第13話 終末なき未来へ
漆黒の靄が広がる。終末の神としての力が、女神カロシルのいる空間を蝕み、リクルの差し出した手を女神カロシルが手に取った。瞬間、靄が勢いを増して女神カロシルの体を侵食し始めた。
「……これから先、何があろうとも。人の道行きに、幸福を望んでいます」
女神カロシルは目を細め、2人を見つめる。その正面に、黒と白の糸が浮かび上がり――そして、糸が1つの形を作っていく。
『初めまして、女神さま。私の名前はネメリア』
「……ああ」
常に優しく微笑んでいた女神カロシルの瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。
「すでに、貴方たちは……そういうことでしたか」
『何千年、何万年かかるかはわからないけど。魔獣と人が分かり合える、きっとそんな世界が来る気がするんだ』
黒白の蝶。“貴婦人”の『加工』の力によって変質しているとはいえ、元はまぎれもなく魔獣であるネメリアが、フリートの言いたかった言葉を代わりに告げていく。
女神カロシルの右手から移った漆黒の靄は、徐々にその範囲を広げて、胸にまで到達していた。
「フリート、ありがとうございます。あなたに与えた『祝福』の意味を、よく考えてみてください。それこそ、人が神の力を必要としない理由なのです」
だから、不安に思うことはありません、と女神カロシルは両目から涙を流しながら囁く。
「あなたの『祝福』は、人の限界を超えるものではありません。それぞれの道のエキスパートが、十分な力を発揮すればいいのです。それが、人間の可能性です。違う力、違う願い、違う思いを持っていながら、たった1つの目的に向けて、力を合わせることができる――」
溜息を吐いて、女神カロシルは呟く。
「全く、欲深いことです。また、みんなの行く先を見てみたくなってしまいました――」
漆黒の靄が、全てを食らい尽くす。
フリートは、人類を守護し続けた女神の消失を見守った。女神カロシルが漆黒の靄に塗りつぶされた直後、弾けるようにして漆黒の靄も消えていった。その散り方はあっけなく、かえって不安になるほどだったが。
「終わった、か」
「……そう、ですね」
女神カロシルは消えた。同時に、リクルの中に宿っていた終末の神としての力も消えたようだ。
『神殺し、か。これからどうなるのかしら?』
「さあな。とりあえず、帰って寝よう。難しいことは、『軍神』様と『予言者』様に任せるさ」
ふらつくリクルを受け止め、フリートは純白の空間に背を向けた。
† † † †
「終わったか」
槍を担ぎ上げ、『断罪』のトローは気だるげに溜息をつく。シャルヴィリアに背を向け、大地を歩き出す。
「待て! どこに行く!?」
「大地に還るのにふさわしい場所を探しに行く。女神カロシルが消えた今、私が戦う理由もなくなった」
ただ、己の目的を果たすためだけに槍を振るう男。その行為に迷いはなく、足取りに躊躇いはない。
「いずれこの世界は、元あったように戻るだろう。『祝福』という歪な力が消え、魔獣や魔法、魔人が跋扈する世界になる。生き抜くことだ、『戦乙女』シャルヴィリアよ」
立ち去ろうとするトローに、シャルヴィリアが続けて声をかけようとした時。金属が大地にぶつかる、耳障りな音が響いた。
「な……なに……?」
大地に膝をついていたのは、“闇騎士”トーマン。その体から異臭を放ちながら、トーマンは乾いた笑い声をあげた。
「は、はは。ついにくたばったか、カロシルめ。これでようやく、我が積年の恨みも晴れようというものだ」
「“闇騎士”……その体は……!?」
異臭を放ちながら腐り落ちていく“闇騎士”の体に、シャルヴィリアは眉をひそめながら問いかけた。
「元より『祝福』の力で保っていた我が肉体。女神カロシルの消滅によって、『祝福』が消えた今、維持することも叶わん。生ける屍として、朽ち果てるのみよ」
トーマンにとっては、死んでからも戦いは続いていた。生ける屍としてよみがえってからも、『祝福』は戦い続けていると判断し、その体を常に万全の状態にしていたのだ。だが、『祝福』が消えた今――
「ああ、シャルヴィリア。『戦乙女』と謳われ、世界の真実を知った少女よ。お前は今、何を想っている。絶望か? 怒りか? 喪失感か? 嘆きか? 聞かせてほしい。私と似ているお前だからこそ、お前の出した答えを聞きたい」
問われ、シャルヴィリアは顔を歪ませた。考え、そして答えを出す。
「なにも」
正直な気持ちを。
「よくわからない。私は私のできることをするだけだ」
シャルヴィリアは“闇騎士”と“詩人”に背を向けた。
背後で大笑いする声が聞こえたが、シャルヴィリアは振り返らない。まだやるべき仕事が残っているのだ。生ける屍たちを討伐するという仕事が。
† † † †
「――かくして、彼らの物語は終わりを迎えたのです」
夜空を見上げながら、男が語る。その左手には豪華な装丁が施された巨大な本が握られていた。話を聞いていた者たちは、首を傾げたり、目を輝かせたり、難しい顔をして黙り込んだり……そんな彼らの顔を、中心にあるたき火が照らしていた。
「……面白れぇ法螺話だったぜ、兄ちゃん」
1人の男がそう言えば、周囲の男たちも一様に頷く。
「そうでしょう。面白い法螺話でしょう?」
本を持つ男はそう答え、クツクツと笑った。右腕が細く、左腕が肥大化しているその異様な外見に、彼らはもうすっかり慣れ切っていた。
「しかしよ、物語にしちゃあ、終わりが雑じゃあないか?」
男の問いかけに、本を持つ男は、我が意を得たり、と言わんばかりに大きく頷いた。ほかの男がたき火に新たな薪を入れ、火が爆ぜる音が周囲に響く。それが収まるのを待ってから、本を持つ男は告げる。
「なにせ、物語といっても。まだまだ彼らの物語は続いていきますからね」
本を持つ男は、まるで闇を見透かそうとするかのように目を細めた。
「めでたしめでたしでは終われない。それが、この大地に生きる者たちの宿命――」
“道化”のシギーは、笑いながら立ち上がる。
「おい、兄ちゃん。どこ行くんだ? 危ないぜ、いくら魔王や魔人がいなくなったからって、まだまだ魔獣の類はいるんだからよ」
「ご心配なく。さてさて、次はどんな物語を見せてくれるのでしょう?」
独り言をつぶやきながら、“道化”にして“語り部”であるシギーは歩き出す。最初は引き留めようとしていた男も、気迫だけで魔獣を退かせて見せた男の実力を思い出し、それ以上は止めなかった。
夜空の下を歩きながら、シギーは呟く。
「人の人生はまだまだ続きます。英雄と呼ばれた彼らの物語は、死ぬまで――もしかしたら、死んでも終わることはないのかもしれません。しかし、まあ」
口の端を釣り上げ、右手で羽ペンを持ち上げる。
「ここらで、一度終わりということにしておきましょうか」
本に素早くペンを走らせた“道化”のシギーは、満足げに笑った。
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