第13話 魔獣の軍隊
翌朝、砦は凄まじいまでの咆哮とともに日の出を迎えた。長く尾を引くその咆哮は、ギベル砦に詰めていたほとんどの人間を眠りから叩き起こすレベルの大きさだった。当然、そのような異常事態に、警戒に当たっていた兵士や冒険者が気づかないはずはない。
「お、おい、あれ……!」
「すぐに『軍神』様に報告するんだ!」
荒野の遥か彼方に蠢く無数の黒い影。空を飛ぶ魔獣、地を駆ける魔獣、地面を滑る魔獣――多様な魔獣が、列を揃えて進撃してくる。
それは異様な光景だった。
「嘘だ……魔獣があんな……!?」
「まるで軍隊そのものじゃあないか……!?」
統率された動きを見せる魔獣たち。先ほど響いた轟くような咆哮が示すのは、強力な統率力を持つ魔獣の存在。今までの大暴走は、ただひたすらに砦に向けて突き進む魔獣たちという形だったが。遠目に見るだけでも、今回の大暴走が違うことがわかる。数も違う、が、なによりも――奴らが放つ重圧感が違う。
「――なるほどね。統率個体か」
見張りの兵士の報告よりも、咆哮で異常事態を悟った『軍神』オーデルトは、先んじて屋上で敵の陣容を見ていた。
「こ、これは、『軍神』様!?」
「すぐに戦闘態勢を整えるんだ。4番の鐘を鳴らせ」
「は、はっ!」
「『覗き屋』、『拾声』、力を貸してくれ」
「……けっ。俺に断る権利なんてないんだろうが、どうせ」
「『軍神』様、なにげに僕使い荒いよね? よね?」
「便利だから仕方ない。『覗き屋』、君の出番はまだだけど――統率者がいるならそれを突き止めたい」
「へいへい」
「では、『拾声』――はじめだ」
オーデルトの背後に控えていた痩せぎすの男がふてくされたかのように答え、小柄な少年が抑揚と奇妙なリズムをつけて答えた。
「はいはいよ! 世界に広がれ、無尽に駆けよ――」
少年の体から黄金色の光が放たれる。あらかじめ登録されている人間に対し、通話を可能にする『祝福』だ。オーデルトが『聖女』、『予言者』と並んで最重要人物として確保した少年。
『拾声』のキッカという少年は、オーデルトが最も必要としていた、『自分の思い通りに動く軍隊』を作り上げるのに必要な人材なのだ。
「――敵襲! 第2、第3までの遊撃隊は各自出撃体勢を整えよ! 第1遊撃隊は、外の出丸、『岩影丸』にて待機! 『戦乙女』は、突撃準備!」
『第2遊撃隊隊長、『断罪』のトロー、承知いたしました!』
『あい、第3隊長、りょうかーい』
『第1遊撃隊、『剛腕』のセルデ、了解!』
『わかりました、オーデルト様!』
個性的な返事を聞きながら、オーデルトの脳内でいくつものパターンの戦略が組み上げられていく。こちらの損害は軽微に抑える必要がある。ただでさえ一騎当千の英傑たちが集まることで戦力を維持しているのだ――申し訳ないが、ただの兵士1人が死ぬのと、今の砦の英傑1人では戦力の落差が違う。それが現実である。
『おーい、私はどうすればいいー?』
「……おや。『魔女』殿、力を貸していただけるのですか?」
『うーん、指示次第かなー。面白そうだったら手を貸すよ!』
『ベネルフィ! あなた、オーデルト様に対してなんという言い草ですか!?』
『脳内お花畑乙女ちゃんは黙っててねー』
『なっ……!?』
「……な、なんか怪しい雰囲気なんですけど? けど?」
これ中継しなきゃダメですか? と問いかけるように、キッカが瞳を潤ませる。『戦乙女』シャルヴィリアが感情を露わにしているのはそれなりにあることだが、オーデルトが聞く限り、普段飄々としている『魔女』ベネルフィの声に、焦りのような感情が微かに感じられた。
「……『魔女』殿」
『お、決まったー? 早く指示くれないと飽きるよ?』
「魔獣とは、なんなのですか?」
オーデルトの口から出たのは、指示でも頼みでもなく、疑問だった。
波のように無秩序に襲い掛かってくるかと思えば、突然軍隊のようにまとまった動きをしてくる。生物なのか? それとも、また別の――
『魔獣とは、人類にとって倒さなければならない敵であり……『この大陸を人類が支配できなかった理由』でもある。これ以上のヒントはあげられないなー』
「なるほど……なんとなくですが、わかってきましたよ……」
『相変わらず『軍神』様は察しが良すぎて、面白くないな……もうちょっと悩み苦しんでもいいんだよ?』
「指揮官が悩めば、その1秒で1人死にますので」
『違いないね! んじゃあ、この状況で私に質問をしたという英断に応えようじゃあないか。右の一団を止めてあげるから、準備を整えるなりしたまえよ』
『魔女』ベネルフィが通話を切り上げて、魔法を行使するための準備に入る。数十秒後、地面が崩落する盛大な音が響き、宣言通りに右の一団の進軍が止まる。一瞬魔獣たちの集団に動揺の波が走るが、すぐに列を整えて進撃を再開した。
「すご……」
『天才の私が4か月もかけて準備したんだから当然さ。1回こっきりだから2度めは期待しないでくれ』
「助かったよ、『魔女』殿」
少しではあるが、敵が減った。4か月間の準備があったとはいえ、1人でそれだけの戦果を生み出す『魔女』ベネルフィ。それが十全の力を振るったら一体どうなるのかという恐怖はあるものの――味方なら、大助かりである。彼女いわく、『自分は対人専門なので、対多数は得意ではない』らしいのだが、そうとは思えない戦果だ。
『こちらセルデ、第1遊撃隊、い、『岩影丸』? に到着しました』
「了解。遠距離攻撃ができる人間は射程内に入ったところから攻撃してくれ。その場所からの出撃は禁じる。専守防衛せよ」
『了解!』
オーデルトは大きく息を吸い込み、考える。これまでは、考えずに突っ込んでくる魔獣たち相手の防衛・殲滅戦だった。だが、あの整然とした進軍を見るに、魔獣たちを統率する存在がいることは間違いない。
つまるところ、これは戦である。
(一番可能性が高いのは、“道化”が指揮官であるという可能性か……? かつて、テッタ公国はあの魔人に魔獣をけしかけられた経験もある。だが、その時の魔獣たちはあくまでも『けしかけられた』だけであって、統率されていたとは言い難かったという……先ほどの咆哮といい、どこかに統率する魔獣がいるとみるべきか……あやふやな指示になってしまうが――)
「『覗き屋』。君の【眼】で探してほしいものがある」
「へいへい。わかってましたよ……で、なんです?」
「怪しい奴。なんか怪しい奴を探してくれ」
やる気がなさそうに頭の後ろで手を組んでいた小汚い男性が、冷めた目でオーデルトを見る。態度と目で、『面倒な仕事を押し付けやがって……』という意志をアピールしていた。
「そんなめちゃくちゃな条件じゃあ、無理ですわ。怪しい奴? 30歳越えてるくせに20代にしか見えねぇ胡散臭い男なら俺の前にいるけどよぉ」
「今すぐ君を裁いたっていいんだよ、『覗き屋』?」
「……ちっ」
「『祝福』の悪用は重罪だ。君の能力は恐れる人間が多い分、罪は重くなるだろうね」
傍目には優しく微笑んでいるように見えるオーデルトに、忌々し気に顔をゆがめる『覗き屋』と呼ばれた男。その様子を見れば、どちらの力関係が上かなど、一目でわかる。積極的にオーデルトに協力している『拾声』のキッカとは違い、やむをえない理由で仕方なく協力しているのがこの男――『覗き屋』スウェーティである。
「探せばいいんだろ、探せば……けど、見つかるのを期待するなよ? 俺の【眼】、そんなに便利なものじゃないからな?」
「わかってるわかってる。とりあえずやってみてくれ」
「……はあ」
全てを諦めたような表情で、スウェーティが右手を額に当てる。黄金色の光が頭部から放たれ、スウェーティの茶褐色の瞳が、光と同じ黄金色に染まった。
「隠した物、潜む者、全ての秘密を暴け――!」
スウェーティの両目が金色に光り輝く。『覗き屋』の名に相応しい彼の『祝福』。距離も空間も障害すらも飛び越えて、『見たいものを見る』という『祝福』だ。ありとあらゆる秘密も、この能力の前には無意味。どんな密会も、どんな伏兵も、彼の眼はそのすべてを見通す。
「『天眼』ッ……!」
オーデルトとキッカが見守るなか、スウェーティの両目がひたすらに強い輝きを放つ。それはまるで太陽のように周囲を照らし出した。基本的に、『祝福』の強さは、その発動時の光の強さでおおよそわかると言われているが――
(この光……見るたびに思うが、徐々に光量が増している……!?)
今まで何度か彼の『天眼』発動の様子を見てきたオーデルトは、思わず自分の目を腕で覆って隠した。光に耐えきれずに目を覆うなど、今までなかったことだった。
(成長、しているのか? 『祝福』が……?)
今ですら、空間を飛び越えてすべてを見通すという強力な『祝福』である『天眼』。継続時間こそ短いものの、これ以上強力になってしまっては、『軍神』の手にすら負えなく――
「――『視た』が……正直、1人しかいねぇぜ。あんな怪しいヤツは1人しかいねぇ」
「ほ、ほう。曖昧な指示だったが、よく見つけてくれたな」
「おまえ、曖昧な指示だった自覚はあるんだな……」
金色の光を4秒ほどで収めたスウェーティが報告すれば、オーデルトは動揺を隠しながら応えた。自分の力が徐々に強力になっていることに気づかないスウェーティは、呆れたようにオーデルトの揚げ足をとる。
「で、その見るからに怪しいヤツっていうのは?」
「外見は、胡散臭い仮面に、左右非対称。右腕が細く、左腕が異様に肥大化している……」
「……ん?」
「なんか忙しそうに踊ってたけど、こんな怪しいヤツはいねぇだろ?」
だからもう俺の仕事終わりでいいか? と全身で訴えかけるスウェーティを無視し、オーデルトは考える。胡散臭い仮面をつけ、右腕が細く左腕が肥大化……。
「……ああ。そいつは怪しいヤツだね……」
「だろ? 正直、こいつ以上に怪しいヤツは見当たらねぇぜ。なんか踊ってるしよぉ」
言うまでもなく、そいつは“道化”のシギーである。
「いや、そうだね。僕の言い方が悪かったよ。明日は、そいつ以外で怪しい魔獣を探してくれると助かるよ……」
「おう。今日はもう打ち止めだからな」
ヒラヒラと手を振ったスウェーティは、オーデルトとキッカをその場に残し階段を下りていく。彼の『天眼』は継続時間が短く日に一度の使用しかできないが――その制限に見合うだけの能力を持っている。脅してでも、生活を縛ってでも、利用する価値があった。力を提供することを強制する代わり、スウェーティはある程度の自由が許されている。砦から出ることはできないが、戦線に投入されることはなく、衣食住は過不足なく揃えられている。
「……とりあえず、統率者らしき相手は見つけられなかった、か」
「は、はい。ですね、ですね!」
「キッカ……これからは君の『祝福』が重要になってくる。頼むよ」
「了解ですって! ですって!」
気合を入れなおし、全身から黄金色の光を放つキッカ。あらかじめ登録しておく必要があるとはいえ、戦場に散らばる各隊の隊長に言葉を届けられる彼の能力は強力だ。普段は力の温存のために使われることはないが、こうして非常事態に素早い初動を行えるのは、彼の『祝福』があってこそ。
「全員持ち場に戻れ。遠距離攻撃の射程距離に入り次第攻撃開始だ」
「了解!」
非常事態を知らせる4番の鐘の音は既に鳴った。町の住人は戦時モードに移行している時間であり、砦の兵士や冒険者も迎撃準備を整えた頃合いである。普段の大暴走よりも重圧感はある。数も多く、不確定要素もある。
だが、人類側の戦力も幾度もの修羅場を乗り越えた勇士たち。士気も高い。
(しかし……)
不謹慎だと思いながらも――オーデルトは、興奮の感情を隠し切れない。興奮を冷徹に見つめ、作戦を組みなおす冷静な自分を感じながらも、オーデルトは高ぶる自分を認識していた。
(士気が高く、歴戦の猛者である彼らの命を、人類の存亡を賭けて預かる。こんなに最高の戦場を何度も経験した指揮官など、歴史上存在しない)
「各隊長に伝達――今回も勝つぞ!!」
冷静に考え、興奮のままに告げてもいいと判断されたオーデルトの言葉。
『軍神』のいつになく熱のこもったその言葉に、それぞれの隊長から力強い返事が帰って来た。