第10話 勝利の悲願
剣戟の音が響く。
「くっ……!」
「ぐぅっ!」
黄金色の輝きを纏うシャルヴィリアが、土塊を撒き散らしながらトーマンに迫る。トーマンは“詩人”の唄の力を受けて強化された膂力でそれを跳ね返す。とはいえ、“詩人”の唄によって強化されているのはシャルヴィリアも同じ。抑えきれなかった衝撃によって、漆黒の甲冑がはじけ飛ぶ。
もはや、2人の間に言葉は不要。ただ、互いが持つ信念を構えて、障害を切り捨てるべく襲い掛かる。
【神剣クーヴァ】がトーマンの首を狙い、【魔剣ルーガリオ】がシャルヴィリアの頭を狙う。シャルヴィリアが引けば、トーマンが追う。2人の戦いは、流派を同じにするからこそ互いの手を読み合えていた。シャルヴィリアが習った聖騎士としての剣は、そもそもトーマンが遺した剣。源流であるトーマンの方が技量は上だ。『祝福』によって膂力で上回るシャルヴィリアはなんとか力技で押し切ろうとするが、膂力を増したトーマンによって力を受け流されてしまう。
「この……!」
「甘い!」
シャルヴィリアが両手で【神剣クーヴァ】を横薙ぎに振るって首を狙うが、トーマンは左手でシャルヴィリアの両手を上に弾き飛ばして軌道を逸らす。右手に握った【魔剣ルーガリオ】がシャルヴィリアの脇腹に迫るが、シャルヴィリアは大地を抉って後ろに跳び、その攻撃を避ける。
呼吸を整え、シャルヴィリアは【神剣クーヴァ】を構えた。聖騎士の剣は、防御と攻撃を同時に行う剣だ。甲冑で自分の身を守り、一方的に攻撃して押し切るための剣。シャルヴィリアが習ったのは、そういう剣だ。だが、トーマンの剣は違った。
(今までは力技で押し切れていた――)
それは相手が魔獣だったからだ。技術が研鑽されていない魔人だったからだ。力を持つ種族である彼らは、技術を高めることはあっても極めようとはしない。
トーマンは違う。研鑽と努力によって人類の頂点に立った男の剣は違う。力任せのシャルヴィリアの騎士の剣とは、根本的に違うのだ。
「……どうした? 来ないのか?」
遮二無二突っ込んできていたシャルヴィリアが止まったことに、トーマンが訝しげな声をあげる。その声を聞き流し、シャルヴィリアは思考を続ける。
(今さら付け焼刃の技術で対抗しても意味はない。じゃあ――あ)
気づいた。今の状況を、突破する手段があることに。
「そっかぁ。こんなに簡単なことだったのか」
シャルヴィリアは【神剣クーヴァ】を大きく引いて構えて――投げた。
「っ!?」
回転しながら飛来する【神剣クーヴァ】を、とっさに【魔剣ルーガリオ】で弾き飛ばす。飛んでいった先を思わず目で追うトーマンだが、シャルヴィリアは既に【神剣クーヴァ】を見てもいなかった。
「なんのつもり――」
迫るシャルヴィリアに瞠目し、トーマンは冷静に剣を振り下ろす。だが寸前で反転したシャルヴィリアを相手に空を切る。そして、シャルヴィリアの急停止の反動で砕けた大地の欠片を。
シャルヴィリアが蹴り飛ばす。
「な――!?」
無数の小石が、トーマンの甲冑を叩き、耳障りな音を上げる。凄絶な笑みを浮かべて、シャルヴィリアが駆ける。投げた【神剣クーヴァ】を回収しに行くわけでもなく、手にした石を投げ放つ。
「ぐっ!?」
シャルヴィリアの『祝福』は身体能力を向上させる。目で追えないほどのスピードで放たれた石は、強かにトーマンの体を打ち据える。弓矢程度ならば切り払えるトーマンも、高速で飛来する石を躱すことはできなかった。次々と飛来する石によって、甲冑が凹んでいく。
「ぐ――おのれ……!」
卑怯、と罵ることもできた。
だが、トーマンはその言葉を飲み込む。彼女は勝つために最適の手段を選ぶ。戦う理由がもはや神ではなくなったのだ――批難する言葉など、持ち合わせていない。
石の連打が止み、トーマンはぞっとして左手を引いた。瞬間、黄金色の輝きを放つシャルヴィリアの右手が、先ほどまでトーマンの左手があった場所を握りつぶす。『祝福』によって強化された彼女の握力ならば、甲冑ごと腕の骨を握り潰せるだろう。
「このっ……!」
【魔剣ルーガリオ】を振るうが、即座に離脱したシャルヴィリアを追いきれない。追おうとすれば、石の雨が飛んでくる。
剣の技術が介在し得ない、原始的な戦いが始まった。
負けられない、とシャルヴィリアは思う。
負けるわけにはいかない、とシャルヴィリアは思う。
勝たねばならない、とシャルヴィリアは思う。
勝つのだ、とシャルヴィリアは思う。
自分の後ろで人類を守っている者たちのために、愛する男のために、それを慕う少女のために。
『戦乙女』と謳われた少女は願う。願って、悩んで、覚悟を決めた。
純白の法衣に身を包み、人類の敵を打ち破り、高らかに勝利を謳う『戦乙女』はもういない。
返り血に染まった身で、黄金色の力で敵を打ち払い、勝利のために雄叫びを上げる――1人の女がいるだけだ。
「なにがなんでも私は勝つ――!」
ここを託されたのだ。“闇騎士”と“詩人”は任せると。
『軍神』と謳われたオーデルトに、戦の天才に、任されたのだ。
勝つためには手段は選んでいられない。シャルヴィリアの双眸が、1人の女性を捉える。
竪琴を持ち、凱旋の歌を唄う“詩人”。彼女を倒せれば、“闇騎士”を押し切れる。また心変わりして呪いの歌でも歌われたら困る。
考えれば、ここで“詩人”を狙わない理由はなかった。
「まず――逃げろ、ラーナ……!」
ラーナ。それがその女の名か。だが、間に合わない。石を投げる必要もない。途中で偶然落ちていた【神剣クーヴァ】を拾い上げ、シャルヴィリアが駆ける。トーマンが手を伸ばすが、遠すぎる。
間に合わない、間に合わない、間に合わない!
「私は――勝つんだ……!」
シャルヴィリアが振るう【神剣クーヴァ】の切っ先が。
甲高い音を立てて弾かれた。
「な……!?」
振るわれる神速の槍を、なんとか躱す。突き、薙ぎ、払い、そして突く。その一連の4連撃を避けれたのは偶然だった。ただ突かれた一撃を力任せに手で払い、体勢を崩していたから薙ぎは掻い潜れ、咄嗟に後ろに跳んだから払いは当たらず、追い縋る突きが当たらなかったのは自分の後退が相手の想定以上に速かっただけ。
「お前……!」
シャルヴィリアが跳び下がったことにより起きた風が、その男のフードを剥ぎ取った。
「ここは預かりましょう、“詩人”殿。一度、その歌をやめていただけると」
「は……はい……」
顔を青ざめながら頷く“詩人”から、凱旋の歌が立ち消える。
「見るに耐えんな、『戦乙女』。今のお主は全くもって、美しくない」
その男は、銀に輝く槍を構え、溜息をつきそうなほど憂鬱そうな顔で溜息をつく。
「お前……!」
その顔を見て、その槍を見て、シャルヴィリアは言葉を詰まらせる。驚きと、疑問と、怒りで胸が詰まり、言葉が出てこない。それでもなんとか頭の中を整理して、言葉を放つ。今の自分の思いを、たった一言にまとめて口にする。
「なぜお前がここにいる!」
「さて、私の口から言うのは簡単だが。少しは予想してみてはいかがかな、『戦乙女』殿?」
人を食ったような微笑を浮かべ、禿頭の男は槍を握り込む。
「名乗り、というのもいいものか。改めて名乗ろう、偽物だと思われても面白くない。我が名は断罪のトロー」
『断罪』のトローと名乗った男は、油断なく周囲を見渡しながらも悠然と槍を構える。その表情に揺らぎはなく、どこまでも自らの行いを信じている。偽物であるはずがない。
「それが、故あって“闇騎士”殿に力を貸している者の名だ」
死んだはずの男が今、シャルヴィリアに槍を向けていた。