第14話 開戦
迫る魔獣の軍団に、フリートは唾を飲み込んだ。地を埋め尽くさんばかりに迫る魔獣の軍勢は、今までの大暴走とは違い、じりじりと体の内側からせり上がってくるような恐怖感がある。一心不乱に砦に迫ってくる普段の大暴走も怖いが、こうして静かに進軍してくる光景も、恐怖を煽る。先頭を歩いてくる魔獣の姿は、陽炎なのか揺らめいて確認することができない。
「……あれは……」
気づけば持っている剣に手をかけようとしている右手を制し、いつでも対応できるように体の力を抜いて立つフリート。歴戦の戦士である砦の守護者たちは、まるで熟練の兵士のように泰然とした態度で彼方の魔獣の軍勢を見つめていた。
憎悪に逸る者、冷静に戦力を分析する者、絶対に帰ると意気込む者、不敵にほほ笑む者――思い思いの武器を持ち、十人十色の戦う理由を持つ者たち。女神ベレシスの加護である、魔法を扱える者たちが前に立ち、岩影丸の上から魔獣の軍勢を見据えた。
「魔法準備――放てッ!!」
手に握りしめられた魔獣から採取される触媒が光を放つ。緑に輝くもの、黄色に光るもの、様々な色合いの光が岩影丸を照らし出す。魔法を放つタイミングを合わせるには高度な訓練が必要であり、所詮は寄せ集めの集団である彼らは、重複魔法と言った高難度の技術は扱えない。多少バラバラではあるが、それでも数十人分の魔法が放たれた。
『……セルデ! 遠距離攻撃を中止しろ!』
「――ダメだッ! 防御しろ――!」
不自然に揺らめく魔獣の軍勢を見ていたフリートが悲鳴のような叫び声をあげた。同時に気づいた『軍神』オーデルトの制止は、間に合わなかった。
不自然に揺らめいていたのは陽炎ではなく――【燃え盛る蜥蜴】と呼ばれる魔獣による攪乱の炎だった。それによって隠されていた魔獣は……
「【魔反射の亀】だッ!!」
その叫び声に反応できた人間は魔法を放った人間のうちで半分ほどだった。【魔反射の亀】は、遥か西の沼地に生息するという鈍重な亀だ。その動きは遅く、通常人間に害を与えることはない。だが、その全身を覆う甲羅はどういった原理なのか、あらゆる魔法を跳ね返す。生息数が少なく、沼地が深いために乱獲されることなく生き延びていた魔獣だ。知っている人間は、そう多くはない。
【魔反射の亀】に着弾した魔法が、跳ね返される。2割ほどは【魔反射の亀】がいない場所に着弾したようだが……前列を一列覆うように配置されていた【魔反射の亀】に反射された魔法が、岩影丸に向けて飛んでくる。
人類が待ち構えていたように、あちらも待ち構えていたのだ。人類が、最高火力で攻撃してくる瞬間を。
「火が、火がぁッ!」
「【魔反射の亀】だと……!? わざわざ連れてきたのか!?」
「ヤバい、来るぞッ!」
出鼻をくじかれた人類を追い詰めるように、早朝にも響いた巨大な咆哮が響き渡る。炎に包まれた数人が岩影丸の屋上から落下し、鈍い音がした。だが、それで決意が鈍るような人間はすでに残っていない。全員が改めて表情を引き締め、武器に手をかける。
「……来る」
フリートは剣に右手を添えて呟く。第一陣の魔法を防いだ【魔反射の亀】が投げ捨てられ、背後に隠れていた魔獣――素早さに優れる【噛み砕く巨狼】が駆ける。第2陣の魔法は――間に合わない。『軍神』オーデルトは、思わず唇をかみしめた。
(くそっ、こちらの常套手段は読まれているのか……! 綺麗に対策を打ってきたな!)
魔法の一斉射による戦力削りと出鼻をくじき、砦に籠って耐久。常に余力のある遊撃隊を残しておき、それを順次入れ替えて戦う戦法は――読まれている。むしろ、相手はこちらの戦法を知っていると思った方がいい。
だが。
(ここで奇策に頼る理由はない。【魔反射の亀】がいたのは予想外だったが、それでも被害は軽微……セルデから来ている報告でも、大した戦力低下ではない――このまま迎え撃つ)
【噛み砕く巨狼】は確かに速い。一方的に魔法で攻撃されるエリアを突破し、砦に肉薄するには間違いなく有効な手段である。だが、それは強力な魔獣が突出してしまうということでもある。
「キッカ、第3遊撃隊に伝達」
「はいですって!」
敵の進撃を見守るオーデルトが呟けば、キッカが素早く回線を開く。セルデの報告を聞きながら、第3遊撃隊の隊長に指示を出し始めた。
『状況は掴めているか?』
『なんとなーくね~。屋上に人をやった方がいいかしらぁ?』
『ああ。魔法攻撃と第一遊撃隊で【噛み砕く巨狼】を削る。魔法が得意な人間をこちらに寄越してくれ』
『りょーかいー! はい、魔法が得意な人ー! 屋上に行ってそこで魔獣に魔法撃つわよー!』
のほほんとしながらも指示は守る第3遊撃隊の隊長に、オーデルトの頬が緩む。『剛腕』やら『断罪』やら、厳しくむさくるしい男が多い中、第3遊撃隊の隊長である『氷牙』は癒しのひとつでもある。
『え? 私は行っちゃだめなの!? えー、指揮はクディが取ればいいじゃない! 私も魔法撃ーちーたーいー!』
オーデルトは彼女の副官であるクディリスが説得に成功するのを祈りながら無言を保った。『氷牙』は遠くで見ている分には癒しになるのだが、近くに寄り過ぎると非常に面倒で疲れる人柄をしている。オーデルトは無言でキッカに視線を送り、『氷牙』との回線を切断させた。
「相変わらずですって」
「ああ、僕も全く同じ感想だよ……さて、そろそろ接敵するな」
オーデルトの視線の先、【噛み砕く巨狼】が岩影丸に到達しようとしていた。
【噛み砕く巨狼】。
それは、巨大な頭部を持つ狼の魔獣の名前である。全長の3分の1が頭であり、巨大な顎を持つ。動きが素早く、その強力な顎の力は岩をも砕く。鼻も利く、非常に危険な魔獣として知られている。知られているが――
「おっらぁ!」
堀に落ちた仲間を踏み台に、岩影丸に飛びつこうとした【噛み砕く巨狼】を、セルデの腕が打ち砕く。
「常に3人以上で組んで動け! フリート、そいつは任せた!」
もう1頭の【噛み砕く巨狼】が、何かに気づいたかのように鼻を動かすが、そのときにはすでに、脇腹に剣が突き刺さっていた。
「……遅いよ」
鋭い嗅覚を持つ【噛み砕く巨狼】でも一瞬見失うほどの移動能力を持つフリートは、その技術を存分に生かし戦場を走り回っていた。兵士や冒険者たちは、必死に3人以上で囲んで【噛み砕く巨狼】と戦うなか、セルデやフリートといった凄腕の冒険者たちは、1人で何頭もの【噛み砕く巨狼】の相手をしていた。
『セルデ、岩影丸から離れすぎだ。一度引き上げよう』
「了解! 引き上げるぞてめーら!」
オーデルトからの指示に、セルデは勢いよく返事をすると撤退を始めた。【噛み砕く巨狼】は強力な魔獣ではあるが、相当数集まらなければ岩影丸に侵入したり崩すことはできない。【噛み砕く巨狼】の第一陣を岩影丸でしのいだ第一遊撃隊は、オーデルトの指示に従って出撃しては【噛み砕く巨狼】を葬っていた。
ギベル砦の前面に配置されている岩影丸は、魔獣たちにとって非常に厄介な牙城となっていた。落とすのは難しいが、落とさなければそこにいる第一遊撃隊の人間が執拗に出撃してくる。魔獣たちは知る由もないが、ギベル砦と岩影丸は地下通路によってつながっており、そこから撤退や人員の交代が行えるようになっているのだ。
「とっとと戻れ! ここは俺が支え、ぶはっ!?」
「バカ言ってないであんたが真っ先に戻るんだよ!」
殿を務めようとしたセルデの顔面をぶん殴り、投げ飛ばした男がいる。『剛腕』のセルデほどではないが、彼もまた名の通った冒険者――セルデの副官を務める『烈脚』のウェデスだ。
「てめっ、ウェデス! また独り占めにするつもりだな!?」
「何が独り占めだボケが! 『軍神』様と会話できるのはウチじゃあんただけなんだから、万が一があると困るんだよ! おい、新入り! その馬鹿連れ帰ってくれ!」
「了解!」
「おい、フリート! 隊長命令だ、俺はここに残るぞ……!」
「あー? 最近ちょっと耳が遠くて何いってるかわかりませんね」
一瞬でセルデの背後に移動したフリートが一撃でセルデの意識を刈り取ると、そのままセルデを担いで撤退を始める。
「た、隊長が一撃……」
「んじゃ、殿お願いします、ウェデスさん」
「あ、ああ。任せとけ!」
フリートの実力にウェデスが震えているが、フリートがもともと人間相手が得意というだけであり、真正面から戦えば実際の実力はセルデの方が上だろう。魔獣相手に戦ってきたセルデと、魔人や人間の相手がメインだったフリートでは、比べるべき基準が違うのだ。
「じゃ、やりますか――峻烈なる轍を刻め! 『烈脚』ッ……!!」
両足を黄金色の光が包み込み、わずかな残像を残してウェデスの姿が掻き消える。突如として姿を消したウェデスに、【噛み砕く巨狼】たちが困惑して足を止める。さらに彼らは、前後左右あちらこちらから漂ってくる匂いと気配に、混乱の呻き声をあげた。
「ウォウ……?」
何かが弾けるような音が響き、【噛み砕く巨狼】は呻きを唸りに変えた。今、確かに、何かに攻撃された――攻撃自体は軽くて弱く、とても【噛み砕く巨狼】を葬る威力はない。だが、無視するには鬱陶しい相手だった。
「ははは! ほら、犬ッコロ! 俺が相手だ!」
砂埃を巻き上げて姿を見せたウェデスに、【噛み砕く巨狼】たちが唸り声をあげる。言葉はわからずとも、ウェデスが自分たちをバカにしていることは伝わったのだろう。数十頭からなる【噛み砕く巨狼】に威圧され、ウェデスの背中を冷や汗が伝う。
(冗談じゃねー……そうそう捕まる気はないが、セルデの兄貴と『無音』の野郎が相当削ったのにこの数かよ……これで第一波だぁ? こりゃ、今度こそ終わりかな……)
とはいえ、殿を任せろと言った以上、無事に撤退が終わるまではここでやつらを食い止める必要がある。【噛み砕く巨狼】を倒すほどの力を持っていないウェデスが食い止めるには、挑発でもなんでもして、注意を一身に惹きつけなければならないのだ。
(14、15、16……全部で21頭か。いや、ちょっと、これ生き残れたら後世に語り継いでもらってもいいんじゃないですかね? 結構キツイよこの数?)
不敵に笑い、足に力を込め、今にも飛びかかってきそうな【噛み砕く巨狼】を相手に、視線を外さないウェデス。緊張が高まり、【噛み砕く巨狼】の前脚が地面を擦る。
命を賭けた壮絶な鬼ごっこが始まろうとしたその時。
ビクッ、と【噛み砕く巨狼】がその身を震わせた。周囲を窺うように仲間同士で視線を交わすと、ウェデスを置いて一目散に逃げていく。
その行動に、ウェデスが呆けたのは一瞬だ。一瞬だけ、【噛み砕く巨狼】たちのその行動を訝しみ――
全速力で岩影丸に向けて撤退した。
(うおおおおッ! やばいやばい絶対やばいって! あの【噛み砕く巨狼】が逃げ出す? 撤退? 逃げろ逃げろ逃げろ――)
結果として、その判断の素早さが、ウェデスの命を救った。
先ほどまでにらみ合いをしていた地点に、巨大な生き物が降り立った。その勢いは凄まじく、地面を抉り、岩を巻き上げ、真紅の双眸が砦を睨む。もしウェデスがあの場にとどまっていたら、その余波に巻き込まれてミンチになるか、目をつけられて虫けらのように殺されていただろう。
「ゴオオオオオッ……!!!」
ウェデスは、背後で響く唸り声を聞いても決して振り返らなかった。確認などできるはずもない。視界に入れるために速度を落とすなどとんでもない。
ただただ、一心不乱に走り続けた。