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中学でも彼は野球を続けていた。私はサッカー部に入ったが、前述した通り、野球への当て付けのように選んだスポーツだ。そこに情熱などひと欠片もなく、夏休みに入ると同時に練習へ行くのを止めて、二学期に退部した。自業自得ではあるが、このことがきっかけでサッカー部員から嫌がらせを受けるようになった。そんな状況から私が逃げ込んだのは図書室であり、またここから読書に没頭する日々が始まったのだが、それに関しては割愛させていただく。思い出したくないわけではない。むしろこの時の思い出は、生涯を振り返っても一位に輝くほど特別に良いものだった。ただ、この私の変化は久住修斗には何も繋がらないものであった。もっとも、この頃には既に私と久住修斗の関係は以前ほど親しいものではなく、せいぜい挨拶と軽い会話をするくらいのものになっていた。
久住修斗が部活を辞めたと耳にしたのは二年生の頃だった。理由は受験に向けて勉強に集中したいということだったらしい。本だけが学校生活の全てであった私にとって受験など頭のすみにも存在せず、上級生の知り合いもいなかったため、学区内にどのような学校があるのかすら知らなかった。
しかし三年にも上がるとそのままというわけにもいかず、友人との会話でも志望校の話が度々出るようになった。久住修斗の志望校を知ったのもこのころだった。彼が目指していたのは国立の高等専門学校だった。彼はそこまで賢かったろうかと疑問を抱いた。
二者面談があった。今の学力でおそらく受かるであろう高校を第一志望に挙げていた私に、担任の教師はもうひとつランクをあげてみないかと提案した。理由を問うと、教師はこれまでのテスト結果を出して私に見せた。そしてたまたまいい点数をとったところを挙げてこう言うのであった。
「ほとんど勉強をしなくてもこのくらいの点数が取れるんだから、もっとちゃんと勉強すればいい点数を取れるようになると思う」
それは、確かにそうかもしれない。学校の勉強は、運動ほど才能には左右されないだろう。だが、努力をして、ランクが上の高校に入って、そこを卒業するために、自分はまたどれだけ努力を重ねなければならないのだろう。その頃の私は、ただ、本を読んでいたかった。それが私が知る、最も楽しい学校生活だったから。
ふと彼のことを思い出して、その志望校を口にしてみた。
「久住くんが目指しているって聞きました。頑張れば僕も入れますか?」
担任は僅かな狼狽、それから逡巡を見せてから頷いた。
「本当に頑張れば可能性はあると思う」
やればできるとは言わないのか、と私は思った。言葉の意味的にはあまり変わっていないのかもしれないが、少し大人に近付いたような気がした。昔のように、騙されているとも思わなかった。そんな言葉を吐く側もまた幻を見ているのだ。
久住修斗もこうして進路を決めたのだろうか。彼ならあり得ると思った。
志望校を変えることなく、そして受験に向けて特別勉強をするということもなく、卒業式を迎えた。公立高校の合格発表は卒業後だが、国立である高専は一週間ほど前に合格者が通知されていた。
久住修斗は不合格だったらしい。直接聞いたわけでも間接的に耳にしたわけでもないが、やつれた表情を見ればそれは明らかだった。彼が他に受けていた公立校は、滑り止めとはいえ進学校のひとつであり、私が担任に勧められた学校の更にもうひとつランクが上のところだった。もしかしたらそこにも受かっていないかもしれないという不安に苛まれ、あんなにもやつれているのかも知れないと思った。
卒業式後、昇降口前に集まった私達卒業生は、それぞれ友人や教師と話をしたり、卒業アルバムの寄せ書きページにメッセージを記入したりしていた。私も、友人達、司書教諭、各学年で担任だった教師にメッセージをもらったことを覚えている。友人のなかに、久住修斗はいなかった。
第一志望だった高校に通った三年間は、環境が変わったためか、あれだけ好きだった読書から遠ざかり、その空白を埋めるように、昼夜問わず誰かと共に過ごした。その誰かに家族は当てはまらず、ほとんど家に寄り付くことはなく、真冬に外で一夜を過ごしたこともあった。
久住修斗と会うことはなかったが、彼が第二志望の高校に受かったことは知っていた。それは合格発表後、中学に集まった生徒の中に彼の姿を見つけたため確かだった。
彼と会ったのは、高校卒業後、数ヶ月が経った頃だった。場所は車で二十分ほどのスーパーマーケット。私は客で、彼は店員だった。彼は身長が伸びたようであったが、やつれた顔は中学の頃のままで、そのアンバランスさが私を不安な気持ちにさせた。レジ打ちの間、少しだが話をした。彼は、大学受験に失敗して浪人の身であることを話し、私は、進学を選ばずに就職したことを話した。これが、私と彼が会った最後の記憶だった。
それから彼がどういう人生を過ごしたのかは分からない。同窓会にも来なかったし、中学時代の同級生も知らないようだった。目指していた大学に受かって県外へ出ていったのかもしれない。




