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終末に抗ってみよう。  作者: 夜野 織人
第1章 -滅びゆく世界で抗う者たちー
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第19話 第1の絶望

「あんたさぁ、いつまでそんな生活続けるわけ?」


 音もなく背後に現れた彼女に、俺は振り向くことなく答えた。


「終わるまでだ」


 川に流れる水で返り血を洗い流し、乱れた呼吸を整える。隠すこともできただろう溜息を大きく吐かれ、俺の精神がささくれ立つ。ただでさえ戦闘のあとなので、精神が昂っているのだ。


 だが、その昂った精神から切り離され、冷静に状況を観察する自分もいる。それは、この国の暗部に務める者なら、まず最初に習う基本中の基本だ。


 『常に冷静であれ』。それは、俺たち暗殺者が持つべき、最も大切な心構えであると言える。


「『惨殺鬼』。あんた、敵にそう呼ばれてるらしいよ?」

「……そうか。結構なことだ」


 返り血を洗い終わった俺は、静かに川から出る。この時期の川の水は迂闊に入る人間を殺してしまうほどに冷たいが、そんな冷たさにはとっくの昔に慣れていた。むしろ火照った体を冷やすのにはちょうどいいと思える程度には、俺の体は鍛えられている。


 俺は振り返りそこでようやく、彼女を視界にとらえた。

 代わり映えしない黒装束に、紫色の理知的な瞳。しなやかに歩く独特な歩法は、俺たちが学んできた技術のひとつだ。たとえ隠す必要のない場面でも、俺たちは足音と気配を消して歩く。黒にも見えるほどの深い藍色の髪は、肩までで切り揃えられ、日に当たることが滅多にない肌は抜けるような白さを見せている。

 俺の肌も、数年前まではあのように白かったはずだ。最近、外に出るようになったので今はそうでもないが。


「……仕事は終わったのか、セラ」

「当然でしょ。あんな簡単な仕事、なんで私に回ってきたのかわからないレベルよ」


 腕を組んで鼻を鳴らす彼女。彼女に割り振られていた仕事は、確かこちらの暗部を探っている国の情報部門のトップの調査、可能であればその殺害だったはずだったが……こういう言い方をするということはおそらく暗殺してきたのだろう。彼女ほどの実力があるのであれば、可能だ。


「お前は相変わらずだな、セラ」

「名前を呼ぶなっていつも言ってるでしょ、フリート。コードネームで呼びなさいよ」

「……お前意外と『穿華うがちばな』って名前気に入ってるのか?」

「……なによ、悪い? 『刺蜂しばち』」

「俺はあんまり、その名前好きじゃないんだが……」


 穿った心臓が花のように血液をまき散らすところから、セラのコードネームは『穿華うがちばな』。

 静かに背後から刺し殺す様子から、フリートにつけられたコードネームは『刺蜂しばち』。

 組んで仕事をしたことは一度もないが、お互いに相手を意識していたのは間違いない。若干セラの方が年上とはいえ、ほぼ同年代のトップを競い合った仲だ。


 セラは木に体を預けると、曇り始めた空を見上げながら話しかけてきた。視界をよぎった紫色の蝶の鱗粉が、嫌に目につく。


「あんた、戻ってくる気はないの?」


 その質問に、俺は即答した。


「ない。俺は、もう足は洗ったんだ」


 俺の答えを聞いたセラが寂しそうに笑う。


「戦い方は相変わらずだけどねぇ……『刺蜂しばち』。あんた、段々弱くなってる自覚はある?」

「……」


 わかっていた。俺の『祝福ギフテッド』は、その性質上、使えば使うほど俺を弱らせる。もう、この力を一番最初に使ったときほどの強さは発揮できないだろう。


 ――けれど、そんなことは最初からわかっていたことだ。それに、時間さえあれば力を取り戻す方法もある。


「昔のあんたなら、背後に立つ私に気づかない、なんてことはなかった。なまってるよ、腕」

「……いいんだ。勇者様が、魔王を倒せば。倒すまで、俺の体が持てば。それまでに、俺は俺のできることをする」

「……ほんと、ちっちゃいときからそういうところは変わらないのね」


 光とともに前に歩き続ける勇者。仲間を集め、勇者は魔王を倒すために冒険を続けている。少しずつ支持を集め、武器を集め、期待を背負い、期待に応え、光の道を歩き続ける。


「『万来讃歌』……応援されればされるほど強くなる『祝福ギフテッド』。確かに、彼ほど勇者に向いている人物はいないだろうけどね。今や、ほとんどの人間が彼を応援しているわけだし」


 これ見よがしに溜息をつくセラ。俺はその姿に少し不安な気持ちを覚えた。


「光に憧れ過ぎだよ、フリート」

「……余計なお世話だ、セラ」


 そうだ。俺は勇者に憧れていた。誰の目に憚ることなく、光の道を歩く勇者に。こんな薄暗い仕事と過去を持つ、持っていた俺が決して進むことのできない道を歩く勇者に。少しでも、その道に加わりたかった。端でもいい。最後尾でもいい。露払いでも、構わない。


 俺に襲い掛かってくる魔人、俺が襲った魔人。殺した魔獣、殺されかけた魔獣。勇者を応援するだけではなく、なんらかの形でその道に関わりたかった。ここで、この場所で、魔人と戦い続ける。そうすることで、少しでも勇者の旅は楽になるはずだ。


「……そのために仕事をやめて、ここにいるんだから筋金いりだよ、フリート」

「そういうお前も筋金入りだよ、セラ。いったいいつまで、その仕事を続ける気だ?」


 俺は若干イラつきながら、セラにその言葉を返した。揶揄するような響きがセラの言葉には含まれていて、俺は言葉の端々に含まれている棘に反応していたのだ。

 そう、反応していた。その言葉を告げた瞬間、俺は不意に気づいた。



 ――ああ、これは夢なんだと。


 ――かつてテッタ公国の端で、魔人を相手に戦っていたころの記憶なんだと。


 ――なぜそれがわかったか? それは、俺が今告げた言葉は。


 ――あとで、言わなければよかった、と死ぬほど後悔した言葉だったからだ。



 セラは、何かを覚悟したかのような表情でほほ笑んだ。

 ああ、やめてくれ。その先を言わないでくれ――


「もしさ、フリート」


「……なんだ」


 やめてくれ。


「私が仕事を辞めて――」


 やめろ。


「あんたと一緒に、国外に逃げたい、って言ったら……」


 ……言わないで、くれ。


「今までのことを忘れて、どこか遠く離れた国で」


 ……やめろ。


「……あんたと二人で、幸せに暮らしたいって言ったら、どうする?」



「やめろおおおおおおおおッ!!!!」



 俺の叫び声は、何度も反響して消えた。



 † † † †



「おい! フリート! クソッ、なんなんだいったい……!」


 岩影丸に急ごしらえでできたけが人用のベッド。そこで呻きながら大量の冷や汗を浮かべていたフリートが、急に体をこわばらせ、より強いうめき声を上げ始めた。明らかに普通ではない。その様子を、連れてきたウェデスとセルデが心配そうに見つめていた。原因不明の昏睡。夢を見ているのか――フリートの反応は異常で、セルデとウェデスは心配そうに見つめることしかできない。


 1人で複数の魔獣を相手にできる人材は貴重だ。普段まるで暗殺者のような戦い方をするフリートがそこまでの実力を持っているとは思っていなかった二人だが、そこまで実力が高いフリートをむざむざ死なせるわけにはいかない。だが助ける方法はわからず、結局心配そうに見つめることしかできなかった二人だが――そこに1人の男性が現れる。


「……ちっ。この代償は高くつくぞ、『軍神』……」

「お、お前は!?」

「『聖医』クロケット……!」

「様をつけたまえ、凡愚。貴様らが不甲斐ないせいで、戦闘員ではない私までこんな場所に出向くことになったではないか。いいや、私のことはいいのだ。それよりも、私の崇拝するリリーティア様までも、この埃臭い場所に出向く羽目になったのだ、茶菓子を出すか、できないのであれば跪いて迎え入れるのが筋というものではないのかな?」

「『聖女』様が!?」


 片眼鏡をかけた痩身の男性が、冷めきった水色の瞳でセルデとウェデス、呻くフリートを一瞥する。その後ろでは、黄金色の光と純白の光を同時に放つ少女が祈るように目を閉じていた。右手はクロケットの服の裾を握りしめ、左手は胸に当てられている。桜色の口は小さく動き続けており、彼女の祈りが止まるのは食事をするときなどだけ。それ以外の時間はひたすらに祈り続け、ギベル砦周辺の悪霊の侵入を防ぎ、浄化を続けているのだ。


 『聖女』リリーティア。

 女神カロシルと、女神ベレシスの加護を同時に授かった、カロシル教の聖女である。


「この程度の異常も見抜けない阿呆が。せめて脳がないならば、そのむさくるしい肉体でなんとかするのが冒険者というものだろう。こちらまで連れてくるなりしてくれれば、私とリリーティア様がこんな場所まで来る必要もなかったのだ」

「ク、クロケット! お前、フリートの異常の原因がわかるのか!?」


 セルデが訊ねれば、クロケットは静かにうなずいた。


「様をつけたまえ、3度目はないぞ。リリーティア様……よろしいですか?」


 クロケットが問いかければ、少女がゆっくりと目を開く。純白の光を放ち続ける髪、そして開かれた瞳は。まるで『祝福ギフテッド』を使っているかのように、黄金色の光を放っていた。人間離れした美貌、白光を放つ髪、金色に光る瞳。その場にいたクロケット以外の誰もが、彼女の神々しさに息を呑んだ。


「いい。やって、クロケット」

「仰せのままに、リリーティア様」


 リリーティアの口から放たれた鈴の鳴るような声に誰もが聞き惚れるなか。クロケットが恭しくリリーティアに一礼し、リリーティアは再び目を閉じて祈りに戻る。彼女が祈りをやめた1秒にも満たない時間で、セルデとウェデスは心臓に這い寄るかのようなおぞましい気配を感じていた。


(今のが……悪霊の気配……?)


 自分たちの邪魔をする『聖女』を排除しようと、彼女の周りには常に強い力を持つ悪霊が渦巻いている。それは彼らの本能とも言うべき習性で、いくら悪霊たちが強い力を持つとは言っても『聖女』に危害を加えることはできない。だがひとたび祈りをやめれば、周囲の人間はその悪霊の気配を感じることになる。普段霊などを感じることのない人間でも、強く感じることのないおぞましい気配。ウェデスは背筋を震わせた。


(勝てるわけがねぇ……! なんだ、今のは……!)


 悪意に塗れた笑い声を必死に忘れようとしながら、ウェデスは無意識に自分の体を抱きしめていた。微かに震えている自分の体は、確かに悪霊に対して恐怖を抱いていた。


「ふん。では治療を開始する――」


 クロケットは震えるウェデスを一瞥すると、懐から緑の草を取り出してフリートの上に乗せた。そしてぶつぶつと詠唱を呟き始める。やがて緑の魔力光が草から放たれ、フリートの体を包み込んでいく。


「何人もこいつにやられて、そのたびにこちらに来るのは面倒なのでな。一応説明しておこう……これは、【幻死蝶(イミーティア)】と呼ばれる魔獣による仕業だ。【潜む影法師(ステイア)】が影に潜む魔獣ならば、こいつは生物の精神に宿る魔獣。実体はなく、憑りついた人間に悪夢を見せ続ける。数は少ないが、西の密林に生息している……生息しているというのもおかしな話だが」


 手を動かして、懐から様々な魔法触媒を出すクロケット。その作業をしている間にも、口はとまらない。


「何故か魔獣に憑りついているときは、魔獣に対して悪夢を見せたりはしないそうだ。共生状態にある、というのが学者どもの見解だったな。だが、ひとたび人に乗り移れば……」


 フリートの体が痙攣し、大きく跳ねた。


「過去の記憶をまさぐり、本人の嫌がる夢を見せ続ける。そして、それを外部から取り除こうとすれば、夢はどんどん酷いものになる」


 クロケットは冷静に片眼鏡を持ち上げ、告げる。


「私は【幻死蝶(イミーティア)】を取り除くことはできるが――取り除いた後、この男の精神が無事で済むかどうかは、こいつの精神力次第だ。最悪、トラウマを抉られ続けて廃人になっていてもおかしくはない」


 フリートのうめき声が、やけに大きく部屋に響いた。

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