第17話 『惨殺鬼』
【噛み砕く巨狼】の噛みつきを身を捻ることでかわしたフリートは、横合いから持っている剣で【噛み砕く巨狼】の顔を貫いた。激痛に悲鳴をあげようとした【噛み砕く巨狼】をけりとばし、剣を見捨てて距離を取る。もとより思い入れがあるわけではない。
「ちっ……!」
瞬間、フリートのコートの裾を掠めて【双頭の獣王】の前脚が薙ぎ払われた。ついで襲い掛かる右側の頭の噛みつきを左手で思いっきり叩いて逸らす。左手に衝撃による鈍痛が走るが、ここでフリートはあえて回避ではなく反撃のような形で攻撃をいなした。それは、今の噛みつきを避ければ、そのあとの崩れた体勢で襲い来る次の攻撃をよけられないと判断したからだ。フリートのその選択が彼の命を救ったということは、【双頭の獣王】の左側の頭から火球が放たれたことによって証明された。大きく地面を蹴って後ろに下がるフリート。
だが、その着地点めがけて地中から【地に潜む大蛇】が飛び出してきた。
「っ、クソ!」
毒づき、一瞬にも満たない刹那の間に判断を下し、呟いた。その呟きは小さく耳にできた者はいなかったが、それによって現れたフリートの体に起きた変化は顕著だった。
バチッ、とフリートの体を黄金色の光が走る――『祝福』だ。次の瞬間、フリートは信じられない技を披露して見せた。襲い掛かってきた【地に潜む大蛇】の牙を刺さらないように正確に掴み取ると、その牙を起点に体を持ち上げ、空中で【地に潜む大蛇】の体を飛び越えたのだ。
「っ、はー……!」
止めていた息を吐き出し、慌ててその場を離れる。苦痛に呻く【噛み砕く巨狼】を放置し、剣の調達手段を考えた。【噛み砕く巨狼】を葬るだけの技量は持っているが、それは相手が一頭で、その相手に集中できるときの話だ。一瞬【噛み砕く巨狼】から剣を取り返すことも考えるが、かなり深く突き刺したので、あれを回収するのは並大抵のことではない、と思考を切り替える。
「……ん」
戦場で生まれた空白時間。ちらりと周囲に目をやると、累々と横たわる死体。冒険者の物、兵士の物、魔獣の物。割合としてはほぼ同等だが……。
(……被害が多いな)
今までの大暴走とは違う。圧倒的に数が多く、特殊な魔獣も多く含まれている。少し離れた場所には石化した兵士の頭が転がっている――【石化の凶鳥】にやられたのだろう。一歩間違えば、あそこで屍を晒していたのは自分である。そう考えたフリートは……
恐怖するのでも、奮い立たせるのでもなく、笑った。
(ははは……絶望、か)
それは怯えた者の見せる自暴自棄の笑顔ではない――そして、このような状況にあってなお奮起しようとする英雄の笑顔でもない――
ただの人間が、笑うしかないと。もはや、戦う意味すら見当たらない、と。
バチッ、と収まっていたはずの黄金色の光がフリートの体から迸る。一般的には知られていないことだが、『祝福』は使えば使うほど体に馴染み、定着する。黄金色の光を強く放つのはまだまだ成長の余地がある証であり、真に『祝福』を使いこなす者は、影響のある部分が黄金色に染まるだけで、光を放ったりはしない。
「ははははははは!!」
フリートの哄笑が戦場に響く。その高らかな笑い声に、魔獣たちが反応する。なぜかまだ生きている仇敵、人間の姿に怒り狂う。さらに心の底から憎悪を掻き立てる黄金色の光が、魔獣を焚き付ける。
――あれは敵だと。本来、ここにいてはいけない者だと。
フリートが剣を突き刺した相手ではない【噛み砕く巨狼】が、戦場で嗤うフリートに飛びかかる。気配を消し、音を消し、背後から死角から剣を突き入れるフリートが、完全に注目された状態で、明確に敵と認識された状態で襲われるのは久しぶりだった。
「――今ここで、間違えた終わりを始めよう」
フリートの静かな宣言と同時、黄金色の光が収まり――
ただのフリートの拳によって、【噛み砕く巨狼】が吹き飛ばされた。
巨体が舞う不思議な光景に、一瞬戦場の空気が止まる。その一瞬の隙に、フリートは死体から剣を奪い、力強く地面を蹴って【噛み砕く巨狼】を追う。
そして。
「消えろ」
目にも止まらない速さで三度振るわれた剣は、【噛み砕く巨狼】を正確に切り裂き、その命を奪った。空中でバラバラになった【噛み砕く巨狼】が地面に落ちたとき、魔獣は彼を恐れた。その力を、実力を。
だが止まれない。そんなはずはない、と。人間が急に強くなれるはずがない、と魔獣たちは一斉にフリートに襲い掛かった。連携でも、狙いがあったわけでもなく。『この男を殺さなければ』という強迫観念にも似た思いでもって、フリートに襲い掛かったのだ。そして――
【噛み砕く巨狼】が切り裂かれ。
【双頭の獣王】の頭が落ち。
【地に潜む大蛇】の胴体が二つに別れ。
【石化の凶鳥】の首がへし折れる。
返り血を浴びて佇む男。右手に一振りの剣を持ち、生暖かい血液から立ち上る蒸気を一身に浴びる。その眼光は、金色に染まっており――
――『惨殺鬼』が、帰ってきた。
† † † †
「な、なんだよ……あれ……あんな奴がいるなんて、聞いてないぞ……」
フリートの変化を、その実力を見ていた人間が1人。『天眼』という『祝福』を持つ男、『覗き屋』スウェーティである。自室に戻った彼は、監視の目がないことを確認すると『天眼』を発動させて戦況を盗み見ていた。『軍神』オーデルトの役に立つためでは、もちろんない。まずい戦況になったとき、自分ひとりだけでも真っ先に逃げ出すためだ。
そもそも、自分の『祝福』の使用回数を過少報告し、1日1回と嘘をついているのだ。本来彼の『天眼』は、使用上限秒数があるだけで、使用回数制限は存在しない。1日の間に使用できるのは数分程度だが、その数分を一度に使うことも数回にわけて使うことも可能なのだ。
オーデルトに嫌々力を貸しているスウェーティにとって、必要以上の『祝福』の使用は控えたいところである。人類が危機に陥っても、自分だけは大丈夫と、根拠のない自信で現実を見ない男。それが『覗き屋』スウェーティだ。
「見覚えがあるな、『無音』のフリートだったか……? こんなに強かったのか……?」
スウェーティから見て、フリートの戦いぶりは圧倒的だった。まるで軽業師のように宙を舞い、かと思えば剣豪のような鋭い斬撃を放つ。拳闘士のように攻撃をいなしたかと思えば、暗殺者のように気配なく魔獣の背後に現れる。
「……んん?」
そのうち、スウェーティは違和感に気づく。確かにフリートの戦いは圧倒的だった。だったのだが……ほんの少しずつ、その勢いが落ちてきているのだ。
「時間制限付きの『祝福』なのか……? うおっ、危ねぇ!」
影から飛び出してきた【潜む影法師】の攻撃を左手でつかみ、目の前の【噛み砕く巨狼】に叩き付けるフリート。『観察』という一点において、スウェーティはその人生を費やしてきた男だ。他の誰が見ても気づかなかっただろう違和感に、彼だけは気づいた。本当に少しずつ、少しずつ、フリートの動きが鈍っている。疲労だろうか?
「こりゃ、誰かが助けにいかねぇとここで死んじまうぞ……」
呟くものの、自分が伝えに行く気はさらさらないのがこのスウェーティという男である。
「お、行ったか」
戦場を俯瞰的に眺めていたスウェーティは、すでに戦場がひと段落し、第一遊撃隊が引き上げているのに気づいていた。1人残って激戦を繰り広げていたフリートの元に、黄金色の光が走る。それは【噛み砕く巨狼】を飛び越え、【地に潜む大蛇】を潜り抜け、フリートの体をひっつかんで反転した。その勢いを保ったまま岩影丸に向けてひた走る。
「ありゃ、『烈風』のウェデスか。ま、撤退戦にあそこまで有用な奴はそうそういないよなぁ……」
すでにトップスピードに乗っているウェデスに、【噛み砕く巨狼】が追い縋るが、そのすべての攻撃を躱してウェデスは岩影丸の中に飛び込んだ。
「まあ、あれだけの実力者をここで死なすわけにはいかないわな……お、第2遊撃隊か」
太陽の光を反射するスキンヘッド、筋肉質に盛り上がった胸襟。第2遊撃隊隊長『断罪』のトローである。その肩に2本の槍を背負い、第2遊撃隊の誰よりも前に立ち、魔獣に向けて突き進む。第一遊撃隊が引いて、少し前に進んできた魔獣の群れを抑え込むが、さすがに押し戻すことはできなかった。
魔獣の攻勢は、一度夜には止まる。太陽が沈むまで、あと半日。