第12話 終末の力
時は少し遡る。
『純白』の問題がまだ解決しておらず、リクルの力は日に日に悪化の一途を辿っていた。落ち着く様子は全く見られず、触れただけで家の様々なものが壊れていく。
「……リクル」
フリートの声かけにも気付かず、リクルは家の箒を使って床の掃除をしていた。何の前触れもなく箒がバラバラに砕け、リクルはそっとその破片を手に取った。
「リクルッ!」
そして、苛立ちのままにそれを床に叩き付けようとして――ようやく、フリートの声に我に返った。叩き付けようとされていた箒の柄の破片は、リクルの手から染み出る霞のような黒い染みに飲み込まれて消えた。地面に散らばっていた箒の残骸を、家妖精がどこか怯えたように運んでいく。
「……一度、落ち着け」
「は……はい。そうですね、フリートさん……ごめんなさい」
悪化している。リクルが怯えたように自分の部屋に戻るのを見届けて、フリートは彼女に聞こえないように舌打ちをする。悪循環が起きているのだ。
(制御できない自分に苛ついて、その苛つきが全部……発動条件になっている。これはマズいな……)
フリートは真剣に、仕事を拒絶するべきか悩む。『純白』の調査は進んでおり、目下のところ危険なのはリクルの終末の力の方だ。この力を放っておけば、最悪人類が滅びることもあり得る。何かのきっかけでリクルが暴走すれば、この町を丸ごと滅ぼしてもおかしくはない――なにより、暴走した時にリクル自身が無事でいられる保証など、どこにもない。
「制御は……できないのでしょうか……」
台所から姿を現したテテリに、フリートは首を横に振る。制御できないはずがないのだ。確かに、封印を施していた間はリクルはあの力を封印できていたのだから。
「……どうすれば」
「すまない……仕事に行かなければ」
悩む2人をよそに、状況は動き始めようとしていた。
† † † †
夢の中だった。リクルは、純白の大地の上に立っていた。大地と言っても、なぜかふわふわと柔らかく、裸足のリクルでも怪我をする心配はなかった。
(ここは……?)
周囲を見渡しても、まるで見覚えのない場所だった。リクルは自分がどこにいるかわからないという状況に焦りを感じ――両手に出現した黒い靄を見て、慌てて精神を落ち着かせた。こんな、ちょっとした感情の乱れでも、彼女の力は発動しようとしているのだ。
「……ここは私の世界です」
声を聞いてリクルは振り返った。そこには白い布を体に纏い、哀しげな微笑を浮かべる美女の姿があった。どこまでも純白の大地に住む、女性であるリクルから見ても絶世の美女であることがわかる女性。そんな存在は、リクルの知識にはたった1人しか存在しない。
「め……女神、様……?」
「そうです。私が女神カロシルです」
頷く女性。リクルは思わず跪こうとして、そのとき初めて自分の様子に気づいた。
「は、裸ぁ!? な、なん、なんで……!?」
「肉体がこの空間に来るためには、特殊な手続きが必要になります。魂だけの存在であるあなたは、今ここでは肉体もない存在です。だからこそ、魂も“貴女そのもの”の形を作っているのでしょう。私も、妹が魂にちょっかいをかけなければ、生者の魂をここに呼ぶことはできません。私と対極であるベレシスが、ある魂に干渉したことで――私もあなたの魂に干渉する権利を得たのです」
女神カロシルの言葉は、リクルには半分も理解できなかった。
「そして、時間がありません。私が持っている力は、あとほんの少ししか残っていないのです。だからこそ、貴女に伝えなければいけないことがあります」
「伝えなければ……いけないこと?」
女神カロシルが微笑む。
「本当は、貴女のその力の制御に私の力を貸してあげたいのですが――それはできません。私の力も限界に近いのです。だから、私からはアドバイスを1つあげましょう」
「アドバイス……」
リクルは戸惑いの目線を女神カロシルへと送る。
「そうです。貴女は、その力をどう思っていますか?」
「ど……どう思っているか……?」
「その力、まだ必要ですか?」
終末の力を、どう思っているか? そう問われて、リクルは表情を揺らした。この終末の力は生まれたときから共にあった、最悪の力だ。全てに終末を与え、制御もできず、親しい人を危険に晒す恐怖の力。
「こんな、力――」
要らなかった。欲しくなかった。必要なかった。そう告げるのは、簡単だった。そしてリクルはそう思っていたはずだった。もしこの力を消し去り、平和な生活が送れるというのであれば、喜んで捨てる。
「必要――」
揺らぐ。自分の決意が、自分の願いが、自分の想いが、揺らいで崩れて再構築されていく。
必要ないのか?
捨ててもいいのか?
こんなただの小娘が、英雄と並び立つための唯一の可能性なのに?
ああ、そうだ。
必要なんだ。これは、この力は、私が――
「必要なんです。この力が」
リクルの返答に、女神カロシルは寂しそうに微笑んで見せた。それはまるで、今まで大切に守ってきたものから、その守護の手を振り払われたような――そんな笑顔だった。
強欲だとなじられてもいい。わがままだと嘲られてもいい。リクルが今まで終末の力を封印できていたのは、フリートがいなかったから。そして、制御できなくなったのは、自分の中で相反する気持ちがあったからだ。
父親を殺したこの力を忌避する気持ち。
フリートの横に並ぶために、この力が必要だとする気持ち。
人間は醜い。その感情の在り方を、リクルはテテリに認められていた。どんなに醜い感情を抱いたとしても、どんなに愚かな願望を抱いたとしても、それすらも肯定して進んでいけるのが人間なのだと。
愚かでも、醜くても、自分の感情を、気持ちを、全て認めて前に進む。誤魔化さず、隠さず、ただ自分の信じた道を行くべきなのだ。世界中の人間に否定されようと、自分だけは自分を信じていく。
「いい、覚悟です。では、貴女の道行きに幸があらんことを」
リクルは、その覚悟だけを胸に自分の魂が落ちていく感覚を味わっていた。最後に、女神カロシルが呟く。
「ここが安全地帯なのも、もうあとわずか……」
† † † †
その夜。
「フリート、さん」
「……リクルか」
深夜である。夜遅くに帰ってきたフリートは、何かを考え込むようにテーブルを見つめていた。起きてきたリクルはそっと、フリートの右手に自分の右手を重ねた。
フリートはわずかに驚くが、逃げようとはしなかった。そのことに安堵し、リクルはさらに左手も使ってフリートの右手を包み込む。ゴツゴツとした手は、戦う者の手だ。水回りで荒れている自分の手とは、くらべものにならないほどに硬い手。
「――私の力を、使ってください」
「……なに?」
フリートは思わずリクルの目を覗き込む。そこには、覚悟を決めた者の両目が、爛々と輝いていた。確かに、リクルの手は戦う者の手ではないかもしれない。だが、そのうちに秘めた強い想いは、決して折れることはない。その片鱗を、フリートは“貴婦人”との戦いの時に見ている。
平和を願う少女、誰よりも平凡で、戦いなんてしてこなかった少女だからこそ、リクルは戦う覚悟を決めるのを迷った。
「私、色々……本当に色々、考えたんです」
熱っぽい吐息を漏らし、リクルはそっとフリートの手に自分の額を押し当てた。その熱に、フリートは思わず息を呑む。
「フリートさん。私は、一緒に歩いていきたいです。戦いのない、平和な世界を、フリートさんと生きていきたいんです」
戦いのない平和な世界――それが、いかに難しいことか。リクルにわからないはずがない。
「そのために、邪魔になるものは壊します。戦わない未来のために、戦います。ようやくその覚悟ができたんです」
「……リクル、」
「魔王を倒します」
たしなめるように放たれたフリートの言葉を遮って、リクルは力強く宣言した。その力強く輝く瞳を見て、フリートは悟る。もう、何を言おうとも、彼女の決意を覆すことはできないと。
「私には、魔王を倒す力があります。でも、この力は1人じゃ役に立ちません。だから、フリートさん――助けてください。私の夢を叶えるために、力を貸してください」
真摯な願い。だが、リクルはほんの少しだけ笑っていた。この決意を聞いたフリートが、断らないのを知っている。リクルが信じたフリートは、溜息を吐きながら、少し面倒くさそうにしながら、それでもリクルの手を取ってくれる。そのことを確信している、笑みだった。
「はー……どう思う、俺?」
『どうって、私の【揺蕩う幻世界】が完璧だったってだけでしょ? この娘、元から強かよ。かなりね』
「俺も、薄々こうなるような気がしてたってことか……」
フリートは砦で行った先ほどの会話を思い出す。憎しみに囚われ、復讐鬼となったレベッカに、思うところがないわけではない。だが、それを言えば惨殺鬼時代の自分だって、自分の欲望のままに『祝福』を使っていた。自分に与えられた力――『再誕』の『祝福』。
「私は、私のやりたいようにします。フリートさんも、付き合ってください」
「……断れない。断れないなぁ、これは」
リクルに与えられた終末の力。それは確かに、魔王を滅ぼし得る一撃となるのだろう。そして、今いる英傑たちの力を合わせれば、リクルの攻撃が魔王に届くかもしれない。そうすれば、人類の勝利だ。あとは、魔獣と魔人をなんとかしのげば、絶滅することはないだろう。
『『力』に正しさなんてものはない――結局のところ。自分がどうしたいか、なんでしょ?』
フリートがレベッカに告げた言葉を、ネメリアがからかうように復唱する。ああ、確かにフリートはそう言った。
「娘のわがままに付き合うのも、保護者の役目なのかな」
わかった、とフリートがリクルを見つめて返答を告げる。魔王を倒すために、リクルが終末の力を振るうというのであれば、その目標に協力しよう、と。
「保護者……娘……ムスメ……?」
「……どうした、リクル?」
望んだ回答を得られたはずのリクルは、不満げにぶつぶつと呟いていた。フリートに声をかけられ、はっと顔を上げる。
「な、なんでもないです。……絶対振り向かせて見せるんだから」
『厄介なのに捕まったわね、私……』
「……?」
フリートは首を傾げるが、すぐに思考を引き戻す。
「そうと決まれば、明日の朝砦に向かおう。『軍神』と『予言者』に力の内容を打ち明けて協力を仰ぐんだ」
「……はい」
リクルが少しだけ不満そうに口を尖らせているのが気になったが、フリートは努めてそれを無視した。うっすら予想がついてはいるが、今はそれどころではないのだから。
『こっちも素直じゃないし……』
「何か言ったか、俺」
『なにもー』
夜は更けていく。
「そういえばリクル、制御できるようになったんだな」
「えっ、はい。なんとか……」
フリートが無言で自分の右手を握りしめたままのリクルの両手を見つめ、リクルは素早く手をほどいて隠した。