第12話 魔女ベネルフィ
「げっ」
砦の中を歩いて、『魔女』ベネルフィがいると思われる研究室に向かうフリートだったが、途中で見たくない顔に遭遇してしまい、踵を返す。足音や気配はいつも通り消してあったため、見つかっていない可能性は十分にあったが――
「待ちなさい、『無音』!」
呼び止められてしまったので、嫌々ながら向き直る。そこにはいるだけで薄暗い通路を輝きで満たす、金髪の女性が立っていた。背中まで緩いカーブを描く金髪はわずかな光を反射して煌めき、意思の強そうなツリ目はフリートを睨んでいる。
「……遊撃隊に入ったというのは、本当ですか」
「本当ですよ、シャルヴィリアさん」
「名前を呼ばないでください」
「え、じゃあ『戦乙女』さんと呼んだ方がいいですか?」
「……それも嫌ですね。これからは私に声をかけるとき、『すみません』と一声かけるように」
「……わかりました」
あんまりといえばあんまりな返しに、フリートは内心で溜息をつく。どうやらフリートが想像していたよりも嫌われてしまっているようだ。ピリピリとした雰囲気にいたたまれなくなったフリートが軽口をたたく。
「しかし偶然会うことが多いですね。もしや、運命ではないですか?」
「それ以上戯言をほざくようならたたっ切りますよ」
「……すみませんでした」
本気で警戒するように剣の柄に手を置かれてしまっては、フリートとしては頭を下げることしかできない。なぜ彼女にここまで警戒され嫌われているのか、フリートの心当たりは2つほどしかない。一つは、彼女が敬愛する『軍神』オーデルトの誘いを蹴っていたのに、しれっと遊撃隊に入ったこと。もう一つが、先日面倒だからと騙して逃げたことである。
「……聞きたいことがあります」
シャルヴィリアは、鋭利な美貌を不安そうに揺らめかせ、フリートに問いかける。初めて見る彼女の弱った姿に、フリートは少々驚いた。普段から勝気に過ごしている彼女には珍しい。
「魔人と、会ったのですね? 何の魔人かは聞きませんが……“闇騎士”かどうかだけ教えてほしいのです」
「……いえ、違います」
「……そう、ですか。わかりました」
フリートが出会った魔人は、“道化”であって“闇騎士”ではない。それだけ答えると、シャルヴィリアはフリートの隣を通り抜けて、姿を消した。
「“闇騎士”か……」
漆黒の甲冑に身を包んだ、謎の男。“詩人”と呼ばれる魔人とペアで動くことが多く、その異様な耐久力と体力の多さから危険視されている魔人だ。フリートが今回、“道化”と遭遇したのは情報としては伏せられており、いくらシャルヴィリアといえど聞き出すことはできなかったのだろう。だがそれでも、“闇騎士”かどうかだけでも確認したかったのだ。
彼女の故郷を滅ぼしたのが、“闇騎士”なのだから。
「復讐……?」
いや、とフリートは自分の考えを否定した。シャルヴィリアから復讐、というほどの暗い憎悪の念を感じ取ることができなかった。どちらかといえば真実を突き止めたい、そういった方向に思いが向いていたように感じた。
「事情あり、か……まあ、事情なんてない方が珍しいわな……」
それこそ、この国の出身でもない限り、皆故郷を魔獣や魔人に滅ぼされている。かくいうフリートもその一人だし、宿屋の主人であるグルガンだってそうである。
考えても仕方ない、とフリートは数回頭を振って思考を切り替えると、研究室に向かって足を進めた。
「ふぅむ!」
「……お久しぶりですね、ベネルフィさん」
研究室に到着したフリートは眼前に広がる光景に気圧されながらも、なんとか挨拶に成功した。周囲を紫と白の煙が包み込み、前に腰掛ける女性の姿は見えない。見えないが、そのいつも通り淡々としつつどこか偉そうな口調は相変わらずだった。
「当てて見せよう」
「は?」
「特に乱れていない呼吸、ふつうの体温、まだギリギリ常識的な時間の訪問、そして特に何も考えていない顔つき、音と気配は消しているとはいえ、緊張していない筋肉――」
滔々と語り始めた女性の声に、フリートは黙っている。
「――ここまで歩いてきたな? 用向きは、挨拶だろう!」
どうだ、と言わんばかりに披露された推理に、フリートは気のない拍手を返した。
そもそも砦のなかなど、歩くか走るかしか移動手段などなく、用向き自体は正解だが、それも簡単に予測できるもの。たいした推理ではなかった。
「む、なんだそのやる気のない拍手は。もっと私の推理力と予測力を讃えてほしいものだな。まあどうでもいいけど」
「ベネルフィさん。この煙なんとかなりませんか? 顔も見えないんですが」
「私の美しい顔を見たい、と?」
「いえ、別に」
「そうか、見たいか。ならば散らしてやろう」
「お願いします」
基本的に彼女と会話が通じないことを知っているフリートは、彼女の言葉を全力でスルーしながら会話を続ける。昔は対話をしようとしていらぬ神経を払ったものだが、さすがにもう諦めたのだ。彼女はこういう人間であり、自分程度が何を言おうが変わらないということに気づいてしまった。
『魔女』ベネルフィがぶつぶつと呟くと、紫と白の煙の中に緑の輝きが灯る。徐々に輝きが力を増していき、室内だというのに風が吹き始めた。
「扉を開けてくれ」
「はぁ」
ベネルフィの言葉に従ってドアを開けるフリート。渦巻く風に巻き込まれるように、ベネルフィが持つ緑の輝きに向けて白と紫の煙が集まっていく。
「『――風の精霊に奉ずる。我が願いは風、気まぐれなる風。吹き散らせ――』」
ベネルフィの詠唱によって、室内を風が支配する。見慣れた光景であるがゆえ、フリートはわずかに顔をしかめるだけだ。『煙を追い出す』というしょうもない目的のために魔法を使う人間など、『魔女』ベネルフィくらいだろうが。
「うわっ!」
部屋の外に追い出すだろうと思っていた煙の塊が、フリートの顔面に直撃した。
「なにすんですか、ベネルフィさん!」
「君がとても失礼なことを考えている顔をしているからだ。どうせ『またしょうもないことのために貴重
な触媒と魔力を使いやがって……』とか考えていたのだろう。私は魔法を扱う感覚を養うために、できるだけ日常生活でも魔法を使うようにしているだけだ。そこらへんにいる、魔法をさもありがたいもののように崇め奉るような連中と一緒にしないでくれ」
「そこまで言ってないですけど!?」
女神ベレシスに与えられた魔法の才能――それを、彼女ほどどうでもよさそうに思っている人間を、フリートは知らない。多かれ少なかれ、女神に畏敬の念を持っている人間がほとんどだというのに、ベネルフィだけは、どうでもよさそうに振る舞う。そしてそれはポーズではなく、本心からそう振る舞っているのだ。どころか、女神ベレシスや女神カロシルを崇める人間を軽蔑しているような反応すら見せる。そんな彼女は敵も多いのだが……彼女は、限定的な空間における戦闘能力が高すぎて、だれも手出しができないのだ。
「“道化”が出たんだって?」
「……はい」
いったいどこから聞いたのか。『戦乙女』シャルヴィリアですら知り得なかった情報を簡単に口にしたベネルフィ。わかっていたこととはいえ、さすがにフリートも驚きを隠せない。この砦の最高戦力の一人である『戦乙女』ですら知らなかった情報を、引きこもりの『魔女』がどうやって手にしたのか。
そんな疑問の表情を浮かべるフリートに、妖艶な美女がほほ笑む。『魔女』ベネルフィ――年齢不詳、艶やかな紫の髪を持つ女性である。
「あ、そうなの。カマかけただけだったんだけど当たったね」
「あの」
「“道化”かー、面倒だなー」
どうでもいいことを推理して、重要なことを適当に話し始めるベネルフィに思わず抗議の声を上げるフリートだが、ナチュラルにスルーされた。
ベネルフィは『面倒』という感情を全身で表すように、両足を椅子の上に引き上げ、貴重なガラスの筒をくるくると回し始めた。彼女が考え事をするときの癖なのだが、前に試薬が入ったまま振り回されひどい目にあったことがあるフリートは思わず一歩下がった。
「ま、ここまで来てくれれば私が殺すけど……私、対人特化だし? “道化”嫌いだし?」
「同族嫌悪ってやつですかね」
「そうかもね」
フリートの皮肉に気のない返事を返しつつ、ベネルフィはフリートを見据えた。
「あんたの過去は知ってる。一応、アドバイスはした――慰めはしなかったけど。ほら、私みたいなパーフェクトな美女が慰めたら立ち直れなくなっちゃうからさ。でも、私があんたにしたたった一つのアドバイス、覚えてるでしょ?」
「……はい」
ベネルフィは右手に持っていたガラス管を、フリートに突き付ける。
「『忘れるな』。記憶を留め、過去を記録し、失敗を学び、成功を模倣しろ。そうすりゃ、人生楽勝よ」
「……人類滅亡寸前なんですけど」
「人類が全員超天才な私だったら、楽勝で逆転できるんだけどなーさすがに1人で人類の人生担げないんだわー私対人特化だしー?」
とぼけるように視線を逸らすベネルフィに、フリートは溜息を吐く。魔法の天才、あらゆる魔法の生みの親、【龍殺し】の異名も持つ『魔女』ベネルフィ。これで性格が人格者だったら最高だったのだが、あいにくと彼女は自分が興味を引くものにしか力を貸さない。この砦にいるというのに、『軍神』オーデルトは「からかいがいがない」というしょうもない理由で積極的に力を貸さないのだから始末に負えないのだ。
そんなベネルフィが、溜息をついたフリートを見据えて口を開く。
「フリート、選びなさい。『惨殺鬼』に戻るのか、『無音』として生きるのか。それとも――」
瞳に怪しい光を湛えながら妖艶にほほ笑むベネルフィに、フリートが気圧される。あまりにも気まぐれで、真面目な話とふざけた態度を思いついたかのように切り替える『魔女』。
(こういうところが、“道化”と似てて落ち着かない――)
「――ああ。選ぶよ、そのうちな」
「くすっ。その煮え切らない態度、人間って感じね……じゃあ、私から一つだけヒントをあげる」
「……ヒント?」
「というか、議題というか宿題というか? 魔獣って、魔人って、なんなのかしら?」
魔獣。魔人。
その正体。
魔獣は人類に敵対する獣たちで――魔人は人類に敵対する種族で――
「ま、知らなくてもいいことだし、ここで考えてわかるものでもないんだけどね……しかし覚えておいてほしいことがあるのだ。『何もない場所には何も生まれない』ということをね」
「何もない場所には……何も生まれない……?」
「私の推測も多分に含まれているがね。推測が正しければ……」
「正しければ……?」
フリートは、研究室の中が急に静かになったように感じた。まるで、世界中の生き物が息をひそめてベネルフィの言葉に聞き耳を立てているような錯覚すら覚える。
果たして、ベネルフィが言う言葉は――聞いても大丈夫な言葉なのか――?
「いや、やめておこう。推測で語るには事が大きすぎる」
「……そうですか」
聞けなくて残念なような、逆に聞かなくてホッとしたような。奇妙な安心感と煮え切らない気持ちを抱えながら、フリートはベネルフィに頭を下げた。彼女と会うとよくも悪くも、考えることが増えすぎる。一体その頭脳は、どこまで過去を記憶し、未来を予測しているのか。
先ほどまでの妖艶な『魔女』の姿は消え、お調子者のようなサバサバしたベネルフィが戻ってくる。
「じゃー頑張れよー。私も、多少は手伝ってあげるからさー」
「……人類の危機なのに、他人事みたいですね……」
「私、『天才』っていう別の種族だしねー」
「……そうですか」
話は終わったと言わんばかりにフリートを追い払うベネルフィに釈然としないものを感じつつも、機嫌を損ねるわけにもいかないので、フリートはもう一度頭を下げると研究室を後にした。
「……歪みとしては、彼そのものではないんだけど。最大の分岐点となる人物は、別にいるのか……」
『魔女』ベネルフィの言葉は、だれにも届かずに消えた。