい。彼女は人一倍彼のことを信奉していたからな……」
昔を思い出し、二人は静かに砦の方角を眺めた。『ベム山の大怪鳥』は討伐され、再び戦場はギベル砦の向こう側になった。“道化”が連れてきた魔獣の軍勢を相手に、『軍神』オーデルトは苦戦している。二人はもはや人類が迎える結末に興味がわかないため、人類を守るためにその力を振るうことはない。
クイルとアインは高い実力を持つ。クイルはともかく、アインは砦に向かえばその戦力は非常に高い評価を受けるだろう。それこそ、『魔女』や『戦乙女』と並ぶレベルだ。だが、彼らは『軍神』の趣味に付き合うつもりもないし、無意味な闘争に力を使う気力も残ってはいない。せいぜい気まぐれに、手を貸してやるだけだ。
彼らの戦いはすでに終わっているのだから――敗北という形で。
† † † †
「……さて」
遠く彼方とも言うべきだった魔獣の軍勢は、もう目と鼻の先まで来ていた。『戦乙女』シャルヴィリアが押し戻した戦線は再び岩影丸に迫り、既に周囲は囲まれている。このままでは、いずれ崩壊の時が来る。
「……“道化”のシギー。君らしくも、ないね」
もしくは、彼が望んだ侵攻ではなかったのか。
物理戦において、信仰の強度によって身体能力を上昇させる『戦乙女』は切り札だ。その圧倒的なまでの暴力は、たびたび人類の窮地を救ってきた。ゆえに、それをまともに対策を打とうとするなら、もっと崩しやすい部分――感情、記憶、精神、心を狙う。
正攻法でダメなら、搦め手で。それは戦争の常道である。常道であるがゆえに、『軍神』オーデルトが最も警戒していた策である。
「この僕が、『戦乙女』への精神攻撃対策をやっていないとでも思ったのかい?」
とっくの昔に――対策は練られている。
シャルヴィリアが魔獣に飲み込まれた地点で、黄金色の光が爆発する。天まで届くように立ち昇る黄金色の柱。
【幻死蝶】という魔獣のことなら知っている。念のため向かわせた『聖女』と『聖医』はどうやら『無音』を治療しているらしいが、そもそも『戦乙女』のことを『軍神』は全く信頼していない。
『信仰の強度によって身体能力が上昇する』? 冗談ではない。そんないつ折れるかわからないあやふやな力、オーデルトは信頼できない。
ならばどうするか? いつ折れるともしれない信仰なら、こちらで強化してやればいい――
「起きろ、『狂乙女』。そして――」
――蹴散らせ。
トラウマを刺激されたシャルヴィリアは、新たな拠り所を掲げて立ち上がった。その狂おしいほどの情念が、決して報われることはないと知っていても。たとえ一時的にでも、彼のことを想い、力を振り絞る。
哀しいことに、その想いが叶うことは決してないのだが。
「キッカ。シャルヴィリア以外の全ての回線を繋げろ」
「はいですって!」
『各隊長に伝達。ただいまより、部隊の指揮を全て副官に明け渡し――』
反撃の時間だ。『軍神』オーデルトは笑う。危機も演出した。寝ぼけていた兵士や冒険者の目も覚めただろう。今まで大暴走を退けてきた自負は砕け、警戒し、全力を振り絞るということを思い出したはずだ。『無音』が意外と使えたこと、【千影の怪鳥】が背後に抜けたことだけが予定外だったが――予備の戦力はとってある。あの二人なら、と思ったが問題なく片付けてくれたようだ。
もちろん、砦に来てほしいという思いはある。だが、来ないなら来ないで利用させてもらう。負けたからと言って、無責任に逃げ出すようならば、せめてその良心だけでも使わせてもらおう――。
『――突撃開始!』
各隊長の力強い返事が、オーデルトの鼓膜を震わせた。