第11話 建築家チヨ
柔らかいピンク――彼女に訊けば、『桜色』と答えるであろう不可思議な色合いの服に身を包んだ少女が、地面に手をつき、呼吸を整えていた。その不可解な光景を、少女の後ろから筋骨隆々の男たちが見守る。彼らは槌や杭を持ち、土木系の仕事を得意とする集団であることは明らかだった。だが、彼らが見守るのは明らかに力仕事には向かないだろう華奢な少女だ。
「むむむ……『軍神』殿は人遣いが荒いのであります……!」
少女の口から、見た目通りの細いソプラノで、似合わない厳めしい口調で呟きが漏れる。
「某の『土城建築』は、決して土木工事用の『祝福』ではない……ないのだが……」
少女の脳裏に、優し気に微笑む青年の笑顔と、彼の言葉が思い浮かぶ。
『堀と郭に関しては、君に設計を任せようじゃないか、チヨちゃん。ただしダッシュで作ってくれ』
「畜生! 任されたのであります――!!」
バチッ、と黄金色の光が走る。『祝福』の行使の際に、放たれる光。女神ベレシスと対を為す、女神カロシルの加護の光。桜色の服を身に纏った少女が叫ぶと同時、黄金色の光が少女の前方に向けて広がった。
「材質確定……! 土中の水分を吸収、粘土質の赤土を砂塵で塗装……!」
少女が手をついている地面から、バチバチと黄金色の光が迸る。まるで、稲妻を放っているかのように光り続ける少女。
「輸送開始……! 輸送元の場所をそのまま堀へと変換……!」
地面が膨らむ。ギベル砦から見て荒野側の地面が盛り上がり、さらにその奥の地面が凹んでいく。まるで、少女の目の前の地面が、奥の大地を吸い込んでいるかのように、土が移動していく。
「郭作成! 堀もついでに作成! あーもう無理であります! 悠久たる大地に我らが証を刻め――砂城『岩影丸』――!」
少女が、まるで断末魔のように叫ぶ。ひときわ強く光が放たれ――あとには、地面に倒れた少女と、威風堂々とそびえたつ建築物が産まれていた。極東の島国で、侵入者に対応するために作られるという郭。ギベル砦の門を出入り口をぐるりと囲むように、半円状に作られた土の壁。さらにその中央には階段が造られ、二階部分の壁には小さな窓がいくつも開いている。
「へへっ……見たか、であります……これぞ、防御と攻撃両方に転用できる郭、出丸なのであります……」
力尽きたかのように震えながら、少女――チヨは不敵に笑って見せる。背は低いものの、もうすでに成人済みである少女。極東の島国から武者修行に来ていた彼女は、あえなく魔王の戦乱に巻き込まれ、かつてはたった数人で魔獣の群れを押し留めた実績を持つ。その偉業を成し遂げるために力を発揮したのが――彼女の持つ『祝福』、『土城建築』である。
土と砂を操作し、押し固め、建築物を作り上げる『祝福』。建築物のサイズや、一度使用すれば半年もの間使えなくなる、極度の疲労状態に陥るというデメリットはあるが、それでもチヨが持つ『土城建築』の力は偉大だった。このギベル砦の建築にも彼女が関わっている――彼女が建てた、と言えないのは、彼女が造ったのは大まかな作りだけであり、補強や改築などは人力で行われたからだ。
「お疲れさま、チヨちゃん」
「ちゃんづけやめるであります……あっ、動けないのであります……早くカンナを呼ぶであります……」
「私ならここにおります、チヨ様」
動けないで倒れ伏しているチヨのそばに現れたのは『軍神』オーデルトだった。彼は地面に倒れているチヨに、感情のこもらない声でお礼を述べたあと、目の前にそびえたつ茶色の建築物を見上げた。彼の類まれなる才能は、一目でこの建築物の有用性を見抜いた。
「なるほど、壁で相手の行動を阻害しつつ、隘路に追い込む……あの小さな窓は矢や魔法を撃つためのものか。そして、砦の中からいちいち門を開けずとも、ここが出撃待機場所になるというわけか……いや、素晴らしいよ、チヨちゃん」
「と、当然であります……」
かろうじて顔を持ち上げていたチヨの頭が地面に落ち、周囲に鈍い音を響かせた。
「『斬鉄』。主を助けなくていいのかい?」
「我が主は強いお方です。この程度の苦難、乗り越えてくれるでしょう」
オーデルトに『斬鉄』と呼ばれ、チヨにカンナと呼ばれた女性が答える。腰に反った長い剣を佩き、鋭い目線でチヨを見据えている。その目は、自分の主人が苦難を乗り越えて立ち上がってくれることを期待する忠臣のようであった。
「本音は?」
「身動きできない主を担ぐと、私が何をするかわかりません。ので、触れません」
「自制ができている、と見るべきなのか……それとも、潜在的危険人物として見るべきなのか……」
オーデルトは評価に迷うように腕を組んだ。カンナは厳しくも優しい視線で地面に這いつくばるチヨを見つめている。数秒、沈黙が周囲を支配する。
その沈黙を破ったのは、地面に潰れたカエルのように横たわるチヨだった。
「お……お前ら……あとは、言った通りやって、おくので……あります……」
「はっはい!」
女性が出していいとは思えない、呻くような声で告げたチヨの言葉に反応したのは、槌や杭を持った男たちだった。彼らはいたって普通の大工だが今回、大暴走対策に出番があるということで、『軍神』オーデルトが無理やり徴収した存在だ。
「おう、お前ら! 姐さんがここまで気張ったんだ、今日中に終わらせるぞぉぉ!!」
「おおおおおおおお!!」
リーダー格らしいスキンヘッドの男が声を上げると、続いて怒号が周囲を揺るがした。中には足を踏み鳴らして気合を表現する者もいる。そのあまりの暑苦しさに、百戦錬磨の『軍神』が一歩後ずさった。
「うう……カンナ、カンナ、地震じゃ……地震……机を持ってくるであります……」
「いえ、チヨ様。これは地震ではないので、ご安心を」
「そうか……それなら……寝る」
力尽きたかのように眠りに落ちたチヨを、カンナが軽々と持ち上げて肩に担ぐ。まるで荷物のように担がれたチヨの姿に、オーデルトがひきつった笑いを浮かべた。
「何するかわからないんじゃなかったのかい?」
「無礼な。眠りについている主の体をまさぐるほど恥知らずではありません。では、これにて失礼」
女性一人を担いでいるとは思えない速度で、スタスタと歩いて砦の中へと姿を消すカンナ。残されたオーデルトは、カンナの言葉にどこか釈然としないものを感じながらも、その違和感を黙殺することにした。彼女とチヨの関係に深く踏み込むべきではないと判断したのだ。それこそ、余計な好奇心で大けがをする羽目になりかねない。
「二つ名持ちって、変なヤツ多いよね……」
オーデルトは呟き、脳内でこの郭という存在をどう効率的に扱うかの策を立て始めた。話で聞いて有用性がわかったから建てさせたものだが、実際に見てみると想像以上に使い方に幅がある場所だった。無理を言って作ってもらった以上、最大限役立てなければならない。
オーデルトは郭の何通りもの活用法を考えながら、手作業で補強を始めた男たちに細かい指示を出し始めた。
† † † †
「よう、戻って来たか」
「ああ、よろしくなセルデ」
遊撃隊待機場所に到着したフリートを出迎えたのは、少し疲れた様子のセルデだった。
「水運びか?」
「……ああ。これ幸いと大量に運ばされたぜ……」
「お疲れさま……」
夜になり、砦には大量の篝火が灯されている。魔獣が夜襲を仕掛けてくることはほとんどないので、普段は火が点けられることはないが、すぐそばに大量の魔獣の群れがいるとわかれば話は別だ。魔人、“道化”のシギーが関わっているということもあり、警戒をし過ぎることはないとオーデルトが判断したのだろう。
「『剛腕』、か。答えてくれなくてもいいんだが――それ、『祝福』なのか?」
「あ? 別に隠してるわけじゃねえからいいけどな。知らなかったのか? これは『祝福』だよ。俺の師匠は『腕力強化』つってたけど、純粋に腕の力が上がるんだ」
「そうか……やっぱり、この砦には『祝福』持ちが多いな」
「そりゃそうだろう。このご時世、よっぽどの天才か『祝福』持ちでもなければ、生き残れない時代だ」
持たない人間は死んだ。それはいたって納得できる話であり、人類がいかに窮地に立たされているかがわかる。
「よっぽどの天才、か」
「『魔女』ベネルフィとかな。ベレシス様の加護ってのもすごいよな」
「ああ、魔法な……」
この世界には、二柱の女神が存在する。人々に『祝福』を与えた、女神カロシル。
そして、人類に『魔法』を与えた、女神ベレシスだ。
カロシルを光とするならば、ベレシスは影である。光であるカロシルが存在しなければ、影であるベレシスは存在できず、影であるベレシスが存在しなければ、光であるカロシルを認識できない。姉であるカロシルよりも妹であるベレシスの方が若干力関係は下であるというのが通説であり、大陸を席巻していた宗教も、ベレシス教よりもカロシル教の方が上である。
「魔法、ね……」
「聖女様の《結界》、ありゃどっちなんだ? カロシル教の聖女なのに、あれは魔法だろう?」
「あー、なんかそれ聞いたことあるぞ。カロシル教の聖女でありながら、ベレシスにも祝福されたのが彼女なんだとさ。だから、『魔法』を使えてなおかつ『祝福』持ちらしい」
「『魔法』か……俺らも頑張れば使えるようになるのか?」
「なるだろうさ。魔力が少なきゃどうしようもないが」
選ばれた人間にのみ加護が与えられるカロシルの『祝福』と違い、ベレシスの『魔法』は広く門戸が開かれている。多くの魔力がないと強力な魔法は使えないとはいえ、学べば誰でも簡単な魔法を使うことができるのだ。カロシルが英雄に『祝福』を与え、ベレシスが人類に『魔法』を与えた――ということだ。
「まあ、カロシル様もベレシス様も本当にいるのなら、今救ってくれって感じだけどな」
「おいおい。滅多なことは言うもんじゃないぜ、セルデ」
「……気を付けよう」
セルデの発言をフリートが嗜めると、セルデはばつの悪そうな表情で頭を掻いた。魔王に勇者が破れてからというもの、カロシル教の求心力は低下する一方だ。勇者という存在を大々的に謳い、希望の旗印となって先導していたのに、その勇者が負けて死んでしまったのだから、求心力の低下は仕方がないといえる。八つ当たりのようにカロシル教に敗戦の責任問題になりかけたこともあったが――具体的な話に発展するまえに、カローリア聖王国は魔人“闇騎士”と“詩人”の手によって滅ぼされた。あの二人のコンビは非常に厄介で、聖王国にとっては相性が最悪な相手だったともいえる。
「で、俺はどうすればいいんだ?」
「どうもなにも、砦内で待機だよ。いざというときは鐘が鳴るから、そしたらここに集合だ」
「寝る場所は?」
「そっちに仮眠室がある」
「食事は?」
「食堂に行け」
砦のなかなら、自由に行動していいらしい。そう判断したフリートは待機室を出る。戦いが近いことを予感しているのか、待機室は変に気が張っている冒険者が多く、息苦しかった。まだ始まってもいないうちから精神をすり減らすのはよくないので、フリートは砦にいる知人を訪ねることにした。
「ま、どうせ研究室にいるだろ……」
『魔女』ベネルフィ。フリートの過去を知る、数少ない人物である。