第9話 たった1つの解決策
「――まさか、そこまで把握されているとはな」
黄金色の光に包まれた魔王が、自嘲するように笑いながら呟いた。
「そうだ。余は――いや、私は死にたがっていたのだ。永劫に続く生に倦み、死ぬことのできない体に悩んだ。そして私は考えた、死ぬ方法をな」
魔王が放つ黄金色の光を、漆黒の靄が蝕む。その侵食が進むたびにリクルが苦悶の声をあげ、リクルの体から噴出する漆黒の靄が勢いを増して蠢く。『不死』の象徴である自分の黄金色の輝きを見て、魔王は溜息をついた。
「1つは大本、この『祝福』を与えた張本人――女神カロシルにこの身を殺してもらうことだ」
淡々と、狂気に満ちた言葉を吐きだす魔王。その瞳に輝いているのは、狂気と理性。狂ってしまったがゆえの目的を、冷徹な理性と計算で達成するために、魔王は動いていた。
「【階】はそのための魔法陣、というわけだ……ああ、なるほど。私が人間だ、ということに気づいた理由はそのあたりか?」
魔王の問いかけに、ベネルフィが頷く。
「元より予想はしていたが。魔人はその角によって魔法を制御する、本来魔法陣は必要ないはず。であれば、魔王が魔人ではなく人間である、と予想することは難しいことではなかったよ」
「貴様は『不変の神殿』の予言を見たのだな?」
魔王の問いかけに、ベネルフィが頷く。
「ああ、読んだよ。そしてこの先の結末も予想はできている。リクルちゃんの終末の力の正体もね」
「そうか……であれば、この先の説明は“道化”に任せよう」
シギーがその言葉に応えて、一歩前に出た。
「女神カロシルの来訪により、この世界には1つの法則が追加されたのです! すなわち光と影、原初と終焉、神は対立する、という概念です! それまでは我らが神、この世界そのものだけが神として存在していました。そのため、神はただそこに佇むだけだったのです! それが、女神カロシルの来訪と女神ベレシスの誕生により、『世界そのものという神の対称の存在としての神』も、生まれました」
シギーは興奮したように大口を開けて続きを話す。
「世界そのものである神の、対称の存在。全ての大地、世界そのものである神の対称――それが終末。虚無。そう呼称される神です。存在は確認できませんでした、なにせ虚無なのですから! しかし必ず在るはずなのです、世界のどこかにいるはずなのです、世界そのものの対極に位置する『終末の神』が!」
シギーの言葉を、魔王が引き継ぐ。
「それが、私が考えた2つ目の方法だ。すなわち、女神カロシルの『祝福』ごと私を滅ぼすような、強力な『終末の神』としての力――」
その場にいた全員の視線が、リクルに向けられた。少女は自身の体から噴き上がる漆黒の靄に侵され、うめき声を上げ続けている。フリートが思わず、といった様子で近寄ろうとしたが、その行動はベネルフィによって止められた。
「近づくな、フリート。死ぬぞ」
漆黒の靄に触れたシラリエの花が枯れ果てていく。いや、枯れるだけではない。細かい塵となって風に舞い、その塵すらも漆黒の靄に触れて消滅する。リクルがうずくまる大地が漆黒の靄に侵食されてどす黒く染まっていき、生物の存在しない領域が広がっていく。
「『終末の神』の力が抑えられているのだ。その理由は簡単だ、女神カロシルがその力を抑え込んでいる。『終末に対抗する力』を『祝福』としてその少女に与えた」
フリートの脳裏に、ひとつの光景が思い起こされる。“貴婦人”との戦いで覚醒した、リクルの黄金色の輝き。
天に届くような、ではない。天から降ってくる輝きだったのだ。終末の力が世界を滅ぼさないように、女神カロシルが抑え込んでいた――。
「私は死にたかった。だが、人類を巻き込むのは本意ではなかった。もちろん、大量の人類を殺したことは否定しない。すべてはこの地に【階】を作り上げるためだった。この【階】は、私が神に至るための階段。女神カロシルにたどり着き、カロシルか私が死ぬための【階】だ。私に『不死』の『祝福』を与えたカロシルならば、私を殺すこともできるはずだ。逆にカロシルを殺せるのであれば、この『不死』だけではなく世界中の『祝福』が失われる」
「ゆえに、私はこの結末に満足している。たとえ、私のあと世界が滅びようとも、な」
「どういう、意味だ」
フリートの疑問に答えるため、ベネルフィが言葉を繋ぐ。
「リクルちゃんの終末の力は今、魔王の『不死』と拮抗しているが――徐々に押し始めている。そもそも来訪者であるカロシルと、終末の神が対抗すべき原初の神はスケールが違いすぎる。出力そのものが終末の神の方が上と考えるべきだろう。魔王を滅ぼさなければ魔王は女神カロシルを殺しに行くだろう。『祝福』を失った人類は、滅びるしかない」
ベネルフィの言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
「女神カロシルは終末の神の力を抑えるのに力を使い果たしている。たどり着くことさえできれば殺せるだろう。そうなれば、『祝福』を失った人類の牙城は崩壊する」
呆然と立ち尽くすフリートの前に、黒と白の線が現れ、蝶の形を描き出す。ひらひらと舞う彼女は、やがてフリートの肩に止まって言葉を零した。
『ふーん……そういうことね。これ、すごい状況よ、フリート? 人類のために魔王は滅ぼさなきゃいけない、魔王を滅ぼすには終末の力が必要、でもそれを使えば暴走して世界は滅びる……八方ふさがりってやつね』
「私とて、自殺に世界や人類を巻き込みたくはない。だが、私はなんとしても死にたい。私は死ぬまで止まらない。【階】の起動か、もしくは人類の中に隠れている終末の力の持ち主が出てくるか、どっちでもよかったのだが。さすがは英雄、というべきか。しっかりと私を滅ぼす人間を連れてくるとはな」
感慨深く、ようやく願いが叶うと安堵の息を漏らす魔王。その場にいた全ての人間が状況を理解し、諦めていた。
『魔女』ベネルフィも、『不死』の魔王も、『斬鉄』カンナも、『無音』のフリートも。
うめき声を上げ続けるリクルは、周囲の会話が耳に入っていなかった。ただ、魔王を滅ぼさなければ、という思いに従って終末の力を制御し、魔王に襲い掛かる。黄金色の『不死』の力が激しく明滅し、漆黒の靄が勢いを増す。その影響で、死に絶えた大地が広がる。このまま『不死』の『祝福』ごと魔王を殺すということは、『終末の力』が暴走するということでもある。『祝福』である『不死』を突破しようとすれば、リクルの『終末の力を抑える祝福』も突破してしまうからだ。
「それで、どうするんだい? フリートくん」
『どうするつもりなの、私』
面白そうにシギーとネメリアが問いかける。フリートは、今までの話を完璧に理解したわけではなかった。正直な話、フリートは賢いわけではない。情報を集めるのは得意分野だが、こんな抽象的な話に想像力を膨らませられるほど器用な男ではなかった。
フリートが思うことは1つ。このまま、魔王を滅ぼそうとすればリクルは死ぬ。であれば。
「リクル、聞こえるか?」
静かな呟きが、フリートの口から零れ落ちる。
名前を呼ばれたリクルだが、外の世界には反応を示さない。目を閉じ、耳を塞ぎ、『終末の力』に対抗する。中から暴れ狂う『終末の力』を『祝福』で押さえながら、それでも魔王を滅ぼそうと『終末の力』をコントロールする。本来、人である彼女に制御できるような力ではないというのに。
「その力を使い続けると、リクルが死ぬらしい」
世界のことなどどうでもよかった。フリートには、そんな大層なものを背負う覚悟はなかった。人類の命運とか、世界の真実とか、そんな話はただの暗殺者には荷が重すぎる。
精々、助けを求めた少女を助けるくらいしか――できない。
「リクル、言ってたよな。戦いのない世界で暮らしたい、って」
それはささやかで難しい願い。多くの人間が望み、やがて諦めていった、夢とも呼べないほどに小さな祈り。
「ふ……フリート、さん……?」
「その力を抑え込め、リクル。俺にいい考えがある」
時間がなかった。思いつきとも言える、ただの閃き。シギーとネメリアの問いかけが、その可能性に気づかせた。
「ま、魔王は……?」
「もういい。状況が変わった――リクルには、もっと大物を狙ってもらう」
「何をする気だい、フリート?」
ベネルフィの問いかけに、フリートは一瞬言うべきか悩む。この世界に生きる者として、その言葉を紡ぐには勇気が必要だった。敬虔な信徒が聞いたら、怒り狂ってフリートに襲い掛かるだろう。
「俺たちで女神カロシルを――殺す。それしか方法はない」
その場にいた全員が、目を見開いた。
「……気は確かか、フリート。女神カロシルを殺せば、『祝福』を失ったリクルちゃんの終末の力が暴走するし、魔王の魔力の暴発だって起こる。結局、滅びることに変わりはないんだぞ」
真剣な表情で諭すベネルフィとは裏腹に、笑いを堪えているように顔を歪めるシギー。
“道化”のシギーを見て、フリートは言葉を繋げた。
「方法はある――そうだろう、シギー」
「さてさて、どうなるかまでは保証はしませんが。思いついたのであれば、話してみては?」
「わ、私は――フリートさんを、信じます」
『終末の神』としての力が、抑え込まれていく。漆黒の靄がその範囲を狭め、魔王の黄金色の輝きも収束していく。目前にまで迫った『死』がお預けになった魔王は不満そうな顔をしながらも耳を傾ける。
彼とて、自殺に大陸を巻き込むのは望んでいないのだ。であれば――方法はある。
フリートは、思いついた作戦を話す。彼らは納得したわけではなかったが、どうせ滅びるならとフリートの作戦を受け入れ、そして全員が動き始めた。