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 その頃の私の趣味は、なんでもいいから文章にルビを振ることだった。自宅、学校を問わず、空いた時間はその作業に没頭した。

 まずは教科書だった。しかし、小学一年生の教科書である。ほとんどが平仮名であり、漢字は簡単なものしか使われていない。作業に手間取ることはなかった。

 配られたプリントなどにもルビを振った。保護者に宛てられたものには、意味はもちろん読み方すら分からないような言葉がいくつも使われていた。その度に、中学に進学するまで使い続けることになる小学生向けの漢和辞典を開いた。辞典には字の書き順や成り立ちなども記されていたが、当時の私は――いや、恥ずかしながら現在もだが――それらにはまったく興味がなく、読み方さえ分かれば用無しと言わんばかりに辞典を閉じて鉛筆を手にプリントに向かった。

 両親や担任の教師など、私の生活を知っていた大人達は、その趣味をいいものだと褒める反面、どこか心配しているようでもあった。確かに、当時の私は、病的なほどルビを振るという行為に熱を上げていた。素人目に見れば、一つの行為をひたすら繰り返す自閉症、もしくは精神疾患の類と思ってもおかしくないほどだった。実子にそのような可能性が浮かべば不安になるのは当然のことだし、そうでないとしても、変わった趣味によってクラスメイトと軋轢が生じるのではないかという心配もあったのだろう。

 だが、その懸念は杞憂でしかなかった。私は決して、人と関わることが嫌いだったわけではなく、むしろ好きな部類だった。給食の時間はグループの中心になって話をしていたし、前述したとおり運動も好きだったため、体育の時間も率先して動いた。

 私の趣味をからかうようなクラスメイトがいなかったことが幸いだったといえばそうだが、そもそも、一風変わった趣味をからかう、叩く、非難するという行為は固定観念から生まれるものと考えれば、あの年頃のクラスメイトがすんなり受け入れてくれたことも不思議ではないのかもしれない。事実、成長してから知り合った者にこの趣味について話すと、十人中八人は『暗い子供』といった旨の感想を口にした。

 私が在籍していたクラスの生徒は三十名。うち、男児が十四名で、女児が十六名だった。まだ性別の壁などほとんどない年頃であったが、それでも休み時間などは基本的に男女別に固まるものだ。その中でまた――中高生のように露骨ではないにしろ――小さなグループに分かれる。

 私と彼、久住修人は、この頃にはとうに知り合っていたが、授業で『友達とグループを作りなさい』と言われて組むほど親しい間柄でもなかった。そんな距離感のクラスメイトは少なくなかったが、それでも、この頃から彼の名前を多少意識していたのは、小学生という身分では大きなアドバンテージとなる運動面で拮抗していたからだろう。今の時代に存在するかは怪しいが、当時は授業で徒競走をすればタイムのランキングが発表されていたのだ。おそらく、最初に意識したのはその時だったのだろう。十四人いる男児の中で、小数第二位まで完全に同じタイムだったのは私達だけだったからだ。他の種目でもそれは同様で、鉄棒やマット運動は私の方が上手く、跳び箱や持久走は久住修人の方が上手だったが、その差は第三者から見ればあってないようなごく僅かなものでしかなかった。

 もっとも、ここまでの文字面を見ると、どうも一位二位を争っていたように思えてしまうかもしれないが、実際は、せいぜい、クラスの平均辺りをうろうろしている程度だった。大人達から見れば、どんぐりの背比べの中の背比べ。五十歩百歩どころかせいぜい数歩の違いしかなかったのだから、私と彼の密かな好敵手ライバル関係に気付くものはいなかった。

 この頃の彼との会話で、今でも覚えているものがひとつだけある。

 昼休みだったと思う。どういうわけか教室には誰もいなかったように記憶しているが、事実は分からない。

「何か習い事とかしてるの?」

 普段と同じように机に向かい、傍らに辞典、右手に鉛筆を持って、本(両親が古本屋で買ってきた童話だったと思う)にルビを振っていた私に、彼の問いが降ってきた。顔を上げる。

「習い事って?」

「水泳とか」

「何もしてないよ」

「本当に?」

「うん。どうして?」

「ううん。なんとなく、訊いただけ」

 たったこれだけの会話である。それを未だに覚えているということは、子供心ながら何か感じるものがあったのだろう。そして、年齢的にはとうに大人となった今の私の視点で見てみれば、久住修人の問いの理由も分かる気がした。もっとも、私も今ではすっかり頭の固くなったいち大人である。それが絶対に正しいとは思えないし、彼が言ったように、本当に何気ない問いだったのかもしれない。

 


 一年、二年が経った頃には、私はルビ振りをやめていた。ここらの記憶は曖昧だが、しかし少なくとも一年は続いたのだから、今までの生涯を振り返っても長く続いた部類に入る。そしてルビ振りの代わりに読書をするようになったことを考えると、冷めたというよりは熱が移ったといったほうが正しいのかもしれない。

 この推移の中で、久住修斗のことをまったく気にしていなかったと言えば嘘になる。いつからか彼は、運動面で私を上回るようになっていた。何かの競技で彼が七位のときは、私は九位。彼が八位の時は十位といったように、お世辞にも高水準とはいえないレベルで、その差も僅かなものであったが、しかし確実に、彼は私の前を歩いていたのだ。もっともそれは彼の足が早くなったわけではなく、私が遅くなったためだったと思っている。

 事実、この頃から、両親に、運動をするよう促されるようになった。休日には両親と総合公園へ行き、キャッチボールやバドミントンをした。私も、嫌々付き合っていたわけではない。変わらず運動は好きだったし、本を読むだけではすっかり誉めてくれなくなった両親が、野球ボールをいいところへ投げたり、難しいところへとんできたシャトルを弾き返したりするだけで誉めてくれるのは嬉しかったし気持ちがよかった。

 野球部への入部を勧められたのは、三年の夏の日だった。その時、私の机の周りには三人の男子がいて、その中には久住修斗の姿もあったが、勧誘を口にしたのは別のクラスメイトだった。

 前述した通り、私が通っていた小学校は小規模で、全校生徒は百七十人にも満たないほど。部活動というものはほとんどなく、町内の小学校から生徒を集めてクラブ活動をしているものがほとんどだった。人数が必要な運動部は最たるもので、その唯一の例外、小学校ごとに確立されているのが野球部だった。そこまで人気のある部活ではなかったのだが、私達の世代はサッカー派よりも野球派が多く、十四名中八名が野球部に所属するつもりでいた。

 その時の会話はほとんど覚えていない。勧誘してきたクラスメイトは、総合公園で私を見たことが理由だと言っていたように記憶しているが、どのような言葉で、表情であったかは思い出せない。もともと見ていなかったのかもしれない。私の記憶にあるのは、なにか言いたげな久住修斗の顔だけなのだから。

 とりあえず見に来たら、といった旨の言葉で、週末にグラウンドへ行った。正式な入部は高学年になってからという決まりがあったが、すでに入部を決めているクラスメイト達は、体操服を着て部活に参加していた。しばらくは見学をしていた私も、コーチの一人に誘われて私服のままセカンドの守備に付いた。久住修斗も同じポジションだった。

 炎天下の練習、そしてなにより、部活動という未体験の空気は、平均以下しかない私の体力をあっという間に奪い去っていった。監督、コーチに頭を下げて練習終了、かと思いきやグラウンドを整地するトンボかけという作業もしなければならず、それが終わった時には思わず昇降口の段に座り込んでしまった。疲労しか感じられずにいた私に近付いてきたのは、コーチの一人だった。監督が一人、コーチは二人いたのだが、私に話しかけてきたのは、その日一日で分かるくらい一番に厳しい人で、私を練習に誘ったのもこの人だった。顔は今でも思い出せるが、名前は覚えていない。それは他の二人も同様だった。

 練習の感想を訊かれたため、疲れたとだけ答えたように思う。コーチは笑って、私の動き――特に守備――の良さを誉めてくれた。私自身、その面に関しては、キャッチボールでゴロやフライを取っていたため、多少上手くできたという自信があった。打撃面はフォームから教えてもらわなければならないような有り様だったが、それはこれからうまくなっていくとコーチは言った。

 そんな言葉を聞いていくうちに、疲労感が充実感に変わっていった。選手のモチベーションを上げることもコーチの役割、なんて話を聞いたことがあるが、この時のコーチはまさにその役割を的確に遂行できていた。

 それが後押しとなったのかは定かではないが、それからというもの、週末は野球部の練習に参加するようになった。練習は午前中だけのこともあれば、一日中することもあって、その分、読書量は減っていった。


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