第11話 救いの可能性
「……生ける屍、なのか?」
思わず呟いたシャルヴィリアの言葉に、『断罪』のトローを名乗る男は呆れたように肩を竦めて見せた。
「生ける屍ではありませんね。もし私が生ける屍として復活していたなら、即座に自殺を選ぶ。それはとても『在るべき姿』とは言えませんから。主義に反する」
槍を握り直し、『断罪』のトローは飄々と言葉を紡ぐ。その体に緊張はなく、自然体でシャルヴィリアに向き合っている。
「では、なぜ――」
「なぜ、と言われると。私は“貴婦人”から事の次第を聞き、確かめるために『不変の神殿』へ赴いた。互いに利がある交渉でした。私はこの世界の『本来の在るべき姿』を聞き、女神カロシルが異邦者であることを知った。であれば、本来の世界。魔人、魔獣、精霊の世界に戻すのが、我が精霊信仰の在り方」
トローが黄金色の光を纏う。
「もちろん、しかるべき世界になったのち、私は大地に還りましょう。それが私が通すべき筋、というものです。私も多かれ少なかれ、『祝福』の恩恵を受けていましたからね」
「――理解した。お前が敵だということを!」
シャルヴィリアの体から黄金色の光が迸り、直進する。しかし彼女の大振りの一撃は冷静にトローに避けられた。
「実に愚直。実に無様。これならまだ、『祝福』を使っていない貴女の方が難敵でしたとも!」
冷静さを欠いたシャルヴィリアの剣は、トローには届かない。生き延びるための技術を磨いてきた彼の男もまた、対魔獣の専門家。素早く重いが単調な攻撃など、トローが最も得意としている敵の動きである。
トローが前に出る。
「っ、!?」
絶対に当たらない距離に繰り出された突き。シャルヴィリアは無視して再びトローに突進をしようとして――
不意に背筋を泡立たせた嫌な予感に従って、とっさに飛びのいた。
瞬間、槍が肥大化し、当たらないはずだった突きがシャルヴィリアの脇腹を抉る。
「ぐぅっ!!」
「――惜しい。あと一瞬遅ければ、その腹に風穴が開いていたものを」
槍を元の大きさに戻し、トローが呟く。
「『祝福』……!」
「然り。在るがままを望む私に、『物を大きくする』などという『祝福』を与えた女神カロシルには、前々より思うところがありましてね」
シャルヴィリアはただの槍の振り下ろしを必死に避ける。届かない位置から振るわれたはずの槍は、寸前でサイズを変え、先ほどまでシャルヴィリアがいた地面を陥没させた。
「以前の立ち合いで、私は『祝福』ありきなら私が負ける、という話をしましたかな?」
届かない位置でまるで曲芸のように槍を振り回すトロー。槍は肥大化したり、そのままだったり、虚実を織り交ぜた動きをしてくる。
「訂正しましょう。『祝福』も交えた駆け引きなら、私に分がありましょう」
「トロォォォォッ!!」
槍の嵐を掻い潜って接近しようとしたシャルヴィリアに肥大化した槍が迫る。体を焼き尽くさんと荒れ狂う怒りが、一時的に脇腹の痛みを忘れさせる。放っておいていい怪我ではないが、今すぐ動けなくなる重傷というわけでもない。
攻撃範囲を広げた槍の一撃を掻い潜ったが、黄金色の光を散らした槍が、すでにトローの手に収まっていた。槍、という武器を相手にするとき、剣士は基本的にはその間合いの内側に入ろうとする。しかし、トローは『祝福』を駆使することで非常に広い範囲の間合いを確保することに成功した。
近づきすぎれば、不意を打って肥大化する槍の一撃を避けられない。
遠すぎれば、一方的に槍に嬲られる。
シャルヴィリアの体に傷が増えていく。視界が揺らぎ、足に力が入らない。1つ1つの傷は、致命傷というわけではなかったが、血を失いすぎた。
「ぐっ……!」
「む?」
シャルヴィリアが膝をつく。
気持ちに、体がついてこなくなっていた。熱く滾る思いが、体の傷に引きずられて冷めていく。心を埋め尽くしていた全能感が消えてなくなり、どこまでも重い倦怠感が体を支配した。
「あれは――」
トローの呟きに、シャルヴィリアが顔を上げる。
遥か彼方で、紫色に輝く光が、周囲を照らし出していた。その光はやがて1つの形を作っていく。天まで伸びたその光の形は――
「階、段……?」
シャルヴィリアの呟きが、やけに静かになった荒野に滑り落ちた。
† † † †
「やれやれ、わずかな可能性に希望を持つ種族ですね、人間というのは」
「でも、嫌いではないんだろう?」
ベネルフィの問いかけに、“道化”のシギーは頷いた。
「まあ、それはね。本来、彼――貴女は原初の神、と呼んでいましたね。彼の神の眷属である私と“教徒”は、この世界になんの興味もありません。我らが神は、何も為さない。ただそこに在るだけ。しかし、長い年月を過ごす間に、私たちはゆっくりと狂っていったのですよ」
自らが狂っている、と認めたシギーは、左手に装飾のついた巨大な本を出現させた。
「私は退屈な日常に倦みました。ゆえになにより劇的な『物語』を望んだ。“教徒”は自らを神の一部として信仰を始めました。自分を信仰の対象とすることで、致命的な狂信を防いだのだと考えていますが」
右手でページをめくりながら、シギーはぼんやりと呟く。
「この世界で最も鮮烈な物語を紡ぐのはいつだって人間でした。魔獣や魔人に比べて、遥かに脆弱な種族。『祝福』という強力な力を手に入れても、結局はそれに振り回される哀れな種族。神に与えられた力は、脆弱な人類には強すぎた」
『不死』を持て余した魔王。
疎まれて謀殺されたトーマン。
『天眼』と視力を失ったスウェーティ。
「所詮は借り物の力。十全に使いこなせていた者などほんの一握り。ゆえに、こういう結末もあり得るのでしょうな――ところで、ベネルフィ殿。唯一の異世界人である貴女にお聞きしたい。勝ち目は、ありますかな?」
問われたベネルフィは、静かに【階】を見上げて紫煙を吐き出した。
「五分五分だな。失敗したら滅びるし、成功しても人類は厳しい苦境に立たされる。何分、フリートの予測には希望的観測が多分に含まれている」
だが、とベネルフィは思う。希望的観測で彩られた未来だからこそ、彼は進めるのだろうと。経験値の再配分を行う『再誕』の『祝福』。それは、今を否定し、あやふやな可能性に自分という存在を預ける行為だ。
口には出さないが、ベネルフィはフリートという男のことを尊敬している。人は、長年積み上げてきた努力を否定するのを恐れる。例えば、10年料理の修行をしてきた者が、そう易々と『料理の才能がない』ことを認めるだろうか?
それだけ、『経験』というものは重いのだ。『あったかもしれない自分』になることが、どれほど恐ろしいことか、あの男は理解していない。本人に言えば、『この力は後ろ向きの『祝福』だ』とかなんとか言うのだろうが。たとえ、今までの人生を後悔していても、それと決別することはそんなに簡単なことではない。
「ま、気楽に行こう。なにせ、私の役割は見届けることだ。足掻いても仕方がない」
ベネルフィが呟けば、シギーも神妙な顔で頷いた。どうやらこの魔人も、訪れるかもしれない『終末』に、なにか思うことがあるようだ。
ベネルフィは、作戦をまとめて最後にフリートが告げた言葉を思い出す。君らしい言葉だ、と呟いて、ベネルフィは紫色の空を見上げた。
空を渡り、雲を照らし、紫色の【階】――女神カロシルのいる場所まで届く、階段が出来上がっていた。
† † † †
「ほんと、バカな作戦を思いつくやつだぜ……」
天にまで伸びる紫色の階段を眺めながら、セルデは溜息をつく。このフリートが考えた作戦を聞いたとき、思わず絶句したのだ。事情は理解した。しかし、その世界の真実とやらは、絶望して余りある情報だった。どうあっても、人類は滅びるという証明ができただけだったのに。
「ぐぬぬ……! もっと力を込めるであります、ローゼリッテ!」
「僕だって全力だよ! この――」
こうなってくれないとうまくいかないから、こうなると信じる。
理論は一応筋が通っているが、そうなる保証などどこにもないし、だれもしなかった。『そうなるかもしれない』という仮説を信じて全力で突っ走る奴は、そう多くない。そしてそんな男を完全に信頼している少女、というのも珍しい。
黄金色の光が、巨大な立体魔法陣である建造物を覆っている。そこに刻まれた無数の文字と線が、人類の魔法技術の遥か先を行く超未来的な魔法であることは、ベネルフィから聞いていた。ほんの少しも理解できなかったらしい。『不死』の魔王が執念で作り上げた【階】だ。そこに、魔王が全力で魔力を注いでいる。
まず、これが前提条件。魔王の魔力の暴走を防ぐために、魔王が魔力を使い切る。
だが、ベネルフィがこれに苦言を呈した。いくらあのサイズの魔法陣といえど、繊細なあの陣に過剰魔力を流したら陣が壊れる、と。この言葉には、魔王も同意した。全力で魔力を注げば【階】は壊れるだろう、と。
「ぐ、ぐぐぐぐぐ……! 意地を見せるでありますよ! 今までの人生! これからの人生! 神の居城に至るための階段の建設に携わることなんてないでしょうからね!」
「静かにして! 集中できない……!」
ゆえに、『建築家』チヨの『祝福』が必要になる。ここに“迷宮”ローゼリッテを加え、加工の力と魔法で崩れかける【階】の魔法陣を維持する。
その光景を眺めながら、セルデは場違いなことを思い出した。
「そういや、あのバカも、仮説を信じて突っ走るタイプだったな……」
バカばっかりだ、と呟いて、セルデは頭を掻いた。なんとなくうまく行くような気がしてきている、自分も含めて。
† † † †
「【階】が維持できるのは、せいぜい10分程度でしょう」
前を飛ぶ“教徒”と名乗る男に言われ、フリートは頷く。すでに息は荒く、足には疲労がたまってきている。この【階】を維持しながら魔王は移動するつもりだったらしい。無限に続いているように見える階段も、すでに7割以上を昇ってきている。『祝福』によって走力や体力に経験を振り分けているとはいえ、人間としての限界というものがある。
「フリートさん――」
「……」
リクルが零した呟きは、心配をしている声音ではなかった。信じている。言葉にしなくても、声に込められた感情でそれを理解した。
「では、これから先は貴方たちにお任せします」
“教徒”が進路を離れ、ゆっくりと降りていく。頷く気力すら失くし、フリートはただ一心不乱に駆け上がる。それこそが、それだけが、リクルを救うたった1つの方法だと信じて。
明滅する意識の中で、自分が彼らに告げた言葉を思い出す。
『協力してほしい』
『どうせ滅びるのであれば、やれることはやってみたい』
『ごくわずかな可能性であっても、可能性があるのであれば、試したい』
『それを、俺は教えてもらったんだ――』
『だから、諦めかけでもいい。確信してなくてもいい』
もしかしたらの可能性があるのだ。
だからたとえ、確証がなくても――
――終末に抗ってみよう。