第8話 その真実がもたらすもの
「かつて聖騎士であった私が、なぜ生きているのか? “闇騎士”がトーマンを騙っているのではないか? そういう顔をしているな」
呪いの唄が流れる大地を踏みしめて、“闇騎士”がゆっくりとシャルヴィリアに迫る。
「まず前提として、私は死んだ。生ける屍となって復活を果たしたのはおそらく偶然の産物であろうが、私は機会を得た」
聖騎士トーマン。多くの子供たちが憧れた、聖王国最強の聖騎士が、身動きできないシャルヴィリアに剣を突きつける。漆黒に染まった【魔剣ルーガリオ】は、そもそも生前トーマンが愛用していた剣の名前。聞き覚えがあって当然だ。
「なに、そう大した理由ではない。聖王国が謳っていたカロシル教、女神カロシル」
憤りと怒りを込めて、“闇騎士”トーマンが【魔剣ルーガリオ】をシャルヴィリアの首筋に添えた。その気になれば、いつでも首を刎ねられる、ということだ。
「奴は、ただの侵略者だ」
† † † †
周囲を埋め尽くす黄金色の光は、2人から放たれていた。漆黒の靄をまとったリクルの一撃は確かに魔王に届いた。全てに終末をもたらす力であれば、『不死』の魔王も滅ぼせるはず――その予想は、間違ってはいなかったが、正確ではなかった。
魔王の『不死』の力とリクルの『終末』の力は拮抗していた。
「なん……だ、これは……! どうなってるんだ……!?」
魔王から吹き上がるように周囲を照らすのは、黄金色の光。女神カロシルが人間に与えた、『祝福』の輝きだ。その黄金色の輝きを喰い尽くそうと蠢いているのが、リクルが放った漆黒の靄。まるで飲み込もうとしているかのように、黄金色の輝きを外側から覆っていく。
リクルの体から滲み出るように染み出す、漆黒の靄。それを抑えつけるかのように、天より降り注ぐ黄金色の光。
「――なるほど。人類は見つけていたのだな。この私を殺す手段を」
迫る靄を見ながら、魔王は呟く。自分の体から放たれる黄金色の輝きを見て、忌々しそうに顔を歪めた。
「なん……なんで! 魔王であるお前が、『祝福』の光を……!?」
フリートが叫ぶ。カンナも目を見開き、その光景を見つめている。魔王が平然と立っているのに対し、リクルは地面にうずくまってうめき声をあげる。フリートが素早く駆け寄るが、黄金色の光に阻まれて側に近寄ることができない。
「リクル! リクル、大丈夫か……!?」
「う――うあああああああっ!!」
うめき声が悲鳴に変わる。体から滲み出る黒い靄の勢いが強くなる。怖気を誘う終末をもたらす漆黒の靄。
「あれは、いったい……?」
「その疑問には私が答えましょう!!」
フリートが漏らした疑問の声に応えたのは、聞き覚えのある声だった。耳障りで、やかましくて、それでいて不思議と耳に残る声。
“道化”のシギー。
「お前……! 何をいまさら!」
「んー! いいですねぇ、困惑、怒り、迷い、殺意! 人間って感じです、実に愛おしい――殺したくなるほどに!」
笑いながら、嗤いながら、“道化”は踊る。
「シギー……いまさら、なんの用だ。余の負けだ」
「負け? いやいや、いやいやいやいやいや! そりゃあないでしょうよ魔王サマ。なんて言ったって、あなたはずっと――死にたがっていたんだから!」
魔王が、死にたがっていた。
フリートも、カンナも、アディリーも、聞いた言葉の意味をすぐに理解することが出来なかった。まったく、想像したこともなかった。“道化”のシギーの言葉に理解を示したのは、たった独りの異世界人。
「やはり、か。そんなことだろうと思っていたよ」
頷きながら姿を現したのは、『魔女』ベネルフィ。
「推測でしかなかったから話さずにいたんだが――ここまで来れば、もうわかる。魔王よ、君は、『不死』の『祝福』を持つ人間なんだね?」
魔王の瞳が揺らぐ。隠そうとしていたことを、思わぬ人物に言い当てられて、動揺しているようにも見えた。
「君の体から噴出するその黄金色の光が何よりの証拠だ。そして、その光はかつて勇者にとどめを刺された時も姿を見せたはずだ。『不死』の『祝福』は、君が致命傷を受けた時に発動する。かつての勇者たちは、その光景を見て絶望したんだ。人類の敵が、同じ『祝福』を持つ人間であることに気づいてね。それまで『祝福』の力で戦ってきたんだ、その強力な力も、特性も、理解できていたはずだ。神が与える『不死』の力を超えるためには、同じく神の力が必要になることに気づいた」
茫然と聞き入るフリートたちをよそに語り続けるベネルフィに、“道化”のシギーが苦言を呈す。
「ちょっとちょっと、少し待ってくれないか『魔女』殿。私が喋りたかったのに」
「では、真面目に話すことだ、“語り部”シギー」
「やれやれ、やりづらい。“迷宮”の方には“教徒”が行ったし、では僭越ながら私から!」
欠片も思っていない顔で宣言したシギーは、大仰に両手を振り上げて語り出す。
「まず君たち人間は、この世界の原住民というのを考えたことがあるかな?」
「原……住、民?」
「そう。つまりは、この大陸に元から生息していた生き物たち。最初に生まれた生命、と言い換えてもいい。考えたこともないだろうね。君たち人間は傲慢にもこの大陸を支配しようとしていた。よそ者ならよそ者らしく、端でおとなしくしていればいいものを――」
呆れたように溜息をつき、“語り部”シギーは言葉を続ける。
「この世界には、元から住んでいる種族が……? それが魔人、なのか?」
フリートの呟きに、シギーは首を横に振った。
† † † †
「本来、この世界は魔獣たちのものです」
【階】から舞い降りた男、“教徒”は背後に“迷宮”ローゼリッテを庇いながら言葉を紡ぐ。セルデは警戒して拳を構えながらも、その言葉に訊き返す。
「なんだ、そりゃあ。仲間のために適当な嘘でも言ってやがんのか?」
セルデにはそうではないことがわかっていた。語り続ける“教徒”の目に、嘘や打算の色はない。ただ淡々と、真実だけを告げている。そう確信させるだけの落ち着きと、迫力が存在した。
「いいえ。いいえ。そう、それが真実なのです。我らが神は、魔獣の主。否、それも否。我らが神は主などになりはしない。元よりこの世界、世界そのもの。元より在りし、この世界に佇む神。世界こそが神であり、彼には意思というものが存在しない」
熱に浮かされたように、“教徒”は言葉を続ける。
† † † †
「――最初の神の話と、魔獣こそがこの大地の原住民、というのはわかった。納得したわけではないが、理解しよう。で、これがどう現状に繋がってるんだ?」
悲鳴こそ収まったが、呻き声を漏らし続けるリクルを気にしながら、フリートは先を促す。これに答えたのは、“語り部”シギーではなく『魔女』ベネルフィだった。
「君は、女神カロシルと女神ベレシスの最初の逸話を知っているかい?」
フリートは、なぜ今さらそんな話が出てくるのか疑問に思いながら答える。
「光が在った。そして影が生まれた――」
思い出しながら呟いたフリートの言葉に、ベネルフィが食い気味に口を開く。
「そう。そこなんだよ、問題は。私が疑問に思ったのもその逸話からなんだ。光から影が生まれるためには、光を遮るものが必要なんだよ」
「――っ」
虚を突かれた思いだった。だが、確かにその通りだ。ただ平坦な世界を照らすだけでは、光は影を生みださない。では、その光を遮った存在というのが――
「そう。原初の神、というわけさ」
† † † †
「女神カロシルは、本来この世界の女神ではない」
突き付けられた【魔剣ルーガリオ】から視線を逸らし、シャルヴィリアは“闇騎士”トーマンを睨んだ。かつて敬虔なカロシル教徒であり、今は人類を滅ぼすために魔人に手を貸している存在。人類の英雄だった、憧れの存在が、女神カロシルを侮蔑する言葉を吐き出す。
「異世界の女神であった奴が、何を思ってこの世界に現れたのかはわからん。だが、この世界に現れた女神カロシルは魔獣に支配された土地を良しとしなかった。人間に『祝福』を与え、人間に肩入れした。そのときに生まれた、最古の英雄――それが、『不死』の英雄。決して死なない人類の旗印!」
シャルヴィリアが唇を引き結ぶ。
「――人類にもとより救いなどないのだ。最初から最後まで、貴様らは同じ種族で戦っていたのだからな。カロシル教の奴らも、欲に溺れた愚かな人間ばかりだった。私を疎んで、謀殺する程度には、腐り切っていた」
苛烈なまでの憎しみと、凄絶なまでの殺気がシャルヴィリアを襲う。その源は“闇騎士”トーマンと、“詩人”から放たれている。
「禁じられた森、『不変の神殿』に立ち入った私は各地の伝承からその事実を調べ上げた。そのときの旅が、世直しの旅として語り継がれているのはお笑い草だが――そのときに、私は魔人たちに出会ったのだ。“詩人”、“迷宮”、“狼王”。いずれも、人間に迫害されていた者たちだ。私は彼らと話しあい、カロシル教の裏切りを知った。真実も伝えずに、私を騙していたのだ。そのときの私の絶望が、貴様にわかるか!?」
ルーガリオが、持ち主の激情に応えるように震える。
「人生のすべてをカロシル教に捧げた! 血が滲む努力は、間違っていたのだ! 私の生前の行いに、正当性などなかった! 魔獣を狩って人類を護っていた私は、そもそも前提を間違えていたのだ!」
水色の瞳に憎悪を込めて、シャルヴィリアを見つめる“闇騎士”。その闇の深さに、シャルヴィリアは息を呑む。
「さあ、それを知って、お前はどうする――『戦乙女』シャルヴィリア。聖王国の生き残りよ。我らにつくか? それとも、勝ち目も正当性もない戦いに、挑むのか?」
挑発するように、ルーガリオが揺れる。“闇騎士”が、“詩人”が、フードの男が、シャルヴィリアの答えを待っている。
『戦乙女』シャルヴィリアの瞳は揺れ動いていた。思ってもいなかった真実を知り、“詩人”の呪いを受け、体調は最悪。
だが――
「む!?」
右手が跳ね上がり、【神剣クーヴァ】が【魔剣ルーガリオ】を弾き飛ばす。慌てたように距離を取る“闇騎士”トーマンに対し、シャルヴィリアがゆっくりと立ち上がる。
「実に、清々しい気分だ――」
「……どういう意味だ」
言葉通りの意味ではあるまい。シャルヴィリアの顔面は蒼白で、呼吸は荒く、“詩人”の呪いが効いていないわけではない。彼女の呪いは広範囲に効果を及ぼすが、『常に万全のコンディションで戦える祝福』を持つトーマンには効果がない。聖王国を滅ぼした時も、彼女の唄とトーマンの剣技で聖王国を圧倒したのだ。現役の聖騎士たちを薙ぎ払えば、あとは戦う術も持たない者たちのみ。
「答えは簡単です、“闇騎士”ぃ……! 知ったことか!!」
「な――」
ふらつく足元で、『戦乙女』シャルヴィリアは【神剣クーヴァ】を構える。
「かつての私であれば心が折れていたかもしれない! 女神カロシルを信仰していた頃の私であれば、絶望に侵されていたかもしれない! だが、今この剣は、神のために振るう剣に非ず!」
シャルヴィリアの脳裏に、1人の男の姿がよぎる。自分の心を押し殺して、歯車に成ろうとしていた男。
「ただ、人類のため。愛する人のために、私はこの剣を振るうと決めた。そして、私は託されたのだ。ここの護りを。この私を頼り、信じ、託されたこの戦い――たとえ、何があろうとも! どんな真実があっても! 私は、必ず勝つ!」
決して折れない信念が、シャルヴィリアの体から力を引き出す。『祝福』がその信念に応え、膨大な黄金色の光を撒き散らす。
「言いたいこと言ったついでに、色々言わせてもらうわ――そこの、“詩人”とかいう女! こそこそこそこそ呪うんじゃない! そうやって! 引きこもって! トーマンに護ってもらって! グダグダグダグダ陰鬱な空気振り撒いて! そんなんだから迫害されんのよ! 堂々としなさい!!」
「な――何も、知らないくせに……!」
“詩人”が思わず、という様子で演奏していた手を止める。
「だから知ったことかって言ってるでしょ! 吟遊詩人なら吟遊詩人らしく、英雄の唄でも歌えってのよ! 英雄を讃えるのがあんたら吟遊詩人の役割でしょうが! あんたがするべきなのは応援であって、ブーイングじゃないでしょうが――!」
“詩人”の呪いが、止まった。
「く、フハハハハハッ! どうやら“闇騎士”に“詩人”よ、口と信念ではお主らの負けのようだぞ! いや、頑迷な娘になったものだな!」
フードの男の笑い声と同時に、“詩人”が奏でる曲のメロディーが一変する。暗く悲しげなメロディーから、力強く、世界を鼓舞する凱旋の歌に。
『戦乙女』シャルヴィリアの挑発は、“詩人”には相当堪えたようだった。涼し気な顔は鳴りを潜め、敵意に満ちた眼差しでシャルヴィリアを睨み、その口からは流れ落ちるように“闇騎士”を讃える歌が流れ出る。
「――なるほど。こういった決着のつけ方もアリ、か」
シャルヴィリアの体から力が溢れる。『祝福』に加え、“詩人”による強化の歌。そして、それは“闇騎士”も同じだった。“詩人”の強化を受けて、より速く、より力強く、より巧く。
もはや、言葉は不要。互いの信念が相いれないならば、あとは剣でもって語るのみ。【神剣クーヴァ】と【魔剣ルーガリオ】が持ち主の戦意に反応するように、唸りをあげる。
黄金色の輝きを纏う『戦乙女』シャルヴィリアと、漆黒の甲冑を纏う“闇騎士”トーマンが激突した。