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終末に抗ってみよう。  作者: 夜野 織人
第1章 -滅びゆく世界で抗う者たちー
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第1話 終わりゆく世界

 この世界はもう終わりだ。


 ああいや、勘違いしないでほしい。具体的に言うのであれば、終わるのは世界ではない。今まで虐げられながらも、なんとか均衡を保って生きのびてきた、『人間』という種族が滅びるだけのこと。お偉いさんですらもう諦めているし、かくいう俺ももう絶望的だと思ってる。


 昔は対抗しようとして遮二無二戦ったものだ。俺にもできることがあるはずだ、と必死に戦った。


 だが、もう、無理だ。人類の心がぽっきりと折れてしまったのは、今から1年前のこと。人類最後の希望、と謳われた勇者パーティの敗北。命からがら逃げかえった、賢者からの報告。


「魔王は、不死です」


 増え続ける魔獣、魔族。圧倒的な力を持つ魔王。そんな存在を唯一倒せる人間として、10年の歳月をかけて育て上げられたのが勇者だ。力を見抜く賢者、アンデッドを消滅させる聖者、大規模な魔法を扱う魔法使い、仲間を守る重厚なる騎士を仲間にして、勇者は魔王に挑んだ。


 そして、死んだ。


 国が公表したところによれば、勇者は魔王と互角の戦いを繰り広げ、接戦の末に魔王にとどめを刺したのだ。【聖剣アナシスタシア】によって、間違いなく魔王の体は貫かれた。そして、勇者が魔王の遺体に背を向け、あまりの戦いに割り込めなかった仲間たちが安堵のため息を吐いたその瞬間。


 死んだはずの魔王が起き上がり、勇者の頭を握りつぶした。そして、彼は笑いながら告げたのだ。


「余は不死である」、と。


 勇者パーティたちは魔王の言葉を疑ったが――実際に死から蘇った魔王を見て、それが事実である、ということに恐怖した。勇者ほどの存在が苦戦する相手。死なない敵。

 まず、恐慌に陥って襲い掛かった騎士が、一瞬で潰された。勇者の仲間たちは命からがら逃げだし――国は絶望した。


 魔王がいる限り魔獣は生まれる。魔獣は人間を襲う。魔王は死なない。


 それは、人類が滅亡しないためには、延々と戦いを強いられる、という絶望だった。


 それでも膝をつかなかった者もいる。冒険者と呼ばれる彼らは、それでも魔獣との戦いをやめなかった。彼らは言う。『人類が終わりだからって、俺らが終わったわけじゃねぇ』、と。彼らは人類ではなく、もっと身近な何かを守るために、絶望的な戦いを続けていた。


 俺が戦うのは、そんなに高尚な理由じゃない。生きるため。日銭を稼ぐため。死ぬ勇気もない俺は、勇者が敗北して希望が無くなったその時から、死んだように生き続けていた。



 俺はそのままであれば、いずれ来る人類の滅亡に巻き込まれるか、どこか関係のない戦場で命を落とすはずだった。どちらにせよ、幸せな人生など望むべくもない。

 そんな俺の人生の転機は、1人の少女との出会いだった。それこそが俺の人生を変えた。


 だから、やはり。


 話を始めるなら、この時からだろう。陳腐な表現を許されるなら――


 運命の出会いだった。そう、言うしかない。










 人類に唯一残された王国。かつては、キュリスタ王国という立派な名前があったそうだが――大陸のほとんどを魔獣が跋扈するようになり、人類の国の最後のひとつとなってしまった。もはや国といえば一つしか残っていないため、キュリスタ王国という名前すらもほとんど意味がない。ただ、王国といえば、この国を指す。

 勇者を輩出したこの国は、人類最後の砦である。大陸の最北端であり、その背後にはシュテリ・ヘブ山脈と呼ばれる巨大な山脈がある。ヘブ山という巨大な山を頂点とする、巨大な山脈。その向こうに何があるのかは明らかにされていない。高度7000メシルを超えない山はない、という人類を阻む最高度の山々。古より自然信仰の対象になっていた――という話は、今はいいだろう。


 南方向のみに平地が続いているこの王国だけが、魔王の配下である魔獣や魔族の侵攻を辛うじて防げている。かつて人類の発展を止めた巨大な山々が皮肉にも、人類を守る最後の砦となっている。北も東も西も山に囲まれているからこそ、無尽蔵ともいえる魔王軍の侵攻を食い止めているのだ。


 南を守る砦、ギベル砦が落ちれば人類は滅亡する。幸いなのは、魔王軍はとても『軍』といえるものではなく、『群』でしかないというところか。魔王を頂点としているが、魔獣も魔族も魔王の言うことを完全に従っているとは言い難い。もしも魔王軍がもっと組織だった攻勢を仕掛けていれば、この王国はもう落ちていただろう。


 最前線であるギベル砦の背後、北の方角には、人類最後の防衛線ということで大規模な町ができていた。今や、国の奥にある王都よりも活気がある町だ。もっとも、それは前向きな活気ではなく、どこかやけくそじみた――最後の抵抗と言うべき、空元気に似た活気である。冒険者や商人が活発に活動している。王都にいる貴族や王族が、勇者の敗北によって組織だった抵抗を諦めた今、その防衛線は有志によって守られている。絶望の時間を少しでも引き延ばそうとする、決死の覚悟だ。


 そんな町に、1人の冒険者がいた。腰に使い込まれた剣を佩き、革鎧とコートに身を包んだ青年。今年で28歳になる彼は虚ろな瞳で路地裏を歩いていた。戦友を失った、恋人が浚われた、故郷が滅ぼされた――このご時世、死んだ瞳をしている人間は掃いて捨てるほどいる。


 どこにでもいる、冒険者の青年――名前を、フリートという。


「あー……」


 フリートは酔っていた。彼は定職に就いているわけではなく、魔王軍の襲撃があるたびに、傭兵のように雇われていたのだ。それなりに実力はあるがゆえに、その給金はそこそこ高い。砦の窮地を何度か救ったこともあるが――その手の冒険者は腐るほどいる。それだけ砦が危機に陥ることは多いということだ。

 だがそんなフリートも、絶望に侵されていた。1年前の勇者の敗北こそが、彼の心を折った原因である――もっとも、これに関しても心を折られた冒険者はあまりにも多すぎるので、これまた珍しい話ではない。


「くそったれ……」


 罵倒の言葉が漏れる。が、罵倒する対象など、フリート自身もわかっていない。魔王に対するものか、やたらに希望を振り撒く砦の指揮官か、魔王を倒し損ねた勇者に対するものか、それとも現実そのものか。


 朦朧とした頭の中で、『いや、全部かな』と冷静な自分が呟いた。


「あー……」


 口から意味のない呻きが漏れる。悪酔いすると言われている安酒を、昨夜しこたま飲んだせいで、気分は最悪だ。吐くものは全て吐いたので、これ以上汚物をまき散らすことがないことだけが救いだろうか。饐えた悪臭が支配する路地裏で、フリートはズリズリと壁に背中をこすりつけながら座り込んだ。

 この町は人類最後の防衛線なだけはあり、多くの腕自慢や商人が集まってきている。魔獣や魔族の襲撃の危険性が常にある以上、最も危険な町ではあるが――逆に、人類の町でここまで防衛戦力が揃っている場所もないのだ。


「あ?」


 人の気配を感じ取ったフリートは、ゆっくりと顔を上げた。気付けば薄暗い路地裏の奥から、一対の瞳が怯えたようにこちらを見ていた。明るいブラウンの瞳――珍しくもない、一般的な瞳の色だ。瞳の位置からして、背丈は低く、フリートの胸までしかないだろう。フリートは酒精でろくに回らない頭でそこまで考えると、即座に思考を打ち切った。心底どうでもよかったし、襲い掛かってきたり金を盗みに来たならば対処はできるという判断からだ。


 最悪襲われて死んでも、このクソみたいな世界から逃げられるならばそれもいいか――というあきらめの気持ちもあった。つまりフリートは無視を決め込むことにしたのだ。こんな路地裏にいる以上、フリートも含めてろくな人間とは思えない。


「嫌っ……!」


 そんな押し殺した悲鳴を聞かなければ、だが。


 悲鳴を聞けば、間違いなく少女である。フリートは脳内で、『面倒』と『人としての良心』を天秤にかけ――


「誰か、助けッ……!」


 悲鳴が不自然に途切れたところで、フリートは脳内の天秤を蹴散らして、転がり落ちた『人としての良心』を握りしめて立ち上がった。


「へ、へへっ、おとなしくしやがれ……!」

「ん……! んんーッ!!」


 こういった犯罪は珍しいことでもない。路地裏で強姦される子女も増えたし、人さらいの被害に遭う人間も増えた。理由は単純で、王国の警邏がいまいちしっかりと機能していないということ。この町は、比較的まともで青臭い貴族が治めているので、そこそこ治安はいい。だがそれでも、自暴自棄になった人間の犯罪は止められない。特に地元で腕自慢だった人間がこの町に来て、魔王軍との絶望的な戦いを前に心を折られ、犯罪に走るのはよくあること。


 フリートも生活に必要なお金を稼げる腕がなければ、自棄になって犯罪者に堕ちていたかもしれない。


 フリートは立ち上がり、悲鳴が聞こえた方向に歩き出す。そこではフリートが予測した通りの光景が広がっていた。


「あー……」

「あ? なんだてめえはっ!?」


 無精ひげを生やし、薄汚れた布を纏う男。年齢は30代後半だろうか。見た目と筋肉の着き方からして冒険者崩れであるのは間違いない。痩せこけた頬から、その日の食事にも困っていることがうかがえる。そしてその下には、服を剥がされ口を押さえつけられた少女の姿。


「その汚いもの、しまってもら……うえっ……吐きそう……」

「んーっ!」


 フリートが冷静な観察眼を発揮できたのもそこまでだった。急に立ち上がって歩いた影響で、酔いが頭をふらつかせる。

 フリートが見たのは、少女らしき存在を無理やり組み伏せ、そそり立つ性器をむき出しにした男の姿だった。フリートに見つかったからか、少しサイズを縮めたようだ――とフリートは観察し、冷静に視線を外した。見る理由も考察する理由もない、と気づいたからだ。何が悲しくて同性の興奮状態を推し量らなければならないのか。


「あんだぁ、この酔っ払いの若造が! とっとと失せろ!」


 突然現れたフリートに最初は驚いたが、その様子から恐れるに足らず、と判断したらしい浮浪者が怒鳴る。たしかに、フリートの方が年下ではあるが――潜って来た修羅場の数が違うのだ。


「……え?」

「あー……」


 気づけば、浮浪者の胸に剣が生えていた。一瞬の隙をついて背後に移動したフリートが、剣で一突きしたのだ。相手に気取らせないような素早い動き、躊躇いなく人に剣を突き刺す胆力。いずれもフリートが尋常な使い手ではないことを示しているが、その程度の実力を持っていない者は、この町では冒険者としてはやっていけない。


「あ……? あ、ぎゃああああ! 俺、俺ぇ……!?」

「強姦罪……うえっぷ。この町は、弱肉強食で……割と、強いヤツが正義、みたいなところがあってな……もう聞こえてないか……」


 白目を剥いて、全身から力が抜けた浮浪者の死体。それをフリートは「よいせ」という掛け声と一緒に持ち上げると、露出されたままの性器を見ないようにしながら路地裏に放り投げた。それなりに重かったが、なんとか少女の眼には入らない位置まで飛ばすことができて、フリートは長く息を吐き出した。


「……これでよし。あー……余計なお世話かもしれないけど……路地裏には近づかないほうがいいよ……」


 フリートは涙目で地面に横たわる少女を胡乱気な瞳で見ると、コートを脱いだ。暗褐色のコートを脱いだフリートを見て、少女はその身を縮こまらせた。先ほどまで男に性的に襲われかけたのだ、男性に対する恐怖が残っているのだろう。フリートは『少し配慮が足りなかったかな』と思いつつも、品行方正な騎士というわけでもないので、すぐに『まあいいか』と思いなおす。


「落ち着くまでこれでも着てて……」


 コートを少女にかけると、フリートはフラフラする頭を押さえて、長い溜息を吐いた。悪酔いの中で運動をしたので、気分がさらに悪くなっていた。しかも見たくないものまで見させられたのだ。気分は最悪だった。


「あ、あの……」

「ああ、お礼ならいいよ……八つ当たりみたいなものだし……」

「い、いえ、助かりました。ありがとうございます……」


 コートをかき抱き、少女はフリートに向けて頭を下げた。フリートは少女を助ける際に見てしまった少女の裸体を努めて思い出さないようにして、ヒラヒラと右手を振ることで返答とした。フリートも一応健全な青年であり、栄養状態のよくない少女の貧相な肢体といえど、異性の裸を見てしまったのは違いない。


「……落ち着きました」

「……ああ、そう?」


 年齢とやられそうになっていたことを考えると、そこそこ早いスピードで、少女は現実を受け入れたようだ。このご時世に路地裏にいたのだから、それなりに修羅場には慣れているようだった。そこそこの技能や覚悟がないとこの町で生きていくのは難しいので、この少女も最低限の冷静さは持ち合わせているようだ。話すべきことが見つからなかった二人の空間を、沈黙が支配する。もし、女性をエスコートするのを得意とする人間が見たら、間違いなくフリートに落第の徴をつけるだろう。


「……私、リクルと言います。貴方は?」

「フリートって呼んでくれ……」


 とりあえず自己紹介を行った少女とフリート。再び、二人の間を沈黙が支配する。リクルは気まずさゆえに、フリートは気分の悪さゆえに。リクルはゆっくりとフリートのコートを抱き寄せるが、その下に着ている服は先ほどの浮浪者に強引にむしられたせいで破けてしまった。もとよりボロボロではあったが、もはや服というよりは布になってしまったのだ。リクルも、その状況で路地裏を歩くのは非常に危険な――というか、『襲ってください』と言っているようなものだ、と理解はしている。そのため一応予備の服があるところまでこのコートを借りたいのだが、現状だけでも返しきれないほどの恩をフリートに感じているのだ。そんな状況で更なるお願いをするのは気が引けた。


 だがそれでも、言わなければ進まないうえに、長い間ここにいるのも、とても耐えられるものではない。


「あ、あの! フリートさん!」

「……大声で話さないでくれ……頭に響く……」


 年端もいかない少女が決死の覚悟で出した言葉を、最低の言葉で返すフリート。


「ご、ごめんなさい……」

「んで……なに? お礼とかは期待してないから要らない……」


 見るからに貧乏である少女に、恩着せがましくお礼を要求するほど、フリートはお金に困っているわけではなかった。少女の体は欲情するには貧相すぎて、お礼に体を捧げると言われても困る。面倒ごとを避けようとするフリートの心情が透けて見えるが、その心情を正確に把握した少女によって、魅力的な提案がなされた。


「あ、あの……家に、休む場所と、酔い覚ましの薬があるんですが……もしよければ……」

「……リクルちゃん。さすがに不用心だよ、それは……」

「いえ! フリートさんは、悪い人じゃなさそうです!」

「……ん、まあ……いいけどね……ありがたく貰うとしよう……家どこ?」


 不用心と言えば、悪酔い状態で今日知り合ったばかりの少女についていくフリートもなのだが、あいにくと酒精が彼の思考を鈍らせていた。フリートはのそのそと立ち上がり、コートを胸の前でしっかりと握りしめるリクルのあとをついていく。





 それが、フリートとリクルの出会いだった。


 珍しくもない。それこそこの都市で3日に一度は起きている、貧困に喘ぐ少女と冒険者の青年の出会い。


 だが、そんな無数にある出会いのなかでも、この出会い『だけ』は――特別であったと言うしかない。


 あえて、使い古された表現をするのであれば、『運命』。


 ――もしくは、『奇跡』、だろうか。

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