第7話 それぞれの決戦
瞬間、シャルヴィリアの体が転倒した。体を体内からかき回されているような不快感に、体のコントロールを失ったのだ。土煙を上げながら転がり、なんとか頭は保護するシャルヴィリア。
「ぐっ、あ……!?」
吐き気がする。頭痛がする。体に力が入らない。
「――その身に呪いあれ――この場に地獄あれ――」
“詩人”が謳うたびに、体が異変を訴える。右腕が痛みを放ち、胸から胃液がこみ上げ、体を悪寒が襲う。その症状のすべてが、“詩人”が言葉を紡ぐたびに強くなる。
「あっ……あああ……」
戦う? とんでもない。よろよろと立ちあがり【神剣クーヴァ】を構えるが、視界は霞がかっており意識は朦朧としている。そんな状態で、“闇騎士”を相手に戦えるわけがない。
「“詩人”の唄は、聞いている者すべてに呪いをかける」
“闇騎士”の声だ。
「それだけというわけではないが、“詩人”とともに戦う時に彼女が謳うのはたいていが呪いの唄だ。なぜなら――」
顔を上げる。まずは敵を見ないことには、なすすべもなく殺されてしまう。
「――呪いの唄は、私には効かないからな」
視線を上げた先に漆黒の甲冑姿の“闇騎士”はいなかった。いたのは。
「は……なん――?」
あまりの衝撃に、言葉を失う。一瞬、体を苛む苦痛を忘れてしまうほどの驚き。
「……『戦乙女』シャルヴィリア。聖王国の最高戦力、そして私の再来と謳われた少女よ。これから、真実を伝えてやろう」
周囲を照らし出すのは膨大な量の黄金色の光。
全身から黄金色の光を放っているのはしかし、シャルヴィリアではない。
人間に与えられるはずの『祝福』の光を放っていたのは、漆黒の甲冑を纏った“闇騎士”。
「我が名は――」
その名に予想がついてしまう。だが、聞きたくなかった。混沌とした思考のなか、聞き覚えのある単語が頭をよぎる。
【魔剣ルーガリオ】。愛剣。
そして、圧倒的なまでの剣技。
それは、シャルヴィリアが子供の頃に聞いた名前だ。漆黒の甲冑の兜を脱ぎ、“闇騎士”がその顔を晒す。シャルヴィリアと同じ金色の髪に、強い意思が宿る水色の瞳。壮年の偉丈夫。
確かに、彼の遺体は見つかっていなかった。彼の伝説は途中で途切れていた。
シャルヴィリアは、その男の顔を肖像画で知っている。
「――“闇騎士”トーマン。かつて、人類最強と呼ばれた男だ」
絶句するシャルヴィリアを、フードの男が見定めるように見つめていた。
† † † †
「ぐぅッ……!」
小さな岩の破片が飛び交う。風を切りながら襲い来る膨大な質量の嵐。ゴーレムの拳、蹴り、その一撃一撃が必殺であり、食らえば戦闘不能になる。かといって、無視してすり抜けようにも周囲を包囲する土壁がそれを許さない。“迷宮”ローゼリッテの狙いがセルデの体力切れなのであれば、その目的は達成されつつあると言っていい。
(こうなってくると、期待しちまうな……! しくじるなよ、フリート!)
魔王を狙っているはずの『無音』のフリートに、期待が寄せられる。魔王さえ倒してしまえばこちらの勝ちなのだ。だが膨大な魔力を誇る魔王を相手に、カンナとアディリーのコンビは押され気味だという。むしろ勇者ですら死力を振り絞った相手に、なんとか渡り合えているカンナを褒め称えるべきか。
「チャンスは1回だ、ミスるなよチヨ」
「セルデこそ、であります」
ヒソヒソと言葉を交わし、セルデは自身を取り囲む土壁を殴りつける。粉々になって吹き飛んでいく壁を尻目に、背後から振るわれたゴーレムの拳を回避する。
「さて、逃げるとするかぁ!」
声を張り上げ、セルデは駆ける。【階】とローゼリッテに背を向け、たった今壊した土壁の切れ間から外に出る。
ローゼリッテは、慌てて土壁を操作した。地面にある土塊を操作して逃がさないように土壁の牢獄を作り上げる。地面から盛り上がるように現れた土壁。
“迷宮”ローゼリッテは、本来戦うのが好きではない。得意でもない。ゴーレムの操作はさんざん“狼王”に壊されたのでうまくなったが、そもそも今までの人生であまり戦ってこなかった魔人だった。ゆえに、判断を間違えた。
セルデとチヨは放置してよかったのだ。ローゼリッテの役割は【階】の防衛であり、逃げ出すのであれば無理に追う必要はなかった。
「なっ……!」
「後先考えずにまずやってみよう、ってか!」
凄まじい勢いで膨れ上がる土の塊に乗ったセルデが、宙を飛ぶ。さらには足元の土壁を拳で殴りつけ、その反動でローゼリッテめがけて空を飛んだ。
「あわわわわ、飛んでる! 飛んでるでありますよ!」
「はっはー! どっちかというと『吹き飛んでる』が正解だけどな!」
土壁を飛び越え、ゴーレムも飛び越え、セルデとチヨはローゼリッテに迫る。その光景を見たローゼリッテが選んだ対策は迎撃――ではなく。
「調子に――乗るな……!」
周囲の土をありったけに集めた防衛、だった。空中から落下していくセルデとチヨはそれを見守ることしかできない。先ほどまでの土壁を何重にも重ねたかのように分厚い壁が構築されていく。
さすがにその分厚さは、セルデにも一撃で壊すことはできない。このまま普通に落ちていけば、完全に防衛体制を整えた土壁に衝突することになるだろう。
『ベネルフィ! 設置は!?』
『一応終わっているが――無茶苦茶やる男だな、君も!』
「そりゃどーも! 行くぞ、チヨ!」
「りょ、了解であります!」
セルデは背中にしがみついていたチヨの襟首をを引っ掴み――投げた。
「うわあああああああ怖いいいいいいい!?!?」
先ほどの落下とは比べることもできないほどの速度で投げ放たれたチヨは、このまま突き進めば大地に真っ赤な花を咲かせることになるだろう。だが、そうならないための安全措置は既に取っている。
設置型の魔法が次々と炸裂する。突風を生みだす単純な魔法が、チヨの勢いを殺していく。チヨの服が大きくはためいた。
「そのままぶち壊せ、チヨ!」
空中を舞うチヨの体から、黄金色の光が放たれる。『祝福』、土を操り城や砦を作り出す『建築家』としての力。
「そんな閉じこもるような殻――」
土壁に取りつく。ローゼリッテを覆い隠す巨大なドームを、チヨから放たれた黄金色の光が走った。
「――一切合切! 壊れて消えるがよい!」
亀裂が入り、罅が広がり――土壁のドームが壊れていく。セルデの拳では打ち砕けない壁も、直接崩壊させるチヨの『祝福』ならば。
急に差し込んだ光に、ローゼリッテが空を見上げる。そこには、大柄な人影が写り込んでいた。空中から飛びかかってきたのは、先ほどまで散々ゴーレムを打ち砕いていた大男。“迷宮”ローゼリッテは咄嗟に両腕の発達した爪を交差させて自分の身を守る。
今まで戦っていた相手に対する恐怖心が、迎撃でも反撃でもなく、防御の姿勢をローゼリッテに取らせたのだ。
「お――ラァッ!」
『剛腕』セルデの渾身の一撃が、ローゼリッテに直撃した。
† † † †
「……ここまでのようだな」
魔力で形作られた鎖に囚われ、カンナがうめき声をあげる。
魔王は強かった。剣の技もそうだが、なにより戦うのが上手かった。カンナも最初は【階】を盾にすることでうまく立ち回っていたが、時が経つに連れ、徐々に魔王がその動きに慣れていった。
「……剣、使うの。上手すぎるだろう」
「人類最強の男に習ったのでな」
魔王も無傷というわけではなかった。体を数か所、カンナによって斬られている。だが、『不死』である魔王に、いささかの衰えもない。
「期待していたのだが。足止め、犠牲にされただけか? 勝算があったのではないか?」
「……ないよ、そんなもの。あのデカいのを壊しに来ただけだ」
訝しむように尋ねる魔王に、カンナは疲れたように溜息を吐いて応える。フリートとリクルの存在を魔王に気取られるわけにはいかなかった。
「――ふむ。そうか……」
本気で失望したかのように溜息をつく魔王。
カンナの胸中に、ふと疑問が湧く。この魔王という男は、いったいなんなのだろう? 見た目はいたって普通の男だが、その膨大な魔力に圧倒的な剣技。
「なあ、魔王。お前、一体なんなんだ?」
何者、でもなく。誰、でもなく。『この男はそもそもなんなんだ』――
「余は魔王である。人類を滅ぼす者にして、魔の王である」
それは答えになっていない。勇者は勇者である前に人であり、村人であり、心地の良い青年だった。であれば、魔王は魔王である前に――何か、でなければならない。魔王に至るまでの道が、そこにはあるはずだ。
魔王の視界に、一筋の光が閃いた。
「ムッ!?」
気配は感じ取れなかった。音もしなければ、殺気もしなかった。向かい合ったカンナに対し、光は左から襲い掛かってきていた。気づけたのは偶然ではなかった。
暗殺者『無音』のフリートが、剣を片手に魔王に襲い掛かる。不完全な不意打ちとなったが、そもそも魔王は『不死』だ。剣で突き貫かれようと、死ぬことはない。
「ちっ!」
渾身の突きを回避され、フリートが舌打ちする。ついで黄金色の光が沸き上がり、フリートの剣が一撃で魔力の鎖を打ち砕いた。すべては一瞬の出来事だった。
カンナの刀が魔王に迫る。それを右手の魔力の剣で受け止め、左手から魔力の鎖を再び作りだしフリートの動きを一瞬だけ止める。
カンナとの鍔迫り合い。フリートへの牽制。魔王の行動が一瞬止まった。
――ここまで、フリートの計算通りだ。
わざと気づかせた。対処させるために。
人は大きく油断するタイミングが2つある。それは勝利を確信した時と、不意打ちを防ぎ切った時。
舌打ちは合図だ。リクルを乗せた氷鳥が、魔王に向かって突進するための。
「終わりだ、魔王!」
膨大な黄金色の光が、空から降ってくる。漆黒の靄をまとい、氷鳥に乗ったリクルの右手が、魔王の胸に迫る。
振り返ってその姿を見た魔王が目を見開き、そして――
金と黒の輝きが、その場にいた全員の視界を埋め尽くした。
† † † †
「さてさて、では行くとしようか“教徒”」
「全ては我らが神のために――」
漆黒の翼を広げて飛び立つ“教徒”。
“道化”のシギーは、その様子を見送ってから【階】から飛び降りた。視界の先で、黄金色の輝きと怖気を誘う漆黒の靄を見て、思わず顔をしかめる。
彼が嫌う2つの存在が同時に存在しているのだから、それもやむを得ない。だが、すぐに嫌悪の感情をしまい込み、口元に笑みを浮かべる。
「ああ、始まります始まります! いよいよ最終楽章! 人類の行く末はこの戦いに託された! 果たしてどういう結末が待ち受けるのか!」
大仰に両手を振り上げ、“道化”が嗤う。
「希望、絶望、魔王、勇者、終末、始原、光、影――対極にありし2つの概念。今こそ、真実の物語を紡がん! それこそが、“道化”にして“語り部”である私、シギーの役割なれば!」
楽しげに笑いながら、シギーは駆ける。その途中で、1人の女性と出会う。
「おや? 『魔女』ベネルフィ殿。どうかされたので?」
「――いや? お前がそんなに嬉しそうにしている、ということは私の予想が正しかったのだな、と」
「ほう? いったい、どのような?」
ベネルフィは溜息をつき、“道化”のシギーに向き直る。
「神は4人だ。そういうことだろう?」
「おや。おやおやおや! これは素晴らしい! まさか、そこまで気づいているとは!」
惜しみない称賛の拍手を送る“道化”のシギー。誰からも教わることなく、この女性は独学で真実の欠片にまでたどり着いたのだ。
「であれば、魔王は――」
「おっと。それ以上はいけませんよ、『魔女』殿。真実を語る時は、それにふさわしい舞台がありますゆえに!」
“道化”のシギーは嗤う。悪意の欠片もなく、善意の思いもなく、ただそう在ることが定められているゆえに。
「そう、例えば――最終決戦の真っ最中、とかね」
シギーとベネルフィが見た先で、黄金色の輝きと漆黒の靄が【階】を超える高さまで膨れ上がっていた。