第16話 絶望の足音と希望の気配
ここから視点が飛びますので、一話ごとが短くなります。
目の前に迫る魔獣の軍勢を見て、フリートは改めて剣を握りしめた。
「……悪いな、セルデ」
「いや、あれは俺が悪い。まずは生き延びよう」
仕方なくとはいえ、セルデを気絶させて運んだことを謝るフリートだったが、セルデも状況を考えるべきだったということをわかってはいるので追及はしない。パワーはあるが機動力に欠けるセルデでは、複数の【 噛み砕く巨狼】に囲まれた時点で終了である。即座に撤退させたウェデスとフリートの判断は間違っていない。戦場の興奮状態に当てられてしまったセルデにも、反省すべき点はある。
種々様々な魔獣が迫ってくるのを見て、セルデが唾を飲み込む。
「お前ら、死ぬ気で守れよ。ここが、歴史の分岐点だ!」
ゆっくりと迫る魔獣への恐怖をかき消すかのように、第1遊撃隊の人間たちから鬨の声があがった。それは希望の叫びでも絶望の呻きでもなく、『決してここでは終わらせない』という決意の咆哮だった。
「無事生き延びたら、なんか奢ってください隊長!」
「おう、ゼペルの気付け薬を一年分送ってやるよ!」
「いらねぇーっ!」
緊張しつつも泰然と指示を待つ兵士、いつものように騒いで恐怖を振り払う冒険者。混沌とした様子を見せながらも、人類は毅然と立つ。ここでの滅びを受け入れるわけにはいかないと。たとえ、決してこの戦いが勝利では終わらず、最終的には人類の負けで終わるということが決まっていても――『それは、今この場所、この時ではない』と。
少なくともまだ 負けていないと。
「じゃ、やりますか。なぁに、いつも通り倒して、殺して、俺たちの勝ちだ!」
そうして、魔獣の軍勢と第1遊撃隊はぶつかった。
† † † †
「【千影の怪鳥】か……『軍神』殿も、さすがに手に余ったか?」
住民が魔獣を恐れて家の中に籠っているなか、その男は静かに空を見上げていた。タバコを咥え、そこから煙を吐き出しながら男は無精ひげを撫でつける。その瞳は遥か上空を飛翔する【千影の怪鳥】を正しく追跡していた。見えるはずが、ないというのに。
「【千影の怪鳥】はその身に纏う魔力によって音と気配を消し、腹部に生えている空色の羽毛によって獲物に存在を悟らせない。気づいたときには遅く、急降下して襲ってくるヤツに対抗できるほどの反応速度を持つ者は少ない……」
すでに数が少ない【千影の怪鳥】の生態を呟く男。タバコをくわえ、帽子を目深にかぶった初老の男性は、癖なのかもう一度無精ひげを撫でつけると静かに歩き出した。
「あ! そこの人ー! 危ないですから、この中にー!」
「……これは驚いた。まさかこのような奇跡に出会うとは……」
給仕服を身に纏い、その男性に声をかけたのは宿屋から上半身を出したリクルだった。その様子を確認した男は少し面食らった表情でリクルを見た。ついで少し悩むように上を見た。そして視線をリクルに戻し――目を見開いた。
「――これはこれは、お嬢さん。忠告ありがとう。しかし、私はこれでも昔冒険者だったのでね。巡回しているところなのだよ」
「あ、あ、そうだったんですか! それはお邪魔しました!」
「ああ、そしてもう家から出ないほうがいい。少し厄介なヤツが砦を抜けたみたいだからね」
石畳の道路を、初老の男性が持っている杖が打つ。硬質な音が響き渡り、杖の先端に嵌められている宝玉が白い光を放った。影がなくなり、あぶり出されるように飛び出してきた【潜む影法師】。その姿にリクルが驚くが、初老の男性は再び杖を打ち鳴らした。今度は宝玉が赤い光を放ち、その先端から流れるように炎が飛び出す。【潜む影法師】は炎に焼かれ、空中から黒焦げになって地面に鈍い音を立てて落ちた。
「このように、相応の実力はあるのでね。お嬢さんこそ、危ないから外に出てはいけないよ」
「い、今の、魔法……ですか……?」
「うーん、そうなるのかな。私が使うものは、ちょっとばかし普通の魔法とは違うんだけど」
そう言って、手にした杖を数回くるくると回して見せる男性。リクルはそれを少しあこがれの入った目で見つめると、初老の男性がリクルの方に向き直って告げる。
「あまり柄ではないんだが、ひとつ予言とアドバイスをするとしよう。時間がないから手短にだけど。君はこの先、困難にぶつかるだろう。君が背負える希望は大きく重く、だが君はいたって普通の少女だ。背負いたくないのならば、投げ出すのもいいだろう。あまり深く考えすぎず、『自分がどうしたいのか』で決めるといい」
リクルの頭上に大量のハテナマークが浮かぶが、男性は寂しそうにほほ笑むとリクルに背を向け、地面を一度杖で突く。次の瞬間突風が巻き起こり、リクルが咄嗟に目を瞑ると――
「……あれ?」
先ほどまで確かにいた初老の男性の姿は消えていた。
リクルは少しの間首を傾げたまま言葉の意味を考えていたが、再び吹いた突風が顔に直撃し、せき込みながら宿の中に戻っていった。その様子を向かいの家の屋上から見ていた男性は帽子をかぶりなおし、首を横に振る。
「……ここで、ようやくここで、か。しかし遅い。遅すぎるが、盤面をひっくり返せるのは彼女だけ……なんにせよ、私の役割はここまで、か」
誰にも理解できない呟きを残し、彼は家の屋根から空を見上げた。太陽が照らし出す影は小さく、ふつうに飛んでいる鳥と区別することはできない。低い位置を飛翔する鳥と、遥か上空を飛翔する【千影の怪鳥】。その判断は困難を極めるが――
「私に狙いをつけたか? そうだ、こちらに来い『ベム山の大怪鳥』――お前の敵はここにいるぞ」
彼は黄金色に染まった双眸で、遥か上空にいる魔獣を確かに見据えた。