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やれば出来る子。そんな評価を受けた経験がある者は決して少なくないだろう。
ただ、うんざりするほど耳にしたという者は、例外なく、大した能力――才能を持っていない人間だ。
正座した状態から前かがみになって、床に置いたアルバムを覗き込んでいる私もそんな一人だ。いや、だった、というべきだろう。後天的になんらかの才に目覚めたわけではない。幼い頃から変わらず不器用で、熱しにくく冷めやすい性格も変わっていない。ただ私は、やれば出来る子と言われるような歳ではなくなっていた。
アルバムというのは小学校の卒業アルバムだった。一クラスしかない小さな学校。一人一人が将来の夢などを書いたページをめくっていく。中学まではクラスメイト全員と同じ学校に通っていたのだが、ほとんど記憶に残っていない者もいた。
とあるページで手が止まった。そのページの最上段には、綺麗とも汚いともいえない字で『久住修人』と書かれている。途端に湧きあがる懐古の情は、それまでに目を通したページでは感じ得なかったものだった。
彼との記憶が頭を駆け巡った後、私はそっとアルバムを閉じた。それ以上は蛇足にしかならないと思ったのだ。アルバムを手に立ちあがる。目の前にある棚に戻す気にはならず、階段を下りてリビングに入った。ローテーブルの上にアルバムを置いて、自分はソファに腰掛けた。はずみで、ポケットからスマートフォンが滑り落ちる。手帳型のカバーに包まれたそれを拾って、指紋認証でロックを解除した。連絡先を開いて、か行を選択。親指で下方へスライドさせる。
懐かしい名前はすぐに見つかった。こうして登録してあるのだから、懐かしい、と思うことはおかしいのかもしれない。おそらく何度も目には入っていただろう。ただ、昔の友人として、意識して、その名前を見ていなかっただけで。
彼は、今、どこで、何をしているのだろう。私の記憶にある最後の姿は、とても、幸せとは言い難いものだった。
彼は真面目で、懸命すぎたのだ。そしてそれが、よく似ていた二人――私と、久住修人の大きな相違だった。
やれば出来る。うんざりするくらいに言われ続けた二人。
無根拠で無責任な言葉を理由に用意されるのは、本来の実力に合わない高いハードル。身軽で気楽な状態ならまだしも、期待を背負って跳ぶことは難しかった。
私は早々に諦めた。いくら無理をして跳んだところで、それよりも高いハードルを軽々と超す存在がいることを知っていたから。
久住修人は諦めなかった。期待を一身に背負って、身の丈以上のハードルを跳び続けた。
そんな私達が時の流れと共に関わりを持たなくなっていったのは至極当然の成り行きだろう。
スマートフォンの画面を見つめる。一つ、指を当てて離すだけで、久住修人に繋がる。何年も前に、同窓会で、共通の友人から聞いた連絡先だ。もしかしたら、もう繋がらないかもしれない。しかし、繋がろうとした事実は残る。
私はそのままそっと目を閉じた。先程頭を駆け巡った記憶を、今度は、時の流れと比例させるように、緩やかに思い出していく。
最初の記憶は、小学一年生の頃だった。




