第11話 勝利への道
「シャルヴィリア……」
オーデルトは、目の前に立つ金色の戦乙女を前に言葉を漏らす。あの夢の中で出てきたシャルヴィリアはtだの自分の願望だ。オーデルトという人間が、救いを求めて出現させた幻覚に過ぎない。
「……答えは、出ましたか」
「……ああ」
「……聞きましょう」
シャルヴィリアを前にして、オーデルトは自分の気持ちを確認する。最低なことを言おうとしている自覚はあるし、こんなことは許されないと断罪しようとする声も聞こえる。しかし、そんな彼の悩みを全て――受け入れようとしているのだ、この女性は。『戦乙女』シャルヴィリアという存在が持つ力を、覚悟を、オーデルトは決して見ようとしなかった。
ああ、そうだ。『軍神』であったころのオーデルトであれば、彼女の決意や覚悟を信用しなかっただろう。女神カロシルへの信仰という不確かなよりどころで戦う彼女を、決して信頼はしなかったに違いない。
「申し訳ないが、私は君を女性として見ることはできない」
「……そう、ですか。まあ、そんな予感はしてましたけどね」
不思議と、彼女の呟きは負け惜しみには聞こえなかった。まるでそうなることを予感していたかのように、それでもわずかな希望を持っていたかのように、シャルヴィリアは深い溜息をつく。
「では。私の立ち位置は変わりませんね。人類の守護者として、私のこの力を振るいましょう。迷いは晴れました。想いは実らなくても、私は今とても清々しい気分です。『軍神』としての判断ではなく、『オーデルト』としての判断であれば、私はそれに従いましょう」
そう答えるシャルヴィリアの瞳からは、何かを信じようとする強い意思が感じられた。それは、盲目的に誰かを信じる、他者から与えられた信仰ではない。
「……君こそが、真の英雄なのかもしれないな。聖騎士トーマンの再来と謳われるのも納得だ」
自分で考え、悩み、それでも、と自分の道行きを決めた者。自分で悩んだ末に選んだ信仰を、折ることなどできるのだろうか。ただ盲信していた少女ではない。悩みながら信仰を捨てられなかった女性でもない。悩んだ末に、『これでいい』と納得して、信仰を受け入れた女性の思いを、一体誰が折ることができるのだろう。
「いいだろう。『軍神』ではなくただの『オーデルト』として、『戦乙女』ではないただの『シャルヴィリア』を信頼しよう」
「……ありがとうございます。であれば、この次に行く場所はわかってますね?」
「ああ。ありがとう」
本当であれば、少女のそばにいたかった。壊れそうなその心を支えてやりたかった。だが、先に想いを告げたのはシャルヴィリアであり、彼女に対してオーデルトは責任がある。甘い言葉を囁き、詐欺同然にこの砦に引っ張ってきたのだ。彼女との関係を清算せずに、少女と向き合うことは許されない。
それは『正解』ではないかもしれないが、まぎれもなく1人の人間が選んだ『選択』だった。
そして、オーデルトが踵を返し、シャルヴィリアの元を去っていく。シャルヴィリアは溜息を1つこぼし、去っていくオーデルトに背を向けた。
(失恋、ですね。確かにこの胸の苦しみを思えば、感情を封印したいと思うのも無理はないですが……)
しかし、それはやはり歪だ――とシャルヴィリアは思う。人の命運は人の手にゆだねられるべきだ。それは神の裁定を待つ、という今までのシャルヴィリアにはなかった考え方だ。
何も為さないのが神であるならば、こちらでなんとかするしかない。少なくとも、この窮地に追い込まれた人類を、神が直接救おうとしたことはなかった。
「よく、この廊下で会いますね。『無音』」
「まあ、こちらから探していたからな」
正面に姿を現した男に、シャルヴィリアは声をかける。暗褐色のコートを身に纏い、隠そうと思えば隠せるはずの気配を垂れ流しながら姿を見せた英雄。『無音』のフリート。そして、その背後にいるのはまだ幼い少女……“貴婦人”を滅ぼしたという、少女か。
「リクルさん、でしたっけ?」
「ああ。『軍神』に用があるんだが……今どこに?」
『戦乙女』は少し考える。今、オーデルトは『予言者』のもとに向かっているはずだ。あの二人の話がどのような結末を迎えるにせよ、そこに部外者はいないほうがいい。
「彼は今、取り込んでいます。あとにしてもらうことは可能ですか?」
「……重要な話なんだが」
「わかっています。しかし、それでも待っていただきたいのですが」
2人がどのような覚悟を決めてきたのかなど、見ればわかる。『無音』のフリートは必要以上の殺気を放ったりはしないが、ピリピリと、まるでここが戦場であるかのような気配を放っている。同じく戦場で、戦う者として生きてきた『戦乙女』であるシャルヴィリアには、その緊張がわかる。
「……その奥にいるのか」
「なんのことでしょう?」
警戒するシャルヴィリアが、わずかに重心をズラしたことに気づいたようだ。廊下の中央を塞ぎ、フリートを行かせまいと妨害できる立ち位置にさりげなく移動する。何気ない移動だったはずだが、その小さな違和感に気づけるフリートはやはり優秀な人間なのだろう。
「どいてくれ。一刻を争うんだ」
「奇遇ですね。今、オーデルト様がやっていることも、一刻を争うことです」
2人の間で緊張が高まっていくのを、リクルはおろおろと見つめることしかできなかった。
† † † †
「今さら、何の用ですか」
オーデルトを出迎えたのは、そんな辛辣な言葉だった。オーデルトは扉から出てきたミリを呼び止めたが、さらにその後ろから出てきた二人を見て目を見開く。パイプから煙を漂わせる『覗き屋』と、こちらを胡乱気な目線で見る『転写』だ。『覗き屋』は見るからに『うわ、面倒なのに見つかった!』という顔をすると、即座に遁走した。『転写』もそのあとに続いて去っていく。オーデルトとしては去ってくれるのはありがたい話なので、特に止めはしなかった。『予言者』ミリも、どうやら考えは同じらしく安堵の気配を滲ませる。
「話がしたいんだ」
「私は話すことはありません」
オーデルトの言葉に、冷たい言葉を返すミリ。しかし、その程度で引き下がる男ではなかった。
「なら、勝手に話す。君は喋らなくてもいい」
「迷惑です。やめてください」
オーデルトは言葉に詰まる。彼女からの信頼は、失われている。『軍神』からオーデルトに戻った時点で、彼は約束を破っているのだから。ただ、彼女は背を向けて去ろうとはしなかった。先ほど去っていった『覗き屋』と『転写』に安堵の気配を見せたことから考えても、ここでの話をすることを完璧に拒絶することはできない――そう考えているのだろう。
そのことにオーデルトが気づいているという事実に、『予言者』ミリも気づく。こぼれた溜息は、せめてもの抵抗だろう。
「……聞くだけですよ」
「……ミリ。私はもう、『軍神』ではない」
その言葉に、ミリは顔をしかめる。そんなことはわかっている。この男は自分との約束を破り、『軍神』であることをやめたのだ。今更――
「オーデルトとして、君の横に並ぶ許可が欲しい」
「――っ、そ……そんなッ……そんな、我が儘!」
一歩踏み出したオーデルトから逃げるように、ミリは一歩下がった。砦の中の廊下で、2人はにらみ合う。いや、睨んでいるのはミリだけで、オーデルトは決意を秘めた目でミリを見つめている。その視線に耐えられなくなったミリは、思わず視線を逸らした。
「我が儘、か。そうだな……これは私の我が儘だ。だけど、もとより私はそういう人間だった」
「なに、を……」
ミリが言葉に詰まる。
「私はかつて、『戦の申し子』と呼ばれていた。寡兵で大軍を打ち破ることに喜びを覚える男だった。もちろん大軍で寡兵を押しつぶす、でもなんら間違いではない」
「何を……」
「私は、勝利が好きなんだ。それも、相手に言い訳1つ残さない『完全勝利』がね」
「なにを……言ってるんですか……?」
爛々と光るオーデルトの瞳に、ミリはさらにもう一歩後ずさる。
「立て籠もって生き延びる、なんて全く私らしくない、と……そう言っているのさ」
「な……!?」
それは方針の衝突だった。『軍神』と『予言者』の意見は一致していた。人類の滅亡は免れない、であれば、少しでも延命させる――その大前提があった。
「『軍神』と『予言者』は、人類の滅亡を是とした。私もそう思っていた。だが、最近の人類の様子を見るに――まったく意外なことに、私は感じてしまうのさ。可能性ってやつをね」
「――狂ってしまったのですか、オーデルト。『不死』である魔王がいる限り、人類に勝利はあり得ません。どんなに時間を引き延ばそうと、そこに希望はあり得ません」
どこか遠くで、剣戟の音が響く。冒険者か兵士が訓練でもしているのだろう、ミリとオーデルトはその音を無視した。
「根拠はある」
「提示してください」
オーデルトは笑う。感情はあるが、感情に振り回されない理性を持つ『予言者』との会話は妙に心地よい。
「『魔女』が諦めていないことだ」
「……は?」
「あの『魔女』ベネルフィが、全く魔王を倒すことを諦めていない。彼女は『不変の神殿』で何かを知った。そしてそのあとも暗躍を続けている。記した本にも根拠がある。あの『魔女』は、人類が勝利する方法を何か知っている」
「諦めただけです。自暴自棄になり、自分にできることを進めようとしているだけ。だいたいそのような方法があるのであれば、なぜこちらに報告しないのです? 『不死』である魔王を倒す手段があるのであれば、私たちだって即座に――即座、に――……」
オーデルトが笑みを深めた。
「『即座にチームを組んで攻める』とでも言うつもりだったかい? それこそ、あり得ない。『魔王』の脅威は『不死』だけではない。膨大な魔力から放たれる魔法を、私も君も危険視している。では聞こう、『予言者』。もし、『不死』を突破しうる手段があったとして、君ならどうしていた?」
「う――あ――」
聞くまでもない。『未来予測』の弾きだした結論は簡単だ。
そんなリスクある手段は選べない、だ。
「そうだろう。『軍神』だった私でもそうしただろう。勝算の高くない賭けに出るわけにはいかない、とね。私たちの『軍神』と『予言者』は、“人類が決して魔王に勝てない”ことを前提にして組まれたシステムだったからだ」
「それは……その通りです。ですが、それで何の問題があるのですか? 今なお、『不死』を突破できる手段は見つかっていません。意味のない仮定です」
「見つかるさ。必ず見つかる」
言い切ったオーデルトを、呆然とミリが見つめる。
「なぜ……」
「“道化”を追い返した。“貴婦人”を滅ぼし、“狼王”は消えた。今――戦の流れは人類にある。私が何十回と繰り返してきた戦の話だ。間違えるはずがない」
オーデルトは右手を出す。手のひらを上に向けられたその右手が、力強く握られる。
「必要なものは必ず揃う。全てのパーツが必ず揃う。私たちは――それが揃うまでの、時間稼ぎをしていたのだから」
ミリが目を見開く。オーデルトの背後から、剣戟の音が近づいてきていた。金属同士がぶつかる音を響かせながら、こちらに迫ってくる2つ――いや、3つの足音。
「だから、任せてくれミリ。ここから先は私の領域だ。戦争が、始まろうとしているんだ」
甲高い金属音と同時に、3つの人影が姿を現した。1人は金色の髪をなびかせて【神剣クーヴァ】を構える『戦乙女』。もう1人は、暗褐色のコートと鈍い銀色の剣を持つ『無音』のフリート。そして、最後の1人が――
「『軍神』様! 『予言者』様! お話ししたいことがあります!」
「全く、腕を上げたようね『無音』」
「もう少し対人戦に慣れたほうがいいんじゃないか、『戦乙女』。剣が素直すぎるぞ」
「……それ、『断罪』にも言われたのよね……」
叫び声をあげる少女。その姿に、オーデルトとミリは見覚えがあった。明らかに初心者用とわかる革鎧に身を包み、危なっかしい足取りでこちらに歩み寄ってくる少女は――
「私の『祝福』なら、『不死』の魔王を倒せます!」
酷く、思いつめた表情をしたリクルだった。
祝・100話目




