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後悔

作者: フッシー

始めまして。今回本格的に短編を投稿してみました。

拙い作品だと思いますが精いっぱい書きました。読んでいただけると幸いです。

タイトルとは裏腹に爽快な話になっていると思うので気負わずにどうぞ。

 中総体。

 中学最後のこの大会で俺は卓球部三年間の集大成として大会に臨んだ。とはいっても俺の成績は地区でだけで換算しても中の下がいいところで、子供の頃からやっていたわけでもない。

 ――だからこそ思いがけなかった。

 卓球の試合は団体戦、個人戦の順番で行われ、俺の中学の団体戦は二回戦敗退であった。

 俺の出ていない試合で敗北。皆の手前、声を出して応援したりしていたが、それほど勝ってほしいわけでもなかった。自分がかかわらない試合で負けでも自分の責任じゃないから。

 だけどこの時から何か心の中でもやもやした感情が漂っていた。

 大会は順当に強豪校が一位通過で他に何校か県大会にコマを進めていき、個人戦に移った。

 俺はこの心のもやもやが何なのかわからないまま、すぐにアナウンスで試合に呼び出された。

 相手のことは部活仲間から聞いて把握していた。俺と同じ中の下程度のレベルで、勝つか負けるかは半々といったところだろう。

 しかし、今回は何故だか一二年の大会の時より気分が高揚しているような感覚がある。その心の火にさっきのもやもやが燃料のようにくべられてもっと燃え上がるように体が熱い。

 はじめはただの緊張なのかと思っていたが、いつも試合前に感じたようなものとは違う気がする。何なのだろうかこれは。

 そう考えている間に、試合前の三球程度のウォーミングアップを始めるために相手選手が台に近寄っていたので俺も慌てて自分のラケットを取り出して台に向かう。

 しばらく打ち合っているうちに俺はいつもより集中できているような気がした。一球目も二球目も相手側が失敗して後ろに逸れたピンポン玉を取りに行っていた。

 三球目でも、ドライブにブロック、いつもはミスしやすいバックハンドも上手くいっているという確信が持てた。

 三球目の打ち合いも相手方のミスで終わり、そのまま台の横で「お願いします」とあいさつした後、サーブ権を決めるじゃんけん、握手、ラケットの確認を行った後に、台の正面に戻り、構えた。

 最初のサーブは相手で俺はひたすらに集中できていた。しかし気負ってはおらず、おそらくこの状態は過去最高潮の状態であると思った。


 試合は押されたところもあったが、終始優勢で進めることができ、難なく勝利を収めることができた。

 明らかにいつもより調子がよく、集中状態も維持できていた。

 もしかしたら優勝できるのではという考えがよぎっても、浮かれているような気分はない。これから先今よりベストな状態はないのではと思うくらいだ。

 体を冷やさないようにした後、ほかのチームメイトの試合を応援したり、付き添いでコーチングしたりしているうちに次の試合のアナウンスが流れる。

 次の相手はシードで一回戦がない選手で、いつも地区で二位三位をマークしている強豪選手で、正直今の俺に勝てるような相手ではないが。

「負けたくない……」

 その気持ちだけはあふれていた。

 観覧席から下の階へ移動する間も俺のモチベ―ションは落ちずに以前熱いままでいた。

 台の近くへ荷物を置き、ラケットを持ち台の正面へ移動し、得点係の人から球を受け取る。

 得点係は原則、前の試合で敗退した人がチームメイト一人を連れて行うもので、つまり台の両脇にいる二人のどちらかはさっき負けたはずであるのに、その表情に暗い色は感じられない。

 客観的に全国にも行けず、地区大会の初めの方で負ける程度の選手が部活にかける気持ちはそのくらいで、俺自身もそのくらいの心持ちであるはずだ。なのに、彼らを見ているとなぜか不愉快な気分になる。もしや俺は自分を棚に上げて彼らを見下しているのだろうか。いや、何か違う気がする。

 台をコンコンと叩く音が耳に入る。

 思考から戻ると相手選手がもう台の前にいた。催促されていると気付き慌てて三球練習を始める構えをとる。

 一球目は相手のミス、二球目は自分のミス、三球目は相手のミスで終わる。

 こう聞くと勝てるかもと思うけれど、相手はこっちを舐めているのかいかにも適当な感じの打ち合いであった。

 その態度は俺の反骨心を煽り絶対負けないという気持ちを高めた。

 試合前の行為がすべて終わらせ、相手のサーブから試合は始まる。

 相手がサーブを打つが俺はそれを強打のドライブで返してやった。相手が油断しているからできた芸当であったが、俺は自分の実力であるかを証明するように鼻をフンッ、と鳴らして挑発しておいた。

 相手はそれに乗ったのか、今までの早く終わらせようといった表情を消し、本気が窺える集中顔に変化した。

 ここからは一筋縄ではいかないと悟り、俺はさらに集中した。

 そこからの試合は一進一退といったところで、相手が点数で優勢になると俺もすぐに追いつくといった展開で互角に進んでいた。

 正直自分がここまでくらいついていることに驚くが、不思議と『勝てるかもしれない』とか『もしかしたら』とか下剋上的な自分が下であることを前提にした考えは浮かばず、『絶対勝つ』、『負けない』といった考えが先行し、相手を対等に見ていることに気付いた。

 今まで大した練習もせず、根拠もない自信家でもない自分にこんな自信がつくとは思えないし、実際自信や過信とは違うと思う。感じたことのない感情が心の中にある。だけど、悪い気分ではないと思った。

 試合も進み、互いに二セット取った上での最終セット。

 ここまで来るのは相手側も予想外だったのか、若干焦っているように見える。といっても俺の方も余裕があるわけではなく、息も切れてきて、汗も顔いっぱいにかいていた。

 相手の一挙手一投足がはっきり見える。

 どんな球にも反応できる。

 いつもより力が出せる。

 そんな全能感に浸った感覚が全身を支配していた。スポーツ用語でゾーンという集中状態があるらしいがまさにこれはそんな感じだろう。

 今も相手の追いつけない所に完璧に打ち込めた。

 これでマッチポイント。

 あと一点で勝利できる。大した成績も残せたことがなく、団体戦のメンバーにも選ばれない程度の選手の自分が、地区でも最強クラス、近いようで遠いところにいる選手に勝てる。

 それがいけなかったのかもしれない。

 すぐさま相手も一点取り返しデュースに持ち込まれた。こうなると二点先取した方の勝ちだが、またすぐに一点取られてしまった。

 あと一点取れば勝ちだったのに、気づけばあと一点取られたら負けの状況になっていた。相手がまだ全力を隠していていたということもなく、自分の体力が尽きたわけでもない。ただ地力の差でとられたといった感じだった。

 そして俺のサーブでの一球。

 俺はサーブミスをした。

「えっ?」

 何が起きたのか分からなかった。

 今は自分のサーブで相手のマッチポイントで。

 点数係が相手方の得点を捲って11にした。それと同時に我に返った相手選手も俺の方に向かってきた。

「ありがとうございました」

 そういって手を差し出される。

 数秒その手を見た後俺も相手の手を握り返した。

 意識はあるのにどこかぼんやりとした感覚。動かそうと思っていないはずなのに勝手に動く身体。それが噛み合っていない意識と現実を無理やり重ねようとする

 たった一つの現実を俺に突きつける

 すなわち、俺は、負けたのだと。

「……ありがとう、ございました」

 涙が止まらなかった。


     ◇    ◇     ◇


 部活が終わって早数か月。

 俺はジャージの中に暖かいインナーを着て、ネックマンを首に着けランニングをしていた。

 最後の試合、最後の最後に俺は油断した。

 一瞬緩んでしまった。勝ってもいないのに勝ったような気分になってしまった。

 中学三年間を振り返って、俺の心には後悔しかなかった。

 もっと練習していれば、本気になって体を鍛えていれば、そういったもう戻ってこない、たられば、ばかりを考えていた。

 最後の大会で俺は自分というものを見つめ直せた気がする。

 体を突き動かしていた熱い何か、負けた時に溢れてきた気持ち。

 自分は意外と負けず嫌いな性分であったらしい。それらを感じ理解できたからこそ俺はこうやって今まで苦しいが故に言い訳してやってこなかった努力というものをするようになれた。

 まずは体についている無駄というか、動きを阻害する贅肉をすべて落とすための走り込みに筋トレ、他に技術の向上のための素振りや今までなら絶対にしなかったであろう町内会の卓球チームの練習に頭を下げて混ぜてもらうことなど、今できることは全てやるくらいの気持ちで練習に取り組んでいる。

 受験勉強もあるが、それは卓球のレベルは中堅だが、勉強のレベルは高くない高校なのであまり心配はしていない。正直、俺の成績ならもう少し偏差値の高いところも狙えると思うし、先生にもそう言われたが、近所で卓球が強いところだとそこが一番いいのだ。

 本来ならもっと強豪校に行けばいいのだろうが、今までまともに練習してこなかった奴がそんな所に行っても、ついていけないというより実にならないのではと考える。

 というのも基礎ができていない俺のような選手は、それが前提として存在する強豪に行くよりも、自分のペースでやれる環境の方が伸びるのではと考えたからである。

 しかし、自分のペースといっても楽な練習ではなく、自分の技術をとことん突き詰めていくという意味だ。

 もう自分に言い訳しない。楽な道に逃げない。そう誓ったからこそ自らに厳しくすることができる。

 もう二度とあんな気持ちを味わいたくはない。

 負けた瞬間流れた涙。

 これまで卓球というものに真剣に、全力で向き合って来なかった自分が流せたことに自分自身驚愕であった。

 だからこそ、その理由を考えさせられた。

 今まで一緒にやってきた仲間と別れるから? 今までの部活での思い出が感慨深かったから? それもあるような気がするが一番ではないと思える。

 やっぱり何度考えてもあの負けた瞬間だろう。

 あの時間が俺にとって一番響いた瞬間だと思う。

 団体戦で仲間が負けた時に渦巻いた気持ち、個人戦で体を燃やすように感じた気持ち、これらは同じもので、あの負けた瞬間に流れ出た涙はまさにそれだろう。

 涙を流せるだけのものを俺は最後の試合で得ることができたのだ。

 あの時の感覚。気持ち。なんとなくわかった。

 結局、俺は悔しかっただけなのだ。

 団体戦に選ばれなかった。俺が出ない試合で負け、終わりへ近づいた。だからこそ個人戦の一回戦に負けたくないという熱が出てきた。二回戦で負けた時、全力を出しなお負けて、これで三年間の部活が終わった。だからこそ涙が溢れてきたのだろう。

 悔しい。嫌だ。そんな感情を表に出したことは多分生まれて初めてだろう。

 よく『負けて得るものもある』とスポーツの指導者などが言うが、俺はこれをよくわかっていなかった。負け続けてそれが当たり前だと思っていたから。だけど今回この意味を始めて理解できた。

 言葉にすれば当たり前だが、勝敗関係になく全力でやらない人間に得るものなどないのだ。全力で、自分の限界の力でやらなければ悔しい気持ちや嬉しい気持ち、自分の欠点や今後の課題といった気持ち的にも技術的にも反省などできない。

 このことを今回のことで学ぶことができた。

 だから俺はこれから変わる。どんなことにも全力で取り組もうと思える。それが無様に見える時もあるのかもしれない。いきなり変わることなんてできないのかもしれない。

 それでも今は頑張ろうと思えるから全力で走っていこう――


 私立蕾咲き高校、入学式。

 大勢の新入生、保護者が体育館に所狭しと座っていた。

 あたりにも地方紙の新聞社のような人や、何かの役員のような人が静かに構えていた。

 式も滞りなく進み、いま在校生の代表の人のあいさつが終わり次のプログラムに進もうとしていた。

 在校生代表の人が正面の男女から階段を使って降りてくる。それを見ていると視界の端にこの入学式のプログラム表が目に入る。

 時計の真下にあるそれに目をやると次の七番目のプログラムは【新入生代表のあいさつ】で、今までの俺はこんなもの真面目に聞きはしなかったし、式自体早く終わることばかり考えていた。

 だから本来なら何の感慨もない行事だろう。

 だけど今回は違う。

 この行事を境として、俺の決心の証明を行為として誓いを立てよう。

 誰でもない、自分自身に。

「新入生代表、熱川真」

「はい!」

 ――これほど狂おしい気持ちを味わえたことに感謝して。


     ◇     ◇     ◇


 高校に入って初めに感じたのは期待と不安であった。

 中学とは違い義務教育ではなくなり、自転車登校や帰りの寄り道がよくなった程度でなんだか少し大人になったような感覚。

 しかし、今まで小学校から繰り上げで中学も一緒に過ごしてきたやつらがいなく、知らない奴らが多くいる環境。

 知っている奴らがいないと言うだけでここまで不安になるのは俺の社交性の問題だろうか。

 俺は校門を越え玄関前に張られているクラス名簿で自分の名前を探している間、そのことで悩んでいた。

 生活は変えられて性分はそう簡単には変えられないのだろう。

 周りにもいる知らない奴らの気配を気にしながら、探していると一年二組に『熱川真』の名前見つけた。

すぐに周りの人ごみから抜け教室に向かうと今度は席表が黒板に張られていた。確認してみると窓際の二番目という微妙な席であったが、文句を言ってもしょうがないのでそこに座った。

 周りにはもうグループらしきものがあったが、それが同じ中学だからなのかそれとも知らない同士がもう友達形成したものなのかわからない。もしそうだったらその社交性が少し羨ましい。

「なぁ」

 そう考えていると前の席にいつの間にか座っていた男が声をかけてきた。突然だったので驚いたが、すぐに返した。

「なんだ」

「お前新入生代表のあいさつしていたやつだろ? 話すやつがいないなら少し俺と話さないか、知り合いが一人もいなくてまいってるんだ」

 どうやらこいつも俺と同じ知り合いがいない組の奴らしい。特段断る理由もないのでそいつとの雑談に興じることにした。

「ああ、別にいいぜ。俺も同じだしな」

「よかった、友達できそうで。俺、氷山怜太。よろしく」

「熱川真だ」

「ああ、入学式の時聞いたけど珍しい名字だな」

 互いの自己紹介が終わった後俺たちは互いを知るため出身中学やこの学校を知るために知っている限りの情報交換をしたりした。

 そうこうしているうちに、ホームルームの時間が来てチャイムが鳴る。教師が入ってくると氷山も話を打ち切って、体を正面に向けた。

 教師が話し始めるが、俺は話し半分に聞いていた。正直事務的な連絡事項、その中でも部活に関してのことにしか今は興味がなかった。

 そうして入学おめでとうといった話がおわり、学生生活についての話を一限目にすることが伝えられた後に、ちょうどチャイムが鳴り先生が教室から出て行った。

 すると、氷山が振り返ってきた。

「お前、部活どこにするんだ」

「卓球部」

 答えると氷山は嬉しそうな顔になって握手してきた。

「俺も同じだ。嬉しい偶然だな」

 話を聞くとどうやら氷山も中学時代卓球部だったらしく、それほど強くはなく中学時代の俺と同じ程度の成績しか残していない程度の選手らしい。

「お前は強かったのか?」

「いや、たぶんお前と同じくらい」

 正直、この時点でもしかしてこいつとは合わないのではと思い始めてきた。

 俺は中学時代の成績こそ映えなかったが、冬のトレーニングでレベルアップはしているし、高校の卓球は本気だ。それが温度差を生まないだろうか。

 いや、それでも俺は周りに合わせて手を抜いたりはしない。それで切れる縁なら初めからその程度だったというだけだ。

 それにまだそうなると決まったわけでもない。変な勘繰りはやめよう。

「それにしてもお前が知り合ったやつでよかったぜ。高校って結構不安もあったんだよな」

「そうなのか? お前って社交性ありそうだから友達なんて簡単に作りそうなもんだが」

「いや俺って人見知りではないけどオタク寄りだから話題がな、ちょっと」

 なるほど、どうやらこいつはサブカルチャー好きの友達はできるけど、リア充にはなれないタイプか。まぁ俺もそういうやつの方が付き合いやすい。

 そのあと、漫画の話で話が盛り上がっていたところでチャイムが鳴り、それと同時に教師が入ってきた。

 宣言通り一限目は学校生活についての説明や委員会決めなどが行われ、最後に部活動申請用紙が渡された。

「今週中に顧問の先生、もしくは部活の先輩に渡しとけよ」

 そういった後に、授業終了のチャイムが鳴る。

 俺は迷わずに卓球部の模試を申請書に書き込んだ。


 この一週間はひたすらに自主練の毎日だった。

 初日に顧問の近藤先生に入部届を出しに行ったが、一年生が部活動に参加できるのは来週かららしく、その間は部活動の勧誘期間なので活動はできなかった。

 しかし今日からは部活動の本格始動の日なので授業が終わった放課後、俺は氷山と共に体育館へと向かった。

「今日からだな。先輩怖い人じゃなければいいけど」

「先輩はどこもすべからく怖いんじゃないか」

 そんな話をしながら体育館の扉を開ける。

 中は真ん中に網でできた区切りがあり、半分をバレー部、もう半分の半分をバスケ部、残った半分を卓球部が使うように仕切りが置かれていた。つまり体育館の四分の一を卓球部が使うようだ。

 そう中の様子を観察していると卓球台を出しているジャージ姿の人がこっちに気付いて近づいてきた。

「お前ら一年の、卓球部か?」

「は、はい。先輩ですよね、よろしくお願いします」

「あ、お願いします……」

 俺に続いて氷山が答えると、先輩もよろしくと返した。

「すいません。部室の場所がわからなくて制服で来ちゃったんですけど」

「ああ、大丈夫。一年は部室使えないんだ。倉庫の中で着替えてくれ。荷物は邪魔にならない所に置いて。ああ、その前に台の準備頼む」

「え、はい」

 俺はすぐさま運動倉庫の方へ向かった。氷山も遅れてついてきた。そして一人一つの題を出してネットをつける。台の反対側でネットをつける氷山が俺に話しかけてきた。

「部室使えないんだな。中学の時はそんなことなかったのに」

「まぁ、体育会系の部活だしそんなものじゃないか?」

 部室が使えないというのは少し驚いたが、まぁ着替えなんて誰に見られても大して気にしないので気にならなかったし、人数やその学校の伝統やらがあって一年が部室を使えないというのも知り合いに聞いたことがあった。

 こおりやまもそんなものかそうなのかと納得して準備の手を動かした。

 あらかたの準備が終わると俺たちは倉庫に戻って着替え始めた。

「こっち見るなよ」

「キモイからやめろ」

 そんな高校生特有のふざけた会話をしながら着替え、半そで短パンのジャージでラケットをもって、荷物をたたまれているマットの上において倉庫を出た。

 そうするとさっきの先輩が話しかけてきた。

「おう、着替えたか。悪いな、準備三人でやることになって。面倒くさがる奴らが遅く来るんだよ」

「いえ、そういうのは一年生が積極的にやるものだとはわかってますから」

「そうかすまないな、そうだ、他の奴らが来るまでなら打っていていいぞ。それからのことは一年全員来てから伝えるから」

 そういって先輩は一番端の台でサーブ練習を始めた。

 俺と氷山は二人でアップ程度に打ち合いを始めた。

 そうしているうちにぽつぽつと人が集まってきた。同じ一年生が俺たちに話しかけてきて自己紹介をしたり、先輩が多くなってきたりしたので台打ちは切り上げて壁打ちに移行している内に全員揃ったのかいつの間にかいた近藤先生が集合を掛けた。

 近藤先生は自己紹介や激励をした後に、自分に指導はできなく、来ることもあまりないことを伝えて仕事に戻っていった。

 そしてその後にさっきの先輩がみんなの前に立った。

「一年生は初めましてだろうが、部長の高橋だ。いろいろ苦労もあるだろうがよろしく頼む。分からないことがあったら聞いてくれ。といっても技術では俺よりうまい奴もいるかもしれないがな」

 高橋部長の言葉に若干の笑いが起こる。

 そうして空気が和んだところで練習に入るようで、部長の号令のもと準備体操が始まる。屈伸、アキレス腱など基本的なことをした後、柔軟体操を氷山と共に行う。

 全て終わったのちに練習に入るのか部長が練習メニューの号令をかけ、先輩たちも返事をして二人ペアで台に向かう。

 しかし先輩たちの分で台は埋まり、一年生が打てるスペースはなくなった。そのことに困惑していると部長が声を上げた。

「一年生集合!」

 指示に従い部長のもとに俺と氷山を含めて五人の一年が集まる。

「一年生はシューズ脱いで校門前まで来て。走り込みだ」

 そういった後、部長は踵を返して入口のところで外靴に履き替えた。

 俺たちもそれに倣い、外具苦に履き替え、部長の後に続く。三分くらい歩いて校門の前まで来た。

「んじゃ、外周のコースを説明するからついてきて」

 そう言って部長は知りだしだした。俺たちでも余裕でついていけるペースで走っているのは俺たちへの配慮だろうか。

 コースは学校を囲むように坂と平面のコースが適度にある一、五キロくらいのコースで、車通りも人通りも少なく最適のコースであるといえるだろう。

「とりあえず今の道を二周ね。今日は一周でいいけど、後は体育館に戻るよ」

 部長は足早に体育館に戻っていく。一年生の相手より練習したいのはわかるけれど少し早く説明しすぎではないだろうか。

「なんかサバサバしてるな」

 隣で少し息を切らしている氷山が話しかけてきたが部長が遠くなってきたので、皆に促して体育館に戻る。

 中に入ると開いている端っこのスペースに連れてこられる。ここで何をするのだろうか。できることなど限られているだろうが。

「それじゃ一年はここで筋トレな。腹筋背筋、腕立てスクワット二百ずつ。後球拾いを交代でやってくれ。それが終わったら自由時間な」

「自由時間?」

 どういうことだろうか。自由時間? 練習はどうするのだ。

「ああ、一年は三年の引退まで基本的に台は使えないから。数がないからさ」

「は? 一台もですか!?」

「ああ、俺たちの時もそうだったぞ?」

 部長は不思議そうに返す。

 一台も使えない? それじゃあ次の高校総体まで台を使った練習はできないという事なのか? それは、いや高校ならよくあることなのか?

「んじゃ、俺は練習戻るからサボるなよ。なんかあったら言ってくれ」

 それだけ言い残して、部長は先輩たちに中へ戻っていった。それを確認した後氷山やほかの一年生が話しかけてきた。

「台打ちはなしかよ。筋トレだけはきついな」

「確かに。つーか自由時間って何」

「課題でもやってればいいんじゃね」

 いろいろ文句が上がっているが、とりあえず言われた分の筋トレはこなさなければならない。そう言って俺は筋トレを黙々と始めた。

 ほかのみんなもそれにつられたのかほかのみんなも始める。

 皆腕立てから始めたが、少しまげて早く終わらせようとするやつ、ちょこちょこ休憩を挟みながら進めるやつなどがいる。俺は百を二セットという形で区切って行う。この時腕の筋肉を意識する。前まではこんなこと意味がなく、とりあえず数をこなせばいいと思っていたが、この意識するという事をするだけで筋肉のつきが以前とは違っているように感じたので続けている。そしてなるべくリズミカルにスピードを意識してやると瞬発力が上がるらしいとネットに書いてあったので実践している。

 四十分くらいで全て終わらせた後、皆まだ終わっていない人がほとんどだったので倍のメニューをこなすことにした。こうやってやらないとみんなと差がつかないし、上のレベルの奴らにも勝てない。他の奴よりもやっているという自己満足や優越感もあるがそれは俺という人間の性なので自信の裏返しとも取れると思っている。そう思わないと自己嫌悪に陥りそうだ。

 そうして四百回終わるころには皆終わっていたようで、学校の課題をやったり自主勉強をやったりしている。

 そしていつの間にか氷山が俺たちのリーダ的な存在になっていたらしい。

「皆、球拾いは一人三十分交代、部活終わりまで大体三時間だから最後の三十分は俺がやるわ」

 氷山の指示で球拾いのローテ―ションの順番を組んで俺は最後、つまり二時間後まで暇らしい。

 俺はジャージの上着を羽織り、校門へと向かう。

「熱川、どこ行くんだ」

「走りに」

 行ってらっしゃい、真面目だな、といった声を後ろに受け、外靴に履き替える。

 それから腕時計で一時間にタイマー機能を出セットし走り始めた。


 部活終わりまでひたすら筋トレをして過ごしていたところで部長に呼ばれた。

「一年生。片付け頼むわ」

 少し終わるには早いのではと思ったが、今日は元々早めに終わる日程だったらしい。

 三年生らしき人たちは帰り、二年生と一年生で片づけを行った。

 部長だけは片付けを手伝っていたが、スポーツにおいて感謝は最も大事で、そういった人や道具への義理はしっかりしなければならないと思っている俺は三年生たちの態度に少し苛ついた。

 俺は一人黙々と片付ける。

 氷山やほかの一年生と話しながらマイペースに片づけていた。

 あらかたの片づけが終わった後、部長は俺たちに一言声をかけて三年生たちと同じ方向へ向かって行った。おそらく部室へ行ったのだろう。

 俺たち一年生も体育倉庫で着替えた後に解散の流れになったが、そこで氷山が声を挙げた。

「これからみんなでどっか行かねぇ?」

 その言葉にほかのみんなはもろ手を挙げて賛同していた。

 こういう帰りの寄り道は高校生になって初めてできるものなのでみんな憧れていたのか、興奮しているように見える。

 だけれども。

「俺はいいや。用事あるし」

 本当は幼児というより残って練習していきたいだけだが、それを言うと空気が読めないと言われそうなので適当に言い訳した。

 皆はそれで納得したのかカラオケ行こうやら、ファミレスでいいやら話しながら体育館から消えていった。

 一人になったのを確認しながら俺は部活動終了時間までサーブ練習や壁当てに時間を費やした。


 次の日からも俺は人より多く体を鍛えた。

 しかし、その態度がほかの一年生とは合わなかったらしく、俺は徐々に孤立していった。氷山も普段の生活では話しかけてくるが、部活になると途端によそよそしくなった。

 他の部員との温度差に少し寂しくなるが、ここで他人に合わせたら昔に逆戻りになってしまう。

 それはこの息苦しさを我慢できるほどには嫌だった。

 そんな生活が一か月ほど続き、部活終わりに町内会の人に紹介してもらった卓球ショップで一人打ち込んでいた。

 休日には結構人が集まり練習に付き合ってもらうが、兵ずつの夜の時間帯には付き合ってくれる人はほとんどいなかった。

 そんな中でサーブの練習をしているとひとりでに練習スペースのドアが開いた。

 誰か来たのかと思い顔を上げると、意外なことにそこにいたのは氷山であった。

「よっ」

 そういって手を挙げた氷山の顔は無理に元気を取り繕ったような顔であった。何事かあったのかと感じた俺は練習を止めて氷山に話しかけようとするがそれは本人に止められた。

「ああ、いいよ、続けてくれ」

 そういって氷山は俺から少し離れた位置に座った。

 なんとなく黙っていた方がいい雰囲気を感じ取りサーブ練習を再開する。

 そうして十分たった辺りで氷山が話しかけてきた。

「なんでお前はそんなに頑張るんだ?」

 その質問は俺にとってかなり感じ入るものだ。

 頑張る理由。それは俺にとって現時点で最も重要なものだから。

 「高校の部活なんて、自主練までして取り組むほどのものか? 野球とかならもっと本気でやるもんなのかもしれないけど、卓球は団体戦出れなくても個人戦は全員出られるだろうが。それともプロでも目指してんのか?」

「いや、違うさ。俺はただ全力でやって、言い訳したくないんだよ。そんな余地もないくらい頑張ってどこまで通用するか試してみたいんだよ」

 思えば昔からそうだった。

 昔から突出したわけではないが周りより運動神経も頭もよかった。だから俺には俺よりも下のやつが多くいた。下ばかり見て俺は天才なんだと思っていた。自分よりすごい奴らもいたが、そいつらもちょっと努力すれば追い越せると思っていた。

「少し頑張ればできるとかもう根拠のない自信に酔うのはやめたんだ。負けるなら負けるでそれでいい。だけど言い訳できる程度の努力は後悔しか残さないと思うんだ」

 それが俺の理由の一つで始まり。

 だけどそれを後押しするものもあった。

「だからお前は頑張れるのか? 不可能ではなくても一番にはなれない可能性の方がはるかに高いのに」

「一番とかなんとかも大事かもだけど、俺は人と比べてどうこうより自分がどう思うかだと思うぞ。」

 自分だけの理由。

 それが一番大切なものだと俺は思う。

 そういうと氷山は俯いて何かを考えるように黙りこくった。

「それにな、もう一個ある」

「……なんだよ」

 俺はサーブ練習を一回やめ、手に持つラケットを見る。

「感謝だよ」

「感謝? 親だのなんだのにか? そんなの当たり前じゃないか。俺だった感謝くらいしてるぞ」

 そう、たいていのスポーツ選手は感謝している。それは紛れもない真実だけれども。

「じゃあ聞くが、お前はなにに感謝してるんだ?」

 それが最も大事な事で皆が気付いていないこと。

「それは親だろ。道具買ってもらったりしてるし」

「それは漠然としていると思わないか? いや、言い方が悪いな。もっとあると思わないか感謝すべきことが」

「どういうことだ。他になんかあるか?」

 そうなのだ。俺も前はそう思っていた。親に感謝すべきことは結局金で解決することだと思っていた。だから道具代や学費などを工面してもらっていることに感謝するものだと思っていた。

「俺たちは気づかないうちにいろんなものを親にもらってんだよ。これは俺の話なんだが……」

 ――中学の部活が終わって自主練に精を出し始めてからしばらくした後、ランニングをから帰って夕食の準備をしている母親と二人きりになった。俺がテレビを見ながら風班を待っているとキッチンの方から母さんが話しかけてきたんだ。

「あんた、最近頑張ってるじゃない」

 そう母さんに褒められなんとなく気恥ずかしかった俺は何でもないとうに、おうと返事をした。

「真」

「なんだよ」

 少しの沈黙を挟んで母さんは俺の名前を呼んだ。俺は返事を返したが、母さんの言いたかったことは違った。

「……あんた自分の名前の意味知ってる?」

 俺は母さんの言いたいことがわからなくてそのまま正直に返した。

「なんだよ急に。嘘つく人間になるな、みたいな感じじゃないのか?」

「違うわよ」

 母さんは即答した。

 自分の名前の由来。

 今まで考えたこともなかったそれは少し気になった。自分の名前なんて字面でなんとなく理解していたが、もっと別の意味があるのか。

「『真』っていうのは真心、つまり心の底から何かを想える子になってほしいって願ってつけられたの。……今のあんたには合ってるんじゃない?」

 驚いたよ。真なんてありふれた名前にそんな意味合いがあったなんて思わなかった。

 そして何より驚いたのは基本放任主義で褒めることも怒ることもあまりない母さんが面と向かってこんなことを言ってくれたことに。

 この時俺が抱いた感情は上手く言い表せられないけれど、俺はこの時の母さんの言葉で覚悟が固まったんだ。

「頑張れ、真」――

「俺はこの時初めて実感したよ。俺はもっともっと大事な部分を支えられているんだって。真に感謝すべきはもっと深いところにあるんだって。それに報いようと思えたから、自分だけじゃなくて誰かのためにも頑張ろうと思えたから、周りに合わせるんじゃなくて頑張れるんだよ。」

 大事な事は何もわかっていなかった。

 スポーツというのは技術を磨くもので、精神的なものは二の次に考えていた俺が、もっと心を大切にしようと思えた。

「母さんへの感謝からスポーツの本質を知った気がするよ。こんなに熱中すること素晴らしさもわかって今はスゲー清々しい気分なんだ。だから俺はだれに恥じることもないよ」

 氷山がなにを求めてここに来たのかは知らないけど、俺に話せるのはここまでだ。それを示すように俺は練習を再開した。

 何か感じるものがあったのか桧山は顔を上げて立ち上がり、出口の方へ歩いて行った。

「なんかお前、かっこいいな」

 そう言い残して氷山は去っていった。


 しばらくして。

 三年生の最後の大会が近づいてきた。心なしかいつもより三年生の気合が入っているようにも見えるが、俺たちは相変わらず基礎練と球拾いで部活の時間をつぶしていた。

 二、三年生との間に深い交友関係がない代わりに確執もないが、一年生の中では俺は完全に浮いていた。といっても悪口を言われたりしているわけではなく事務的なことでしか話しかけてこなくなっていたというだけだが。

 氷山もあれから特に何も言うことなく俺との関係もそこまで変化はなかった。

 そんなある日、顧問の近藤先生が珍しく部活の終盤に珍しく顔を出していた。その手には何かのプリントを持っていて、部長に全員集合の合図を掛けられた。

「高総体の組み合わせが決まったから持ってきたぞ。表が団体戦で裏が個人戦な」

 そう言って渡された対戦表で裏のページから俺は自分の名前を探した。

 そうすると俺の名前はやけに大きいシード、三回戦スタートから始まっている唯一の選手の近くで、順当に勝てば三回戦で当たる位置にあった。

「うわ、お前ついてないな」

 先生を中心として学年ごとに固まって半円状に並んでいるので一年生の中で片方の端にいる俺の隣は二年生だった。この人は普段から少し話す程度だが気さくな人なのかやけに親し気に話しかけてくる先輩だ。

「どういう意味ですか」

「お前知らないのか? こいつ今二年なんだけど中学の時結構良い成績残して、高校では一年生の時に県で準優勝、その功績で一回勝てば県に行ける位置にいんだよ。つまりこの地区では最強だ」

 どうやらこの地区では三回戦まで勝つ、要はベスト16に入れば県大会に行けるらしい。簡単に聞こえるが、大体の奴らは一、二回勝てばシードに当たるので県に行く人間は他より一回り強い奴らで変動は少ないらしい。

 それを聞いた俺には不安があったが、それ以上に今の自分がどの程度なのか知るいい機会に思えた。

 そのあと先生が一言いった後に、まだ四十分程度時間が余っているが今日は解散の流れになった。

 一、二年と部長で道具類を片づけ、最後の台を片付けようとする部長が片付けようとしたところで俺は声をかけて止めた。というのも、いつもならここで帰るのだが今日は時間があるので残って練習しようと部長掛合ってみることにしたからだ。

「部長、時間余ってるなら片付けはちゃんとしますんで、台使ってもいいですか」

「え、ああ、まぁいいか。片付けをしてくれるなら「いいから片付けろよ」って絹笠?」

 三年生の先輩が俺と部長の間に割って入ってきた。見かける程度で話したこともなく名前も知らなかった先輩の絹笠という人が不愉快そうな顔で俺の方を見た。

「何残って練習なんてかっこつけてんだ。早く片せよ」

「いや、だから時間もあるし練習していこうかと思いまして」

「だからかっこつけんなって言ってんだろ。三年がダメだって言ったらダメなんだよ」

 取り付く島もなく否定される。

 というかなぜダメなんだ。何か理由があるのか?

「何故ダメなんですか。部長は許可してくれるとこでした」

「一年は三年が引退するまで台は使えないんだよ。つーかいちいち口答えすんな」

「だから今は部活が終わって、誰にも迷惑かけてないでしょ」

「かかるかもしんねぇだろ、というかさ……」

 そこで言葉を溜めた絹笠先輩は溜息を吐き、俺の気持ちが緩んだ次の瞬間台の足を蹴り上げた。

「もう終わりだって言ってんだろ! ちっ!」

 場が静寂に包まれる。

 わずかに残っていた三年生も荷物をまとめていた他の一、二年も全く動けず、俺は突然大声で怒声を出した先輩にびくついていた。

 俺は久方ぶりに味わう年上への怖さを味わったせいで体が緊張して声が出せなかった。中学の時先生に怒られた時も何も言えなかった。俺は怒られ慣れてないのだ。

 というか何故俺は怒られているんだ。何が悪かったんだ。先輩の言った理由も全然納得できないものばかりで、他は単純な悪態で……

「あっ」

 何となくわかった。多分だが先輩はただ単純に俺が気にくわないだけではないだろうか。今言った言葉とここまで短気なことを加味するとあながち間違っていない気がする。

 客観的に見るのなら、こんな理不尽にはしっかり言い返すべきなんだろうが俺は怖さでうつむいてしまった。

 言い返さなきゃ。だけどここでもっと怒らせたらヤバいんじゃないか。ならここで無理に言い返さなくてもショップで練習すればいい話で。とりあえずここは穏便に……。

「落ち着けって絹笠! 何ピリついてんだ。熱川も悪いが今日は自主練はなしで頼む。とりあえずこの場はそれで穏便に済まそう、なっ」

 いや、本当にそうか? それでいいのか。

 ここで逃げれば穏便に事が終わるだろう。

 今までの日和見主義と何も変わらないんじゃないか。ちょっと目の前に壁が立ちふさがったらすぐ逃げるのか?

 人は簡単には強くなれない。

 確かにそうかもしれない。だがここで逃げることは強さから離れていく行為じゃないか? それは強くなろうと、変わろうとしている人間の行動か?

 俺が今まで感じた負けた時の悔しさや母さんへの感謝はこの場では、怒りという感情の前では何ら関係ない。だけど変わろうという想いには直結している感情だ。

 引いちゃいけないとき時というのは簡単だ。なぜなら強制だから。本当に大事なのは引いてもいい時に苦しくても後悔しない方に進めるかどうかなんだ。

「……ゃ、です」

「あぁ、聞こえねぇよ!」

 もうここまで言ったんだ。迷うな!

「いやです!」

 俺は強く言い切った。思えば年上に逆らうといった経験は初めてかもしれない。

「俺がここで引く理由はなにもありません! 間違っているのは先輩の方です!」

「っ……先輩の言うことが聞けねぇのか!」

「そうやって大声で凄めば引き下がると思ったら大間違いだ!」

 この時、もう俺の中からこの人に対する恐怖心は消えていた。

「先輩たちが俺たちより長くここで卓球やってきたのは知っています。だけど長くやっているのは『凄い』であって、『偉い』とは違います!」

 自分の想いを誰かにぶつけたことも今までなかった。なんとなく流されて生きていれば不自由などないのだろう。

 だけどそうやって生きていれば、大人になった時にああしていれば、こうしていればと後悔するのだろう。今まではそういう大人の話は聞き流してきたが今は何となくわかる。後悔しない方法なんて今を全力で生きることしかないんだ。

 俺の反抗は予想外だったのか怯んだ絹笠先輩だったが、気を取り直して俺をにらみつけた。

「大体そうやっていちいち自分勝手な行動をすることが周りの迷惑なんだよ! 何のアピールだよ!」

「誰かに見せるためにやってるわけじゃない! 人に迷惑をかけることは悪いことです。だけど今の俺に当てはまりますか! 先輩も建前で話さないでください! 言いたいことがあるならはっきり言えばいい!」

 絹笠先輩が言いたいことは周りがどうとかそんなことじゃない。もっと自分勝手な理由で俺に当たっているだけだ。その理由が何なのかはわからないが今までの俺の行動に何か関係あるのだろう。

「なら言ってやるよ! お前は周りとずれてんだよ! いつも自分を貫いて動きやがって、それが癇に障るってんだよ! 何を目指してんだお前は!」

「もちろん全国大会です!」

 即答で断言した俺にほんの一瞬先輩は羨ましがるような苦い表情を浮かべたが、すぐに怒りの表情に切り替わった。

「行けるわけねぇだろ! 本気で全国行こうとか思ってるやつはハナからこんなとこに来ねぇんだよ!」

「場所は関係ありません。大事なのは自分がどう思っているかです」

 俺が気持ち的に先輩より優位にいるからだろうか、わずかながら落ち着いてきた。だから勢いに任せるのではなくしっかりと自分の考えを伝えられる。

「先輩が何でキレてるのかよくわかりませんけど、俺は本気なんです。先輩に邪魔されるいわれはないですよ!」

 先輩は何も言い返せなくなったのか、歯を食いしばって俯いた。

「……なんで、なんでお前はっ。っくそ!」

 絞り出すような声を出して先輩は走り去っていった。

 俺に言い負かされたから逃げ出したとは違う気がする、目を背けたかったといった風に見えた。

 周りが静かなままで俺を見ていた。その中で部長は俺に近づいてきた。

「熱川……。お前は間違っていないよ。だけどあいつの気持ちもわかってやってくれ」

 そう言い残して部長も体育館から出て行った。それに乗じて他の部員たちも慌てて去っていき、残ったのは俺と氷山だけであった。

「なんでお前は残ってんだ」

「・・・・・俺には先輩の気持ちも少しわかるんだ」

 氷山は何か話しだしそうな雰囲気だったが、俺は背を向けて台の脇にあるピンポン玉を拾いサーブ練習を始める。

「眩しいんだと思うぜ、お前がさ。俺も先輩も」

 こいつらの気持ちは何となくわかる気がする。俺も前は似たようなものだったから。

 悪いとは思う。しかし今の俺にはこれしかできない。

 俺は正しいことを言った。だけどそれは客観的に正しく見えたとしても、主観的に正しくはなかった。

 プラスの方向に変わったと思ってもプラスの結果を生むわけじゃない。マイナスを掛け算してしまえばマイナスを生む。

 俺は物語の主人公みたいに、なにかしら吹っ切れればハッピーエンドを創る、なんてことはできない。自分が変われても、周りを変えることなんてできない。

 しかし、誰かを傷つけることになっても俺は進む。それは間違ってはいなくても正しい道ではないのかもしれない。

 だけど俺は正解なんてないと思うんだ。

 だってそんなものがあったら誰も後悔なんてしないだろ。

「……難しいな、人生って」

「……そうだな」


 翌日から部内の雰囲気は最悪とは言わないまでも暗い空気が漂っていた。

 それも俺と絹笠先輩のせいだろうが、俺はともかく先輩の方はだれにも突っかかったりはしないものの、見るからに不機嫌で付き合いの長い三年生でも話しかけるのは躊躇われるようだ。

 俺はいつも通りただ黙々とランニングや筋トレに精を出していたが、心境としては複雑だった。

 というのも、俺が我を通したせいで先輩、ひいては部内のみんなの調子を落とすかもしれないという事だ。

 そのせいで、最悪のコンディションで皆が高総体に臨み、後悔の残る試合になってしまうのではないか。

 そう考えると自分のやったことは間違っていたんじゃないかと考えてしまう。

 しかし、そんな考えで自らを曲げてしまっては昔のように戻ってしまう。

 俺は周りの空気に左右されて今の自分を失うのは嫌だが、他の人たちにも、特に三年生には最後の大会で悔いは残してほしくない、そんなジレンマに振り回されていた。

 結局そのまま何も変わらずに三年生には最後の高校総体の日を迎えた。

 市内の総合体育館で行われるために、さほど遠い距離でもないので現地集合で集まったが、緊張もあるのだろうがやはり皆の間にはあまり会話がなかった。

 近藤先生がそれを少し訝しんでいたが、俺たちに激励の言葉を浴びせた。

「今日は三年生には最後の大会だ。結果を残してもらうのが一番だがそれより重要なのは後悔しないことだ。では後悔しないためには何が必要か、それは今の己の全力を出し切るとういことだ。私は今までこの最後の大会で涙を流してきたやつらをたくさん見てきた。もっとまじめに練習していれば、あの時ミスしなければ、言い出したらきりがない。だからお前たちにこれだけはしっかり覚えていてほしい」

 全員が先生の言葉に耳を傾けていた。

 ロクに練習も見に来ない先生ではあったがその言葉には重みというか、実感があった。そのせいか一言も聞きこぼさないように集中して聞き入っていた。

 近藤先生はそこで一拍間を溜める。

「自分に言い訳するな。言い訳できないくらい全力で、己の限界以上の力を出してこい。以上だ」

 言い訳しない。

 一見簡単に聞こえるが、誰しもが認めたくない結果が出たらしまうものだ。だからこれは近藤先生が長年見てきた中で出た結論なのだろう。

 負けて後悔しない奴なんていない。今までで悪かったところがいっぱい出てきてしまうものだ。だからせめて自分の実力には言い訳するなという事なのだろう。

 全員その言葉をかみしめるように神妙な面持ちで俯いていた。

 そうだ、先輩のこととかいろいろ悩むこともあるけれど、今は試合に全力で臨まなければいけない。今はいったん置いておこう。

 沈黙の中でも時間は進み、そろそろ入場しないといけないのか、近藤先生の先導のもと体育館内に入っていく。

 二階のギャラリーの席に全員分の荷物を置き、開会式まで台を使ってアップすることになった。

 ジャージを上だけ脱ぎラケットを準備していると氷山が話しかけてきた。

「なぁ熱川、一緒にアップしないか」

 その提案はありがたいが、正直氷山が話しかけてくるとは思わなかった。こいつは俺を嫌っているわけではないようだが、何となくあの一件以降避けられているような感じがあったので驚きだ。

 俺は了承の意を示すと下に降りて二人で打ち合った。その間一切の会話はなかったが、居心地の悪い雰囲気ではなかったので気負うことなく普通にアップはできた。

 そうしているうちに壇上に設営されている受付から開会式を始めるアナウンスがあり、選手全員は整列するために動き出した。俺は二列になった一番後ろになりその隣は氷山になった。

「おい熱川」

「なんだよ。今話し中なんだから聞けって」

 俺が壇上の人の話を聞いていると氷山が話しかけてきた。おれはそっけなく返すが氷山は俺を見ずに下を見ながら小声で続けた

「お前、本当に全国行けると思ってる?」

「さぁな。ただ俺は今の自分がいけるところまで進むだけだよ」

「……そうか」

 氷山はそれ以降下を見て黙っていた。

 こいつがなにを考えているかは分からないが、こいつも俺の言動になにかしら感じるものがあるのだろう。それが良いことなのかはわからないが、悩むことは悪くないと思うのでひとまず放置することにしよう。

 その後、いろんな人のあいさつやらルールの確認などがあった。氷山と話していたために話し半分しか聞いていなかったが、要は試合のアナウンスがあったら台に入れという中学とほとんど変わらない内容だった。

 開会式終了後、すぐに団体戦のトーナメントが始まるようで、先輩たちは準備を始めた。団体戦に一年生は出ることがないので応援で、他の一年生は気楽そうだが、俺は絹笠先輩のことが気になっていた。

 ぱっと見で特に何もなく集中を高めているように見えたが、部長は気にかけているようでしきりに話しかけたりしていた。やはり今まで一緒だった三年生から見れば違和感があるのだろうか。

 心配になった俺は絹笠先輩から離れたタイミングで部長近寄り、声をかけた。

「部長、絹笠先輩大丈夫でしたか?」

「ん? ああ。熱川か。心配する必要はないぞ。調子は悪くなさそうだし、というかあれはむしろ……」

 部長はそこで言葉を切った。何を言おうとしたのか気になった俺は問い詰めようとしたが、

『試合番号103は三番の台にお入りください。繰り返します……』

「もう出番か、おいお前ら行くぞ!」

 先輩はアナウンスを聞くと全員に声をかけて、自分の荷物をもって下に降りていった。さっきの言葉は気になるが俺も応援があるので台の近くまで移動を始めた。

 補欠でもないので二階のギャラリーからの応援になるが、そこで部長にしたから声を掛けられた。

「おい、誰か一人点数係頼む」

 そういわれて他の一年生は面倒なのか難色を示したが、俺は自分から率先して志願した。部長は心配いらないとは言っていたがそれでもやっぱり気になってしまう。それに近い方が試合をよく見れるとういうのもあるのでむしろこっちからお願いしたいくらいだ。

 下に降りて点数板の近くに行くと団体戦の一試合目の選手たちが三球練習に入っていた。

 そして第一試合の選手は絹笠先輩だった。

「絹笠、気負わず行け!」

「集中しろ!」

 見方からの声援を受けているが、すごい集中状態なのかまるで耳に入っていないように見える。

 三球練習が終わり、二人が台の横で握手してラケット確認を行い戻っていく。その時絹笠先輩がチラッと俺の方を見たような気がした。

 絹笠先輩を見て俺は中学最後の大会を思い出していた。

 今の先輩の状態はあの時の俺と少し似ている気がする。

 スポーツ用語でいうゾーンのような目の前の相手しか気にならない集中状態。

 その時の俺や、今の先輩の状態をゾーンというのか知らないが、少なくとも今まで絹笠先輩の部活での練習風景を見てきたが、あそこまで集中している様子は見たことがない。

 そして試合は絹笠先輩のサーブから始まった。


 結果として絹笠先輩は勝ち、二試合目が負けで次の二試合は勝って五戦で三勝したので一回戦は勝ち抜いた。

 しかし、続く二回戦で蕾咲き高校は県大会でも中堅クラスの松田商業に敗北した。

 一戦目で絹笠先輩は、俺が勝ち進めば三回戦で当たるこの地区で一番強いであろう相沢という選手との試合だった。

 先輩は地区でも中堅レベルで、毎年県大会に行けるかどうかの実力らしいが、この試合で先輩は相沢と互角に勝負していた。

 一セット目を取り良い流れだったが、相沢が本気になったのか二セット目はあっさりと取られ、三セット目も食らいつきながらもそのまま取られた。つづく四セット目ではギリギリセットを奪うことで巻き返したが、五セット目に突入してデュースまで持ち込んだがそのまま敗北した。

 接戦で負けたことが逆に災いしたのか、相手のプレーに火が付き二試合目、三試合目も持っていかれストレートで敗退した。

 部長も含め他の先輩も松田商業に勝てるとは思っていなかったのかショックが少なそうに見えたが、絹笠先輩だけは悔しそうに俯いていた。

 その時に泣いていたのかは分からなかった。


 そのまま松田商業が団体戦で優勝を果たした。この結果は毎年順当なようで当たり前だという空気が流れていた。

 そのまま昼休憩はなしで個人戦の試合を開始するようだった。

 部長からの指示で決勝の試合中に軽く昼食を食べていたので、あとは自分の試合までアップするなり他の人の試合の手伝いや応援なりするように指示を受けた。

 俺は外に出て一人軽くアップしていた。その間に絹笠先輩の試合を思い出す。

 先輩は昔の俺によく似ていると今回見ていて思った。

 あの時の悔しそうな姿、それは去年の俺を彷彿させて俺の心に共感を浮かばせた。あの姿を見ていると心が締め付けられるような気分になる。

 だけど、この感情は嫌なものではない。

 俺の試合はまだ終わっていなくて、俺がこの感情を味わったわけではない。そして俺は

 この感情を味わいたくなくて今まで練習を重ねてきたのだ。

 どんな相手にも負けないというよりは全力を出し切るという先生の言葉通りの想いで、そこに全力を出し切れば勝てるという自信も今はある。

 中学の時とは違う。

 その気持ちがコンディションを万全にしているという実感を受けながら俺はランニングを続けていた。

 そうしていると氷山が俺を呼びに来た。おそらく俺の試合が近くなってきたら呼んでくれと頼んでいたので、出番がもうすぐなのだろう。

 俺は氷山と一緒に体育館内に戻る。

 余裕をもって道具を準備して待っているとアナウンスが聞こえたので俺は下に降りていった。

 第一試合を前に俺の体は熱くなっていた。


 反省点はいくつかあったが、特に問題なく一、二回戦はストレートで勝ち進めた。

 この二試合でわかったが、中学の時より格段に上手くなっているという確信が持てた。町内会の人と打って上手くなっていることは理解していたが、やはり公式戦で勝てるとそれが実感として反映されて自信が持てる。

 しかし浮かれてばかりもいられない。

 次の試合に勝たなければ県大会に行くこともできずに、全国なんて夢のまた夢だ。そして次の相手は生半可にはいかないことはすでに分かっている。

 いくら俺が強くなったと言っても全国、引いては県レベルで通じるのかは分からない。

「いや、違う……」

 俺の実力がどうこうの段階はもう過ぎているのだ。もうそのことはどうしようもないことなんだ。なら俺にできることは一つだけだ。

『試合番号301は一番の台にお入りください。繰り返します……』

 試合のアナウンスが鳴る。

 俺はラケットを強く握りしめ、下の階に降りていく。

 緊張が歩調に出ているのか、やけに歩くのに時間がかかる。普通なら四十秒で着く道が二分もかかってしまった。

 相沢はもう既に来て台の前でストレッチを始めている。相手方は俺の姿を見ると顔を引き締めるように睨んできた。

 おそらくだが絹笠先輩と同じ高校の選手だからだろう。簡単に勝てると思っていた選手があれほどまでに食らいついたのだ、多少過敏になってしまうのもわかる。

 むしろこれは俺にとって好都合だ。手加減された相手に勝つより、互いに言い訳の利かない状態の方が後腐れない勝負ができるというものだ。

 いつから俺はこんな熱血志向になったのかは知らないが、そのおかげで緊張はだいぶほぐれてきた。

 今は嬉しい気持ちの方が緊張より勝っている。

 気持ちが盛り上がると早く試合をやりたい気分になり、準備を素早く終えて台の方に小走りでいき、ネットにかかっているボールを持つ。

 相沢にもそれで伝わったのか、構えたので三球練習を始めた。

 長く続くラリーの中で互いにドライブ、ブロックをフォアハンド、バックハンドで行い五分前後練習をした。その後に互いに握手してラケットの確認、ジャンケンでのサーブ権決めを行い、互いに元の位置に戻る。

 俺のサーブで試合が始まるが、相手は最初から本気のようで、真剣な目つきで構えていた。

「サァッ!」

 相沢は気合のいれた掛け声を出し俺はサーブを打ち始めた。

 まずは三球目で攻めるために、ネットに近い手前の方にサーブを落とし、返ってきたところで相手のバックにフルスイングでドライブを打つ。それを相沢はなんいとか当ててブロックするが、チャンスボールだったのでスマッシュで今度はフォア方向に打ち抜いて、それには追い付けずに一点目は得点できた。

「ショオォ!」

 卓球特有の声を挙げて己を鼓舞する。

 このまま攻めていこうと思ったが、相手方もさるもので次はレシーブの二球目で攻められ、対処に遅れ球が浮いてしまったのを見逃さず、お返しとばかりに四球目でスマッシュを決められた。

「ゥシッ!」

 鋭い声を挙げてガッツポーズを決められる。

 その声を聴いてこのまま先に試合の流れを持っていかれるわけにはいかないと思い俺はさらに集中を高めた。

 その後は一進一退といった試合展開が広げられた。

 一セット目は互角ではあったがなんとかデュースに入る前に奪えたが、二セット目はデュースに入った末に取られた。三セット目もデュースまで持ち込まれたがこのセットは何とか取れた。しかしこの辺りから相沢の調子が上がり始めた。おそらくだが相沢は尻上がり、スロースターターといったタイプなのだろう、四セット目は少し差を開けられて取られてしまった。

 最終五セット目。泣いても笑ってもこれが最後のセットなわけだが、俺は不思議と落ち着いていた。

 体の中の熱は収まっていないが、心はクールのままだ。

 相沢を見ても俺と同じような状態なのか、落ち着いた顔つきに戦意を感じさせる。おそらく今の彼は最高の状態であろうことが窺える。

 インターバルが終わり俺のサーブから試合は再開される。

 ここからは一本のミスが致命的になったりするが、俺たちの間にはそのことに対する気負いなんてもうない。ただ全力でぶつかっていくだけだ。

 調子を上げた相沢に続くように俺も取られては取り返しを繰り返して、互いに点差はつかずにまたもやデュースまでもつれ込んだ。

 この極限の状況は以前の状況を思い出させるのには十分だった。

 中学時代も俺はこの場面で気持ちが緩んで負けてしまった。あの時のミスはおそらく生涯忘れられない記憶になるだろう。

 もちろん今回は油断なんてない、がもしミスしてしまったらと心の不安を煽るには十分な雰囲気であった。

 ふと周りを見ると自分たちの台以外の試合は一試合も行われておらず、観客席では大半の人が俺たちの試合を見物していた。

 緊張が一気に加速する。

 今思い出したが三回戦終了時点で県大会出場選手が決まるので、そこで一旦三十分ほどインターバルを挟むと開会式で説明されていた。

 全員に見られている緊張感、過去を思い出させる状況への不安、体の中から嘔吐感が沸き上がって気持ち悪くなってくる。

 俺はまた負けるのか?

 いや、ここまで食い下がったんだから御の字じゃないか。元々俺は勝つことより全力を出し切ることを優先していたんだ。一年で県の上位に位置する奴と対等に戦えるようになれたことがもう既に成長の証としては十分で――

「――もう終わりか」

 俯いていた俺の上から声が聞こえた

 顔を上げるとそこにいたのは意外な人物で。

「絹笠先輩……」

 絹笠先輩は真剣な面持ちで俺を見ていた。

 この大会では基本的に一人だけコーチもしくはその代わりとしてアドバイザーの選手を一名連れてきてもいいことになっている。俺は頼める人なんて氷山しかいないし、その氷山も試合の審判をやっていたので連れて来られずに一人で試合に臨んでいた。

 だから絹笠先輩がここにいても問題はないのだが何故先輩が俺のところに来るのか分からない。俺の事嫌っていたはずじゃないのか。

「お前今、もうここまででいいやとか思わなかったか」

 その言葉に心臓がはねる。

「あんだけ大口叩いといて、ピンチになったら諦めんのかよ。情けねぇ」

 絹笠先輩は俺の心の内を見透かしている。俺の顔はそんなにもわかりやすかっただろうか。

「まぁ、俺にはそれでもいいけどよ……」

 先輩は少し溜めた後にしたから俺を威圧するように言い放つ。

「それで、後悔しねぇのか」

 息が止まった。

 その言葉は俺にとって一番心に響いてくる一言だった。

 中学時代からここまでずっとあの思いを味わいたくなくてひたすらに駆け抜けてきた。恥も外聞も捨てて変わろうと努力してきた。

 それが今の俺はどうだ。

 ここで諦めるなんて今までの努力をかなぐり捨てるようなものじゃないか。そんな程度の覚悟で自分変えるなんてことができるわけがないだろう。

 今目の前にあるのは壁だ。

 人それぞれいろんな人生があるけれど、ここまで明確な壁が出てくるなんてすごく幸運なことではないだろうか。

 これを乗り越えることが熱川真という人間の転換期だ。

 だから俺はこれに向かっていかなきゃならないんだ。

「ありがとうございました、絹笠先輩」

 先輩は真剣な面持ちで俺を見つめるだけだ。だけどそれは俺という人間を見届けてくれているという事だというのは伝わってくる。

 もう俺の心に不安はなかった。後は自分のすべてを出し切って勝つだけだ。

 台の方へ戻ると、相沢も真剣な様子で俺を見ていた。

 俺はそれにこたえるようにサーブの態勢に入った。

「サァッ!」

 気合の掛け声を出してからサーブを打つ。相沢はバックハンド方向に打つようなフェイントを入れてからフォアハンドの方向へ返した。それに釣られずにフォアハンドでドライブを仕掛けるが予測していたのか丁寧にブロックでバックハンドの方へ弾き返される。

 それを強気に回り込んで開いているスペースに強打したが、相沢もそれを返してドライブの打ち合いにもつれ込んだ。五球目くらいで相沢の方が態勢を崩しボールはネットに止められてまずは先取できた。

 あと一点で勝てるという考えが頭をよぎったが、これを意識しすぎると中学の二の舞になってしまう。

 だから次の点数で取りに行く。相手は尻上がりタイプで県大会でもギリギリの勝負を何度も経験しているだろう、長引くと気持ち的にも実力的にも不利になる。

 デュースでのサーブ権は一球交代なので相手サーブから始まる。

 俺は相手のサーブをフリック(短く浮いたボールに対して相手のコートにボールを弾いて入れる技術)で返す。

 我ながらコースもスピードも完璧で相手はそれについていけずに当てるだけの返し方になる。そのチャンスボールをスマッシュで返すが、相沢も執念か何とか高い球で返す。また来たチャンスボールを俺は全力の力で振りぬいた。

 相沢はそれに追いつけずにボールは地面に落ちた。

 ……しばらく何も考えられなかった。

 周りも静寂が包み込んで誰一人として声が出せなかった。

 しかしそれでも時間は経つもので、俺は時間の経過とともに胸の内に現実感が湧いてきて、

「っっっつしゃぁぁあああああああ!」

 渾身のガッツポーズを上げると同時に観客席からも歓声が上がった。

 嬉しい、すげぇ嬉しい!

 心から歓喜の感情が沸き上がってきた。嬉しさが俺という存在を満たしていく感覚。

 俺は笑顔を止められずに相沢の方へ握手に向かう。相沢も俺の方へ手を伸ばしながら近づいてきた。

「……次は負けない」

 それだけ告げると顔が見えない角度に顔を下げながら荷物の方へ歩いて行った。敗者にかける言葉なんて勝者にはない。俺は何も言わずに自分の荷物の方へ戻った。

 荷物のところには絹笠先輩がどことなく穏やかな顔で仁王立ちしていた。

 俺は先輩に近づき頭を下げる。

「ありがとうございました」

 それだけ言って先輩の言葉が帰ってくるまで頭を下げる気でいた。先輩もそれを察したのか、言葉を紡ぐ。

「お前が勝ったのはお前の力だ。俺にはなかったものをお前は持っていた、だから勝てたんだと思うぜ。……それに礼を言うのは俺の方だ」

 そういって先輩は俺の頭に軽くチョップを落とした。

 その意味合いを察した俺は頭を上げて絹笠先輩を見た。先輩はギャラリー席に戻るように俺に背中を向けた。

「……お前は間違ってなかったと思うぜ」

 絹笠先輩は顔を一切向けずにポケットに手を入れた。

「あの時は認められなかった、いや認めたくなかっただけか。ほんとは否定したかったんだがお前は行動で俺に見せつけた」

 空もないのに先輩は体育館の蛍光灯を見つめるように顔を上げた。

「それを見たらなんか吹っ切れたわ。だからお前はそのままでいいと思うぜ」

 先輩とみんなのいる場所へと歩きだした。俺も荷物を乱雑に入れてその後ろについていく。

 俺の中に燻ぶっていた憂いは晴れた。先輩とはひと悶着あったけれど、俺の生き方をしっかり認めてくれた。誰かに認められるという事がこんなにも自信になるなんてことは少し前からは考えられなかった。

 これもやっぱりいろんな人に支えられて自分というものを変えられた結果なのだろう。そしてその一人が絹笠先輩なんだ。

 おこがましいとは思うけれど先輩がなにかしら変われたというのもまた俺への何らかの思いがあったからなのだろう。

 ふと先輩の後姿を見つめる。

「ありがとよ。それを俺に見せてくれて」

 そう呟いた声が聞こえた。


 そのままの勢いで俺は初めて優勝というものを獲得した。

 その後の県大会でも準優勝を果たして、関東大会も上位に入り、東京で行われる全国大会へと駒を進めた。しかし全国の壁は厚く一回戦で強い選手と当たってしまい、一回戦敗退となってしまった。

 正直もっと上へ行きたかったというのもあるが、初めて一つのことでも好成績を残せたことと周りからもてはやされたことで悔しさよりも嬉しさが勝ってしまい、顔のにやけが止まらなかった。

 その時絹笠先輩や氷山、他の先輩、一年のみんなまで冷やかしてきてくれたのは少し嬉しかった。まだまだみんなと仲良くなれたとは言えないけれど、少しは認めてくれたという事が伝わってきた。

 その後、応援に来てくれた部員皆を一日で東京から返すのは申し訳ないと思っていたら、なんと近藤先生が一泊だけ自由時間を作ってくれた。

 スカイツリーや浅草など有名どころを観光した後に夕食、自由時間となった。明日は朝一で学校に帰るらしい。

 ホテルで温泉に入った後、俺は外の自動販売機に飲み物を買いに来ていた。微風が肌を通り過ぎるが夏の暑さでそこまで涼しいわけではない。とはいっても湯上りにはちょうどいいかもしれない。

 地元じゃ売っていないような珍しいものなどがあったが、オーソドックスにお茶を買って部屋に戻ろうとすると、外のベンチで氷山が座っていた。

「何やってんだ、お前」

「……ああ、お前を待っていたんだ。少し話をしないか」

 氷山は隣に座るように促した。断る理由もなかったので、それに従いベンチに腰掛けた。

「あのさ、全国に来てどう思った?」

「どうって、まぁ嬉しいけど……」

 氷山がなにを聞きたいのか分からなかったので簡単に思ったことを答える。だが、それは求めていた答えとは違ったようで氷山は溜息を吐く。

「そうじゃなくて、もっとあるだろ。前に聞いたけど中学の成績は大したことなかったんだろ? それが今は一年生で全国まで来たんだぜ」

「ああ、そういう」

 おそらく氷山は同じ立場であった俺がここまで来た時の心境を聞きたいのだろう。少し気恥ずかしいが隠すことでもない。

「そうだな、努力が実ったことへの嬉しさや過去の自分よりましになれたことの実感、絹笠先輩や他の一年生と分かり合えたこと、周囲の人たちへの感謝。それらの経験が俺を成長させたよ。ここまで密度のある時間を過ごしたのは人生初だ」

「そうか……」

 氷山は噛みしめるような返事をした。

「かっこいいな、お前は」

「かっこいい?」

「ああ、自分を貫いて結果を出す、まるで主人公みたいだよ」

 いつもなら照れてしまうような誉め言葉だが、氷山の神妙な表情を見るとそんな感情は引っ込んだ。

 何かに悩んでいるというよりも何か話を聞いてほしいといった雰囲気を氷山は醸し出していた。

「お前を見て思ったんだ。周りに合わせることは大事だ、だけど周りに合わせるだけじゃなく自分を貫くことはもっと大事な事なんだって。恰好だの羞恥心だのを理由にして努力なんてダサいみたいな態度でスポーツやってもいつか必ず後悔するって」

 下を見ながらも氷山の顔は微笑んでいるような穏やかな顔だった。

「正直迷っていたんだ。お前みたいになりたいって思うのと周りから外れたくないって気持ちがあってさ、どっちつかずの態度で過ごしてた。だけど今までのお前を見て思い直したよ」

 氷山は顔を上げると、俺の目を見つめて宣言する。

「俺、お前みたく頑張ろうと思うんだ。もう言い訳して生きるのはやめるよ。だからさ、今度は二人で一緒に全国来ようぜ」

 氷山はこの決意を俺に聞いてほしかったんだろう。そうすることで自分の逃げ道を断ったんだと思う。

 俺は嬉しくなって自然と浮かんでくる笑みを抑える。

「まぁ、いいんじゃねぇの。やっぱやるからには全力の方が楽しいぜ」

 そういって目を合わせると互いの口から笑いがこぼれてくる。

 暗がりの中で青春の空気を俺たちは二人で感じていた。


 それから三年生が引退して一、二年生が主体となり新体制で部活動が始まった。

 前は一年生には使えなかった台で俺は氷山と打ち合っていた。あれから氷山も俺の練習にヘトヘトになりながらもついてきた。さすがに今までサボってきたやつが俺の練習についてくるのは厳しいものがあるようだ。

 部員自体の雰囲気も変わった。

 二年生は代替わりしたからか、一年に全国に行かれたからか、はたまた全国のレベルをその眼で見たからか、練習に気合が入っている。

 一年生は他の奴も俺の自主練に付き添うやつや、全国レベルと打ちたいのかよく俺に試合形式の練習を申し込んできたりするやつもいる。

 皆全国大会を観戦してからそれぞれ意識が変わったのだろう、今までの楽天的な雰囲気が消え真剣に卓球に向き合っているのが伝わってきた。

 その様子を見ていると氷山が俺に近づいてきた。

「これもお前の影響だと思うぜ」

 氷山は周りをぐるりと見まわした。

「いや、俺はたいそうなことはしてないぞ。皆が変わったっていうのならそれは皆の力だろう」

「だからだろうが。お前がきっかけになったんだよ」

 呆れたような顔で俺を見てくる。

 なんでこんな顔しているのかわからない。俺は俺のために努力していただけでこいつらに何か言った覚えはない。

「人は大人になるにつれて自然と周りに合わせちまうことを覚えちまうが、一人の突出した奴の存在は周りを引っ張って変えちまうもんなんだ。お前とみんなを見れば一目瞭然だろ」

 あまり実感がないがこいつは意外と周りをよく見て客観的に物事を判断できる人間だ。ならあながち間違いではないのかもしれない。だけど納得できるかと聞かれれば正直微妙だ、俺がこれだけの人間の意識を変えたと言われても。

「……そんなもんか?」

「ああ、そんなもんだ」

 納得はできないが理解はした。もしそうだとしたらこれほど光栄なことは無い。

 自分が変われば周りも変わる。それはよく考えればもう既に知っていたことだった。

 俺たちはまだまだ発展途上で自分を変えることだってできる。大人になった気で擦れた考えを持つにはまだ早い時期を生きる人間なんだ。

 子供は子供らしくがむしゃらに、馬鹿みたいに生きていればいいのかもしれない。

「それじゃ熱川――」

「ああ氷山――」

『――卓球やろうぜ』

 それが青春ってやつなのかもしれない。


 これから大人になるにつれて俺たちには様々な壁があるだろう。

 だけどこの経験があればどんな壁でも恐れることは無いと思う。

 なぜなら俺たちは、超えられるかはわからなくとも挑戦することはもう既に学んでいるのだから。

 やらない後悔よりやる後悔。

 結局はそういうことなのではないだろうか。


誤字脱字、ストーリーについて、つまらないか面白いかなど何でもいいので感想が欲しいです。

皆様の感想、意見をお待ちしています。

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