第6話 “闇騎士”
日が昇ろうとしていた。
ギベル砦から見渡せる荒野の向こうに、無数に蠢く影がある。
「……“闇騎士”と、“詩人”」
『戦乙女』シャルヴィリアは、祖国の崩壊には立ち会えなかった。暴れまわる魔人たちと戦うために、諸国を飛び回っていた。それはシャルヴィリアという存在を持て余した聖王国の思惑でもあったし、シャルヴィリア自身の意向でもあった。
最強の魔人、“狼王”。一度だけ戦ったが、勝ち目がなかった。無辜の民が逃げるための時間稼ぎしかできなかった。“闇騎士”と“詩人”がどれだけの強さを持っているのかはわからない。だが一国を滅ぼしたことから考えても、その力が弱いはずがない。
「君には“闇騎士”と“詩人”を抑えてもらう。魔人を2人だ……やれるね」
それは質問ではなく確認だった。今このギベル砦には、強力な『祝福』を持っている人間が少ない。『健壁』のグルガンや『鳴滅』がいたとしても、普通の冒険者や兵士が膨大な量の生ける屍を相手にどこまで戦えるか。『聖女』リリーティアの結界は、肉の体を持つ生ける屍には効かないのだ。
「……もちろん、勝ってきますよ。オーデルト」
風が服を煽る。はためく白装束は、聖王国から託された戦装束でもある。普段は使わないのだが、これが決戦であることは誰の目にも明らかだ。
「少しでも士気があがればいいと思ったのですが――」
眼下に広がる光景に、目を細める。すでに『軍神』オーデルトの指揮のもと、人類は動き始めていた。悲壮な顔で決意を固めている者は、ほとんどいない。もうとっくにそんな時期は通り越している。
勝つしかないのだと。ここにいる全員が、死を覚悟した戦いなんてものはとっくに潜り抜けている古強者たちだ。
生き残る、戦いに勝つ――矛盾しているようだが、死んででも勝つ。それが、彼らの願い。
「……未来のために、信仰をここに」
体から黄金色の光が迸る。女神カロシルから贈られた『祝福』。信仰の強さによって身体能力を強化するという『祝福』だが、調子は悪くない。昔ほどの力強さはなくなってしまったが、心地よい安心感がある。『祝福』の使用が落ち着いている感覚がある。
『揺らぐことのない強さ』とは、こういう状態を指すのか。
地面を蹴る。全身に浴びる風を心地よく感じながら、シャルヴィリアは落ちていく。
「うわっ!」
「なんだ……!?」
土煙を上げて着地したシャルヴィリアは、腰から【神剣クーヴァ】を抜き放つ。疑問の声を上げるギベル砦の兵士たちだが、油断なく剣に手を添えている。激動ともいうべきこの時代を生き延びた彼らは、その全員が精鋭と呼ばれるべき強者にまで成長した。
【神剣クーヴァ】を振るい、土煙を切り払う。
上から降ってきたのが『戦乙女』シャルヴィリアだと気づいた瞬間に、気付いた人間から歓声があがった。シャルヴィリアは、剣で地平線を指し示す。
「――これより始まるのは、人類最後の決戦である」
シャルヴィリアが言葉を紡ぐ。
「敵は“闇騎士”、“詩人”、そして千からなる生ける屍」
昇り始めた陽光を反射して、【神剣クーヴァ】が輝く。
「守り抜くのだ。我らの肩に乗っているのは、自分だけの命ではない」
まるで黒い大波のように、生ける屍の軍団がギベル砦に迫る。彼らの呻き声すら、聞こえそうな気がした。
「1人の肩に、ギベルの町の住人の命が乗っている。そうだな、1人の肩に7人分ぐらいか」
彼女の眼差しは揺るぎなく、意思に翳りなく、信念に迷いなく。
「恐れることはない。私が、『軍神』が、君たちとともに戦おう」
まるで恐怖を煽るかのように、ゆっくりとした動きで砦に迫る生ける屍の軍団。
「――必ず勝つぞ。わかったな?」
シャルヴィリアが、【神剣クーヴァ】を掲げる。爆発的な黄金色の光が噴出し、大地を明るく照らし出す。すでに生ける屍の軍団は砦に迫っており、防衛側である人類たちもその姿を目視した。
腐った肉、薄汚れたぼろ布、隙間から覗く白骨。口から漏れ出る意味のない呻きと、吐き気を催す悪臭が漂う。そんな生ける屍の群れを前にして、兵士たちは一瞬息を呑み、即座に自分の得物を抜き放った。
「私は『戦乙女』シャルヴィリア――いざ!」
大地が抉れる爆発音が響き、黄金色の光が飛ぶ。地面を蹴りつける音が断続的に響き、進行方向にいた生ける屍たちが運悪く消し飛んでいく。一直線に生ける屍を蹴散らして突き進むシャルヴィリアを巻き込む勢いで、ギベル砦の兵士たちから魔法が放たれる。火球が次々と生ける屍の軍団に着弾し、周囲を肉が焼ける匂いが漂う。
『シャルヴィリア、右に3度進路変更。その先にいるよ』
『了解』
『拾声』キッカにより届けられたオーデルトの声に従い、シャルヴィリアはわずかに進路を変更する。【神剣クーヴァ】を振るい、生ける屍を切り払う。凄まじい速度で振るわれた【神剣クーヴァ】は衝撃を撒き散らし、次々と生ける屍が吹き飛ばされていく。時に体を蹴りつけ、顔面を殴り飛ばし、シャルヴィリアは突き進む。
純白の法衣が、肉片と血液でどす黒い赤に染まったころ。生ける屍の軍団を突き抜けて、シャルヴィリアは3人の人影と相対していた。
「魔人、“闇騎士”だな」
「――聞きしに勝る一騎当千。いや、お見事。こうもあっさりと私の元へたどり着くとはな――」
漆黒の甲冑を纏った男が、まるで幻のように揺らぐ馬に乗っていた。甲冑の重さを感じさせずに、馬から飛び降りた“闇騎士”は、腰から漆黒の剣を引き抜く。
「流石は音に聞こえし『戦乙女』。その手に持っているのは【神剣クーヴァ】か。同胞をことごとく切り払った名剣ともなれば、我が愛剣ルーガリオも満足だろう」
「ルーガリオ……? 魔剣の類か」
「まあ、そのようなもの。【魔剣ルーガリオ】、いい響きだ」
どこか聞き覚えのある名前に内心首を傾げつつ、シャルヴィリアは漆黒の剣を見つめる。“闇騎士”に神経を集中させつつ、背後にいる2人にさりげなく視線を向ける。
1人はフードをかぶっていて顔がよくわからない。左手に携えた槍が得物なのだろうが、動く様子はない。体格から考えると男だとは思うが、だれなのかまではわからない。
もう1人は、ゆったりとした衣装に身を包んだ女性。両目は細く閉じられているが、視線は感じる。手に竪琴を持っており、彼女が“詩人”だろう。
「まずは1対1だ。手を出すなよ」
「宿命の戦い――見よ、大地は震え、空は泣いている。今こそ決着の刻――」
「問題ない」
“闇騎士”の言葉に、“詩人”が謳うように答え、フードの男が短く答える。その声にシャルヴィリアはかすかに眉を潜めた。ルーガリオといい、フードの男の声といい、妙に記憶が刺激される。
「では、『戦乙女』シャルヴィリア殿。我が“闇騎士”としての力、まずはお見せしよう」
剣が触れる。
耳障りな音を立てて、【魔剣ルーガリオ】と【神剣クーヴァ】がかみ合う。
「くっ……!」
一瞬で距離を詰められたシャルヴィリアは力任せに【神剣クーヴァ】を振るった。甲冑姿から考えて、防御してからの反撃が戦闘スタイルだと思っていたが、まさかここまで苛烈に攻めてくるとは!
鍔迫り合いを嫌い、力任せに押しのけようとしたシャルヴィリアの力が受け流される。
右手一本で【魔剣ルーガリオ】を操り、【神剣クーヴァ】を持つシャルヴィリアの両腕を自分の背後に誘導する“闇騎士”。伸びきったシャルヴィリアの右腕を“闇騎士”の左手が打つ。その衝撃に思わず【神剣クーヴァ】を手放しそうになる。続いて襲い掛かった“闇騎士”の右足による蹴りをなんとか横に躱す。そのまま“闇騎士”から下がって距離を取る。
(こいつ……なんなんだ……!?)
「……ふむ」
左腕を握り、開き、“闇騎士”は【魔剣ルーガリオ】を構える。
「行くぞ」
「……っ!」
縦横無尽に襲い掛かる【魔剣】を、シャルヴィリアは必死に【神剣】で捌く。剣同士がぶつかり合い、周囲を金属音が満たす。普通の剣であればこれだけ激しくぶつけ合えば欠けていくものだが、お互いに武器が普通ではない。ルーガリオもクーヴァも、持ち主の願いに答えて打ち合いを続行する。
シャルヴィリアは押されている。
反撃はことごとく読まれ、潰され、避けられる。一方、向こうの攻撃は一方的にシャルヴィリアを攻め立てる。
(剣技で、私はこいつに敵わない――!)
そう悟ったのはすぐだった。お互いに似たような直剣を振るってはいるが――いや、だからこそ、その技量の差は歴然だった。シャルヴィリアの法衣はところどころが切り裂かれているのに対し、“闇騎士”の甲冑に傷ひとつなく、息も上がっていない。
「……才はあるが。惜しむらくは、良き相手に恵まれなかったことか」
残念そうに呟き、“闇騎士”が剣を振り上げる。
(剣技ではこいつに敵わない――そう。そんなことはわかっていた)
「む!?」
シャルヴィリアから放たれる黄金色の光の奔流。爆発的なまでの『祝福』の行使。生ける屍の戦いのために、力を温存している場合じゃない。
全力で、叩き潰す。
「なるほど、先ほどまでは『本気』ではあったが『全力』ではなかったということか――!」
地面を抉って、体当たりをぶち当てる。技も何もない、強いて言うならただの力技。『祝福』によって人間を超越する身体能力を得たシャルヴィリアは止まらない。黄金色の光を撒き散らしながら地面を蹴り飛ばし、“闇騎士”に向けて【神剣クーヴァ】を振るう。
必殺の一撃だった。だが、“闇騎士”は恐ろしい速度で右手を操り、【神剣クーヴァ】の一撃に【魔剣ルーガリオ】を噛み合わせた。勢いに押され、大地を擦りながら後ずさる“闇騎士”だが、【神剣クーヴァ】の一撃は甲冑に届かなかった。
(だけど、手応えはあった――このまま押し切る!)
地面を蹴り、大地を弾き飛ばし、シャルヴィリアは黄金色の光を纏って駆ける。『烈脚』ウェデスほどではないにせよ、人間では追いきれない圧倒的なスピードとパワー。大地が爆ぜれば、黄金色の光が漆黒の甲冑を弾き飛ばす。
“闇騎士”の動きは、どこか人間じみていた。“狼王”のような圧倒的な力も、“貴婦人”のような特殊な力も、“道化”のような薄気味悪さもなく、身体能力の差で押し切ろうとするシャルヴィリアに対抗する。クーヴァの一撃にルーガリオを合わせ、吹き飛ばされそうになるたびに大地を削る。
だが、徐々に押されている。シャルヴィリアのスピードとパワーを、技術だけでどうにかすることはできない。
このまま倒せる、と確信したシャルヴィリアの耳が“闇騎士”の呟きを捉えた。
「やれやれ、1対1で、と言ったのに――そういうことであれば、2対2にしようか」
“闇騎士”の言葉に反応したのは、シャルヴィリアでもフードの男でもなく、細目で戦いの行方を見守っていた女性だった。その手に構えた竪琴から、物悲し気なメロディーが奏でられる。
「呪え、“詩人”」
シャルヴィリアが狙いを変える前に。
「――深き闇の狭間にて、その身に不幸よ宿れ――」
シャルヴィリアの呼吸が一瞬止まるほど、怨嗟と憎悪に満ちた呟きが、“詩人”の口から零れ落ちた。